この記事では「第Ⅲ章縄文時代草創期~中期後葉の遺構と遺物」の「第1節草創期~後期中葉の遺構と遺物」の「1)炉穴」を学習します。
なお、目次表題では草創期という言葉が出ていますが、遺構・遺物の記述で最も古いものは早期後半のもののようです。
1 炉穴の分布
炉穴(ろあな)は7カ所発見されていて、次のような分布となっています。
炉穴分布図
炉穴が分布する地形上の位置から、炉穴を次の3つのグループに分けることができます。
ア 3号炉穴
イ 9号・5号炉穴
ウ 1号・4号・8号・6号炉穴
炉穴から出土する土器は全て縄文時代早期後半と判定されています。
2 炉穴の紙上観察
ア 3号炉穴
3号炉穴
3号炉穴は、大膳野南貝塚遺跡が位置する台地面尾根の根本付近で北側に広がる広い台地面に面した位置に存在します。
3号炉穴から出土した土器は野島式土器と判定され、7つの炉穴から出土した土器の中では最も古いものになります。
イ 9号・5号炉穴
9号炉穴
9・5号炉は大膳野南貝塚遺跡が位置する台地面尾根の中央に位置しています。
9号炉穴は天井部が遺存している遺構です。
参考までに、別図書に掲載されている炉穴使用イメージ図を添付しました。
深い炉穴は煮炊き用、浅い炉穴は燻製づくり用として炉穴の使用がイメージされているようです。
5号炉穴
5号炉穴からは条痕文土器が出土しています。
ウ 1号・4号・8号・6号炉穴
1号炉穴
炉穴が重複していて繰り返し利用された様子が判ります。
また、台地尾根部の端の緩斜面に位置しています。
炉穴の重複、緩斜面立地は1号・4号・8号・6号炉穴共通です。
出土土器は早期後半条痕文土器ですが、報告書では「貝殻」による条痕文であると書かれています。
この縄文時代早期後半は縄文海進のクライマックス期と符合し、海面が最も高く、つまり大膳野南貝塚に海が最も近づいた時期です。
この時代にこの場所は狩の場であり、狩のためのキャンプが行われたと考えますが、その狩人が貝も食し、貝殻を利用して土器の模様を描いていたと考えます。
4号炉穴
4号炉穴からは条痕文土器と茅山下層式土器が出土しています。
8号炉穴
8号炉穴からは茅山上層式土器が出土しています。
6号炉穴
6号炉穴からは茅山下層式土器が出土しています。
3 狩猟ゾーンと炉穴との位置関係
これまでの検討(※)から狩猟ゾーンと炉穴との位置関係を整理すると次のようになります。
※2017.01.19記事「大膳野南貝塚 旧石器時代狩の様子」など
狩猟ゾーンと炉穴との位置関係
4 炉穴と狩との関係イメージ
2の炉穴観察と3の狩猟ゾーンと炉穴との位置関係から、次のような炉穴と狩との関係をイメージすることができます。
炉穴と狩との関係イメージ
3号炉穴、9・5号炉穴は狩で動物を仕留める現場そのものに位置します。
狩の場とキャンプ地が同じ場所に存在するという関係は旧石器時代における関係と同じです。
つまり、狩が全部終わってから、その現場でキャンプして干し肉をつくったり皮なめしをし、貯めた食料をあらかた消費するまで生活した痕跡が炉穴であると考えます。
一方、1・4・8・6号炉穴は動物を仕留める場からは地形的に影になる位置にあり、狩行為とキャンプが両立しうる関係にあります。
1・4・8・6号炉穴は3・9・5炉穴と異なり狩期間中もキャンプしていた可能性があります。キャンプ期間が長くなった可能性があります。同時に、季節ごとに繰り返される狩で必ず利用される定宿みたいな場所になった可能性もあります。
キャンプ期間が長くなったことや定宿みたいな定期的利用キャンプ地であったと考えることと、炉穴の集中分布、1つの炉穴の重複(繰り返し利用)という発掘情報はよく整合します。
また旧石器時代的キャンプ様式から定住的要素を含んだ方向にキャンプ様式が変化したと考えることと、3号炉穴の土器形式が古く、4・8・6号炉穴の土器形式がそれより新しいという情報が整合します。