「花見川流域資料7 現在の自然環境と風景」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。
●散歩の最中に次のような動物を観察しています。
ノウサギ、ハクビシン、オオタカ、キジ、ヤマドリ、コジュケイ、ホトトギス、カワセミ、各種カモ類、シギ・チドリ類、サギやカワウ、各種林間の小鳥、カメ、ヘビ、モグラやネズミ、コイ、ドジョウ…
●これらの観察地点をGISにプロットしてみると、花見川堀割の樹林と周辺の農地・ゴルフ場を軸にしてそこに濃く、そこから連続するように支流に向かって分布が続きます。
たとえば、カワセミの営巣場所と採餌場所を詳しく観察すると、花見川本川筋を根拠地とするとともに、勝田川、高津川をさかのぼって採餌場所として利用しています。コンクリート三面張りの高津川でカワセミを見かけたときはその意外さに驚きました。勝田川のさらに支川の横戸川の柵渠の下をカワセミが飛翔しています。
●このような観察に基づいて、花見川流域の自然環境重要度の評価私案を作りました。この私案では花見川本線筋(堀割部分)の重要性が最も表現したいところですが、同時に習志野演習場の自然と花見川本線筋を高津川を使って結ぶことの大切さも問題提起しています。世の中に、習志野演習場の自然と花見川の自然を結び付けようとす発想は、(花見川流域という実在をだれも意識していないので)これまでないと思います。
花見川流域の自然環境重要度
2011.09.04記事「自然環境上の重要ゾーン」収録
●散歩で楽しんだ花見川流域の風景を「私選花見川八景」として選定してまとめてみまた。これだけでは花見川流域の風景のよさを伝えきれないので、「私選花見川支川八景」、「私選花見川谷津頭八景」「私選花見川台地八景」「私選花見川流域園地八景」を選定し、遊んでみました。
●こうした遊びを通じて、花見川流域の風景特性に基づく流域区分をイメージしてみました。
風景上の流域区分イメージ
2011.08.28記事「風景上の流域区分イメージ」収録
●散歩による自然や風景のこのような観察は、流域の自然を保全しそれを活かした地域づくりのための貴重な基礎資料になると考えます。
私の散歩論
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ページ
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2013年1月30日水曜日
2013年1月29日火曜日
戦後印旛沼開発と地域開発を振り返る
「花見川流域資料6 戦後印旛沼開発と地域開発」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。
●戦後印旛沼開発で流域変更が行われ、印旛沼水系である勝田川流域と高津川流域が東京湾水系の花見川流域に編入されました。この流域変更があったという事実を知っている人は一般住民ではまずいません。この流域変更の理由について詳しく知りたいと思っています。
●その理由はさておき、現実に流域変更があって、3つの河川流域が一つに統合されたのですが、流域の地域づくりという観点からみると、バラバラであり、木に竹を接いだような状況も見受けられます。
ただ水の流れを繋いだだけという感じを否めません。
たとえば、花見川も勝田川も緑地としての存在意義が大きく、それぞれ地域にとって散歩空間としての価値は高いものがあります。しかし、花見川の緑地と勝田川の緑地は別々の空間として扱われており、公園緑地部局によって一体的に扱われるということはありません。従って、花見川本川筋と勝田川の谷津を結ぶ散歩道(歩道)はありません。千葉市と八千代市の市境であるということを考慮しても、少しお粗末な対応です。
花見川流域を意識して地域づくりを進めれば、今より自然環境のよさを取り込んだ居住環境をつくることができると思います。
●「印旛放水路(下流部)」という河川法上の名称が、流域を意識した地域づくりを妨げています。「印旛放水路(下流部)」という名称を使ったとたん、その「放水路」の流域の環境を考えるという発想は確実に欠落します。というか、流域という概念を拒否する用語です。
河川管理者が「印旛放水路(下流部)」という用語を使っていて、一方他の行政部局が花見川流域を意識して行政を進めるなどということはあり得ません。「名は体を表す」のです。
