私の散歩論

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2018年7月30日月曜日

千葉県全遺跡19600のQGISプロット

私家版暫定版GIS連動千葉県遺跡データベースの現時点全データ19600を実際にQGISにプロットしてみました。

千葉県全遺跡19600のQGISプロット
ドットを小さくしても下地の地図を埋め尽くすところが多く迫力ある地図になります。

千葉県全遺跡19600のQGISプロット 拡大図
この分布図をふさの国文化財ナビゲーションで公開されている項目だけでも種別(包蔵地、貝塚、古墳…)、詳細な時代区分、立地(地形)、遺構・遺物等がありますからそれら項目間相互の分析だけでも大変興味のある結果が出ると思います。
さらに自分の縄文時代問題意識を投影して分析すればきわめて分析しがいのある学習ができると期待できます。
もう少しの作業でデータベースが学習ツールとして活用できるレベルに到達しそうです。

……………………………………………………………………
以前整備した位置情報の座標形式が「区切りなし(分、秒の整数部は2桁)」というものでQGISではつかえないため地図太郎PLUSを使って度単位にコンバートしました。そのコンバート作業の中で次のような正しいコンバート結果と45度直線を境にして対称となる不思議なプロットに出くわしました。地図太郎PLUSのバグのようです。

ソフトのバグに起因すると思われる45度直線を境にして対称となるプロット


2018年7月28日土曜日

私家版暫定版GIS連動千葉県遺跡データベースの作成について

1 全遺跡データベース作成を目指す
2018.07.26記事「興味の他縄文遺跡への投影」で投影学習ツールとしてのGIS連動千葉県縄文遺跡データベース(私家版)の構築について書きましたが、既存データをいじっている中で本腰をいれて構築する気分になってきました。
私の当面の学習は縄文時代をターゲットにしていますが、前後の時代や奈良平安時代にも同じくらい興味がありますので、縄文時代に限らず全時代の遺跡データベースを作成することに方針を変えました。同じ作業をするなら一気に千葉県全時代遺跡データベースをつくるほうがはるかに作業が効率的であると判断したことと、同じ遺跡が各時代にまたがるのは通例のことであり、縄文時代限定データベースを先行してつくる意義があまり強くないためだという理由もあります。

2 多少の作業長期戦を見込む
丸1日か2日あればデータベースの基本ができると考えていたのですが、素データ(ふさの国文化財ナビゲーションデータ)の整理に思いのほか時間がかかりそうなことが判明し、作業の短期決戦はあきらめ長期戦で臨むことにしました。
例えば遺跡出土の「遺構・遺物」を例にとると次のよう状況です。
遺跡で位置情報を得ているものが約19600あり、そのうち約4600は「遺構・遺物」情報をすでにデータベースに格納してあります。
残り15000のうち3割程度(4500くらい?)は次のような作業をする必要があります。
●ふさの国文化財ナビゲーションの画面では例えば有る遺跡では「土坑・土器類(縄文土器[加曽利<EⅣ>称名寺堀之内] 土師器土器 片錘) 土製品(管状土錘) 石器(打製石斧 磨石 凹石 石棒 軽石) 骨(貝殻[ハマグリ アサリ オキシジミ他])」と書いてあるのですが、ダウンロードしたcsvファイルでは14のカンマで区切られた15の分節から構成されています。その区切りを削除して文章をまとめる作業が必要です。
「遺構・遺物」以外の項目(種別・時代・立地現状等)についても同じ作業が必要であり、作業を一括変換のように効率化はできません。1件1件手作業で行う作業がほとんどを占めます。
眩暈のするような膨大なパソコン手作業ですが、遺跡データが無い(利用できない)ことを考えると、1か月とか2か月その作業に熱中すれば、今後の考古学習で千葉県全遺跡データが自由に使えて学習加速のツールになるのですから中長期的には作業の膨大性はあまり問題になりません。逆に、角川千葉県地名大辞典の付録小字リスト8万件を電子化して私家版小字データベースをつくった過去作業と較べれば「チョロイ」ものです。

3 私家版暫定版GIS連動千葉県遺跡データベースの現状
現在次のような出発点を確保できています。

3-1 位置情報を整備できた遺跡数 19600
遺跡ID、遺跡名、遺跡名よみ、住所、位置(緯度、経度)についてデータベース化が済んだ遺跡数は19600です。これは2014年時点ふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータをベースにしたものです。現在(2018.07)のふさの国文化財ナビゲーションダウンロードデータではさらに約240遺跡(牧関連遺跡が多い)が追加されていますから、今後そのデータを追加する必要があります。

3-2 基本情報項目別データ整備軒数
2で述べたパソコン手作業をスタートします。
・種別(0)
・時代(4600)
・立地現状(4600)
・遺構遺物(4600)
・文献(0)
・備考(0)
・水系(19100)

3-3 学習促進のためのデータベース項目設定
学習上の問題意識に基づいた項目を順次データベースに設定していきます。
縄文時代を例にとれば、環状集落の有無とか漆喰炉の有無とかの多数項目が考えられます。大膳野南貝塚土坑データベース構築の例では学習最初頃の項目設定は多少ピンボケでも、問題意識が深まるに従って鋭い項目設定ができるようになります。データベース項目は数を限定することなく多数を設定していき、順次項目自体を更改する予定です。
なお実際にデータが入力される遺跡は、私が発掘調査報告書を読んで情報をデータベースに書き込むことができる遺跡はどんなに多くても200~300くらいのものだと思います。しかし、資料に掲載されている有益情報を入力する遺跡はもっと増えます。さらに縄文遺跡と地形との関係を分析すれば縄文遺跡全部6700にオリジナルデータが入力されます。
データベースはふさの国文化財ナビゲーションや図書から得た情報を分析するだけでなく、自分の思考をメモして定着させ、その思考の蓋然性を確かめるための分析に、さらに想像(発想)を得るための道具として活用します。

4 GIS連動性
データベースに位置情報(緯度、経度)があるのでデータベース項目は全てGISに展開して分析することができます。基本的方法はデータベース項目の一部をExcelに書き出し、それをQGISにインポートします。しかし、毎度毎度この作業をするのは非効率的であることから、QGISとFile Makerのあいだのデータやりとりを効率的に行う操作技術を開発したいと考えています。具体的にはQGISサイドのデータベース機能をできるだけ強化することによってデータやりとりの回数を少なくし、作業全体の効率化を図りたいと考えます。

