私の散歩論

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2020年6月15日月曜日

縄文晩期 熱を受けた磨製石斧2点(千葉市加曽利貝塚 85号竪穴住居) 観察記録3Dモデル

縄文石器学習 20

加曽利貝塚博物館で現在開催されている企画展「特別史跡加曽利貝塚令和元年度発掘調査速報展」で展示されている「熱を受けた磨製石斧」2点の観察記録3Dモデルを作成して、その3Dモデルを見ながら派生する思考を楽しみました。

1 縄文晩期 熱を受けた磨製石斧(千葉市加曽利貝塚 85号竪穴住居) 観察記録3Dモデル

縄文晩期 熱を受けた磨製石斧2点(千葉市加曽利貝塚 85号竪穴住居) 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2020.06.02
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 41 images

展示の様子

展示の様子 加工グラフィック

動画

2 感想
ア 磨製石斧の被熱について 説明パネルによる思考
企画展説明パネルでは石斧2点と石剣3点の被熱について「住居が使われなくった際に、何らかの祭祀行為が行われた結果かもしれません。」と書いてあります。この記述からは、例えば次のような想定ができるかもしれません。
住居の住人が集落の有力者で磨製石斧や石剣を所持(管理)していた。その集落有力者が亡くなりその住居が取り壊されたので、所持していた磨製石斧や石剣を焼いて埋め、故人の弔いとした。故人とともに貴重な磨製石斧や石剣を一緒にあの世に「送った」ということです。
このように考えると、磨製石斧は故人とともに送るために被熱したのであり、それ自身は本来的に実用具であり祭具ではなかったと考えます。

イ 磨製石斧の被熱について 石剣や磨製石斧がまだ祭具としてアクティブであるとする思考
石剣も磨製石斧も祭具として使われていたと考えます。
祭具の具体的使い方はわかりませんが、炉の回りで炉の火を軸に祭祀が展開され、その際石剣(あるいは磨製石斧)が火の近くに置かれて祭祀が進行したと想定します。したがって祭祀が行われるたびに石剣(あるいは磨製石斧)が徐々に被熱し劣化していったものと想定します。(つまり石剣なり磨製石斧なりが最後にその機能を剥奪されるときの焼き(お焚き上げ)ではなく、祭祀ごとに火の近くに置かれるという状況を想定します。)
このように想定すると、出土した磨製石斧と石剣はまだ祭祀道具として生きている状態であり、出土した状況は祭具の保管であると考えることができます。
磨製石斧が樹木の伐採や木材の加工のための実用具ではなく、対人戦闘武器として意識される状況が晩期に生まれていれば、石剣と磨製石斧が祭具として一緒に使われた状況を考えることが可能になるかもしれません。

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