私の散歩論

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2016年6月5日日曜日

地名カンベ(神戸)の千葉県検索結果

このブログでは4月末から、鏡味完二の地名層序年表の地名型について、千葉県を対象にして、千葉県小字検索を行うことによって学習しています。

千葉県小字検索結果をアドレスマッチングによりGISにプロットできますから、地名に関連する考古歴史情報を空間的に整理できます。

この学習は1年がかりで完成させた千葉県小字データベース(94000件、角川千葉県地名大辞典付録小字一覧のFile Maker版)の試用を兼ねています。

鏡味完二の地名型21のうち、これまで最初の5つの学習を済ませました。

この記事では6つめのカンベ(神戸)について学習します。

最初に参考として鏡味完二の地名層序年表と地名型解説を再掲します。

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参考

地名の層序年表
「地名の語源」(鏡味完二・鏡味明克、昭和52年、角川書店)より引用


地名型(「地名の層序年表」の中の)解説
「地名の語源」(鏡味完二・鏡味明克、昭和52年、角川書店)より引用

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1 鏡味完二によるカンベ(神戸)の検討等

次に鏡味完二のカンベ(神戸)の検討結果を引用します。

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Kambeの地名

前頂の"~部"の地名は近畿文化の所産ではあったが,分布の重心が尚近畿より西方に偏在していたのに対して,Kambeの地名および次の条里地名では,完全な近畿中心の分布Patternとなり,国土経営のいよいよ大和朝中心の進展の時期に到ったことを物語っている。(Fig.3,Fig.4)

Kambeは品部の類の"~部"地名とは異り,松岡氏によるとカムト〔カム(神)卜(物)で,出雲の郡名にこれがある〕とカムトモ〔神部,神人部:カム(神)トモ(伴)〕が古い称呼であった。

この地名が8世紀のはじめ,大宝令に「神戸の制」が設けられる以前のものであったのではないかという推定は倭名鈔の頃にはKambeとのみ称えられていたとされていることからなし得られる。

またこの地名の分布が著るしく狭いことは,Kambeが社務に従う特定の職にあったので,大きい神社の分布密度に比例すべき筈であったからで,それは10世紀はじめにおける,延喜式内社の分布と同時代の倭名鈔のKambe郷の分布とが,大体一致していることから推定されるのである。

すなわち「神戸」をおく程の神杜は,余程開拓が進んで,人口も増殖した地方であったと考えられるから,開拓して殆んどそれと同時に形成された一般の関墾地名よりも,発生的には遅れるという事情を考えねばならぬからである。

なお"神戸"と"~部"の分布は,現在の地名によらずに倭名鈔の郷名によって求めた。

それは古代の事情を知るには,現在の地名よりも過去のものの方が,正確なデータとなりうる筈だからである。


鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用

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部民制は大化改新でなくなりましたが、カンベ(神戸)はそれ以降も実体があったということです。

次に、カンベ(神戸)に関する百科事典の情報を引用して、自分自身の学習とします。

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参考

かんべ【神戸】 

日本古代において,神社に世襲的に所属して,貢納と奉仕を任とした民戸。

《日本書紀》崇神7年条に神戸の起源説話がみえるが,大化前代の神戸は部民的性格を持っていたと考えられている。

令制では,国司によって作成された神戸の戸籍・計帳が神祇官に掌握され,封戸の一種として,調庸,田租,雑徭を負担した。

その調庸,田租は国司の管理のもとに神社の造営,供神の料にあてられ,田租の残りは神税として義倉に準じて貯蔵され,出挙〘すいこ〙されなかった。

また神戸の中から祝部〘はふりべ〙を選ぶのが原則とされた。

神戸の数は806年(大同1)の《新抄格勅符抄》神封部には4876戸とみえる。

また一郡全体の戸を神戸としたものを▶神郡〘しんぐん〙と称した。

平安中期以降,神戸の実質的機能は失われたが,神戸の名を負う荘園が設置されていった。

編集部

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ から引用

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参考

しんぐん 【神郡】

社領の一種で,貢納と奉仕の任をもつ▶神戸〘かんべ〙が一郡にわたって存在し,郡全体が神領となったもの。

伊勢神宮では古くから伊勢国多気,度会郡を神領として寄せられ,その後飯野郡を加えて特にこれを神三郡〘しんさんぐん〙と称した(のち神八郡)。

このほか,安房神社の安房国安房郡,鹿島神宮の常陸国鹿島郡,香取神宮の下総国香取郡,出雲大社の出雲国意宇〘おう〙郡,宗像神社の筑前国宗像郡,日前国懸〘ひのくまくにかかす〙神宮の紀伊国名草郡などがある。

中世以降神領としての実質的な機能はなくなっていったが,名目上は明治維新まで続いた。

茂木 貞純

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズ から引用

太字は引用者
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安房国安房郡と下総国香取郡は郡全体がカンベ(神戸)であり、シングン(神郡)であることを知りました。

参考 安房国安房郡と下総国香取郡の位置
「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)から「房総三国分郡図」引用塗色

2 和名抄にみるカンベ(神戸)郷

和名抄にみえる房総三国の郡・郷名のなかに神戸(カンベ)郷が1つ存在します。

安房国安房郡神戸郷です。

安房郡全体が神郡になっているのですが、安房神社のおひざ元の土地の郷名がカンベ(神戸)となっています。

安房国安房郡神戸郷の位置イメージ

神戸郷の比定地情報:館山市大神宮を中心とした周辺一帯(巴川中~下流域)(「千葉県の歴史 通史編 古代2」(千葉県発行)

3 カンベ(神戸)の千葉県小字データベース検索結果

小字「カンベ(神戸)」関連のものは全部で5件ヒットしました。

その5件を地図にプロットすると次のようになります。

なお、大字ではヒットするものがありませんでした。

小字「神戸(カンベ)」の分布

「南房総市牧田 神戸」(旧千倉町)は古代では安房国安房郡の隣の安房国朝夷郡に位置しています。このカンベは空間が近いので、安房神社に関わるものであると想像します。

いすみし市と御宿町は上総国の領域ですが、そのカンベ地名がどの神社にかかわるのか手がかりがすくないです。

在地の小神社に関わるカンベかもしれません。

しかし、上総国が安房国を併合していた時期があり、上総国と安房国の文化的つながりが意外と強い可能性も想像しますので、これらも安房神社に関わるものと仮に想像しておきます。

安房神社は海人との関わりが強いと考えます。

いすみし市域も御宿町域も歴史的に海人との関わりが強い可能性があります。したがって、海人というキーワードで安房神社といすみ市・御宿町のカンベが結びつくかもしれません。


将来知識が増えた段階で、これらのカンベがどの神社とかかわるのか再検討したいとおもいます。

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