宇那谷川流域紀行14 下志津射場図 4 近衛師団管轄演習場規程(上)
防衛省防衛研究所で近衛師団管轄演習場規程を閲覧することができました。残念ながら別冊付図は欠落しています。昭和20年の降伏に際して米軍に押収され、昭和37年に米国国務省公文書部から返還されたという付箋が貼ってありました。170ページの冊子でした。電子ファイル化をお願いでき、後日入手できますので、細部の検討はそれからです。
短時間でしたが全体をざっと閲覧しました。とりあえず、重要な事実が2つ見つかりました。
1 「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)掲載図は昭和17年4月発行の「近衛師団管轄演習場規程付図」であること。
「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」551ページ掲載図は「下志津射場図」(昭和15年3月修正 野戦砲兵学校作製)として紹介され、出典として「近衛師団管轄演習場規程(別冊第一)」として紹介されています。
しかし、正しくは、この図は昭和17年4月発行近衛師団管轄演習場規程付図(以下付図と称します)であることが確認できました。この付図作成に利用した基図が「下志津射場図」(昭和15年3月修正 野戦砲兵学校作製)であるということです。
この付図には昭和15年3月以降の演習場拡張の情報が盛り込まれています。
「下志津射場図」(昭和15年3月修正 野戦砲兵学校作製)は国会図書館でそのコピーを入手しましたので、この付図と照らし合わせて確認できました。
国会図書館では大正15年3月の下志津射場図のコピーも入手できましたので、演習場区域や関連施設の情報は3時点そろうことになります。
前報までで付図のGIS取込みを報告しましたが、同様の方法で下志津射場図の昭和15年版、大正15年版をGISに取り込み、GIS上で正確に3時点の情報を比較できるようにしました。
演習場区域について3時点の変化を見ると次のようになります。
下志津演習場の拡張
大正15年から昭和15の間にかけて3箇所で演習場の拡張が行われています。1箇所は飛び地だった歩兵学校練兵場が演習場本域と繋がっています。別の箇所は長沼池上流の東金街道付近です。3箇所目は宇那谷川流域の宇那谷集落付近が含む大面積の地域が演習場の組みいられています。ここでは、大正15年にあった宇那谷集落の地図記号が昭和15年では削除されています。
演習場地図から消滅した宇那谷集落
左は大正15年3月の下志津射場図(野戦砲兵学校)、右は昭和15年3月修正の下志津射場図(野戦砲兵学校)
集落記号だけなく、警戒標(黒十字の中心白抜き記号)3箇所もなくなっています。
昭和15年から昭和17年の間にかけては、下志津飛行学校隣接2箇所で演習場の拡張が行われています。
(つづく)
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