私の散歩論

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2014年6月30日月曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その3

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その3

バリアー島の概念図は2014.06.30記事「下末吉海進期バリアー島の学習 その2」に引用掲載したのですが、もう少し詳しい図を探していました。

バリアー島の形成は海進期特有の地形といわれていて、6000年前に海進が終わった日本にはほとんどないそうです。稀有な例がサロマ湖に実例があるそうです。

従って日本の地形を対象にした図書ではほとんど扱われていないようです。

手持ちの資料等を探して無く、WEB検索して論文「垣見俊弘(1990):フロリダのバリアー島と沼沢性海岸巡検記、地質ニュース433号、14-25頁」にたどりつき、その中により詳しい説明図を見つけました。

次の図はアメリカフロリダのバリアー島の調査記録に掲載されていたバリアー島の詳しい概念図です。

バリアー島の概念図
垣見俊弘(1990):フロリダのバリアー島と沼沢性海岸巡検記、地質ニュース433号、14-25頁 より引用

このバリアー島の概念図をよく見ると、上げ潮潮汐三角州とバリアー島の間に潮流口が開いています。

WEBで海外のバリアー島説明図を見ると全ての説明図で上げ潮潮汐三角州とバリアー等との間2箇所に潮流口が描かれています。

バリアー島の潮汐口付近の模式図の一例
http://www.pilebuckinternational.com/chapter-5-coastal-sediment-processes/掲載図をトレース引用

これらの図を見て、鹿島川谷津の位置が上げ潮潮汐三角州とバリアー島との間の潮流口にあたる場所にあることに気がつきました。
印旛沼筋河川争奪に興味を持っている私にとって、鹿島川の出自を具体的イメージできる可能性があるので、画期的なことです。

その画期的な気づきをメモしておきます。

次の図は、地形段彩図に下末吉海進期の古東京湾のバリアー島と離水軸および堆積環境を表した図(岡崎浩子・増田富士雄(1989):古東京湾の流系、堆積学研究会報31号、25-32頁 掲載図)をオーバーレイして、その一部を拡大した図です。

地形段彩図に「下末吉海進期のバリアー島と離水軸及び堆積環境図」をオーバーレイした図
「下末吉海進期のバリアー島と離水軸及び堆積環境図」は岡崎浩子・増田富士雄(1989):古東京湾の流系、堆積学研究会報31号、25-32頁 より引用

この図に上げ潮潮汐三角州とバリアー島及び潮流口位置を描きこんでみました。

下末吉海進期の上げ潮潮汐三角州とバリアー島及び潮流口の概念分布図 その1

潮流口Aの位置が概略的に根子名川谷津の位置と合います。
潮流口Bの位置が概略的に(地殻変動の影響を受ける前の)鹿島川谷津の位置と合います。

この概念分布図その1から、根子名川谷津と鹿島川谷津の出自は下末吉海進期に形成された上げ潮潮汐三角州とバリアー島の間の潮流口にあるという作業仮説を設定することにしました。

詳細な検討は今後行うこととします。

さて、上記概念分布図をよく見ると、別の事柄にも気がつきます。
「下末吉海進期のバリアー島と離水軸及び堆積環境図」では、上げ潮潮汐三角州の西に島(バリアー島と考えられる)が表現されています。

この島と上げ潮潮汐三角州の間も潮流口であったことには間違いないと思います。そして、この場所が古平戸川の利根川出口の場所にあたります。

下末吉海進期の上げ潮潮汐三角州とバリアー島及び潮流口の概念分布図 その2

この概念分布図その2から、古平戸川谷津の出自も、下末吉海進期に形成された上げ潮潮汐三角州とバリアー島の間の潮流口にあるという作業仮説を設定することにしました。

これら2つの作業仮説(鹿島川谷津と古平戸川谷津の出自が下末吉海進最盛期の別の潮流口にあるということ)から、印旛沼筋河川争奪仮説を強力に補強できることと、印旛沼筋が利根川名残川であるという俗説の誤りを浮き彫りにできることが判りました。

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