私家版暫定版GIS連動千葉県遺跡データベース 現在の作業画面



2018年7月26日木曜日

興味の他縄文遺跡への投影

1 興味の他縄文遺跡への投影
1-2 大膳野南貝塚学習で得た興味の近隣・広域への投影
大膳野南貝塚学習の中間とりまとめが一応終わりましたが、この縄文時代学習で得た多様な興味・問題意識・仮説・想像を今後近隣縄文遺跡や下総台地縄文遺跡に投影して確認し、さらに検討してみることにより自分の趣味活動を発展させることにします。
大膳野南貝塚学習で生れた興味・問題意識・仮説・想像を他縄文遺跡に投影・確認すれば、それが的を得たものであるかどうか(蓋然性が高いかどうか)、縄文遺跡に共通する一般的、普遍的な意義のあるものであるかどうか、学術的価値があるものであるかどうかなどがそれなりに自覚できるに違いありません。

1-2 投影する最初の遺跡群
自分の興味を投影する最初の遺跡は大膳野南貝塚近隣で社会関係が濃厚であったと想定される次の遺跡群を対象にしたいと考えています。
・六通貝塚
・小金沢貝塚
・木戸作貝塚
・有吉北貝塚
・有吉南貝塚
・上赤塚遺跡
・草刈遺跡

参考 Ⅳ期(中期中頃)貝塚集落とⅤ期(中期後葉~後期初頭)貝塚集落の分布

2 投影学習ツールとしてのGIS連動千葉県縄文遺跡データベース(私家版)の構築
2-1 データベースプロトタイプ
興味を他縄文遺跡に投影確認する学習活動を効率的に促進させるツールとして、GIS連動千葉県縄文遺跡データベース(私家版)を構築します。このデータベースでは既公表情報閲覧を即座のできるようにするとともに、自分の検討結果やメモ書き込みが自由に蓄積できるようにします。いつでも多くの縄文遺跡情報が即座にわかり、自分の検討メモも確認できれば学習は大いに加速できると考えます。
GIS連動千葉県縄文遺跡データベース(私家版)は、当座は既に出来上がっているGIS資料1にこれから電子化する資料2を加えてプロトタイプをつくることにします。

●GIS連動千葉県縄文遺跡データベースプロトタイプの骨格構成資料
資料1 千葉県遺跡データベース(GISデータ)(ふさの国文化財ナビゲーション(千葉県)による)
資料2 縄文遺跡209ヵ所の説明(「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)掲載資料)

データベースの骨格の骨格ともいうべきGIS版千葉県全遺跡概要情報(私家版)を既に整備していますので、最初の作業上の山は資料2の電子になります。
データベースの詳細構造は学習作業でツールとして使いながらその使い勝手とともに改良してゆくこととします。情報も順次追加していくことにします。
データベースはFile Makerをつかって構築し、QGISとの連動性をスムーズにします。

2-2 資料1について

参考 資料1の諸元

参考 資料1による縄文遺跡プロット

2-3 資料2について

図書

図書で説明されている縄文遺跡のプロット図 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用

縄文遺跡リスト(下に掲載)

3 大膳野南貝塚の補足学習
大膳野南貝塚学習で得た興味を近隣等の縄文遺跡に投影して行う学習で深まった興味や新たな興味を大膳野南貝塚にフィードバックして補足学習をすることにします。
大膳野南貝塚を自分の中で学習出撃拠点として利用し、大膳野南貝塚学習そのものも発展させることにします。

……………………………………………………………………
参考 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)で説明されている縄文遺跡リスト

第Ⅱ部に掲載した縄文時代の遺跡
第2章 縄文時代
1. 草創期の遺跡
58 林跡遺跡〔鎌ヶ谷市〕
59 弥三郎第2遺跡〔千葉市〕
60 南原遺跡〔市原市〕
61 前三舟台遺跡〔富津市〕
62 大谷台遺跡〔東金市〕
63 一鍬田甚兵衛山南遺跡(新東京国際空港№12)〔多古町〕
64 山倉大山遺跡〔山田町〕
65 成井(原山向)遺跡〔下総町〕
66 南大溜袋遺跡〔富里町〕
67 瀬戸遠蓮遺跡〔印旛村〕
68 地国穴台遺跡〔印西市〕
69 布佐余間戸遺跡〔我孫子市〕
70 元割遺跡〔柏市〕

2. 早期の遺跡
71 佐倉道南遺跡〔船橋市〕
72 飛ノ台貝塚〔船橋市〕
73 西の台遺跡〔船橋市〕
74 小山遺跡〔千葉市〕
75 鳥込貝塚〔千葉市〕
76 鳥喰東遺跡〔千葉市〕
77 中鹿子第2遺跡〔千葉市〕
78 東寺山石神遺跡〔千葉市〕
79 向ノ台貝塚〔千葉市〕
80 かずさ遺跡群〔木更津市〕
81 蔵坪遺跡〔木更津市〕
82 谷向貝塚〔三芳村〕
83 稲原貝塚〔館山市〕
84 大網山田台遺跡群№4(B)遺跡〔東金市〕
85 香山新田中横堀遺跡(新東京国際空港№7)〔芝山町〕
86 宝永作遺跡〔芝山町〕
87 城山遺跡〔光町〕
88 桜井平遺跡〔干潟町〕
89 浅間神社遺跡〔飯岡町〕
90 粟野台遣跡〔東庄町〕
91 今郡カチ内遺跡〔東庄町〕
92 城ノ台貝塚〔小見川町〕
93 側高遺跡〔佐原市〕
94 鴇崎貝塚〔佐原市〕
95 庚塚遺跡〔大栄町〕
96 西之城貝塚〔神崎町〕
97 木の根拓美遺跡(新東京国際空港№6)〔成田市〕
98 椎ノ木遺跡〔成田市〕
99 東峰御幸畑西遺跡(新東京国際空港№61)〔成田市〕
100 取香和田戸遺跡(新東京国際空港№60)〔成田市〕
101 十余三稲荷峰遺跡(新東京国際空港№67)〔成田市〕
102 西向野Ⅰ遺跡〔成田市〕
103 林北遺跡〔成田市〕
104 金堀遺跡〔富里町〕
105 上座貝塚〔佐倉市〕
106 鹿渡遺跡〔四街道市〕
107 割山遺跡〔四街道市〕
lO8 榎峠遺跡〔印西市〕

