縄文社会の消長と気候変化の対応について適切な資料がどうしても見つからないので、苦肉の策として生データをいじってみました。
2020.07.03記事「4.3kaイベントの予察検討」
そうしたところ学習の糸口が見つかるかもしれないかすかな光が見えましたので、それをメモします。
1 気候変化と加曽利E式期社会消長の対応
気温変化と加曽利E式期社会消長の対応
気温変化と縄文時期別対応
2枚の時間変化図を上下に配置しています。
上の図は京葉地域の土器編年別遺跡数・竪穴住居数グラフです。「千葉県の歴史」からの引用です。
この図が千葉県では(あるいは全国的視野でみても)最も詳しい土器編年別社会消長資料だと理解しています。
この図から加曽利EⅡ式期が人口急増期であり、その後EⅢ→EⅣ→称名寺式(EⅤ)と人口急減している様子がわかります。関東地方ではこのような顕著な社会消長がみられます。
下の図はグリーンランド氷床コアデータから読み取られた平均気温変化図です。英語版Wikipedia(4.2 kiloyear event)からの引用です。
この図に加曽利E式土器形式別暦年較正年代平均値を記入してみました。(※)
加曽利E2が気温上昇期に該当し、加曽利E3、加曽利E4~Ⅴが気温下降期に該当します。
上下の図を対応させてみると、人口急増期である加曽利EⅡ式期が気温上昇期、人口急減期である加曽利EⅢ・EⅣ・EⅤ(称名寺式)が気温下降期であるように観察できます。
縄文社会消長と気候変化が対応している可能性がデータから浮かび上がりました。
自分としては画期的な情報を得ることができたと考えます。
※
平均値とは、データベースれきはく(国立歴史民俗博物館)の遺跡発掘調査報告書放射性炭素年代測定データベースから加曽利E土器付着物をAMS法で測定したレコード53件をピックアップし、時期別に集計し年代をオックスフォード大学公開較正プログラム(OxCal)で暦年較正年代に直したものの平均値です。
加曽利E式土器の暦年較正年代
このデータにはいくつかの根本的問題が内蔵されています。あくまでも加曽利E式土器の時代観をイメージするためのテストデータです。
2 気温変化と縄文時期別対応
縄文時期別に気温変化を見ると、気温は変動しますが、4.3kaイベントといわれる4300年前からはじまった冷涼期といわれるものはありません。また後晩期に気温が冷涼化したということもありません。むしろ後期・晩期は気温が上昇している時期に該当します。
なお、人口急減期である加曽利E3・E4・EⅤ期頃の気温は中近世の小氷期といわれるころの気温とほぼ同じです。
3 考察
グリーンランド氷床コアから得られる気温変化データは汎世界的意味を持つと考えられますが、それがそのまま日本列島に正確に当てはまるとは限りません。水月湖年縞データなどから得られる日本列島オリジナルの気温変化データがあれば、それで検討すべきであることは論を待ちません。
「気温低下により食糧不足になり後晩期の縄文人口が減った」という専門家もしゃべる縄文社会解説は間違いであると確信できました。
土器編年別歴年較正年代データをより広範囲に収集すれば、縄文社会消長と気候変動との関係事情がより詳しくわかりそうです。
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