過去はいざ知らず、今となっては「印旛放水路(下流部)」という名称が不条理であることに、世の中に早く気がついていただきたいものです。
●流域を意識した地域づくりの在り方について考えてみたいと思います。具体的には花見川水系とその流域の自然環境・緑地を保全・創造しながら、それを居住環境に取り込み、地域の価値を高める方法です。
その方法を考えるために、過去の宅地開発によってどのような地域が形成されたのか検証してみたいと思います。
路傍の模様
●戦後印旛沼開発で流域変更が行われ、印旛沼水系である勝田川流域と高津川流域が東京湾水系の花見川流域に編入されました。この流域変更があったという事実を知っている人は一般住民ではまずいません。この流域変更の理由について詳しく知りたいと思っています。
●その理由はさておき、現実に流域変更があって、3つの河川流域が一つに統合されたのですが、流域の地域づくりという観点からみると、バラバラであり、木に竹を接いだような状況も見受けられます。
ただ水の流れを繋いだだけという感じを否めません。
たとえば、花見川も勝田川も緑地としての存在意義が大きく、それぞれ地域にとって散歩空間としての価値は高いものがあります。しかし、花見川の緑地と勝田川の緑地は別々の空間として扱われており、公園緑地部局によって一体的に扱われるということはありません。従って、花見川本川筋と勝田川の谷津を結ぶ散歩道(歩道)はありません。千葉市と八千代市の市境であるということを考慮しても、少しお粗末な対応です。
花見川流域を意識して地域づくりを進めれば、今より自然環境のよさを取り込んだ居住環境をつくることができると思います。
●「印旛放水路(下流部)」という河川法上の名称が、流域を意識した地域づくりを妨げています。「印旛放水路(下流部)」という名称を使ったとたん、その「放水路」の流域の環境を考えるという発想は確実に欠落します。というか、流域という概念を拒否する用語です。
河川管理者が「印旛放水路(下流部)」という用語を使っていて、一方他の行政部局が花見川流域を意識して行政を進めるなどということはあり得ません。「名は体を表す」のです。
過去はいざ知らず、今となっては「印旛放水路(下流部)」という名称が不条理であることに、世の中に早く気がついていただきたいものです。
●流域を意識した地域づくりの在り方について考えてみたいと思います。具体的には花見川水系とその流域の自然環境・緑地を保全・創造しながら、それを居住環境に取り込み、地域の価値を高める方法です。
その方法を考えるために、過去の宅地開発によってどのような地域が形成されたのか検証してみたいと思います。
路傍の模様
2013年1月28日月曜日
二つの陸軍演習場を振り返る
「花見川流域資料5 二つの陸軍演習場」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。
●このブログを始めた頃は花見川流域に二つの演習場が在ったという認識はありませんでした。
習志野演習場はNHKテレビ番組の「坂の上の雲」が話題になっていた頃であり、秋山好古→陸軍騎兵学校→習志野演習場→高津川流域といった連想で事前に興味の対象でした。ブログを始めて3ヶ月経たないうちに陸上自衛隊習志野演習場の見学をしています。
下志津演習場は、ブログを始めて徐々にその存在を知り、大砲の実弾演習場として重要な役割を果たしていたことを初めて理解しました。
●「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)に掲載されている「近衛師団管轄演習場規程」付図の所在を探す活動の中で二つの演習場に対する興味が増幅し、射弾下掩蔽部(しゃだんしたえんぺいぶ)、特殊演習場(毒ガス演習場)、演習場拡張過程、演習場管理機能などについて知識を習得しました。
下志津演習場には三角原射場(爆撃基本目標を設置してある空爆演習場)がありますが、これを通じて、現在の三角町の三角(△)の由来に気がつくこともできました。
●偶然の成り行きで、花見川河川敷に軽便鉄道橋台とトーチカ監視塔を見つけました。このブログで呼びかけて4人のグループで予備調査を実施したところ、トーチカ本体が覆土されて実在していることを突き止めました。
これらの戦争遺跡の本格調査は市民では無理であり、現在行政に本格調査に向けての取組をお願いしているところです。
偶然発見したトーチカは、私個人の見立てでは、戦争末期の本土決戦用の施設であると考えました。もしそうであるならば、内陸の花見川筋を上陸米軍の首都圏侵攻に対する抵抗ラインとしたことを示しています。
