大膳野南貝塚前期後葉集落の竪穴住居に関して発掘調査報告書では4つのグループについてその位置近接性からその関連性を指摘し、「これらの住居には時期的な前後関係があるものと推定される。」と記述しています。
2017.04.18記事「複数竪穴住居の関連性検討」参照
この記事ではそのうちのBグループ(J56、J58、J60、J121)について検討します。
J56、J58、J60、J121の位置関係
1 出土物による検討
次の2つの表に示すとおり、J56は浮島式土器優勢、J58・J60は諸磯土器優勢であり、いくら距離が近くてもJ56とJ58・J60を同じグループとして見ることは困難であると感じます。
なおJ121は出土物がありませんから出土物からの判断はできません。
大膳野南貝塚 前期後葉集落 獣骨出土量
大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居
2 竪穴住居柱穴分析による検討
次に竪穴住居の柱穴を分析するとJ56とJ121が同じグループに、J58とJ60が同じグループに分けることができましたので記述します。
2-1 J56とJ121
J56とJ121の発掘調査報告書による柱穴分類を示します
J56柱穴分類
J121柱穴分類
この分類結果のうち説明の無い柱穴および着目されているがその意味が不明の柱穴の分布を書き込んでみました。
J56 説明のない柱穴、意味が不明の柱穴の分布
現在の私の知識感覚ではAは竪穴住居にもともと常備されていた祭壇、BとCは竪穴住居廃絶時の送り祭祀の祭壇であると空想します。
ABCと住居平面との関係を模式的に表現すると次のようになります
J56号住居祉 建物構造と関係しない柱穴の配列模様
J121についても説明の無い柱穴分布を書き込んでみました。
J121 説明のない柱穴の分布
J56と同じようにABCが現れ、その意味をJ56と同じように空想することができます。
ABCと住居平面との関係を模式的に表現すると次のようになります
J121号住居祉 建物構造と関係しない柱穴の配列模様
J56とJ121は建物構造と関係しない柱穴つまり祭壇柱穴の配列が全く同じであるということが判明しました。
J56とJ121は単に近接しているだけなく、同じ祭壇を設けて祭祀を挙行する同じ血族集団の竪穴住居であると結論付けることができます。
2-2 J58とJ60
J58とJ60の発掘調査報告書による柱穴分類を示します
J58柱穴分類
J60柱穴分類
J58について、この分類結果のうち説明の無い柱穴および着目されているがその意味が不明の柱穴の分布を書き込んでみました。
J58 説明のない柱穴の分布
柱穴1が1つ、柱穴2つのセットが3つ、柱穴3つのセットが8つ存在していて、各所にシンメトリーが観察できます。
この観察結果を模式的に表現すると次のようになります。
J58号住居祉の「建物構造と関係しない柱穴」のシンメトリー
Iは住居外郭線が歪んでいるので仕方なくシンメトリーの確保が出来なかったのだと推察します。またKも住居中央の使い方の都合で位置が少しずれています。それ以外はシンメトリーが強く意識されています。
これらの柱穴セットのシンメトリーを意識した配列の全体が竪穴住居廃絶時の祭壇を構成していたと考えます。
J56、J121の祭壇のつくりとまったく異なります。
J60の説明の無い柱穴(=建物構造と関係しない柱穴=祭壇用柱穴)を次に示します。
J60の説明の無い柱穴分布
主柱に囲まれる範囲内に集中しています。特段のパターンは観察できません。
J58とJ60の祭壇用柱穴の配置パターンは異なりますが、柱を線状に並べるというアイヌの祭壇に見られるようなパターンではないという点では一致します。
以上柱穴分布パターンからJ56・J121とJ58・J60は竪穴住居として関連性が無いと判断できます。
3 結論
柱穴分布パターンと優勢土器の情報と合わせるとJ56・J121とJ58・J60は全く別のグループであると結論づけることができます。
近接している意味は、その場所が台地中央の1等地であるので、時間的に重ならないでJ56・J121とJ58・J60が前後して存在したということかもしれません。
その場合は優勢土器形式の間に明確な社会的優劣が観察できるので、J58・J60(諸磯式、劣位)が前、J56・J121(浮島式、優位)が後と想像します。
その場所に最初いた諸磯式を後から浮島式が奪ったのだと思います。
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