私の散歩論

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2019年7月12日金曜日

加曽利E式土器細分毎の遺跡分布

縄文土器学習 183

縄文土器形式別遺跡分布を遺跡数の多い土器形式から検討しています。この記事では2019.07.11記事「加曽利E式土器の分布」のつづきとして加曽利E式土器細分毎の遺跡分布を検討します。

1 加曽利E式土器細分情報の統計
加曽利E式土器が出土する遺跡は1251あり、そのうちEⅠ~EⅣという細分情報が掲載されている遺跡は267あり全体の21.3%です。

千葉県 加曽利E式土器出土遺跡 細分情報(EⅠ~Ⅳ)の有無
全体の2割に過ぎないとはいえ貴重な情報であり、全体の姿を考えるうえで参考になると考えられるので分析することにします。

細分情報別遺跡数グラフをつくると次のようになります。

千葉県 加曽利E式土器細分情報別出土遺跡
加曽利EⅠ式からEⅣ式までの期間は約500年ですから、機械的雑駁に捉えると各期の間の年数は約170年ということになります。
加曽利EⅠ式期が最初期であり、EⅡ式期が発展期、EⅢ式期が縮退期、EⅣ期が衰退期として捉えることができます。
加曽利E式期が千葉県縄文時代の最大人口増大期ですからEⅡ式期が縄文時代人口の最高ピークになります。
加曽利EⅠ式期の遺跡数が加曽利EⅡ式期には2倍になり、加曽利EⅢ式期には半減して加曽利EⅠ式と同じになり、加曽利EⅣ式期にはさらに半減したとイメージできます。大変劇的な変動があったと考えられます。

2 加曽利E式土器細分毎の遺跡分布
全体の2割の情報だけですが、遺跡分布を作成して全体の様子をイメージする参考にします。

加曽利EⅠ式土器出土遺跡分布図

加曽利EⅠ式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市と市川市境界付近だけに遺跡密集地(赤と青)が存在します。

加曽利EⅡ式土器出土遺跡分布図

加曽利EⅡ式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集地が松戸市と市川市境界付近だけでなく千葉市若葉区・緑区付近に生まれます。同時に二つの遺跡密集地の間に遺跡が増えています。(色が濃くなっています。)

加曽利EⅢ式土器出土遺跡分布図

加曽利EⅢ式土器出土遺跡分布ヒートマップ
千葉市若葉区・緑区付近の遺跡密集地はなくなりますが松戸市と市川市境界付近の遺跡密集地は存続します。

加曽利EⅣ式土器出土遺跡分布図

加曽利EⅣ式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市と市川市境界付近の遺跡密集地は存続します。千葉県全域で遺跡数が減ったため色が薄くなります。

3 メモ
細分毎遺跡分布図・ヒートマップが全体の状況を指標しているとすれば、つぎのような大変興味深い事柄が浮かび上がります。
・縄文時代最高の人口急増とそのピーク及びその後の人口急減の様子が、空間的には主に千葉市若葉区・緑区付近遺跡密集地の消長と連動する現象として捉えることができます。
・遺跡数急増・人口急増は千葉県全域で生起した現象ですが、特に千葉市若葉区・緑区付近遺跡密集地でもっとも極端に生起しました。その場所に社会発展に連動する諸中枢機能が形成されていたと想像できます。
・遺跡数急減・人口急減も千葉県全域で生起した現象ですが、特に千葉市若葉区・緑区付近遺跡密集地で最も極端に生起しています。その場所に存在した諸中枢機能が崩壊していったことが想像できます。
・千葉県全域で遺跡数急増→急減という極端な現象が起こっている間、松戸市と市川市境界付近の遺跡密集地が一貫して遺跡密集地の体を成していることが極めて特異です。この遺跡密集地の存続には大きな社会変動(人口急増、急減)だけでなく別の原理も働いているように感じられます。



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