加曽利貝塚博物館で現在開催されている企画展「特別史跡加曽利貝塚令和元年度発掘調査速報展」で展示されている磨製石斧3点の観察記録3Dモデルを作成しました。3Dモデルを見ながらなぜこのような大きな磨製石斧が3点も同じ場所から出土したのか、出土場所や出土意義について興味が生まれました。
1 縄文後晩期磨製石斧3点(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル
縄文後晩期磨製石斧3点(千葉市加曽利貝塚) 観察記録3Dモデル
黒色土出土
企画展「特別史跡加曽利貝塚令和元年度発掘調査速報展」大型竪穴住居跡の調査コーナー展示
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2020.06.02
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 46 images
展示の様子
展示の様子 加工グラフィック
展示の様子
展示の様子 加工グラフィック
2 感想
ア 黒色土について
次の模式図にあるとおり黒色土は縄文後・晩期の堆積土であると考えられています。
この黒色堆積土から磨製石斧が出土しました。
模式図
展示パネルから引用
イ 磨製石斧の出土場所
磨製石斧の正確な出土場所は展示パネルに表示はありません。しかし令和元年度発掘調査域という極限された範囲から出土しています。その調査範囲には大型住居と85号竪穴住居があり、それらの竪穴住居を覆う黒色土から磨製石斧は出土しています。
次の写真の黒色部分が黒色土であるならば、黒色土が地表面であった頃の微地形は大型竪穴住居の形をなぞるような浅い窪地であった可能性があります。
大型住居の発掘の様子
85号竪穴住居や大型竪穴住居が浅い窪地で存在していて、その場所が以前の竪穴住居・大型竪穴住居であることが意識されていた場所であると想定することができます。
ウ 磨製石斧出土の意義
磨製石斧3点の他に多数の遺物が出土していて、それらの出土意義は基本的に同じで、この場所が晩期集落の野外祭祀の場所であったためであると考えます。
樹木を伐採したり木材を加工するための道具としての磨製石斧が出土したと考えるよりも、野外祭祀で祭具として使われた磨製石斧がその場所にいわば展示され、その場に残存したと考えることの方が合理的であると考えます。
たとえば、動物送りが野外祭祀として行われ、最後に動物を殺して送るときに磨製石斧が使われ、その磨製石斧が動物の頭部とともにイナウに展示されるというような状況を考えることができるかもしれません。
血を吸った磨製石斧を本来の実用道具として使うことはなかったのかもしれません。
(さらに、その思考は発展させたくない種類のものですが、縄文晩期社会自壊の一端として磨製石斧が対人制裁武具として使われた可能性もあり得ると思います。増える罪人の公開処刑でつかった磨製石斧を遺体とともに展示するということも思考から排除できません。)
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