3. 前期の遺跡
109 飯塚貝塚〔関宿町〕
110 北前貝塚〔野田市〕
111 槙の内貝塚〔野田市〕
112 若葉台遺跡〔流山市〕
113 幸田貝塚〔松戸市〕
114 ニツ木向台貝塚〔松戸市〕
115 上台貝塚〔市川市〕
116 東山王貝塚〔市川市〕
117 古和田台遺跡〔船橋市〕
118 飯山満東遺跡〔船橋市〕
119 八栄北遺跡〔船橋市〕
120 神門遺跡〔千葉市〕
121 宝導寺台貝塚〔千葉市〕
122 谷津台貝塚〔千葉市〕
123 大坪貝塚〔富津市〕
124 加茂遺跡〔丸山町〕
125 上長者台遺跡〔勝浦市〕
126 新田野貝塚〔大原町〕
127 寺ノ内遣跡〔芝山町〕
128 粟島台遺跡〔銚子市〕
129 毛内遺跡〔佐原市〕
130 植房貝塚〔神崎町〕
131 南羽鳥中岬第1遺跡-E地点-〔成田市〕
132 木戸先遺跡〔四街道市〕
133 和良比遺跡〔四街道市〕
134 石揚遺跡〔沼南町〕
135 柴崎遺跡〔我孫子市〕
136 鴻ノ巣遺跡〔柏市〕
137 花前Ⅰ・Ⅱ遺跡〔柏市〕

4. 中期の遺跡
138 中野久木谷頭遺跡〔流山市〕
139 紙敷貝塚〔松戸市〕
140 上本郷貝塚〔松戸市〕
141 子和清水貝塚〔松戸市〕
142 中峠貝塚〔松戸市〕
143 今島田貝塚〔市川市〕
144 姥山貝塚〔市川市〕
145 向台貝塚〔市川市〕
146 根郷貝塚〔鎌ヶ谷市〕
147 海老ヶ作貝塚〔船橋市〕
148 高根木戸貝塚〔船橋市〕
149 荒屋敷貝塚〔千葉市〕
150 有吉北貝塚〔千葉市〕
151 有吉南貝塚〔千葉市〕
152 加曽利貝塚〔千葉市〕
153 月ノ木貝塚〔千葉市〕
154 中野僧御堂遺跡〔千葉市〕
155 滑橋貝塚〔千葉市〕
156 芳賀輪遺跡〔千葉市〕
157 長谷部貝塚〔千葉市〕
158 東寺山貝塚〔千葉市〕
159 餅ヶ崎遺跡〔千葉市〕
160 蕨立貝塚〔千葉市〕
161 草刈貝塚〔市原市〕
162 実信貝塚〔市原市〕
163 山倉貝塚〔市原市〕
164 伊豆山台遺跡〔木更津市〕
165 花山遺跡〔木更津市〕
166 深名瀬畠遺跡〔富浦町〕
167 東長山野遺跡〔横芝町〕
168 宮門・小池麻生遺跡群〔芝山町〕
169 八辺貝塚〔八日市場市〕
170 向油田貝塚〔山田町〕
171 阿玉台貝塚〔小見川町〕
172 木之内明神貝塚〔小見川町〕
173 白井大宮台貝塚〔小見川町〕
174 大根磯花遺跡〔佐原市〕
175 三郎作貝塚〔佐原市〕
176 下小野貝塚〔佐原市〕
177 多田遺跡〔佐原市〕
178 稲荷山遺跡〔大栄町〕
179 長田雉子ヶ原遺跡〔成田市〕
180 布瀬貝塚〔沼南町〕
181 新木東台遺跡〔我孫子市〕
182 中山新田Ⅰ遺跡〔柏市〕
183 水砂遺跡〔柏市〕

5. 後期の遺跡
184 野田貝塚〔野田市〕
185 東金野井貝塚〔野田市〕
186 山崎貝塚〔野田市〕
187 上新宿貝塚〔流山市〕
188 三輪野山貝塚〔流山市〕
189 一の谷西貝塚〔松戸市〕
190 貝の花貝塚〔松戸市〕
191 株木東遺跡〔市川市〕
192 権現原貝塚〔市川市〕
193 曽谷貝塚〔市川市〕
194 奉免貝塚〔市川市〕
195 堀之内貝塚〔市川市〕
196 中沢貝塚〔鎌ヶ谷市〕
197 金堀台貝塚〔船橋市〕
198 古作貝塚〔船橋市〕
199 宮本台貝塚〔船橋市〕
200 藤崎堀込貝塚(習志野市〕
201 落合遺跡〔千葉市〕
202 木戸作貝塚〔千葉市〕
203 小金沢貝塚〔千葉市〕
204 犢橋貝塚〔千葉市〕
205 園生貝塚〔千葉市〕
206 台門貝塚〔千葉市〕
207 内野第1遺跡〔千葉市〕
208 野呂山田貝塚〔千葉市〕
209 誉田高田貝塚〔千葉市〕
210 矢作貝塚〔千葉市〕
211 六通貝塚〔千葉市〕
212 根田祇園原貝塚〔市原市〕
213 菊間手永遺跡〔市原市〕
214 西広貝塚〔市原市〕
215 武士遺跡〔市原市〕
216 山野貝塚〔袖ケ浦市〕
217 祇園貝塚〔木更津市〕
218 永井作貝塚〔木更津市〕
219 富士見台貝塚〔富津市〕
220 大寺山洞穴遺跡〔館山市〕
221 鉈切洞穴遺跡〔館山市〕
222 一宮(貝殻塚)貝塚〔一宮町〕
223 石神貝塚〔茂原市〕
224 下太田貝塚〔茂原市〕
225 一本松遺跡〔大網白里町〕
226 上貝塚貝塚〔大網白里町〕
227 沓掛貝塚〔大網白里町〕
228 牛熊貝塚〔横芝町〕
229 鴻ノ巣貝塚〔横芝町〕
230 境・千田遺跡〔芝山町・多古町〕
231 余山貝塚〔銚子市〕
232 清水堆遺跡〔小見川町〕
233 良文貝塚〔小見川町〕
234 大倉南貝塚〔佐原市〕
235 古原貝塚〔神崎町〕
236 武田新貝塚〔神崎町〕
237 小菅法華塚Ⅰ・Ⅱ遺跡〔成田市〕
238 台方花輪貝塚〔成田市〕
239 土屋殿台遺跡〔成田市〕
240 伊篠白幡遺跡〔酒々井町〕
241 石神台貝塚〔印旛村〕
242 吉高一本松遺跡〔印旛村〕
243 宮内井戸作遺跡〔佐倉市〕
244 井野長割遺跡〔佐倉市〕
245 遠部台遺跡・江原台遺跡〔佐倉市〕
246 吉見台遺跡〔佐倉市〕
247 千代田遺跡群〔四街道市〕
248 前広貝塚〔四街道市〕
249 佐山貝塚〔八千代市〕
250 岩井貝塚〔沼南町〕

