私の散歩論

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2020年4月17日金曜日

大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデル

縄文社会消長分析学習 4

前田耕地遺跡付近の地形3Dモデルが思わぬ簡便さでかつ満足感の得られるような出来ばえで作成できました。
そこで国内最古土器出土遺跡である大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデルも作成して、最終氷河期クラマックス期の地形の復元と人活動について夢想してみました。

1 大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル

大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル 
デジタル標高地形図(青森県)と陰影起伏図の合成 
赤丸:大平山元Ⅰ遺跡(国内最古土器出土、約16500年前) 
垂直倍率:×5

地理院地図作業図

2 感想
ア 地形復元の夢想
大平山元Ⅰ遺跡が乗る台地よりその当時の蟹田川河床は低かったことは間違いありません。大平山元Ⅰ遺跡の標高は約20m、付近の蟹田川現在河床標高は約12mです。しかし、地形断面図から判断して、右岸側山が迫っていて、大平山元Ⅰ遺跡が生きていた当時(つまり海面がマイナス100mであった当時)台地面よりはるかに下刻した位置に蟹田川河床はあり得ないと見立てることができます。
詳しい地形地質情報はありませんが、海面がマイナス100m時期の蟹田川河床縦断形は急勾配であったことは間違いありませんが、その河床が大平山元Ⅰ遺跡付近ではまさに遺跡が乗っている台地として残っていると考えることができます。
大平山元Ⅰ遺跡は当時の蟹田川河原の小高い場所に存在していたと考えることができます。現在の蟹田川は海面がマイナス100m当時の河床面を数m下刻していると想定できます。
イ 大平山元Ⅰ遺跡と蟹田川との関係
大平山元Ⅰ遺跡は当時の河原の小高い場所に存在していて、蟹田川が大きく屈曲する場所でかつ西側には支川合流部が存在します。蟹田川河川環境に多様性が見られる場所であり、サケマス産卵などに格好の場所であった可能性が濃厚です。
大平山元Ⅰ遺跡からは水産資源に関連する情報は見つかっていないようです。しかし遺跡立地位置が蟹田川が平野部に出る地形の変換点に位置していて、河川生態環境上の特異点に該当することから、サケマスなど水産資源利用のためにこの場所に人が逗留した可能性が濃厚だと推測します。

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