私の散歩論

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2021年11月17日水曜日

上伊那の中期縄文人は音楽と歌が好き

Middle Jomon people in Kamiina like music and songs

Three types of musical instruments (drums, bells, and flutes) have been excavated from the ruins in the middle of the middle of Jomon in Minowa-cho, Kamiina-gun, Nagano Prefecture (drums are hypothetical). In addition, the face of earthenware and clay figurines are sung happily with their mouths open. I imagined that there was a society that loved music and songs far more than modern people think.

1 箕輪町から縄文中期の楽器3種が出土

長野県上伊那郡箕輪町郷土博物館展示の抽象絵画文有孔鍔付土器(箕輪町上の林遺跡)[縄文時代中期中葉]が太鼓らしいと考えるようになりました。


抽象絵画文有孔鍔付土器(箕輪町上の林遺跡)

2021.11.16記事「抽象絵画文有孔鍔付土器(箕輪町上の林遺跡)の3Dモデル観察

この土器が太鼓ならば箕輪町の縄文中期遺跡から土製太鼓、土鈴、土笛という3つの楽器が出土していることになります。


土偶型土鈴(箕輪町中山遺跡)[縄文時代中期中葉]

2021.11.16記事「土偶型土鈴(箕輪町中山遺跡)の3Dモデル観察


土笛(箕輪町御射山遺跡)[縄文時代中期]

201.11.12記事「完形で出土した縄文中期土笛の観察

生活の中で行われる祭祀でこれらの太鼓、笛、鈴の音が響いていて、現代人が考える縄文人生活イメージよりはるかに豊かな音楽環境が存在していたように想像します。

そして、抽象絵画文有孔鍔付土器(箕輪町上の林遺跡)文様の生き物(カミ?)は両手両足を広げて踊っているようにみえます。また土偶型土鈴(箕輪町中山遺跡)の顔面の口は大きく丸く開かれ、大きな声で歌を歌っている様子の表現であることは確実です。

これら3つの楽器の存在とそこに描かれた踊りや歌唱からだけからでも上伊那郡箕輪町の中期縄文人は音楽と歌が好きだったことが伝わってきます。

2 歌う土偶

さらに、縄文中期土偶(箕輪町丸山遺跡)[箕輪町郷土博物館展示]も大きな口を開けて歌唱しています。


縄文中期土偶(箕輪町丸山遺跡)[縄文時代中期、箕輪町郷土博物館展示]

3 歌う顔面把手付土器の顔面

さらにさらに顔面把手付深鉢形土器(箕輪町丸山遺跡)の顔面も口を大きく開けていきいきと歌唱しています。


顔面把手付深鉢形土器(箕輪町丸山遺跡)[縄文時代中期中葉]3Dモデル画像

4 伊那市の歌う顔面把手付大深鉢の顔面

伊那市創造館展示の顔面把手付大深鉢の顔面も口を丸く開けていきいきと歌唱しています。


顔面把手付大深鉢(伊那市月見松遺跡)[縄文時代中期中葉]3Dモデル画像

5 伊那市の歌う顔面付釣手形土器の顔面

伊那市創造館展示の顔面付釣手形土器の顔面も口を丸く開けて歌唱しています。


顔面付釣手形土器(伊那市富県御殿場遺跡)[縄文時代中期中葉]の顔面 3Dモデル画像

6 感想

箕輪町から縄文時代中期中葉頃の楽器3種が出土し、土偶や土器の文様で踊りや歌唱を表現するものが多く、近隣伊那市の縄文時代中期土器の顔面でも歌唱しているものが見られます。これらの遺物から上伊那地方の縄文時代中期中葉社会では祭祀に際して音楽が盛んに用いられ、演舞と歌唱がいつも伴っていたと考えることができます。

歌うことを抜きにして土器土偶顔面を考察することは出来ないと考えるようになりました。

このような音楽と歌が好きな縄文社会が上伊那地方社会独自の特性であるのか、中部高地社会の特性であるのか、日本縄文中期社会全体の特性であるのか、知りたくなります。


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