私の散歩論

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2023年3月23日木曜日

花島観音

 花見川よもやま話 第14話


Hanashima Kannon


Hanashima Kannon has a founding tradition (709) by Gyoki along with Chibadera. Since Hanashima Kannon is located at the headwaters of the Hanami River, I imagine that the legend of Gyoki has something to do with the maintenance of the transportation route connecting the Hanami River and the Inbanuma area.


花島観音は千葉寺とともに行基による開基伝承(709)があります。花島観音が花見川源流部に位置していることから、行基伝承は花見川と印旛沼方面を結ぶ交通路整備とかかわるのではないかと想像しています。

1 行基による開基伝承がある花島観音


現在の花島観音(天福寺)

花島観音についての詳しい資料を求めて、手持ちの資料をいろいろと見ていると、次の記述があり、驚きました。

「西暦709年(和銅2年)、僧行基千葉寺・天福寺を建立したと伝える。」(千葉市史現代編p515「千葉史年表」)

天福寺とは花島観音のことです。(正確には花島観音の別当寺として天福寺がつくられたと考えられています。現在花島観音は天福寺境内にあります。)

花島観音の寺伝によれば、「和銅2年(709)4月、行基が東国巡錫のとき、当地へ至り、その時観音を刻み、一宇を建立し、これを安置した。これが花島観音の始まりといわれている。」としています。

2 花島観音と交通ネットワーク

この寺伝に気がつき(それが正しいか、後から創作されたものであるかの議論はさておき)、この寺伝の年号と行基が来訪したということと、花島観音と浮島駅の位置関係が私の頭のなかで結びつき、絡み合いました。

行基が東国巡錫(じゅんしゃく)したとき、東国には次図で示した幅員12mの直線幹線道路網(駅路網)が整備されていました。


持統3年(689)から神護景雲2年(768)までの道路体系

出典:中村太一著「日本古代国家と計画道路」(吉川弘文館、平成8年)

引用者が道路を赤色で着色

この幹線道路網を補助する陸路支線網(伝馬路、伝路)、水運路が整備あるいは存在していたはずです。行基はその交通ネットワークを利用して花島観音の始まりとなった場所に来たはずです。

行基が、いわばたまたま花島の地を訪れたということは、花島の地がその時すでに、交通ネットワークの中に組み込まれていたということを証明しているのではないでしょうか。

何もない、行き止まりの花島の地に、たまたま行基が来訪したということは考えにくいことです。

花島を巡る8世紀初頭の交通ネットワークは次図のAではなく、Bであったと思います


8世紀初頭の花島を巡る交通ネットワークモデルA


8世紀初頭の花島を巡る交通ネットワークモデルB

花島観音と同じ西暦709年に、行基は千葉寺をも開基しているのです。

千葉寺は河曲駅のすぐ近くにあります。

私は、浮島駅と花島観音の関係に行基が介在したことに注目したのですが、同じように、河曲駅と千葉寺の関係に行基が介在したことになり、情報が相似的に対応するので大いに興味が湧きます。


千葉寺の位置

花島観音と千葉寺に関する情報の相似性

●行基開基伝承…花島観音(和銅2年(709))、千葉寺(和銅2年(709))

●東海道最寄り駅…花島観音(浮島駅)、千葉寺(河曲駅)

●交通ネットワークにおける要衝性…花島観音(東京湾-花見川-平戸川-印旛沼(香取の海))、千葉寺(東京湾-都川-鹿島川-印旛沼(香取の海))

空想の域を出ませんが、花島観音の行基開基伝承は、花島観音の位置が自然河川としての花見川源流域に存在していることから、花見川-流域界陸路越え-平戸川という交通路の土木的整備促進を土木救済者行基に託したという側面があると考えます。

3 秘仏 木造十一面観音立像

花島観音の秘仏(木造十一面観音立像)は胎内に墨書で、建長8年(1256)に仏師賢光が制作したと記されています。花島観音が置かれている天福寺は天福元年寺とも呼ばれます。天福元年は西暦1233年です。これらの情報から現在の花島観音は13世紀初めごろ開かれたことがわかります。ちなみにこのころは行基信仰の盛んな時代ですから、その当時開かれた花島観音の母体となる土着信仰対象が行基開基伝承とともに語られることは当然です。


参考 花島観音の秘仏

出典:「天福寺再興落慶供養記念 天福寺本尊十一面観音像」(昭和48年、天福寺)附録写真


参考 花島観音の秘仏

出典:「天福寺再興落慶供養記念 天福寺本尊十一面観音像」(昭和48年、天福寺)附録写真

4 花島観音入口と石塔

御成街道と検見川道が交差している花島観音入口に江戸時代中頃から明治時代にかけての観音信仰の名残ともいえる石塔が存在しています。


石塔


石塔説明板

この石塔は明治前期フランス式地図の挿図としても描かれています。


花島 世観世音(明治前期フランス式地図挿図)


石塔の場所

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