本格調査(発掘調査)を実施することにより、これまで知られていなかった千葉における本土決戦の準備の一端が判明するかもしれません。
●演習場に関わる地物・情報や戦争遺跡などを、地域のマイナス資産として計上するのではなく、プラス資産として計上できるような方法について考えていきたいと思っています。
路傍の模様
●このブログを始めた頃は花見川流域に二つの演習場が在ったという認識はありませんでした。
習志野演習場はNHKテレビ番組の「坂の上の雲」が話題になっていた頃であり、秋山好古→陸軍騎兵学校→習志野演習場→高津川流域といった連想で事前に興味の対象でした。ブログを始めて3ヶ月経たないうちに陸上自衛隊習志野演習場の見学をしています。
下志津演習場は、ブログを始めて徐々にその存在を知り、大砲の実弾演習場として重要な役割を果たしていたことを初めて理解しました。
●「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」(千葉市発行)に掲載されている「近衛師団管轄演習場規程」付図の所在を探す活動の中で二つの演習場に対する興味が増幅し、射弾下掩蔽部(しゃだんしたえんぺいぶ)、特殊演習場(毒ガス演習場)、演習場拡張過程、演習場管理機能などについて知識を習得しました。
下志津演習場には三角原射場(爆撃基本目標を設置してある空爆演習場)がありますが、これを通じて、現在の三角町の三角(△)の由来に気がつくこともできました。
●偶然の成り行きで、花見川河川敷に軽便鉄道橋台とトーチカ監視塔を見つけました。このブログで呼びかけて4人のグループで予備調査を実施したところ、トーチカ本体が覆土されて実在していることを突き止めました。
これらの戦争遺跡の本格調査は市民では無理であり、現在行政に本格調査に向けての取組をお願いしているところです。
偶然発見したトーチカは、私個人の見立てでは、戦争末期の本土決戦用の施設であると考えました。もしそうであるならば、内陸の花見川筋を上陸米軍の首都圏侵攻に対する抵抗ラインとしたことを示しています。
本格調査(発掘調査)を実施することにより、これまで知られていなかった千葉における本土決戦の準備の一端が判明するかもしれません。
●演習場に関わる地物・情報や戦争遺跡などを、地域のマイナス資産として計上するのではなく、プラス資産として計上できるような方法について考えていきたいと思っています。
路傍の模様
2013年1月27日日曜日
印旛沼堀割普請を振り返る
「花見川流域資料4 印旛沼堀割普請」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。
●このブログを始めてから、自分の居住場所のすぐ近くに印旛沼堀割普請の跡があり、その姿が普請往時の姿を彷彿させるような雰囲気で残っていることに感動しました。 堀割部にはコンクリートがなく、サイクリングロードさえ舗装されていないことが一種独特の峡谷風の風景を保持しています。
●そうした現実の風景と、続保定記をはじめとする現存する多数の歴史資料(特に絵図、イラスト類)からの情報を重ね合わせると、興味が膨らみ、一種の知的エンターテインメント対象のようにすら感じます。
●印旛沼堀割普請が千葉市や八千代市の小学校社会科副読本の主要テーマの一つとなっていて、両市の全小学生は1度は必ず学習することになっています。このことは、実物の土木遺構が残っているだけに、郷土の歴史を身近に感じることができる素晴らしいことだと思いました。
●一方、この空間(特に花見川堀割部分)は文化財の指定とか土木遺構としての認定などはありません。そのため、ひたひたと迫っている開発圧力に対してたいそう脆弱です。これまではたまたま大きな改変圧がなく、運がよかったので、長い間現状を保持できてきました。
●続保定記の絵地図は詳しい工事状況パースであり、詳しい分析をしたいと思っています。
●戦後印旛沼開発による堀割部分の改変をできるだけ正確に把握して、その前の姿(天保期印旛沼堀割普請後の姿)を復元したいと思います。 さらに、天保期印旛沼堀割普請による改変の姿を、現存する捨土土手の土量等から推定して、天保期印旛沼堀割普請前の姿を復元したいと思います。
そうした地形復元作業により、江戸時代の人々をしてこの場所に川を通そうと決意させた、元々の谷津地形の姿を知ります。 この作業は花見川の出自を知る上で必須です。
