花見川地峡の自然史と交通の記憶 31
このブログでは、最近の記事で次のような花見川地峡の古代交通ルートを話題にしています。
最近話題にした花見川地峡の古代交通ルート
この花見川地峡を実際に通った古代物流の証拠が「八千代市の歴史 通史編 上」(八千代市発行、p189-190)で説明されていますので、引用紹介します。
「印旛沼に面する上谷・栗谷遺跡では、海に産するハマグリやアサリの貝殻が出土している。その場所は、A群とC群の単位集団に集中する傾向がある。また、萱田遺跡群では、白幡前遺跡と権現後遺跡でハマグリを中心とした貝層が確認されており、特に白幡前遺跡1群Bの井戸状遺構からは多量のハマグリが出土している。ハマグリやアサリは言うまでもなく海の貝であり、この八世紀から九世紀の古代集落に持ちもこまれたハマグリやアサリは、海岸部からもたらされたものである。では、これら海の貝は、どこから供給されていたのであろうか。その最も有力な候補地が、現在の千葉市から船橋市周辺の干潟に面した集落遺跡である。
その一つ上ノ台遺跡は、千葉市稲毛区幕張の干潟に面した台地に立地する。古墳時代後期(6~7世紀)の集落遺跡である。発掘調査の結果、竪穴住居からは多量の貝殻が出土している。その貝層のサンプル1799点の約65%がハマグリで占められ、ここではハマグリを集中的に採集していたと考えられる。
上谷・栗谷遺跡や萱田遺跡群が最盛期を迎えようとしていた九世紀初頭の弘仁年間、奈良薬師寺の僧・景戒がまとめた仏教説話集「日本霊異記」中巻「力ある女、ちからくらべし試みる縁 第四」には、ハマグリを市場で商う女性の姿が描かれている。彼女は、尾張国(現在の愛知県)の海岸地域・愛智郡片輪里に住み、その近辺で採ったハマグリ桶50石を船に載せて長良川を遡り、三野の国(美濃国、現在の岐阜県)片県(かたかな)の郡(こおり)少川(おがわ)の市(いち)に持ち込み、それを商おうとしている。
八千代市内の古代集落から出土するハマグリやアサリなども、「日本霊異記」の説話と同様、海の近くの集落から、川を遡り運ばれていたと推定できる。具体的には、上ノ台遺跡のような海辺の集落の人々が、幕張周辺の干潟でハマグリなどの貝を採り、その貝は、花見川を遡り台地を越えて新川の上流に到り、新川沿いに下って萱田遺跡群や印旛沼に面した上谷・栗谷遺跡に持ち込まれたと推定できる。東京湾側から、新川などの河川にそって印旛沼に到るルートが存在していたのである。」(「八千代市の歴史 通史編 上」八千代市発行、p189-190)
ハマグリの出土した遺跡とハマグリの運搬ルート
つづく
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