谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 20
The Middle Agricultural Theory and Clay Figurines
Study 20 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi
I learned about the relationship between the Middle Agricultural Theory and the interpretation of clay figurines, as described in “DOGU & SEKIBOU” by Yasuhiro Taniguchi. I am pleased that the destruction of clay figurines based on the Hainuwere myth, which I have hypothesized, is being reexamined due to the results of field research and archaeobotanical studies.
谷口康浩著「土偶と石棒」で記述されている中期農耕説と土偶解釈との関係ついて学習しました。自分が仮説してきたハイヌヴェレ神話にもとづく土偶破壊活動が、領域研究や植物考古学成果により再び検討俎上に上がりつつあることは喜ばしいことです。
第1章 縄文時代の儀礼と社会
3 土偶と石棒-異質なシンボルと儀礼-
(2)中期農耕説と土偶
【要約・抜粋】
・中期になると土偶の造形は急に具体的な容姿をもち始め、東日本各地で個性的な土偶型式が生み出される。
・具体的で明確な神観念が各地域で確立し、神霊への信仰が体系化された可能性が高い。
・中期土偶伝統の一つに「勝坂系土偶伝統」がある。
・勝坂系土偶の用途について土偶を破壊して破片を撒く、あるいは配布する行為が土偶祭祀の中心であるとする解釈(水野1974・1979)が出され、磯前順一も「死」が生の更新・再生としての意味を持つことを指摘して、故意破壊行為の解釈を補強した(磯前1987)。
「藤森栄一や吉田敦彦は、こうした土偶の破壊行為が、死体化生型作物発生神話に類似する点を指摘する(藤森1968、吉田1986)。死体化生型作物発生神話とは、AD.イェンゼンが「ハイヌヴェレ型」として類型化したものである。イェンゼンは、殺された女神の死体から作物が発生したとする神話要素が世界各地に分布することに注目し、主として根菜・果樹栽培をおこなう初期農耕民の原初的な神観念「デマ神」として類型化した(イェンゼン1977)。デマ神とは、神話的原古における偉大な存在であり、その社会にとって重要なすべてのものをもたらし、世界の秩序を基礎づけたと信じられている。藤森と吉田は、土偶の意図的破壊を女神殺しの神話と結びつけて、その意味を解釈したのである。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)
・土偶の意図的破壊を前提としたこの学説には批判が多い。
「しかし、中期の社会背景の中で考えると、再評価に値する重要な問題提起を含んでいたのは確かである。
周知のとおり、勝坂系土偶伝統を保持した地域では集落の増大ぶりが著しく、拠点的な環状集落が多数出現した。集落の分布密度も高まり、内陸の台地・丘陵に広く展開して均等分布の傾向を強める。こうした地域的動向は生業形態や領域構造の大きな変化を表すものである。狭く密集した領域構造の出現は、集落周辺でおこなう生産の重要性を強く示唆しており、クリ・イモ類などの栽培が集落の周辺でおこなわれていた可能性が高い(谷口2003)。
信仰と儀礼の体系は、集団存続の基盤となる主要な生業とも密接に結びついていたはずである。中期農耕論の中で土偶の性格を考えようとした藤森らの仮説は、集落や領域構造の変化という生態的な見地からみても蓋然性があり、再検討に値する。儀礼行為の観点から土偶の取り扱いやこわれ方を再検討する必要がある。この問題については、近年の植物考古学的な研究成果も踏まえて、第7章であらためて考察することにしたい。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)
勝坂系土偶とこわされた破片 谷口康浩著「土偶と石棒」から引用
【感想】
・自分は、中期土偶の意義は吉田敦彦が指摘した死体化生型作物発生神話を参考にすると理解しやすい考えてきました。
・この死体化生型作物発生神話による中期土偶解釈が、近年の領域研究発展や植物考古学的成果で見直される気運が高まっていることは、これまでの自分の学習が生きることになり、喜ばしいことです。
・古田敦彦の指摘は、死体化生型作物発生神話のみならず、関連する神話でもとても参考になると考えます。
2019.03.24記事「顔面付釣手形土器と吉田敦彦「縄文の神話」」
・[余談]作物の栽培が中期の中部山地で行われ、それに対応して汎世界的に分布する神話の分派が存在していたと考えるならば、結局は日本海を通じて富山・新潟あたりに大陸から作物栽培技術と神話が伝来したのだと考えることになります。
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