私の散歩論

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2020年7月25日土曜日

交易用特産品が必須であることに気が付く

縄文社会消長分析学習 41

1 交易用特産品が必須であることに気が付く
2020.07.24記事「有孔円板形土製品の感想」で、縄文晩期前浦式土器集団が有孔円板形土製品を組み込んだ技術装置により高品質麻ロープ製品をつくり、交易用特産品とし、その交易により祭祀用石器など房総では得られない製品を入手している様子を想像しました。

漁網用高品質麻ロープ製品作成原理と装置
宮原俊一著「重たい紡錘車-縄文晩期の有孔円板形土製品について-」(「日々の考古学3」(東海大学文学部考古学研究室編)から引用

この想像で次のような重要な事柄に気が付きました。

下総台地ではその近隣を含めて翡翠・黒曜石はもとより、石棒など祭祀用石材やその製品を入手することはできません。奥東京湾筋や古鬼怒湾筋にでかけても凹石・磨石用礫を拾うことはできません。
これらの石材や石製品はすべて交易によって入手しなければなりません。
従って交易用の特産品を用意しなければなりません。

下総台地では(というか全国全てで)、自分の食糧確保活動の他に、必ず特産品生産活動をしなければ生活が成り立たないということです。

中期以降特に後晩期は祭祀活動が活発になり、装身具も華美になります。それらいわば贅沢品を入手するための特産品増産は焦眉の課題になっていたはずです。新たな特産品開発も活発化していたと考えます。

今さらですが、すべての縄文人が自分の食糧確保以外に、何らかの魅力あふれる特産品を必ず用意しなければならず、それがなければ社会を渡っていけないことに気が付きました。
(同時に、今さらそれがわかる自分も学習面では相当な奥手で、奥ゆかし人物であることにも気が付きました。)

2 交易用特産品の特定という視点から集落を観察する
土偶急増が指標するように中期以降、特に後晩期は祭祀活動が活発化します。それに伴い祭祀用石器製品、石製装身具、希少貝製装身具など地場では得られない製品の需要が急増します。房総では、それらの製品は交易ルートを通じて入手したのですが、そのためには必ず多量の特産品を提供する必要があります。
検討対象の集落・貝塚は何を特産品として提供したかという視点で集落・貝塚を観察することが大切であると考えます。
東京都中里貝塚では牡蠣養殖による干貝を特産品にしていたといわれています。
千葉県加曽利貝塚はイボキサゴ加工による固形調味料でしょうか?

イボキサゴ
加曽利貝塚博物館展示

時代は違いますが、千葉市神門遺跡(ハマ貝塚、前期)の学習をしたときイルカ解体跡と集石跡があり、「石焼鯨」が作られていたのではないかと考えたことがあります。イルカの保存用干し肉なども内陸で喜ばれる有力な特産品になりうるものです。

交易用特産品は何であったかという視点で縄文集落を考察することがとても重要であることに気が付きました。特産品は必ずあるのですから、学習は深まります。

3 特産品生産による社会の虚弱化
ア 超単純化した特産品生産目的(学習仮説)
・草創期~前期…特産品生産は生活必需品を入手するためだった。(房総でいえば狩猟用黒曜石とか日常必須である凹石・磨石等)
・中期~晩期…特産品生産は生活必需品のみならず祭祀具・装身具を入手するためで、祭祀具・装身具入手の割合が肥大化した。(石棒、翡翠大珠、オオツタノハ貝輪・・・)

イ 特産品生産による社会の虚弱化
特産品生産により、その反対給付として祭祀具や装身具を入手し、当然ながらその祭祀具や装身具を使った祭祀活動時間が増大する社会が縄文中期以降、特に縄文後晩期社会です。
その社会構造は房総のみならず、全国共通であると考えます。
そのような社会とは単純に言えば、自分のための食料確保時間を切り詰めている社会です。食糧確保に関する余裕が少なくなったリスクのある社会です。危機に対して虚弱な社会です。
縄文社会は中期以降、特に後晩期にそのような選択を自ら主体的に行ったということです。
人口のピークが加曽利E→加曽利B→安行とだんだん低くなっているのは社会の食糧確保能力が弱まっていることを表現しているのだと思います。同時にその背景に文化活動(祭祀活動)がますます活発化している状況があると思います。「農業はしません。でも農業社会の文化活動だけは取り入れます。」という都合の良い選択で、縄文人は最後に衰滅してしまいました。
縄文社会衰退の真の理由は社会の下部構造と上部構造のアンバランスです。ちまたでいわれる気温低下が作用したことがあるとすれば、それは短周期消長についてであり、長周期・大局的には無関係です。縄文後晩期の平均気温は現在よりも1度以上高いです。

縄文社会の選択
2020.07.07記事「縄文社会の選択」参照


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