路傍の模様
●このブログを始めてから、自分の居住場所のすぐ近くに印旛沼堀割普請の跡があり、その姿が普請往時の姿を彷彿させるような雰囲気で残っていることに感動しました。 堀割部にはコンクリートがなく、サイクリングロードさえ舗装されていないことが一種独特の峡谷風の風景を保持しています。
●そうした現実の風景と、続保定記をはじめとする現存する多数の歴史資料(特に絵図、イラスト類)からの情報を重ね合わせると、興味が膨らみ、一種の知的エンターテインメント対象のようにすら感じます。
●印旛沼堀割普請が千葉市や八千代市の小学校社会科副読本の主要テーマの一つとなっていて、両市の全小学生は1度は必ず学習することになっています。このことは、実物の土木遺構が残っているだけに、郷土の歴史を身近に感じることができる素晴らしいことだと思いました。
●一方、この空間(特に花見川堀割部分)は文化財の指定とか土木遺構としての認定などはありません。そのため、ひたひたと迫っている開発圧力に対してたいそう脆弱です。これまではたまたま大きな改変圧がなく、運がよかったので、長い間現状を保持できてきました。
●続保定記の絵地図は詳しい工事状況パースであり、詳しい分析をしたいと思っています。
●戦後印旛沼開発による堀割部分の改変をできるだけ正確に把握して、その前の姿(天保期印旛沼堀割普請後の姿)を復元したいと思います。 さらに、天保期印旛沼堀割普請による改変の姿を、現存する捨土土手の土量等から推定して、天保期印旛沼堀割普請前の姿を復元したいと思います。
そうした地形復元作業により、江戸時代の人々をしてこの場所に川を通そうと決意させた、元々の谷津地形の姿を知ります。 この作業は花見川の出自を知る上で必須です。
路傍の模様
2013年1月26日土曜日
小金牧と六方野を振り返る
アーカイブWEBページ「花見川流域資料3 小金牧と六方野」をざっと読み返してみて、次のような感想を持ちました。
このテーマは気になっていたにもかかわらずブログ記事が最も少ないものです。
このテーマの特徴は、人々の歴史の中で水のない台地内部は長らく土地利用されずに放置されていて、江戸時代が始まる前後頃に順次所有者がきまり、牧や入会地として利用され出したという開拓内容を知ることにあります。
馬防土手など、残されている地物遺跡も少々ありますが、物的な興味対象は少ないような印象を受けます。
一方、古文書が残されている時代の出来事であり、興味を深めようとすると古文書類に興味の対象を向ける必要があります。
私に古文書の文章を解読する能力はないのですが、絵図類を現代の地図に比定するなどの作業は、地形情報等を媒介にしてある程度できると思いますので、そうした方向に興味を深める入口を見つけ、小金牧と六方野にまつわる土地開発について学習していきたいと思っています。
さしあたって、小金牧周辺野絵図(千葉県立文書館収蔵)と六方野開墾絵図(宇那谷町内会所蔵)をGIS上に比定してみたいと思います。
路傍の模様
このテーマは気になっていたにもかかわらずブログ記事が最も少ないものです。
このテーマの特徴は、人々の歴史の中で水のない台地内部は長らく土地利用されずに放置されていて、江戸時代が始まる前後頃に順次所有者がきまり、牧や入会地として利用され出したという開拓内容を知ることにあります。
馬防土手など、残されている地物遺跡も少々ありますが、物的な興味対象は少ないような印象を受けます。
一方、古文書が残されている時代の出来事であり、興味を深めようとすると古文書類に興味の対象を向ける必要があります。
私に古文書の文章を解読する能力はないのですが、絵図類を現代の地図に比定するなどの作業は、地形情報等を媒介にしてある程度できると思いますので、そうした方向に興味を深める入口を見つけ、小金牧と六方野にまつわる土地開発について学習していきたいと思っています。
さしあたって、小金牧周辺野絵図(千葉県立文書館収蔵)と六方野開墾絵図(宇那谷町内会所蔵)をGIS上に比定してみたいと思います。
路傍の模様
2013年1月25日金曜日
花見川のモノレール
昨年末ごろから花見川でボーリング調査が行われていますが、昨日その概要を千葉県千葉土木事務所で聞き取りしてきました。
大和田機場から汐留橋の区間を対象に500mピッチで1断面5箇所程度のボーリングを行う大規模調査です。
花見川の河川改修(低水護岸建設)の設計図作成のための基礎調査とのことでした。
花見川のボーリング現場
