私の散歩論

ページ

2020年1月19日日曜日

加曽利博主催縄文時代研究講座 大内千年先生講演の聴講

縄文土器学習 316

2020.01.19に千葉市生涯学習センターで開催された加曽利貝塚博物館主催の縄文時代研究講座「加曽利E式に伴う非在地系土器-房総半島の曽利式系土器について-」を聴講しました。講師は千葉県教育庁文化財課大内千年先生です。
加曽利貝塚博物館企画展「あれもEこれもE-加曽利E式土器(印旛地域編)-」(2019.11.16~2020.3.1)と連動した講演です。

講演会の様子

1 講演の概要
・房総での在地土器である加曽利E式土器に交じって山梨方面に分布中心を持つ非在地系の曽利式系土器が出土する場合が知られていて、その様相を詳細に説明した極めて興味深い講演でした。以下自分が理解できた部分の要点を列挙しました。
・曽利式系土器は房総で満遍なく出土している。地域的な偏りはみられない。
・曽利式系土器は斜行文土器と重弧文土器がほとんどで本場曽利式土器の限られた要素だけが房総でみられる。口縁部が受け口になっている。
・土器囲炉の素材として加曽利E式土器と斜行文土器、重弧文土器が一緒に出土することがあるので、その場合は斜行文土器、重弧文土器の年代を特定することができる。
・土器囲炉の素材として加曽利E式土器や曽利式系土器など異質の土器を集めたものが、意識して集めたかもしれないと考えたことがあった。しかし後日、土器囲炉の素材を意識して集めたということは無いとわかった。
・斜行文土器に磨消がある場合などでは加曽利E3式期であることがわかる。
・本場曽利式土器と比べると房総の曽利式系土器には手抜きが見られるものがある。
・土器片をある遺跡で悉皆調査したところ、おおよそ土器10コに1コは曽利式系土器であるこことが分かった。
・土器の胎土分析をしたところ中期は遺跡と胎土が相関することから、在地土器と非在地系土器を同じ製作者が作っていることが判明した。
・本場山梨の曽利式土器が多摩地方を玄関にして房総まで伝わった。多摩とは異なり房総では情報の取捨選択が強かった。曽利式土器の要素のうち房総では受け入れたいものだけを受け入れた。

2 感想
2-1 加曽利E式土器の細分と表記について
最初に次のような説明がありました。

加曽利E3式土器と曽利式系土器
加曽利E3をてっきり加曽利EⅢと理解していましたから、ちんぷんかんぷんでした。しかし、演者は加曽利E式土器を全てアラビア数字による細分で語っています。
演者は磨消縄文があるから加曽利E3であると説明します。
加曽利貝塚博物館の説明では磨消縄文の登場は加曽利EⅡ式です。

参考 加曽利貝塚博物館の加曽利EⅡの説明
曽利式系土器の話題とは別にローマ数字の細分(EⅠ~EⅣ)とアラビア数字の細分(E1~4)の思考の根本的な違いに触れて大いに学習意欲を触発されたました。
というのは、これまで自分は加曽利貝塚博物館の細分・表記を採用して考えてきていて、加曽利EⅡ式期に縄文社会のピークがあると捉えていたのですが、演者はそのピークは加曽利E3であるとしています。

参考 加曽利EⅡ式期と加曽利E3式期
自分はこれまでローマ数字派とアラビア数字派の違いは単純な器形・模様等のどこに注目するかだけだと考えていました。しかしこの講演で、違いの根は土器器形・模様等の背後にある社会変動の区分感に違いがあるようだと直感することができました。
出土土器観察を通して、社会変動の画期をどこに設定するかという歴史観の相違であるとわかりました。
そのように理解すると、加曽利E式社会のピーク(大規模貝塚、大規模環状集落のピーク)を3番目に位置付けるという歴史観の方が正統のように感じます。
加曽利E式社会成立→発展→ピーク→凋落で大きく区切り、その中は思う存分細分すればよいと思います。

2-2 曽利式系土器に関する学習
講演で紹介があった千葉県教育振興財団文化財センターの研究紀要26大内千年「第3章中期の非在地系土器-房総半島におけるいわゆる曽利式系土器について-」を早速ダウンロードしました。さらに関連して研究紀要16加納実「下総大地における加曽利EⅢ式期の諸問題-集落の成立に関する予察を中心に-」や加曽利貝塚博物館紀要21加納実「加曽利EⅢ・Ⅳ式土器の系統分析-配列・編年の前提作業として-」もダウンロードしたので、今後学習を深めたいと思います。
多くの事柄に興味がありますが、例えば、曽利式系土器出土分布が「満遍ない」と本当にそういえるのか、データをいじくって自分の分析で確かめたいと思います。幸い上記研究紀要26には詳しいデータベースが掲載されています。視点によっては市川や船橋で濃く、九十九里方面で薄くなるというこれまでの直観が生きるかもしれないとも思います。

E式企画展に展示された斜行文土器の3Dモデル
口縁部沈線は斜行していませんが、斜行文土器になるのだと思います。

2-3 曽利式系土器の存在理由
加曽利EⅡ式期後半ごろ(加曽利E3式期)に房総の多くの遺跡で曽利式系土器が出土する理由について深く知りたくなりました。
同じ房総人が加曽利E式土器と斜行文土器や重弧文土器をなぜ作っているのか?
単なるエキゾチックな趣味心で非在地系土器を作ったとも思えません。それなりに深い理由があると思います。
土器の器形や模様が信仰・神話・祈願…などに関係するとすれば、遠方の人々の信仰・神話・祈願…なども取り入れて生活でのご利益を増やしたいということかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