Attending the lecture "New Perspectives in the Late Jomon Period"
Attended the research lecture "New Perspectives in the Late Jomon Period -Changes from the Middle to the Late-" (October 15, 2022) sponsored by the Kasori Shell Mound Museum. I was able to harvest new interests, knowledge, and perspectives through this course. In addition, various impressions were born, so I took notes in detail.
令和4年度加曽利貝塚博物館特別研究講座3「縄文時代後期の新視点 -中葉から後葉への変化-」(2022.10.15、千葉市生涯学習センター)を聴講しました。新しい興味・知識・視点を収穫できるとともに、各種感想が生まれましたので詳しくメモしました。
1 プログラム
次の4先生からの講演があり、最後に質疑応答がありました。
「気候変動と生活世界の変化」…安斎正人先生(元東北芸術工科大学東北文化研究センター教授)
「下総台地の縄文後期集落-なにがどう変化したか-」…西野雅人先生(千葉市埋蔵文化財調査センター所長)
「縄文後期中葉土器群の変遷からみた地域間関係」…西村広経先生(松戸市立博物館学芸員)
「縄文時代後期の儀礼用容器の様相について」…秋田かな子先生(東海大学文学部准教授)
配布資料
とてもレジュメとはいえない35ページに及ぶ立派な論文集です。
2 「気候変動と生活世界の変化」…安斎正人先生(元東北芸術工科大学東北文化研究センター教授)
講演の様子
縄文時代の土器型式編年と気候変動期
配布資料から引用
講演内容は気候変動と考古学的事象との関連の話です。この話題は以前から興味(疑問)をもっているものです。講演では考古学を総合するような思索と具体的事象(4.9現象、4.3ka、3.4現象など)が一つのセットとなる知識体系として提示され、説明されました。自分は考古学における総合的な概念知識も、具体的事象(例 4.9現象…4900年前の寒冷期?)についても、基礎知識・背景知識を持ち合わせていません。従って、先生のお話は十分に咀嚼・納得できませんでした。
以前から「気候が寒くなったから社会が衰退した」式の論法には根本的な疑問を持っています。今回の講演では、残念ながらそうした疑問の解決糸口を見つけることはできませんでした。
3 「下総台地の縄文後期集落-なにがどう変化したか-」…西野雅人先生(千葉市埋蔵文化財調査センター所長)
講演の様子
動物資源利用の比較
講演内容は中期大型貝塚社会、後期前葉に盛行する大型貝塚社会、後期中葉以降の「大型貝塚+内陸低地」社会の様相を時系列的に、要素項目別に、資源利用特徴的に多岐にわたって詳細に説明したものです。興味を刺激する多数の小話題もちりばめられていました。
自分の学習という観点からいうと、次の話に特段の興味が湧きました。
ア 中期大型貝塚社会は40数か所の大型貝塚集落が画一的計画的につくられた。その斉一性のゆえに環境変化に脆弱で、終焉を迎えた。その記憶が地域に残り、後期大型貝塚社会では属地的差異を活かした違いのある集落が形成された。その結果、環境変化に対応できて一斉崩壊はなく、1000年以上継続したものもある。
イ 資源枯渇の心配のないイボキサゴ漁が一つの塩分利用形態としてでんぷん食発展に貢献した。それゆえに大型貝塚が栄えた。ところが、精製塩の登場によりイボキサゴの価値が相対的に低下した。その様子が手賀沼や印旛沼地域社会の発展と大型貝塚社会の停滞に、あるいはヤマトシジミ漁の発展に見ることができる。
ウ 環状盛土、土偶、石棒、土製耳飾などの盛行は晩期前半に顕著になるが、その端緒は加曽利B式期にある。この変化は「資源は変化しないが、社会の選択が変化したように見える」。寒冷化に結びつくかどうかの判断は、環境の異なる広域での検討が必要である。