堀割部分では西岸が崖になっており、ボーリング機材の搬入が困難であるため、モノレールを設置しているとのことでした。
毎朝の散歩で、電源のケーブルかもしれないと思っていたものが、モノレールでした。
急斜面の果樹園等で見かけるモノレールです。
モノレール(近景)
モノレール(全景)
この場所では桟橋もつくってボーリング機材を設置するようです。
桟橋の設置
別の場所ではケーブルで西岸に機材を運んでいるようです。
ケーブルの設置
ボーリングの結果(データ)は一定期間後千葉県の地質環境インフォメーションバンクでWEB公開されるとのことです。
なお、堀割部分のコンクリート護岸設置については自然的、風景的、文化財的影響が大きいので、工事着工決定以前の段階において住民等に説明していただき、住民サイドの意向にも配慮していただくようお願いしました。
大和田機場から汐留橋の区間を対象に500mピッチで1断面5箇所程度のボーリングを行う大規模調査です。
花見川の河川改修(低水護岸建設)の設計図作成のための基礎調査とのことでした。
花見川のボーリング現場
堀割部分では西岸が崖になっており、ボーリング機材の搬入が困難であるため、モノレールを設置しているとのことでした。
毎朝の散歩で、電源のケーブルかもしれないと思っていたものが、モノレールでした。
急斜面の果樹園等で見かけるモノレールです。
モノレール(近景)
モノレール(全景)
この場所では桟橋もつくってボーリング機材を設置するようです。
桟橋の設置
別の場所ではケーブルで西岸に機材を運んでいるようです。
ケーブルの設置
ボーリングの結果(データ)は一定期間後千葉県の地質環境インフォメーションバンクでWEB公開されるとのことです。
なお、堀割部分のコンクリート護岸設置については自然的、風景的、文化財的影響が大きいので、工事着工決定以前の段階において住民等に説明していただき、住民サイドの意向にも配慮していただくようお願いしました。
2013年1月24日木曜日
考古学的遺跡等からみた古代文化を振り返る
アーカイブWEBページ「花見川流域資料2 考古学的遺跡等からみた古代文化」をざっと読み返してみて、次のような感想を持ちました。
●花見川の語源に関する検討
・最初はだいぶ前に仕入れていた柳田國男の説を「花見川」に投影して記事を書いていました。しかし、いろいろ思考するうちに、またいろいろな本を読むことによって、柳田國男のアイヌ語源説から脱し、縄文語起源に行き着くことができました。
私の頭の中では、地名「ハナミガワ」と花見川河川争奪現象の地形とが結びつく様相を呈してきており、もっと深めたいテーマです。
・古代言語学(縄文語学)、狩猟時代(縄文時代)の人々の思考・発想の特徴の学習を深め、また花見川河川争奪地形の発達史の詳細について調査研究することにより、「花見川」という名称が古代社会におけるこの地域の最大の地形特徴を伝えてきているという、驚くべき口承の歴史を豊かに記述したいと思います。
●子和清水
・子和清水の語源と地形についても、古代社会から現代にまで届いた口承文化の贈り物と考えます。(地形は高速道路建設で失われましたが…)
・子和清水の語源を考えたことによって、その出土物を閲覧した時に、古代社会の一端をありありと想起できたような感覚を持ちました。
●東京湾-香取の海(印旛沼)の連絡幹線としての花見川
・花見川河川争奪現象により、花見川(東京湾水系)と古柏井川(印旛沼水系)が一連の谷津となりました。その一連の谷津が古代から東京湾-香取の海(印旛沼)を結ぶ社会の交流連絡幹線となってきています。
・このような視点から検見川で大賀ハスとともに発見された縄文丸木舟と、八千代市保品で発見された縄文丸木舟が、東京湾側の湊と香取の海の湊の存在を暗示し、その二つの湊を結ぶ連絡ルートが一部区間は谷津(陸路)を含むものの、花見川筋であると考えました。
一種の「船越」(陸地が細くくびれて両側が海に臨む地。船をかついで越すのでつけられた呼称。運河をつくれない古代にあっては、日本のみならず汎世界的に存在した。)が存在していたと考えます。
・弥生時代の土器様式伝播にこのルートが関わっていたことが八千代市によって明らかにされています。
・江戸時代にはこのルートで印旛沼堀割普請が行われ、現代では印旛沼開発の施設として利用されています。
●双子塚古墳と谷中分水界
・花見川河川争奪現象により、花見川(東京湾水系)と古柏井川(印旛沼水系)が一連の谷津となりましたが、その境は谷中分水界となり、その間近につくられた古墳が双子塚古墳です。
