シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第4部 下総台地形成に遡る その25
勝田台オタマジャクシ状凹地の成因のイメージが判ってきました。(2014.07.31記事「勝田台オタマジャクシ状凹地の検討 その2」参照
円弧状の陥没(あるいは円弧状土地を取り巻くゾーンの隆起)という地殻変動があり、その結果陥没した底が湖沼になったためできた地形だったのです。
湖面に降った火山灰は増水時にほとんど流されるのですが、周辺陸地には火山灰が積もり、13万年間のうちのある期間、そのような火山灰積灰の違いにより最初の地殻変動よりかなり増幅された凹地ができたという考えです。
勝田台オタマジャクシ状凹地のすぐ北に村上団地があり、その開発地がもともとオタマジャクシ状凹地ではないかと考え、検討してみました。
次に現在の地形と標準地図をオーバーレイして表示します。
村上団地付近の現在の様子
地形段彩図+標準地図
村上団地付近の現在の様子
電子国土(空中写真1988-90)
村上団地開発前の土地の姿を旧版2万5千分の1地形図と、米軍撮影空中写真(1946年撮影)により調べてみました。
旧版2万5千分の1地形図
「習志野」図幅(大正10年測量)、「佐倉」図幅(大正10年測量)
米軍空中写真(裸眼実体視用)
USA M44-A-5VV 285、USA M44-A-5VV 285(1946年2月13日撮影)
国土地理院ホームページの地図・空中写真閲覧サービスから400dpi画像をダウンロードして使用
(※ 以前は出来なかった、地図・空中写真のダウンロードができるようになり、PrintScreenキーなどを使わなくてすむようになり、大変助かっています。国土地理院に感謝します。)
恐らくオタマジャクシ状凹地がここにあって、最終氷期を主な時期として凹地の部分に限って侵蝕谷が発達したように感じられる地形です。
米軍空中写真実体視からは縁辺部が高く、中央部が低いというオタマジャクシ状凹地の特徴を知ることができ、現況地形から得た直感をさらに強化することが出来ました。
村上団地造成時の資料(ボーリング柱状図)等の情報が入手出来れば、詳しいことがわかるかもしれません。
しかし、結果として、村上団地付近の情報をいくら眺めてもオタマジャクシ状凹地らしいという直感以上の証拠みたいな情報を得るまでに、検討を深めることはできませんでした。
オタマジャクシ状凹地の情報がさらに溜まったら、もう一度振り返ってみたいと思います。
次の記事から牧の原オタマジャクシ状凹地の検討に移りたいと思います。
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