6. 晩期の遺跡
251 内町貝塚〔関宿町〕
252 築地台貝塚〔千葉市〕
253 能満上小貝塚〔市原市〕
254 堀之内上の台遺跡〔大多喜町〕
255 山武姥山貝塚〔横芝町〕
256 多古田泥炭遺跡〔八日市場市〕
257 奈土貝塚〔大栄町〕
258 大原野(龍正院)貝塚〔下総町〕
259 荒海貝塚〔成田市〕
260 荒海川表遺跡〔成田市〕
261 宝田鳥羽貝塚〔成田市〕
262 八代花内遺跡〔成田市〕
263 戸ノ内貝塚〔印旛村〕
264 内黒田遺跡群〔四街道市〕
265 御山遺跡〔四街道市〕
266 下ヶ戸宮前遺跡〔我孫子市〕
……………………………………………………………………

2018年7月25日水曜日

大膳野南貝塚学習資料(集成版)の公表

大膳野南貝塚学習の中間とりまとめ資料(pdf)を公開しました。

大膳野南貝塚学習の中間とりまとめ資料(pdf 8MB 62ページ)

これまでに公開した次の資料を集成した資料です。
1 漆喰貝層有無2 集団の関係
2 諸磯・浮島2 集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

なにかの参考になれば幸いです。

大膳野南貝塚学習の中間とりまとめ資料 Adobe Acrobat DC画面

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

2018年7月23日月曜日

背景学習

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 10 背景学習

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「10 背景学習」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。中間とりまとめを完結することができました。

1 大膳野南貝塚学習の背景として行った学習
「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)に掲載されている「貝塚」(第Ⅱ部第2章第2節縄文時代1遺跡・遺構(1)貝塚[執筆西野雅人])を2回にわたって学習しました。貝塚をめぐる千葉県縄文時代歴史がとても詳しく分る論文です。「貝塚」はこれからも折に触れて学習していく私の座右のテキストです。

「貝塚」全ページ

「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)の他の章も参考に読みましたが、今後より体系的に学習していく予定です。また「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)は遺跡事例が多数掲載されているので、今後体系的に学習して縄文時代遺跡の時間的・空間的変遷の理解を深めたいと考えます。

2 学習技術について
2-1 GIS活用
学習では大膳野南貝塚発掘調査報告書の情報をほとんど電子化してExcelに取り込み、それをGISに展開して空間的分析を深めることが出来ました。

GIS画面
GISアプリは当初「地図太郎PLUS」を使っていましたが、途中で分析能力が優れている「QGIS」に変更しました。

2-2 データベース
発掘調査報告書のデータのうち土坑データだけは個別土坑毎に情報がまとまっていないため(記述、平面断面図、土層説明、出土物…毎に情報が整理されているため)、必要に迫られてデータベースを作成しました。データベースアプリはFile Makerをつかいました。

後期集落土坑データベース画面
データベースをつくってみるとその使い勝手がきわめてよく、特に検索や並べ替えがExcelと比べて大変効率的であり、土坑に関する自分の学習(認識、アイディア)が急進展しました。
またデータベースは単に発掘調査報告書のデータを効率的に閲覧するだけでなく、検討結果やメモを書き込み、それらの検索もまたできますから学習が加速します。

なお、発掘調査報告書では竪穴住居は住居毎にデータが整理されているので、住居毎のpdfファイルを作成してエクスプローラで利用しました。

竪穴住居情報の閲覧方法
本として綴じられている情報の閲覧より、このエクスプローラを利用する方法の方がはるかに効率的に必要な情報に到達できます。
しかし、土坑データベースを作ったあとはそれと比べるととても非効率的な方法であると実感してしまいました。学習も末期になり竪穴住居データベースの作成は出来ませんでしたが、大膳野南貝塚の学習を今後深める時には竪穴住居データベースを作ることにします。また縄文時代に限らず奈良平安時代遺跡の学習などでも、新たな遺跡に取り組むときはまず最初に竪穴住居データベースを作成するところから始めるつもりです。
竪穴住居データベースに掲載する情報は発掘調査報告書掲載情報だけでも、最低限つぎのような情報になります。

竪穴住居データベースに最低限掲載すべき情報

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次の資料を公開しました。(2018.07.24)

pdf資料「背景学習 要旨

pdf資料「背景学習

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

2018年7月22日日曜日

「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」の学習

大膳野南貝塚や西根遺跡など縄文時代遺跡に興味をもち、それらの発掘調査報告書を自分流で分析して楽しんでいます。そうした活動の中で折に触れ専門的基礎知識不足を自覚させられていますので、そうした状況を少しでも緩和するために趣味活動のサブ活動として専門的基礎知識に関わる学習活動や専門的情報整備(データベース整備)をある程度体系的に行うことに気持ちが向いています。
いろいろな学習や情報整備をしたいのですが、まず最初に「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)の学習に着手したいと考えています。

「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)
内容はとても興味のあるもので、これまでも折に触れて読み、学習してきています。特に第Ⅱ部第2章第2節縄文時代1遺跡・遺構(1)貝塚(執筆西野雅人)は大膳野南貝塚学習で何度も読み直し、何度かシリーズ記事にしました。貝塚以外も学習を深めたい論説ばかりです。
ただ、この本は1438ページあり「重く」「扱いづらく」気軽に利用しようという気持ちが生れづらく、利用を躊躇することがありました。もったいないことです。
また、出版が平成16年でそろそろ15年前の情報になりますから、いつまでも「つんどく」と賞味期限切情報ばかりになってしまいます。
そうした反省・心配もあり、縄文時代を中心にこの図書を詳しく読んで、消化(通過)しておきたいという気持ちになりました。
本来は全部一気に電子化して効率的学習をしたのですが、一気に自炊電子化するためのパワーと学習で得られる情報面利得のバランスが今は不明ですから、当面は必要部分だけのスキャンの繰り返しで対応します。学習が進み全部電子化が必要と判断する時がくれば、躊躇なく図書にカッターをいれて解体します。

この図書の目次は次の通りで、赤字の部分をまず集中学習するつもりです。
……………………………………………………………………
千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)

第Ⅰ部 本書を理解するために
第1章千葉県の考古学研究のあゆみ
第1節近代考古学以前(明治以前)
第2節近代考古学の幕開け(明治・大正)
第3節編年研究の確立(昭和一終戦まで一)
第4節地域研究の進展(終戦から昭和30年代)
第5節大規模発掘の時代(昭和40年代以降)

