私の散歩論

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2017年11月28日火曜日

古代開発集落が滅びた理由 印西船穂郷の謎(11/11)

11 古代開発集落が滅びた理由

年表を見ると9世紀後半頃から末にかけて下総国の治安が悪化し、徴税体制も崩壊します。権力が空白化していく状況の中での体制側アクションとして検非違使設置、陰陽師設置などがあり、反抗勢力のアクションとして俘囚の反乱、僦馬の党などがあります。
このような状況のなかで下総台地上の開発集落はことごとく崩壊しました。

一般論としての社会崩壊の原因をジャレド・ダイヤモンド「文明崩壊」で学習しました。
9世紀末~10世紀初頭の下総国台地上開発集落崩壊の主な要因は「社会の対応」にありそうだと目星がおぼろげながら生まれました。

9世紀末から10世紀にかけての下総国の状況は律令国家の統治が弱まるとともに、台地上開発集落がほとんど全て衰滅し、一方低地集落は逆に発展しました。

このような状況をたとえ思考してみました。
組織内部門の特性により崩壊と発展があるように、台地開発集落はその特性により崩壊し、低地集落は生き残り発展したと考えました。組織対応力の差が崩壊と発展の違いに結びついたと考えました。

台地開発集落の現場労働層は浮浪人や俘囚などが主体であり、強制力で隷属的、半奴隷的労働の従事していたのですが、社会統制が弱まると強制力で労働させることができなくなったというのが開発集落崩壊のイメージです。

これまで、群盗の蜂起、俘囚の反乱、僦馬の党は開発集落崩壊を考える際の外部社会環境(社会情勢)として考えてきたのですが、それは誤りであり、それらの事象そのものが開発集落崩壊の実体そのものであることに気が付きました。

おわり
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パワーポイントスライドを利用して次の11話を連載しました。
1 発掘調査報告書GIS学習 印西船穂郷の謎(1/11)
2 7~10世紀下総国の出来事 印西船穂郷の謎(2/11)
3 鳴神山遺跡と船尾白幡遺跡の概要 印西船穂郷の謎(3/11)
4 鳴神山遺跡の牧と漆、墨書文字「大」「大加」集団 印西船穂郷の謎(4/11)
5 小字「大野」の出自、「大」の意味と氏族、養蚕 印西船穂郷の謎(5/11)
6 船尾白幡遺跡の養蚕、漆と麻、「帀」の意味と氏族 印西船穂郷の謎(6/11)
7 鳴神山遺跡直線道路 印西船穂郷の謎(7/11)
8 鳴神山遺跡は典型古代牧遺跡 印西船穂郷の謎(8/11)
9 「鳴神山遺跡=大結馬牧」仮説 印西船穂郷の謎(9/11)
10 大結馬牧(仮説)の領域 印西船穂郷の謎(10/11)
11 古代開発集落が滅びた理由 印西船穂郷の謎(11/11)

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