私の散歩論
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2011年9月26日月曜日
河川名称「印旛放水路(下流部)」の違和感
河川法に基づく名称である「印旛放水路(下流部)」に強い違和感を覚えます。
違和感の内容がどのようなものであるか列挙してみて、今後の検討のために記録します。
1 名称が河川法の目的に対応していない
平成9年の河川法改正により、河川の目的に環境が加えられ、治水・利水・環境の3つの河川管理により河川の目的を達成することになりました。
ところが、「印旛放水路(下流部)」という名称は、治水と利水を主軸に活動を展開するという旗印を掲げたこということです。
治水・利水を主軸に活動を展開するということは、人工河川ならまだしも、自然河川である花見川(とその支流の勝田川、高津川)の健全な河川管理と相いれません。
「印旛放水路(下流部)」という名称には「この河川は治水・利水を主軸に事業活動を展開するという強い事業指向」が内在しています。まるで事業者専用の名称のようになっています。あたかも花見川を事業者が独占してしまったという印象の名称です。
事業を否定する立場から述べているのではありません。
花見川を「人工河川」と定義し、「印旛放水路(下流部)」と名付けてしまえば、その河川管理はおのずと治水、利水(の事業)に偏向していってしまうことになる、という跛行性を心配しているのです。
自然河川花見川に「印旛放水路(下流部)」という名称がふさわしいものであるのか、平成9年河川法改正の趣旨に照らして再検討する必要があると思います。
2 名称が人々の発想を貧困にしている
「印旛放水路(下流部)」という名称は、花見川の自然、歴史、流域に関する発想をとても貧困なものにしているように感じます。
「川」という言葉は「自然」「歴史」「流域」などの言葉と自然に結びついています。「川」から「自然」「歴史」「流域」の発想に移動するためにさしたるエネルギーは必要としません。
千葉を流れるこの川を「花見川」として呼べば、花見川の自然、花見川の歴史、花見川流域の出来事・地物について様々な思考の展開を図ることは容易です。
そもそも「ハナミガワ」という名称が縄文語由来であり、古代から人々の生活を支えた河川であり、珍しい河川争奪現象地形が存在し、縄文時代以来印旛沼と東京湾をつなぐ古代人の回廊であった地形があり、江戸時代の堀割普請など様々な歴史のページをめくることができます。花見川に積み重なっている自然的、文化的価値を見出すことができます。
ところが「放水路」からその「自然」「歴史」「流域」の発想に移動することは困難です。
千葉を流れるこの川を「印旛放水路(下流部)」として呼べば、放水機能の思考は大いに展開できます。事業者の仕事には好都合です。しかしその流域に積み重なっている自然的、文化的価値を見出すような発想に至ることは至難の業になります。
流域の自然的、文化的価値を見出すことが困難であるということは、流域の地域づくり、特に川を生かした地域づくりが貧困化するということに帰結します。
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