第2章代表的な遺跡・遺構と遺物
第1節旧石器時代
(1)旧石器時代とはどんな時代か
(2)失われた回廊を往き来する石材
(3)大切な石器の使われ方
(4)旧石器時代の情報交換
第2節縄文時代
(1)縄文時代とはどんな時代か
(2)すがたを現した縄文のムラ
(3)副葬用の人頭形土製品
(4)大量の耳飾りをもつムラ
(5)沖積層下の集団墓地
(6)縄文時代の土木工事
(7)丸木舟の宝庫
(8)海をのぞむ洞穴を利用する人びと
第3節弥生時代
(1)弥生時代とはどんな時代か
(2)縄文時代晩期から弥生時代前期へ
(3)荒海式土器とその文化
(4)再葬習俗の盛行
(5)水田跡の発見
(6)東日本最古の方形周溝墓
(7)東日本最大の方形周溝墓群
(8)濠を巡らせる巨大なムラ
第4節古墳時代
(1)古墳時代とはどんな時代か
(2)川底から目覚めた木製品
(3)丸木舟に葬られた人びと
(4)最古の高塚古墳
(5)「須恵」の首長墓
(6)「王賜」銘鉄剣
(7)埴輪群像
(8)海人のまつり
(9)崖に掘られた黄泉の国
(10)「印波」の首長墓
第5節奈良・平安時代
(1)奈良・平安時代とはどんな時代か
(2)古代のムラ
(3)発掘された古代の文字資料
(4)律令制を支えた役所
(5)国分寺と山林寺院
(6)律令制の崩壊と俘囚の反乱

第3章科学的な分析による成果
第1節考古学と関連科学
第2節さまざまな分析
(1)年代の測定
(2)環境の復元
(3)人骨の分析
(4)食生活の復元
(5)土器の産地
(6)黒曜石の原産地
(7)貝の採れた季節
第4章埋蔵文化財の整備と活用
第1節今,なぜ保存か
第2節国・県指定の文化財
第3節残された遺跡
(1)「縄文の森」整備構想
(2)「貝塚トンネル」
(3)住宅街の中の古墳広場
(4)海をのぞむ前方後円墳
(5)風土記の丘として活用される古墳群
(6)整備された国分尼寺
第4節博物館での考古資料の活用
第5節文化財センターの普及活動

年表1 第1部に掲載した主な遺跡とその時代
年表2 千葉県の考古学研究のあゆみ
第1部に掲載した主な千葉県内遺跡の索引

第Ⅱ部 資料
第1章時代と編年一房総の編年基準一
第1節旧石器時代
(1)石器の変遷
第2節縄文時代
(1)土器の変遷一縄文時代一
第3節弥生時代
(1)土器の変遷一弥生時代一
第4節古墳時代
(1)土器の変遷一古墳時代一
(2)古墳の変遷
第5節奈良・平安時代
(1)土器の編年一奈良・平安時代一
(2)瓦の様式と編年

第2章遺跡・遺構と遺物
第1節旧石器時代
1遺跡・遺構
(1)遺跡分布の特徴
(2)遺物集中地点の様相
(3)遺物集中地点の機能
(4)特殊な遺物集中地点一環状ユニット(環状ブロック群)について一
(5)生活の痕跡
(6)遺跡の形成過程一遺跡間のモノとヒトの動き一
2遺物
(1)石材消費の様相一中期旧石器時代から後期旧石器時代をみる一
(2)石器の形態と機能
(3)システム化された挟み割り
(4)構造変換する石刃分割戦略
(5)面取りのある小型石槍について
(6)湧別技法と荒屋型彫器
(7)旧石器時代の精神生活
(8)石器石材の種類と地域的特徴
(9)房総の石器石材原産地
(10)遺跡と遺物からみた地域の成立
第2節縄文時代
1遺跡・遺構
(1)貝塚
(2)先史時代の海食洞穴遺跡
(3)集落
(4)竪穴住居
(5)早・前期の大型住居
(6)中期以降の特殊な建物
(7)盛土遺構
(8)土器塚
(9)落とし穴
(10)埋葬
2遺物
(1)運ばれてきた土器
(2)製塩
(3)骨角貝製品
(4)丸木舟
(5)狩猟具
(6)生活用の石器
(7)石器の石材と産地
(8)石製・土製装身具
(9)土偶・土版とその他の土製品
(10)祭祀用の土器
(11)祭祀用の石器
(12)抜歯
第3節弥生時代
1遺跡・遺構
(1)縄文時代晩期から弥生時代前期の遺跡
(2)中期中葉から後期の遺跡
(3)建物跡
(4)壺棺再葬墓
(5)方形周溝墓
(6)弥生・古墳時代の水田と畠
2遺物
(1)外来系土器
(2)石庖丁状石器
(3)弥生・古墳時代の木製農耕具類
(4)工具類
(5)特殊な遺物
第4節古墳時代
1遺跡・遺構
(1)前期から中期への集落の展開
(2)後期から終末期の集落の展開
(3)前方後円墳
(4)前方後方墳
(5)終末期古墳
(6)埋葬施設
(7)横穴墓
(8)弥生・古墳時代の海食洞穴遺跡
(9)祭祀遺跡
2遺物
(1)調理法の変化と食器
(2)農具一鉄製品と木製品一
(3)鉄の生産と鉄器の製作
(4)須恵器の生産と流通
(5)土師器の生産と流通
(6)玉類の生産
(7)埴輪の生産と分布
(8)石製品
(9)石枕
(10)武器
(11)武具
(12)馬具
(13)装身具
(14)銅鏡
第5節奈良・平安時代
1遺跡・遺構
(1)村落の消長とその背景
(2)火葬墓の出現と広がり
(3)村落寺院の構造と機能
(4)神へのまつりと祓の流行
(5)鉄器生産と鉄器普及
(6)土器の生産と流通
(7)瓦生産と古代寺院
2遺物
(1)食器の変化と地域性
(2)施釉陶器の量産と普及
(3)文書行政と印章
(4)官人と銙帯
(5)皇朝十二銭と社会経済
(6)仏具と仏教信仰

第3章科学分析からみた考古学
第1節年代測定
(1)年代測定
第2節自然遺物の分析
(1)人骨の分析
(2)動物遺存体の分析一房総の縄文犬一
(3)花粉分析
(4)植物珪酸体分析
(5)樹種同定
(6)漆
第3節鉱物の分析
(1)石材の分析
(2)土器等の胎土分析
(3)鉄器の化学分析
(4)青銅の分析
(5)顔料

