花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.108 八千代市白幡前遺跡の発掘情報分析に取り組みだす
このブログでは、東海道水運支路(仮説)の検討のために花見川-平戸川(現在の新川)筋の古代遺跡発掘調査報告書悉皆閲覧活動を行い、興味ある情報を記事にしてきています。
これまで、花見川流域では上ノ台遺跡、直道遺跡・居寒台遺跡などの発掘調査報告書掲載情報を自分なりに分析検討して、興味ある事柄を記事にしてきました。
平戸川筋に入ると、平戸川西岸には権現後遺跡、北海道遺跡、井戸向遺跡、白幡前遺跡が存在し、情報量がきわめて多量の発掘報告書が刊行されています。また遺構・遺物の充実した研究成果も論文等の形式で多数公表されています。
また、平戸川東岸の村上込ノ遺跡、名主山遺跡も隣接していて情報量の多い遺跡です。
さらに高津川沿いには高津新山遺跡もあります。
これらの遺跡発掘調査報告書等をざっと閲覧してみてみると、その情報量が膨大であり、かつ興味のある充実情報ばかりであることがわかりました。
平戸川筋の遺跡分布状況
WEBサイト「ふさの国ナビゲーション」(千葉県教育委員会)から遺跡分布図を取得して編集作成
そして、白幡遺跡における出土遺構・遺物が群を抜いていて、平戸川筋の奈良・平安時代最大拠点であるようです。
萱田遺跡群の奈良・平安時代集落の構成
「千葉県の歴史 資料編 考古3(奈良・平安時代)」より引用
そこで、手始めに、白幡前遺跡の奈良・平安時代遺構遺物を対象に、情報を分析してみることにします。
千葉市上ノ台遺跡(古墳時代)で行ったように遺構分布図をGISに連動させつつIllustrator上で作成し、遺構属性や遺物の各種情報を遺構単位にプロットして情報を可視化してみます。
この検討方法を権現後遺跡、北海道遺跡、井戸向遺跡、村上込の遺跡などで行い、地域的な連担性を考慮した考察も射程に入れたいと思います。
さらに、同じ遺跡群について古墳時代についても検討し、比較して奈良・平安時代の特性を見てみます。
恐らくこうした検討を行えば、この地域で活動した奈良・平安時代の集団属性やその集団が取り組んでいたプロジェクトをあぶり出すことができると考えます。(蝦夷戦争の軍事兵站基地として創起された集落と想定しています。)
また、花見川-平戸川筋に想定する東海道水運支路の開設とこの奈良・平安時代集落(=軍事兵站基地)創起が切っても切れない密接な関係にあることもあぶり出すことができると思います。
白幡前遺跡遺構配置図
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」附録(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)より引用
参考 白幡前遺跡の概要
・奈良・平安時代の竪穴住居跡は279軒、掘立柱建物は150棟をはじめ、同時期の土壙・溝状遺構が検出されている。
・集落は9つの建物群から構成され、
1A群は竪穴住居跡21軒、掘立柱建物跡9棟
1B群は竪穴住居跡56軒、掘立柱建物跡32棟
2A群は竪穴住居跡37軒、掘立柱建物跡19棟
2B群は竪穴住居跡30軒、掘立柱建物跡7棟
2C群は竪穴住居跡43軒、掘立柱建物跡11棟
2D群は竪穴住居跡18軒、掘立柱建物跡8棟
2E群は竪穴住居跡23軒、掘立柱建物跡13棟
2F群は竪穴住居跡21軒、掘立柱建物跡11棟
3群は竪穴住居跡30軒、掘立柱建物跡39棟
で構成されている。
・墨書土器の出土点数が他の遺跡をしのいでいる。
・村落内寺院が出土している。
・人面墨書土器、奈良三彩陶器小壺、和銅開珎、瓦塔が出土している。
参考 白幡前遺跡出土人面墨書土器の説明
「八千代市の歴史 資料編 原始・古代・中世」(八千代市発行)より引用
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