4 「縄文後期中葉土器群の変遷からみた地域間関係」…西村広経先生(松戸市立博物館学芸員)
講演の様子
まとめ
講演内容は後期中葉の広域土器編年案、加曽利B式斜線文土器の系譜、異形土器の広域分布であり、関東、東北、北海道を含む地域的スケールの大きな話です。ほぼ分布現象だけにターゲットを絞ったコンテンツでした。
結論として、加曽利B2式併行期に次のような事象が起こり、重要な画期であることが話されました。
・北海道・東北で土器群の斉一化が進んだ。
・関東東部で土器様相が変化した。
・関東東西間で地域差が発現した。
・異形土器の出現と広域分布が起こった。
異形台付土器と釣手/香炉形土器の2種を関連するものとして取り上げていることはとても示唆に富むものであると考えました。
5 「縄文時代後期の儀礼用容器の様相について」…秋田かな子先生(東海大学文学部准教授)
講演の様子
まとめにかえて
講演内容は注口土器の利用・意義を知るための専門研究を一般向けに判りやすく解説したという印象を受けるものでした。相手に判らせようという意欲は好印象でした。文様説明で文様のデザインを指で空中に描く様子を見て、戦前大学ではそのような講義があったとの誰かの話を思い出しました。
注口土器が婚姻にかかわる(人材確保にかかわる)ような広域コミュニケーションで使われ、その価値(利用価値)が高いためにコミュニケーション先で模倣制作されたとの情報はとても興味深いものでした。
なお、とても気になる話題がありました。
注口土器という器種の特質
土偶「仮面の女神」の背後首の付近にある突起が注口土器の特徴と似ているという指摘がありました。この突起が注口土器のどの部分に似ているのか直観できないので、追って調べることにします。「仮面の女神」は3Dモデルを作成し、この突起は仮面・帽子を衣服と一体化するための取付器具であると考えています。2020.03.20記事「国宝土偶「仮面の女神」注記付き3Dモデルと想像的解釈」
6 質疑応答・感想
質疑応答風景
・コロナ対策で参加者を抽選で絞るとの予定でしたが、急遽広い会場で全員が参加できたようです。加曽利貝塚博物館に感謝します。
・安斎正人先生の「気候変動と考古学事象との関連」という話題と、西野・西村・秋田先生の話題が噛み合っていませんでした。案の定、質疑応答もその進行がちぐはぐとなりました。
安斎正人先生の取組は、世界的に既知である(と安斎先生が考える)気候変動現象を考古学的事象に投影して、考古学的事象を解釈しようとしているように見受けられます。一方、西野・西村・秋田先生の取組は考古学的事象から社会の様子や環境の様子を知ろうとしています。同じ考古学といっても、研究のベクトルが全く異なります。研究のベクトルは違うけれども話はどこかで噛み合い・衝突し・共通点もあるという状況になれば良かったと思います。
・中期大型貝塚社会の成功と失敗の様子が記憶として地域に残り、それが後期大型貝塚社会に活かされたという西野先生の話に興味を持ちました。中期から後期にその記憶がどのように伝わったのか、教えてほしいという質問表を提出しました。質疑応答で、西野先生から、言葉により伝わったと考えるという回答をいただきました。縄文中期・後期の貝塚社会で言葉が発達している様子は、イボキサゴやハマグリは採集されるけれどもダンベイキサゴなどは採集されない様子など発掘情報から、採集対象物に関する語彙が豊富であることが窺え、ひいて言葉の発達が押し測られるとのことでした。
文字という記録媒体のない社会ですから、社会盛衰に関わる重要出来事は、話し言葉で子孫に意識的に伝えていったと考えることができます。当時長命な人が40歳くらいであったとすると、成人であった期間は25年くらいです。4世代くらいは話ことばによる情報伝達が極普通であると考えると、100年間くらいは、話ことばで難なく情報伝達します。文字がなく、話ことばだけで重要事項を伝えることが意識された社会ならば、200年とか300年は情報が伝わった可能性は十分にありそうです。そうした想像から、中期大型貝塚社会の斉一性による成功と失敗の教訓は、言葉による伝承により、後期大型貝塚社会に伝わって活かされたと考えることができそうです。
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