 付章千葉県史編さん資料
第1節千葉県史編さん収集資料
(1)富浦町大房岬遺跡群関連資料
富浦町大房岬遺跡群収集資料
付編富浦町大房岬遺跡群におけるローム層鉱物分析
(2)縄文土器収集資料
(3)丸木舟収集資料
(4)骨角貝製品収集資料
収集資料
特論貝輪素材供給地から消費地へ
(5)土製品・石製品収集資料
第2節千葉県考古学史関連資料
(1)染谷大太郎資料
(2)ハワードA.マツコード(Howard A.MacCord)資料
第3節石器石材収集資料
(1)旧石器時代石器石材写真集
……………………………………………………………………
この図書の学習は、読書に伴う思考を「ブログ記事に書く」ことにより進行させます。

2018年7月21日土曜日

個別テーマ

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 9 個別テーマ

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「9 個別テーマ」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。
個別テーマは次の3項目で構成します。
1 屋内炉と屋外炉
2 竪穴住居の床面傾斜と住居壁
3 後期集落最初期の時期区分

1 屋内炉と屋外炉
後期集落の屋内炉と屋外炉の分類と利用法を検討しました。

1-1 漆喰炉
1-1-1 屋内漆喰炉
屋内漆喰炉は炉体をローム、焼土粒、漆喰の混合物で作り、その中に破砕貝パウダーを敷いてそれで小型土器を安定設置して、土器の回りで火を燃やしていたと推定できます。

漆喰炉の理解 大膳野南貝塚発掘調査報告書掲載情報から作成
加熱と土器からの煮こぼれ水分で破砕貝パウダーが漆喰に変容して炉内に時間が経つに従って漆喰が堆積していったと考えられます。

漆喰炉に漆喰が堆積している理由
屋内漆喰炉は漆喰貝層有竪穴住居住人だけが使っていた炉です。

漆喰炉と地床炉・土器囲炉の分布

1-1-2 屋外漆喰炉
屋外漆喰炉は炉体を土、漆喰、貝殻の混合物で作り、炉内縁辺部では破砕貝パウダーを敷いて小型土器を固定させてその回りで火を燃やして調理し、中央部では埋甕を設置して大型土器固定具として用い、その際埋甕内に破砕貝パウダーを敷いて大型土器の安定を図り、土器の回りで火を燃やして調理していたと推定できます。

屋外漆喰炉の理解

屋外漆喰炉埋甕に漆喰が堆積している理由
大型土器からの煮こぼれ水分と加熱により埋甕内の破砕貝パウダーは漆喰に変容していったと考えられます。
屋外漆喰炉は漆喰貝層有竪穴住居住人だけが使っていた炉です。

屋外漆喰炉の分布

1-2 地床炉・土坑炉
1-2-1 屋内地床炉・土器囲炉・漏斗型断面炉
屋内地床炉では煮炊き用土器を固定する器具や固定材(破砕貝パウダー)がないので土器を使った調理は容易ではなかったと推察できます。

屋内地床炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

土器囲炉では土器囲を小型土器固定具として使って調理をしていたと推察します。

土器囲炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

地床炉、土器囲炉の他に漏斗型断面炉と呼べる構造の炉が存在しています。

漏斗型断面炉の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成

漏斗型断面炉では漏斗のすぼまった部分を土器固定具として利用して土器による調理を行っていたと考えることができます。

漏斗型屋内炉の利用方法 大膳野南貝塚発掘調査報告書により作成

屋内地床炉、土器囲炉、漏斗型断面炉は漆喰貝層無竪穴住居住民が使っていたものです。

1-2-2 屋外土坑炉
屋外土坑炉としてピット付土坑炉と廃屋土坑炉を認識(発見)することができます。

ア ピット付土坑炉

ピット付土坑炉 大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成・塗色
ピットを大型土器固定装置として利用した屋外炉であると考えられます。

ピット付土坑炉の利用イメージ 大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成

ピット付土坑炉(416号土坑)の場所

ピット付土坑炉は漆喰貝層無竪穴住居住人が利用していたものと推定します。

イ 廃屋土坑炉

廃屋土坑炉 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・追記
廃絶竪穴住居に土器設置穴を掘りその周辺で火を燃やして大型土器を使った調理を行っていたと考えます。土器設置穴が全部で4カ所あり継続して長期にわたって使われたと考えます。竪穴住居床面から略完形土器が出土しています。

廃屋土坑炉 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・追記

廃屋土坑炉の利用イメージ(土器写真はJ92竪穴住居から出土したもの)

廃屋土坑炉(J92竪穴住居)の位置

廃屋土坑炉は漆喰貝層無竪穴住居住人が利用していたと想定します。

1-3 まとめ
後期集落の屋内炉と屋外炉をまとめました。

屋内炉と屋外炉に関する仮まとめ

2 竪穴住居の床面傾斜と住居壁
2-1 意図してつくられた床面傾斜
2-1-1 床面傾斜の状況
J95竪穴住居の床面は北北西から南南東の方向に傾いていますが、それ対応して柱穴の本数が建物下側に位置する部分で多くなっています。
家が傾いているのでその傾斜に耐えられるように傾斜下側の柱を増やしている様子が観察できます。

J95竪穴住居の柱穴分布 大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成

J95竪穴住居 模式断面
床面が傾きそれに対応して建物を補強しているということは、建物が傾いてしまい構造上弱くなることの不利よりも、床面を傾けることによる有利の方が大きかったことを物語っています。

他の竪穴住居でも多くのもので床面に傾斜があります。

J81竪穴住居床面の傾斜 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・追記

竪穴住居床面に傾斜のある竪穴住居の分布を調べると次のようになり、台地縁辺部から斜面にかけて分布しています。

竪穴住居床面が傾斜している範囲

2-1-2 床面傾斜の意味
床面が傾斜している竪穴住居は台地側に住居壁を有し、谷底側に住居壁がありません。この構造から床面傾斜の重要な意味は排水にあると考えます。床面に傾斜をつけておけば住居内に雨水が流れ込んできても貯まることはなく、全部流れ出てしまい、災害をやり過ごすことができます。
また床面傾斜の意味として良好な睡眠環境確保があったのではないかと考えます。
現代の睡眠研究では、ベッドの傾きを10°にすると0°や20°以上と比べて仰臥位での寝心地が最も良くなり、同時に入眠と睡眠維持でも最も良いことが判っています。縄文人も良好な睡眠環境確保のために床面傾斜を好んだのではないかと想像します。

