2015.07.03記事「権現後遺跡の墨書土器と建物指標によるクロス評価」で次のように書きました。
「北海道遺跡のアナロジーで考えると、権現後遺跡も特殊地区Ⅰ・Ⅲ・Ⅳゾーンが何らかの機能地区で、その産物や備品の倉庫地区が業務地区であると考えることができます。
実はそのように考えるだけの有力な証拠があります。権現後遺跡には7つの土器焼成坑があるのです。
権現後遺跡が白幡前遺跡本社の土器生産支社である可能性が浮かび上がります。
本当にそうであるのか、詳しくは次の記事で検討を深めます。」
確かめてみました。
「八千代市権現後遺跡 -萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅰ- 本文編」(1984、住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)を詳しく読むと次の6つの土器焼成坑と5箇所の水簸粘土出土竪穴住居跡が記載されています。(土器焼成坑は文章では7つと記述されていますが、確認できるには6つだけです。)
*水簸(スイハ)粘土とは産出した原料粘土を水を使って砂利や有機物を除去して、土器作製用に調整した粘土です。
土器焼成坑の姿は次のようになっています。
土器焼成坑の姿 例
「八千代市権現後遺跡 -萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅰ- 本文編」(1984、住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)から引用
この分布図を作成すると次のようになります。
権現後遺跡土器焼成坑と水簸粘土出土竪穴住居跡
権現後遺跡は白幡前遺跡を中心とする律令国家の軍事兵站・輸送基地における土器生産工業団地であることが判明しました。
土器生産用の原料粘土はすぐ近くの台地と沖積面を画する浸食崖から得ていたことがほぼ確実であると考えられます。
この平戸川(現新川)浸食崖から原料粘土が産出するので、そのすぐ上の台地に古代土器生産工業団地が計画的に配置されたものと考えます。
土器生産用粘土産出が想定される崖
この浸食崖は現在でも残っているので、現地調査をすれば土器生産用粘土産出を確かめることが可能であると考えます。
現在も残る土器生産用粘土算出が想定される崖
Google earthの3Dビュー画像による
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参考 ブログ「花見川流域を歩く番外編」2015.07.05記事「Google earthの3Dビュー画像による実体視」に上記Google earthの3Dビュー画像の実体視画像を掲載しました。
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