私の散歩論

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2024年10月23日水曜日

千葉市人形塚古墳 斜め空中写真の判読

 Interpretation of oblique aerial photographs of Ningyozuka Tomb in Chiba City


A careful observation of an oblique aerial photograph of Ningyozuka Tomb in Chiba City with the topsoil stripped away. It has been newly discovered that the leveled embankment surface with the land division lines was constructed in the shape of the outer burial mound. It has also been discovered that water was poured into the outer perimeter ditch for an elaborate design.


千葉市人形塚古墳の表土をはぎとった姿の斜め空中写真をじっくり観察。地割線を描いた整地盛土面は、古墳外形で造成されていたことが新たに判明。外周溝に水を流して趣向を凝らしていたことも判明。

1 千葉市人形塚古墳 斜め空中写真の判読

発掘調査報告書掲載斜め空中写真をスキャンして、パソコンで印刷用網掛のドットしか見えないまでに大伸ばしして、観察しました。時間をかけて何度も観察するうちに、いろいろなことがわかりました。

1-1 旧地表面の抽出と地割線描画用整地の範囲


旧地表面の抽出結果

ベース写真は発掘調査報告書から引用

古墳外形を縁取るように旧地表面が観察できます。この情報はかなり重要な情報です。つまり、地割面を描いた整地盛土面は旧地表面に古墳外形の形状で造成されたことがわかります。


地割線を描くために整地造成した範囲(イメージ)

ベース写真は発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書と沼澤豊氏論文では、整地面に地割線を描き、後円部では外円を描き、その地割線外円を使って周溝を掘削した。従って地割線外円は残らなかったと同じことを述べています。斜め空中写真判読から、この想定は間違いであり、描かれた地割線外円は出土した部分だけであったことが判明しました。旧地表面を整地する前に、既に古墳外形は旧地表面に実物大で描かれていて、整地自体が古墳造成盛土の第一段階であったのです。

1-2 外周溝の堰跡など


斜め空中写真の判読

ベース写真は発掘調査報告書から引用

ア 外周溝

左外周溝には南から水を導く水路、左外周溝と後円部側外周溝を結ぶ水路が見つかりました。さらに、右外周溝先端に位置する部分に四角の区画と2つの杭跡が見つかり堰跡と観察できます。その堰跡から右斜面に水路が観察できます。これらの様子から外周溝の一部には水を流し、貯める風景的演出の存在を想定できます。「1-1地割線を描くために整地造成した範囲(イメージ)」に書き込んだように、左外周溝と左内周溝をまたぐように2重の白線が観察でき、橋のように感じてしまいます。外周溝には橋の橋脚のように2つの杭跡もあります。この2重線が発掘時の重機搬入跡などではなく、古墳時代所産ならば、台地の道を通ってきた人々が古墳内部に入る橋である可能性があります。外周溝には水が流れ、そこに橋があり、橋を渡った所には広場的空間があるという趣向を凝らした風景が広がっていたことを想像できます。

なお、内周溝は排水路を設けていて、空堀だったようです。(内周溝に石棺があるので、水を貯めることはあり得なかったと考えます。)

内周溝排水路には両側に杭が複数本ありますが、これは内周溝に蓋をしていた、つまり橋をかけていた可能性があります。中堤における参拝者等の通行路機能が意識されていたようです。

[竪穴住居について]

竪穴住居跡(古墳前方部左端近く)は発掘調査報告書では古墳築造時には撤去されていた旨書いてあります。そうではなく、古墳築造後に竪穴住居があり、その場所が古墳の管理や祭祀儀礼参加者のたまり場・休憩施設として機能していたことを想像します。竪穴住居は古墳の付帯施設であると考えます。

イ 古墳軸線設定土柱

古墳軸線を正確に設定している土柱と盛土線が写真に写っています。発掘時に調査員の方が参考として残したものであるのか、古墳時代の所産であるか判断できません。もし古墳時代所産の何か(石などがあったので土柱として残ったものなど)であれば、古墳築造の最初段階作業の実物証拠であり、きわめて重要な情報です。

ウ 古墳の小段跡

古墳第2段階盛土に小段跡が観察できます。古墳第2段階(最後の墳丘造成段階)といわれるものが実はそれが2つの段階に細分できるという仮説の証拠になりそうです。

エ 古墳時代の円墳撤去跡

画面左下の旧地表面に同心円状の模様が見えます。古墳時代に円墳を撤去した跡のようです。この円墳を撤去して、その土を人形塚古墳造成に使った(最初の整地盛土に使った)可能性を想像したくなります。さらに、人形塚古墳を祀る一族が、一族の円墳を閉まって、人形塚古墳としてリニューアルしたという空想も面白いとおもいます。人形塚古墳の埋葬施設は3つありますが、メイン(横穴式石室)ではない、2つ(石棺、木棺)のどれかが、撤去円墳に対応するのかもしれません。

人形塚古墳の北には別に撤去された円墳があるようです。その撤去円墳も人形塚古墳の石棺か木棺に対応しているのかもしれません。

人形塚古墳に埋葬施設が3つある理由は、人形塚古墳築造プロジェクトの中に、一族墓群統合が含まれていたためであると考えられます。

2 感想

人形塚古墳等高線図では決して判らない重大情報が、斜め空中写真判読で続々と判明しました。垂直空中写真よりも多くの情報を得ることできました。等高線図がとても抽象度の高いものであることを実感しました。


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