2-2 住居壁のない竪穴住居
2-2-1 発掘調査報告書の「後世の削平」について
大膳野南貝塚発掘調査報告書では住居壁が検出されない竪穴住居は遺構重複等によるもの以外は全て例外なく「後世の削平」により失われたと説明されています。
しかし南貝層や北貝層を剥いでその下から出土する竪穴住居についても住居壁がない説明として「後世の削平」が記述されていて発掘状況と齟齬があることが明白であり、「後世の削平」が現場で生まれた情報でないことが判ります。また住居壁未検出を全て「後世の削平」により失われたと説明することは、「全て当初は住居壁が存在していた」ことを前提としますが、その前提に根拠はありません。
つまり住居壁が未検出の竪穴住居は「住居壁未検出」という事実だけを汲み取るべきであり、「後世の削平により住居壁が失われた」という説明は全て利用しないことが肝要であると考えます。
なお「後世の削平により住居壁が失われた」という現象があり得ることは当然ですが、その情報を発掘調査報告書記述からは残念ながら得ることが出来ないということです。

2-2-2 「後世の削平」で住居壁が失われた可能性はどの程度あるか?
発掘調査報告書で、「後世の削平により住居壁が失われた」と説明されている事例について、本当に「後世の削平」の可能性があるかどうか事例で検証してみました。
次の地図は覆土層有竪穴住居と覆土層無竪穴住居の分布を示していますが、覆土層無竪穴住居とは即ち住居壁の無い竪穴住居のなります。

竪穴住居 覆土層の有無
この地図でJ71竪穴住居、J57竪穴住居、J100竪穴住居はそれぞれの柱穴の間の距離が4m、3mと隣接していて、かつJ57竪穴住居だけ住居壁があります。その断面図を並べると次のようになります。

J57竪穴住居の住居壁だけ偶然後世の削平を免れたのか? 大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成
至近距離にあるJ71、J57、J100に当初は全て住居壁があり、後世の削平でJ57だけ住居壁が残存したという状況は、後世の削平が地下の竪穴住居の住居壁の位置を知り、それを意識して精密な削平作業をしない限り不可能なことです。つまり後世の削平でJ57の住居壁は残ったけれどもJ71とJ100の住居壁は失われ、しかし柱穴や炉はきれいに残ったという状況の可能性は限りなくゼロと考えてよいことになります。
J71とJ100は最初から住居壁が無かった竪穴住居つまり竪穴を掘らない住居であったと断面図からは考えることができます。台地平面上の住居壁のない竪穴住居はほとんどが最初から住居壁のない住居であった可能性が濃厚であると考えます。
一般論として考えると、平らな台地面で本当に竪穴を掘り下げてしまったら、雨天時の排水が不能となり居住できません。竪穴住居とは必ず土地傾斜を利用してつくられるものと考えます。土地傾斜が確保できない場所では住居壁をつくることができません。

2-2-3 住居壁のある竪穴住居と無い竪穴住居の事例検討
J57竪穴住居(住居壁の有る竪穴住居)とJ100竪穴住居(住居壁の無い竪穴住居)の条件の違いを事例として検討しました。

J57竪穴住居とJ100他の位置 素地図は大膳野南貝塚発掘調査報告書による

ア J57竪穴住居

J57竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
建物敷地(幅約6m)に比高30㎝の土地高低差があり、その高低差を全部利用して竪穴住居を建設しています。土地傾斜(東北東-西南西)の方向と張出部方向が一致しているように考えられます。張出部付近では高さが確保できないので住居壁は消失します。
住居壁を設けることによって家内温度変化が緩和され夏涼しく冬暖かくなると考えられます。また屋根の高さを低めることができますから風に強い、つまり災害に強い家にすることができます。
この竪穴住居は土地高低差を全部住居壁に使ってしまったため、床面傾斜を確保できていません。従って雨天の際の水はけは悪かったことが考えられます。

イ J100竪穴住居

J100竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
建物敷地(幅約5.5m)に比高20㎝の土地高低差があり、その高低差を住居壁には全く使わず全て床面傾斜に使った住居であると考えます。雨天時の水はけ機能は確保できますが、住居壁がないので家内温度変化が激しく、また屋根が地面から全部立ち上がるので風に弱い家だったと考えられます。張出部方向は土地傾斜方向と略一致するように等高線との関係から想定できます。

ウ 考察
ウ-1 住居壁有無の条件
J57竪穴住居では家敷地にある30㎝の高低差を利用して竪穴(住居壁)を掘っています。一方J100竪穴住居では家敷地にある20㎝の高低差を床面傾斜に使い竪穴(住居壁)を掘っていません。家敷地における土地高低差が少なくとも30㎝はないと竪穴(住居壁)を掘る意味はないと縄文人は考えていたのかもしれません。
土地の高低差を住居壁高さと床面傾斜にどのように配分したか、発掘調査報告書のデータを詳しく分析することが可能ですから、住居壁有無と土地傾斜の関係や縄文人が最も好んだ土地傾斜と住居壁高さ・床面傾斜の関係などを今後知ることができそうです。

ウ-2 張出部方向の意味
J57竪穴住居、J100竪穴住居ともに張出部方向は土地傾斜の方向であり、かつ床面傾斜の方向であると考えられます。張出部方向が祭祀信仰・社会関係との関係ではなく、住居立地条件としての土地傾斜(=床面傾斜=排水方向)として捉えるべき指標である可能性が強まりました。発掘調査報告書のデータを詳しく分析すれば、張出部方向の意味が詳しく分る可能性が濃厚です。また逆に張出部方向から縄文時代微地形復元ができる可能性も浮上します。

2-2-4 住居壁がない竪穴住居が存在していた可能性
次のような条件から台地平面上の住居は住居壁が無かったものが多いと考えられます。
1 発掘調査報告書の「後世の削平により住居壁が失われた」という記述は利用できないこと
2 事例検討から「後世の削平により住居壁が失われた」状況が浮かび上がらないだけでなく、最初から住居壁が無かったと考えられること
3 一般論として平らな台地面では排水不能となることから竪穴を掘り下げる住居の建設はあり得ないこと

なお、大膳野南貝塚で住居壁の無い竪穴住居が有るならば、それは大膳野南貝塚だけの特殊事例とは考えづらいですから、必ずや近隣遺跡の台地面にあるはずであると考え、今後調査する価値のある課題になります。

