一鍬田甚兵衛山南遺跡出土の隆起線文土器と共伴出土石器の閲覧を予定していますので、一鍬田甚兵衛山南遺跡の学習を続けることにします。この記事では遺跡周辺の地形を学習します。現在の周辺地形は成田空港建設のために造成され、完全に人工化していますので旧版地形図をつかうことにします。
1 一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形
一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形
旧版1/25000地形図「五辻」大正10年測図(大正14年発行)による
空色は谷津筋線、青色は凹地(閉じた等高線)
一鍬田甚兵衛山南遺跡付近の地形 現代
2 メモ
・一鍬田甚兵衛山南遺跡のある場所が多数水系の源流部であることから台地平坦面が形成する尾根筋線の交差部に位置します。遠方とつながる尾根筋線の3差路となっています。尾根筋を経路として移動する動物が必ず通る場所にあたります。
・同時にその場所が凹地となっていて、湖沼・池であった可能性が濃厚です(下記例参照)。湖沼・池ならば水場としてそれだけの要件でも動物が集まってきた可能性があります。
・このように一鍬田甚兵衛山南遺跡の西側は動物移動の要衝であるとともに水場でもあり、格好の狩場であった可能性があります。
・一鍬田甚兵衛山南遺跡は単なる一過性の狩キャンプ地ではなく、繰り返し利用する狩場キャンプ地、あるいは通年利用する狩場キャンプ地というイメージをもつことができます。そうした移動をあまり伴わない狩生活が存在していたので、他の場所に先駆けてこの遺跡で、移動生活には不向きな土器(隆起線文土器)が使われ出したと考えることができそうです。
3 参考
下総台地の台地面には旧石器時代、縄文時代に多数の湖沼・池・湿地が存在していました。そのうち最大の長沼池は戦後まで存在していました。
3-1 東内野遺跡
東内野遺跡と「東内野湖」
印旛の原始・古代-旧石器時代編-(財団法人印旛郡市文化財センター、平成16年)より引用
2014.09.17記事「東内野遺跡に興味を持つ」
3-2 上谷遺跡
上谷遺跡付近の地形解釈
2016.09.06記事「上谷遺跡の特異な地形特性」
3-3 長沼
長沼池の復元図
2011.05.23記事「長沼池と縄文遺跡」
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