2016年9月6日火曜日

上谷遺跡の特異な地形特性

2016.09.04記事「勘違いにより上谷遺跡の牧空間が判る可能性」で上谷遺跡に水場が存在することが想定されました。

そこで、上谷遺跡付近の地形を急遽検討します。

これまでこのブログではこの付近の地形について詳細に検討してきていて、印旛沼筋河川争奪として地形発達を考えています。

その既検討が大いに役立ちます。

2014.06.06記事「印旛沼筋河川争奪成因モデルに関する思考実験」など多数

1 上谷遺跡付近の浅い谷

上谷遺跡付近の地形面は下総下位面(A面)の地域です。

この付近の台地面には凹地が分布します。

同時に凹地は北西から南東に向かって発達する谷津によって浸食されだしているように観察できます。

このブログにおける過去の検討から、凹地は下総下位面が陸化した最初期に北西方向に下る傾斜に必従的に生まれた浅い谷の一部であると考えることができます。

上谷遺跡付近の下総下位面上の凹地と方向性

上谷遺跡に存在する凹地は下総台地に無数に存在する浅い谷地形(化石的地形)の一つであり、地殻変動で孤立化(閉じた凹地化)した例です。

浅い谷が地殻変動で孤立化して湖や池が生まれた例は多数あり、戦後開発以前の下総台地上の湖・池は珍しものではありませんでした。(代表例 長沼)

また東内野遺跡(富里市)のように旧石器時代の台地上の湖(東内野湖)古環境が復元された例もあります。

2 上谷遺跡の地形解釈

上谷遺跡付の開発前地形(地表の起伏)を知るために1947年撮影米軍空中写真を実体視してみました。

参考 上谷遺跡付近の開発前空中写真 裸眼実体視資料
米軍 M504-9、M504-10 国土地理院サイトからダウンロード

黒シミで汚れている場所が浅い谷起源の閉じた凹地です。

この観察に基づいて、上谷遺跡の地形を次のように解釈します。

上谷遺跡付近の地形解釈 (想定

Aは谷津沖積平野です。

Bはその谷頭ですがV字谷になっています。

沖積層基底面に連続する地形と考えます。

AとBの向きが異なるのは、台地上に既に存在していた浅い谷の部分を選択的に沖積谷津が侵食したためであると考えます。

恐らくE、D、Cの部分に浅い谷が走っていたと考えますが、地殻変動で細かく分断されて相対的に落ち込んだ部分がD、相対的に隆起した部分がC、Eであると考えます。

CとEでは火山灰降灰により浅い谷地形が見分けずらくなったと考えます。

Dは閉じた凹地として池あるいは湿地環境として持続残存したと考えます。

このような場所が下総台地には無数に存在しています。

3 「上谷池」の命名

縄文時代及びその後古代を含めて現代まで継続した浅い谷地形起源の閉じた凹地Dにいて、その作業名称を「上谷池」とします。

縄文時代及びその後の時代にあってもその場所が閉じた池あるいは湿地であったことを示すために池をつけました。

Dが道路建設の関係の埋め立てで形成されたとする考えは破棄します。


上谷遺跡は縄文遺構(住居遺構)が存在するので、水面が存在していたかあるいは潤沢な湧き水があったと考えます。

この情報に基づいて、次の記事で上谷池の環境について検討します。

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