3 後期集落最初期の時期区分
3-1 発掘調査報告書の時期区分
大膳野南貝塚発掘調査報告書における後期集落(中期末葉~後期)最初期の時期区分は●加曽利E4~称名寺古式期→●称名寺~堀之内1古式期の2段階となっています。その説明では、加曽利E4~称名寺古式期が集落成立期であり、積極的な採貝活動の痕跡は確認できないとしています。称名寺~堀之内1古式期になると「漆喰」の使用が行われ始める時期であり、本格的な採貝活動と貝殻利用が開始された時期であるとしています。

3-2 発掘調査報告書時期区分に従うと生まれる非連続性
発掘調査報告書時期区分に従って学習を進めると加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期の間に次のような非連続性が生れてしまい、集団が入れ替わったと考えざるをえなくなります。

後期集落最初期に集団が入れ替わった可能性
特に加曽利E4~称名寺古式期の葬送形式が集骨葬(再葬)であり、称名寺~堀之内1古式期は伸展葬ですから全く異なり、集団のルーツが異なると考えざるをえません。

しかし、称名寺~堀之内1古式期の次の集落急発展期の堀之内1式期になると漆喰貝層無の竪穴住居が再び出現します。一度途絶した集団が再び戻ってきて漆喰貝層有竪穴住居の人々と同化したようなイメージになり、大変不自然です。

漆喰貝層有無別にみた竪穴住居軒数
漆喰貝層有無という視点からみると加曽利E4~称名寺古式期、称名寺~堀之内1古式期という時期区分が情報のスムーズな理解の妨げになっているように感じられます。このような時期区分は学習者からみると合理性がないように直観できます。

次のように上記竪穴住居件数表をまとめると情報理解がスムーズになります。

漆喰貝層有無別にみた竪穴住居軒数(集計時期調整)
後期集落学習では加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期を最初期として一括して扱ってきました。

3-3 最初期を一括して扱うことの合理性
最初期の実際の土器出土状況を詳しく調べてみると次のようになります。

大膳野南貝塚後期集落最初期の時期区分
発掘調査報告書で称名寺~堀之内1古式期としている竪穴住居のうちJ34とJ44は実は加曽利E4~称名寺式期の土器が出ていて称名寺~堀之内1古式期に分類するのは無理筋であることがわかります。恐らく「漆喰貝層無=加曽利E4~称名寺古式期」、「漆喰貝層有=称名寺~堀之内1古式期」という図式が出来て、それに当てはめるためにJ34とJ44で無理をしたのだと思います。J34とJ44の無理を正して再度時期区分しようとして、加曽利E4~称名寺(古)式期というくくりでは5軒の竪穴住居が入ることになります。加曽利E4でくくれば7軒になります。称名寺式でくくれば8軒になります。つまり集落の最初から漆喰貝層有と漆喰貝層無の竪穴住居が一緒に存在していたことが土器出土状況を指標にして明らかになると考えます。
加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期を一括して扱うという私が行った学習上の便宜的操作は、大膳野南貝塚後期集落消長の大局観を得る上で合理的であると考えます。
……………………………………………………………………
次の資料を公開しました。(2018.07.22)

pdf資料「個別テーマ 要旨

pdf資料「個別テーマ

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

2018年7月19日木曜日

大膳野南貝塚後期集落最初期の時期区分

大膳野南貝塚後期集落(中期末葉~後期)最初期の時期区分について、学習促進のために思考した結果を記録しておきます。

1 発掘調査報告書の時期区分
大膳野南貝塚発掘調査報告書における後期集落(中期末葉~後期)最初期の時期区分は●加曽利E4~称名寺古式期→●称名寺~堀之内1古式期の2段階となっています。その説明では、加曽利E4~称名寺古式期が集落成立期であり、積極的な採貝活動の痕跡は確認できないとしています。称名寺~堀之内1古式期になると「漆喰」の使用が行われ始める時期であり、本格的な採貝活動と貝殻利用が開始された時期であるとしています。

加曽利E4~称名寺古式期説明 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆

称名寺~堀之内1古式期説明 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆

2 発掘調査報告書時期区分に従うと生まれる非連続性
発掘調査報告書時期区分に従って学習を進めると加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期の間に次のような非連続性が生れてしまい、集団が入れ替わったと考えざるをえなくなります。

後期集落最初期に集団が入れ替わった可能性
特に加曽利E4~称名寺古式期の葬送形式が集骨葬(再葬)であり、称名寺~堀之内1古式期は伸展葬ですから全く異なり、集団のルーツが異なると考えざるをえません。

しかし、称名寺~堀之内1古式期の次の集落急発展期の堀之内1式期になると漆喰貝層無の竪穴住居が再び出現します。一度途絶した集団が再び戻ってきて漆喰貝層有竪穴住居の人々と同化したようなイメージになり、大変不自然です。

漆喰貝層有無別にみた竪穴住居軒数
漆喰貝層有無という視点からみると加曽利E4~称名寺古式期、称名寺~堀之内1古式期という時期区分が情報のスムーズな理解の妨げになっているように感じられます。このような時期区分は学習者からみると合理性がないように直観できます。

次のように上記竪穴住居件数表をまとめると情報理解がスムーズになります。

漆喰貝層有無別にみた竪穴住居軒数(集計時期調整)
後期集落学習では加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期を最初期として一括して扱ってきました。

3 最初期を一括して扱うことの合理性
最初期の実際の土器出土状況を詳しく調べてみると次のようになります。

大膳野南貝塚後期集落最初期の時期区分
発掘調査報告書で称名寺~堀之内1古式期としている竪穴住居のうちJ34とJ44は実は加曽利E4~称名寺式期の土器が出ていて称名寺~堀之内1古式期に分類するのは無理筋であることがわかります。恐らく「漆喰貝層無=加曽利E4~称名寺古式期」、「漆喰貝層有=称名寺~堀之内1古式期」という図式が出来て、それに当てはめるためにJ34とJ44で無理をしたのだと思います。J34とJ44の無理を正して再度時期区分しようとして、加曽利E4~称名寺(古)式期というくくりでは5軒の竪穴住居が入ることになります。加曽利E4でくくれば7軒になります。称名寺式でくくれば8軒になります。つまり集落の最初から漆喰貝層有と漆喰貝層無の竪穴住居が一緒に存在していたことが土器出土状況を指標にして明らかになると考えます。
加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期を一括して扱うという私が行った学習上の便宜的操作は、大膳野南貝塚後期集落消長の大局観を得る上で合理的であると考えます。

参考 2018.06.03記事「検討課題メモ 出土土器型式による竪穴住居時期区分の照査