縄文社会消長分析学習 99
有吉北貝塚発掘調査報告書に掲載されている北斜面貝層縦横断図15枚から次の標高を拾い、平面図にプロットして等高線を作成しました。
発掘調査前(表土除去後)地形
貝層基底面高度分布図(貝層形成直前地形)
下総層群上面高度分布
1 発掘調査前(表土除去後)地形
発掘調査前(表土除去後)地形
発掘調査報告書では北斜面貝層は急斜面で危険なため、最初に重機で表土をはぎ、そのあと調査に取り掛かったと書かれています。従って縦横断図の上面は表土除去後の発掘調査前地形を表現していると捉えることができます。等高線をみると、その値に約1mを足すと周辺地形等高線と整合的になります。発掘調査前の地形は周辺地形と異なるような特徴は特段に無かったようです。ただし2本の流路が観察できます。
2 貝層基底面高度分布図(貝層形成直前地形)
貝層基底面高度分布図(貝層形成直前地形)
貝層(混土貝層・混貝土層・純貝層)の基底面高度を測定して平面図にプロットして、それから等高線を作成しました。この等高線は貝層形成前の地形を表現しているといえます。
流路がA~Eの5本観察され、A~Cは遷急点が発達するガリー浸食谷として観察できます。貝層はガリー浸食谷を充填するようなかたちで堆積しています。一方、DとEは緩斜面の浅い谷として観察できます。貝層は緩斜面をシート状に覆うようなかたちで堆積しています。貝層が堆積した時期は今後詳しく調べるますが、予察的な調査ではD、E付近では中峠式頃以降で、A~Cでは加曽利EⅡ式頃以降です。時期の異なる2つの貝層(貝塚)が1つの貝層(貝塚)として認識されている可能性があります。今後詳しく調査します。
3 下総層群上面高度分布
下総層群上面高度分布
下総層群の上面高度分布図を作成しました。地形の成因を検討するためです。A地域は貝層基底面高度分布図で見た通り、ガリー浸食谷の発達域です。一方、B地域は平な底の谷地形が観察されます。左岸急斜面前には崩壊堆積物あるいは崖錐堆積物が観察されます。平な底の谷地形そのものは崩壊地形として捉えることはできないので、台地面が下刻されていく過程で残された化石谷津地形である可能性が濃厚です。下総台地にはこのような化石谷津地形の断片が各所にあります。
A地域のガリー地形は下刻作用が卓越し、B地域の平な底の谷地形は側方浸食作用が卓越していますから、時期の異なる地形であることが判ります。B地域の地形はA地域の地形によって削られていますから、B地域地形が古く、A地域地形が新しいことが判ります。
4 メモ
2と3の検討から、次のような対応のより詳しい証明が今後の学習課題となります。
3のA地域 加曽利EⅡ式頃貝層形成---ガリー浸食地形(下方浸食力卓越)充填
3のB地域 中峠式以降貝層形成---化石谷津地形(側方浸食力卓越)の緩斜面をシート状にカバー
下総層群を削って崖を作った力は、何なんでしょう。
返信削除川の流れでしょうか。
崖を作るほどの水量を得る流域はあるのでしょうか。
それともある時、豪雨があり増水して斜面を侵食したのでしょうか。
十五島さん いつも大変お世話になっています。この地形に興味を持っていただき感謝です。下総層群上面の等高線を作って初めてこの地形の素性が自分なりに浮かび上がり、これからじっくり検討して大いに楽しむつもりです。現時点では下総面(下末吉面)が陸化して浸食されていく更新世のある時期の谷津地形が、ミクロな河川争奪で、偶然その一部が残存したもの、つまり谷津地形の化石だと考えます。その谷津地形の左岸側斜面にはその後崩壊土砂がたまり緩斜面になりそこが貝塚になった。右岸側の斜面は現在谷津で削られたのですが、わずかに残存してかろうじてそれが谷地形であることがわかったと考えています。この化石谷津がいつの時代のものか、それも検討を楽しむことにします。
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