花見川流域の自然・歴史を知るための図書紹介 30
その本は持っていなかったのですが、そのコメントをきっかけにしてドイツ人捕虜収容所の存在に興味が湧き、関連して手持ちの本として「習志野市史研究3(ドイツ捕虜収容所特集)」を紹介させていただきました。(2014.03.06記事「習志野市史研究3(ドイツ捕虜収容所特集) 紹介」参照)
最近その「ドイツ兵の見たニッポン」を入手し、読み、考えるところ多かったので、報告します。
この本を読んで、読む前の私の予想と大きく違った内容であることに驚きを禁じえません。
なつかしい「ドイツ兵捕虜と習志野周辺住民の交流」物語として予想していました。
この予想は大きく違いました。
なつかしい「ドイツ兵捕虜と習志野周辺住民の交流」物語も沢山でてきます。
しかし、それ以上に捕虜収容所の存在がその後の日本に与えた影響というものもあることを知って、意外感を強く持ちました。
ドイツ兵捕虜の中からその後日独防共協定の橋渡しをするドイツ人要人が生れたことはこの本で初めて知りました。
また、日本に残ったドイツ兵捕虜数十人の中から、今に残るドイツ料理店を創設した人物や菓子店「ユーハイム」(http://www.juchheim.co.jp/)を創設した人物など実業家が多数輩出しました。(ユーハイムのホームページにその歴史が書かれています。)
ドイツ兵捕虜により当時の日本にコンデンスミルク、ソーセージなどのつくり方技術が伝わっています。
日本文化を研究して日本の大学教授となり、戦後勲章をもらった人もいます。
ドイツと日本の交流がこの捕虜収容所の存在を通じて行われたということが、この本に書いてあったのです。
このような場所が花見川流域に存在していたことを初めて知りましたので、その意義をこれから自分なりにじっくりと考えて行きたいと思います。
陸軍騎兵学校、陸軍習志野学校、捕虜収容所などの軍事施設が集中して存在していた戦前期の習志野という場所は、日本の中で特別の機能を果たしていた場所であるという感覚を持ち始めました。
この本を読んでさらにいろいろ触発されて、軍郷習志野・八千代、軍郷千葉・四街道の歴史にもっと興味を持ち、戦前期の出来事についてもっと調べたいという気持ちになりました。
さらに、敗戦により演習場や軍事施設がどのような経緯を辿って現在の土地利用に到ったかということも調べたいと気持ちになりました。
「ドイツ兵の見たニッポン」から、地域をみる新たな視点を得ることが出来ました。
海老川乱歩さんのコメントに感謝です。
海老川乱歩さんのコメントに感謝です。
「ドイツ兵の見たニッポン」の諸元、内容、主要目次
【諸元】
書名:「ドイツ兵の見たニッポン 習志野俘虜収容所1915-1920」丸善ブックス094
編者:習志野市教育委員会
発行:丸善
発行日:平成13年12月20日
体裁:B6判、218頁
【内容】
第一次世界大戦に敗れ、中国で捕虜となり日本の収容所に収容されたドイツ兵士たちの五年間にわたる生活と、日本人との交流を、かれらが伝え、残して行った文化-ヨーロッパの音楽や、ソーセージなどの製法など-を通して描く。(本書カバーより)
【主要目次】
第1部 習志野俘虜収容所 -その忘れられた歴史-
第1章 日本とドイツ、日本とオーストリア ~幕末から大正までの点描~
第2章 青島の戦い ~大正3年~
第3章 浅草、静岡、福岡、大分への収容
第4章 習志野での四年半 ~大正4年から8年~
第5章 帰国 ~大正9年~
第6章 その後の日々
第7章 ドイツ兵の墓
第2部 捕虜の日記帳から
1 クリスティアン・フォーゲルフェンガーの日記から
2 ヤーコプ・ノイマイヤーの日記から
「ドイツ兵の見たニッポン」
俘虜収容所の場所をGISで調べてみました。
次の地図は旧版1万分の1地形図大久保(大正6年測量)に出てくる俘虜収容所です。
大正6年測量地図に出てくる俘虜収容所(画面中央)
北側にある廠舎は当時騎兵連隊が使っていて、以前は日露戦争のロシア兵俘虜収容所だったところです。
ドイツ兵俘虜収容所は大正7年に西側に拡張され、その見取図が「ドイツ兵の見たニッポン」に掲載されています。
大正7年拡張ドイツ兵俘虜収容所の見取図(ドイツ兵作成)
その拡張見取図を旧版1万分の1地形図にプロットすると次のようになります。
大正7年拡張ドイツ兵俘虜収容所見取図の旧版1万分の1地形図へのプロット
この地図の基図を現代標準地図に差し替えるとつぎのようになります。
大正7年拡張ドイツ兵俘虜収容所見取図の現代地図へのプロット
ドイツ兵俘虜収容所は現代の習志野市東習志野4丁目、5丁目あたりになります。
この地図と同じ場所の現代空中写真を示すと次のようになります。
ドイツ兵俘虜収容所のあった場所付近の現代空中写真(2007年以降撮影)
大正7年拡張ドイツ兵俘虜収容所見取図の現代空中写真(2007年以降撮影)へのプロット
現在では俘虜収容所の姿を全く想像できません。
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