私の散歩論

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2011年9月25日日曜日

花見川出自記載の違和感


利根川水系手賀沼・印旛沼・根子名川圏域河川整備計画における花見川(印旛放水路[下流部])の概要記述に違和感を覚えました。

私の花見川に関する理解が不足しているのか、あるいは記述文の背後にある思考に偏りがあるのかどちらかだと思いますので、記録しておき今後検討を深めたいと思います。

利根川水系手賀沼・印旛沼・根子名川圏域河川整備計画
第1章圏域と河川の概要 第2節河川の概要 抜粋
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【印旛放水路(下流部)】
印旛放水路(下流部)は、元々印旛沼に流入していた勝田川と高津川を東京湾側に流域変更し、上流端に設置された大和田排水機場によって印旛沼の洪水を東京湾に流すために整備された流域面積61.7km2、指定延長16.5km2(勝田川含む)の河川です。
印旛放水路(下流部)は印旛沼開発事業により下総台地を開削して作られた人工河川ですが、工事経過後40余年を経過し、斜面林などが回復した結果、圏域で最も自然の残された河川の一つとなっています。勝田川は、谷津田の中の農業用排水路で法匂配1:2の小規模な自然河道ですが、一部に矢板護岸の箇所もあります。
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違和感は次の通りです。
1 肝心要の花見川が登場しない
「印旛放水路(下流部)」は勝田川と高津川をもともとあった花見川の流域に接続(流域変更)して整備された河川です。基幹となる河川名(花見川)を伏して記述することは極めて不自然です。

流域変更という歴史的経過を説明する文章でも花見川という言葉は使いたくないという思考が背後にあるように感じます。

2 「印旛放水路(下流部)は印旛沼開発事業により下総台地を開削して作られた人工河川です」は花見川出自の誤認識を強く誘発する表現になっている

2-1 「印旛沼開発事業により下総台地を開削して作られた」という表現が誘発する誤認識
印旛沼開発事業では下総台地開削は行っていません。天保の堀割普請の跡の形状をほとんどそのまま利用して「印旛放水路(下流部)」がつくられたものです。

「印旛沼開発事業により下総台地を開削して作られた」という表現では、専門家以外の人が読むと、印旛沼開発事業があたかも台地面を新たに開いて堀割がつくられたような誤認識を誘発すると思います。この表現では実際の印旛沼開発事業の内容と齟齬をきたします。

印旛沼開発事業では、現在の勝田川合流部から弁天橋までの400m区間の右岸では台地縁の一部を削っています。ですからその工事に焦点を当てれば、確かに印旛沼開発事業は下総台地を「開削」したと強弁することも可能です。しかし他の区間(弁天橋から花島まで約3㎞)の台地斜面はほとんど掘削していません。このような強弁は河川整備計画の文章としては不適切だと思います。

「印旛放水路(下流部)」は、下総台地にそれまでに作られていた堀割の水路と既存河川を、印旛沼開発事業により改修してつくられた河川です。

2-2 「開削」という表現が誘発する誤認識
開削という表現では、台地面を新たに開いて堀割がつくられたような誤認識を誘発すると思います。

天保の堀割普請では、それ以前の天明の普請で作られていた古堀の改修工事をしました。
天明の普請ではそれ以前の享保の普請で作られていた古堀の改修工事をしました。
享保の普請では、すでに存在していた古柏井川の谷津の改修工事をしました。

つまり、言葉の意味そのものとして「台地面を新たに開いて堀割をつくる」ということはなかったのです。自然の河川(谷津地形)を利用して、それを少しだけ改変してきたのであって、「開削」という表現は花見川出自の誤認識を誘発する言葉になっています。

台地を「開いた」のは自然です。それを普請(工事)して印旛沼の水を東京湾へとつなげたのは人です。

2-3 「人工河川」という表現が誘発する誤認識
整備計画文章を書いた人は、念頭に「40年前に台地開削の工事があり、したがって人工河川であり、その人工河川に豊かな植生が復元した」という誤ったイメージを持っているように想像します。この文は人々にそのようなメッセージを届けます。花見川の出自の誤認識を誘発します。

40年前に台地開削で作られたから人工河川であるという文脈で使われる用語「人工河川」は誤りです。

40年前に台地開削はほとんどなかったし、それ以前に時代をさかのぼれば、古柏井川とその谷津にたどりつきます。人が一からつくった川ではありません。台地堀割部分の出自は自然河川です。

「印旛放水路(下流部)」を構成する河川の出自は、堀割部分を含めて全て自然河川ですから、出自を問題にするならば、「人工河川」は誤用です。

この河川整備計画の他河川の概要記述には「人工河川」だの「自然河川」だのという表現はありません。そうしたことから、私は、「『印旛放水路(下流部)』は…『人工河川』です」という強い思考回路が事前に存在していて、この文章が生まれたものと想像します。「印旛放水路(下流部)」という名称の存在が関係者の思考を縛り、バイアスが生じているものと感じます。

3 現在の自然は40年かけて回復した自然であるという誤った記述
40年前の工事で直接失われた自然(斜面樹林)はごくわずかですから、それが回復したからといって、河川全体のこととして記述することは誤りです。読者は誤解します。

堀割部分の柏井付近の斜面植生を見る限り、大正年間の資料と現代の姿を比較して、ほとんど変化がありません。

40年前の工事で斜面林などがほとんどいじられずに残されたので、結果として「圏域で最も自然の残された河川の一つになっています。」ということだと思います。

2 件のコメント:

  1. ブログ村からきました。
    河川が好きで、河川ニュースを毎日運営しています。
    是非一度、ご訪問下さい。
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    http://blogs.yahoo.co.jp/toku_hillvalley

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  2. 谷岡康さん訪問ありがとうございます。
    河川ニュース訪問させていただきます。
    今後もよろしくお願いします。

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