谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 15
Symbolism of circular settlements
Study 15 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi
I studied the page on circular settlements and ancestral worship in “DOGU & SEKIBOU” by Yasuhiro Taniguchi. It clearly explains the appearance (space) and significance of a kinship society in which a collective grave is built in the center of the settlement and the spirits of ancestors are the subject of worship.
谷口康浩著「土偶と石棒」の環状集落と祖先祭祀に関するページを学習しました。集落中心に集団墓を造営して、祖先の神霊を祭祀の対象にする親族社会の姿(空間)とその意義がわかりやすく説明されています。
第1章 縄文時代の儀礼と社会
2 環状集落にみる空間シンボリズム
(1)祖先祭祀の始まり
【抜粋・要約】
・東日本前期・中期に環状集落が発達して、中央広場に集団墓を造営したものが少なくない。
・中期には集団墓が数百年にわたって継続され、200~300基累積したものもある。
・集落の中心に集団墓を取り込んだ村は縄文時代以後の村の歴史には無い。縄文時代集落の際立った特徴となっている。
・集落内墓には副葬行為が広がり、丁寧なつくりの土器や石匙・玉類などが副葬品として遺骸に添えられるようになる。
・墓域の周囲では集団的儀礼が行われたことを示す集石群や環状廃棄帯が出現する。
・集落内墓のあり方からは、死者たちとの関係を死後も維持しようとしている様子が読みとれる。
・集落内墓は死者たちを社会的に記憶するための空間であり、祖霊として大切に祀る場であったと考えられる。
・祖先祭祀は親族秩序を聖化し公認する働きがある。
・集落内墓造営、祖先神霊祭祀は出自・系譜観念の発達が前提と考えられる。
・家族やムラを越えた親族社会、とりわけ同族意識をもった部族の組織化と維持に大きな意味をもったと考えられる。
・集団墓の造営は人口密度が徐々に増大する社会状況の中で、新たな社会秩序の形成と維持に有効に機能するものであったと理解できる。
【感想】
・集落の中央広場に集団墓を設け、死者と日常的の交流しながら生活する縄文人の心情を理解できるようにならなければ、縄文儀礼の学習はうすっぺたなものになると直観します。死者と交流しながら日常生活を送る心情の理解を進めるにはどうしたらよいか、そこから考えていくことにします。
【山形県西海渕遺跡の寄道学習】
集団墓を中心とした環状集落の空間構成(山形県西海渕遺跡)谷口康浩著「土偶と石棒」から引用
この図書掲載図面の凡例と図面の関係がよくわからなかったので、全国遺跡総覧から発掘調査報告書をダウンロードして、集団墓を確認しました。
集団墓 西海渕遺跡第1次発掘調査報告書から引用
集団墓 西海渕遺跡第1次発掘調査報告書から引用
「墓壙は中央広場の外側、内径15~17m、外径30~35mの範囲に約150期がほぼ環状に集中する。それらの分布密度から5~7の支群に分割されそうである。各支群内では墓壙同士の重複が著しい。…遺物の出土は稀であったが、SM426から手形土製品が出土している。」
手形土製品 西海渕遺跡第1次発掘調査報告書から引用
・墓壙が5~7の支群に分かれるということは5~7の家系がこの集落で暮らしていたからだと考えます。
・手形土製品は副葬品で、手形を残して死んだ子どもの母親の遺骸に添えられたのかもしれません。
【有吉北貝塚の集団墓について】
・有吉北貝塚発掘調査報告書では土坑分布図はありますが、その意義についての記述は希薄です。土坑分布図について、集団墓という観点から学習しなおしたいという気持が強まりました。
・有吉北貝塚では台地平面上の集落に人骨出土土坑や廃屋墓が存在します。一方、北斜面貝層から人骨が多量に出土します。台地面で埋葬された縄文人と北斜面貝層に埋葬された(結果として散乱人骨になった)縄文人はどのような違いによるものなのでしょうか?出自が異なるのでしょうか?学習を深めることにします。
有吉北貝塚の土坑分布
有吉北貝塚の土坑分布
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