私の散歩論

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2022年1月22日土曜日

千葉市内出土考古資料優品展関連講座「千葉市の名宝(縄文時代)」のzoom聴講

 Zoom attendance of "Chiba City's Famous Treasure (Jomon Period)" related to the exhibition of archaeological materials excavated in Chiba City


Today (2022.01.22), I attended a lecture on "Chiba City's Famous Treasure (Jomon Period)" related to the exhibition of archaeological materials excavated in Chiba City. The lecturer is Masato Nishino [Director, Chiba City Buried Cultural Property Research Center]. I've written a lot of this relic on display in my blog post, but there were many things I didn't understand. However, this lecture answered many questions. This is a very useful course.


千葉市内出土考古資料優品展関連講座「千葉市の名宝(縄文時代)」(講師 西野雅人先生[千葉市埋蔵文化財調査センター所長])を本日(2022.01.22)zoomで聴講しました。ブログ記事に書いた遺物について、知りたいけれども調べられなかった情報も数多く聞くことができました。大変有益な講座を聞くことができました。講師西野雅人先生の千葉縄文に関する広く深い知識と、同時に夢のある遺物見立てに感動しました。以下に、自分の興味に照らして、特に有益と感じた情報をメモします。

なお、この講座は会場の聴衆とzoom参加者が同時に聴講するハイブリッド型講座です。


講座表紙スライド

1 石棒


石棒出土状況スライド


石棒出土状況スライド


石棒展示状況

巨大石棒の出土状況写真を提示する中で、緑泥片岩の石棒が風化して「グズグズ」になって出土し、展示品はそれを薬剤で処理して固めたものであることの説明がありました。長い間地表に露出していたらしいのとのことでした。

また巨大な石棒を埼玉などの山地から千葉まで運ぶ運搬手間は膨大なものであり、縄文交換経済の中でそれを考える必要の大切さが指摘されました。

2 アワビ象嵌耳飾


アワビ象嵌耳飾スライド


アワビ象嵌耳飾展示状況

昭和26年出土資料で詳しい出土状況は伝わってきていないものであるが、アワビが土製耳飾にくっついて出土したと考えられるとのことでした。またアワビ片と言われるものが真にアワビ片であるか再確認する必要があるとのことでした。

3 アワビ


アワビスライド


アワビ出土状況


アワビ展示状況

内面及び外面を丁寧に磨いていることの詳しい説明がありました。また、発掘調査報告書では貝刃と書いてあるが、これは貝刃ではないという説明でした。貝の縁が磨耗していますが、貝刃でないとすると、この磨耗はどうして出来たのでしょうか。この製品の説明で「太陽と交信していたかもしれない」旨の発言がありました。西野先生の頭の中には具体的イメージがあるように感じました。どのような道具だったのでしょうか。疑問がますます深まる製品です。この製品の素性について質問しそびれましたので、メールで千葉市埋蔵文化財調査センターに質問してみることにします。

4 箆状腰飾


箆状腰飾文様の解釈スライド


箆状腰飾展示状況

箆状腰飾がヘビを表象している説明図が提示されました。これまでなぜこれがヘビなのか判らなかったのですが、その理由(縄文土器ヘビ文様との対応)を知ることができました。「そうだったのか」という言葉がzoom画面の前で半分でました。今回講座における自分の最大収穫はこの説明です。

5 イモガイ製腰飾


イモガイ製腰飾説明スライド


イモガイ製腰飾展示状況

イモガイ製腰飾の紐の結び方がよくわかる説明がスライドでありました。

6 弭(ゆはず)形角製品


弭形角製品6面写真


弭形角製品展示状況

犢橋貝塚出土弭形角製品が全国的にみても高度な意匠になっている説明がありました。そして、次の飛鳥時代天皇の歌の紹介や古代弭製品の説明をとおして、興味深い仮説が述べられました。


飛鳥時代天皇の歌


古代弭製品

その仮説---縄文時代弭が弥生・古墳と継続発展し飛鳥・奈良まで連綿と伝わった。そして飛鳥・奈良の弭が一種の楽器であったことから、その楽器始原は縄文弭から備わっていた可能性がある。この弭には孔が開いていて、その孔にモノを差し込んで古代弭と同じように音を出していたのかもしれない。

まことにロマン溢れる弭の意義の見立てです。「弭に開いている孔に弦を通したのか」とチャットで質問したところ、「孔には弦を通していない。弦は製品最上部にかけていたことが使用痕で判っている。」との説明でした。西野先生の頭のなかでは、弭に開いている孔には振動を増幅する何かが挟まっていて、弓で矢を射ると弭の孔から「ビュン」という「唸り音」が聞こえる仕組みになっていると考えているように推察しました。弭は儀式用とかリーダー用とかの特別な弓についていたのかもしれません。そしてこの縄文弭が弥生・古墳・飛鳥と継承発展し、飛鳥時代に弭の音が天皇によって詠まれたのかもしれません。

7 感想

優品展の遺物について昨年末から観察記録3Dモデルを作成してその観察結果をブログに書いてきたので、西野先生の話は大いに参考になりました。また、まだ3Dモデルを作製していない弭について特段に興味のあるお話をきくことができ、弭3Dモデルを早くつくりたくてウズウズしてきています。


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