谷中分水界(印旛沼堀割普請で失われた花見川源流で泉の存在が想定される)と双子塚古墳の関係は、子和清水における泉と古代遺跡の関係と瓜二つです。
この関係は船橋市三山の御手洗之池と二宮神社にもみられる東京湾水系源頭部の共通文化事象です。
・近世には双子塚古墳は花見川水系との縁が切れて、印旛沼水系を本拠とする横戸村の土地になり、双子塚古墳と高台南古墳は境界杭として利用され、二つの古墳を結ぶ直線が横戸村と柏井村の境界となり、現代の町丁目境として引き継がれてきています。
・同時に双子塚古墳は古墳としての神聖性は失われ、最後は村境に設置した不浄の場にまで零落してしまいました。
・このように興味深い双子塚古墳が発掘調査され、古墳であることを確認する報告書が出ているにも関わらず、文化行政上「古墳」として認定していないことは一種の怪現象です。
・また、この古墳が撤去されて早30年経ちましたが、毎年数回、税金で丁寧な草刈をするだけの空き地になっていて、だれも見向かない場所になっています。
古墳の盛衰を知った者として、また近隣住民のひとりとして、文化財のあり方に心が痛みます。
花見川流域で見つけることができる古代文化には、汲めども汲みつくせない興味が湧きます。
路傍の模様
●花見川の語源に関する検討
・最初はだいぶ前に仕入れていた柳田國男の説を「花見川」に投影して記事を書いていました。しかし、いろいろ思考するうちに、またいろいろな本を読むことによって、柳田國男のアイヌ語源説から脱し、縄文語起源に行き着くことができました。
私の頭の中では、地名「ハナミガワ」と花見川河川争奪現象の地形とが結びつく様相を呈してきており、もっと深めたいテーマです。
・古代言語学(縄文語学)、狩猟時代(縄文時代)の人々の思考・発想の特徴の学習を深め、また花見川河川争奪地形の発達史の詳細について調査研究することにより、「花見川」という名称が古代社会におけるこの地域の最大の地形特徴を伝えてきているという、驚くべき口承の歴史を豊かに記述したいと思います。
●子和清水
・子和清水の語源と地形についても、古代社会から現代にまで届いた口承文化の贈り物と考えます。(地形は高速道路建設で失われましたが…)
・子和清水の語源を考えたことによって、その出土物を閲覧した時に、古代社会の一端をありありと想起できたような感覚を持ちました。
●東京湾-香取の海(印旛沼)の連絡幹線としての花見川
・花見川河川争奪現象により、花見川(東京湾水系)と古柏井川(印旛沼水系)が一連の谷津となりました。その一連の谷津が古代から東京湾-香取の海(印旛沼)を結ぶ社会の交流連絡幹線となってきています。
・このような視点から検見川で大賀ハスとともに発見された縄文丸木舟と、八千代市保品で発見された縄文丸木舟が、東京湾側の湊と香取の海の湊の存在を暗示し、その二つの湊を結ぶ連絡ルートが一部区間は谷津(陸路)を含むものの、花見川筋であると考えました。
一種の「船越」(陸地が細くくびれて両側が海に臨む地。船をかついで越すのでつけられた呼称。運河をつくれない古代にあっては、日本のみならず汎世界的に存在した。)が存在していたと考えます。
・弥生時代の土器様式伝播にこのルートが関わっていたことが八千代市によって明らかにされています。
・江戸時代にはこのルートで印旛沼堀割普請が行われ、現代では印旛沼開発の施設として利用されています。
●双子塚古墳と谷中分水界
・花見川河川争奪現象により、花見川(東京湾水系)と古柏井川(印旛沼水系)が一連の谷津となりましたが、その境は谷中分水界となり、その間近につくられた古墳が双子塚古墳です。
谷中分水界(印旛沼堀割普請で失われた花見川源流で泉の存在が想定される)と双子塚古墳の関係は、子和清水における泉と古代遺跡の関係と瓜二つです。
この関係は船橋市三山の御手洗之池と二宮神社にもみられる東京湾水系源頭部の共通文化事象です。
・近世には双子塚古墳は花見川水系との縁が切れて、印旛沼水系を本拠とする横戸村の土地になり、双子塚古墳と高台南古墳は境界杭として利用され、二つの古墳を結ぶ直線が横戸村と柏井村の境界となり、現代の町丁目境として引き継がれてきています。
・同時に双子塚古墳は古墳としての神聖性は失われ、最後は村境に設置した不浄の場にまで零落してしまいました。
・このように興味深い双子塚古墳が発掘調査され、古墳であることを確認する報告書が出ているにも関わらず、文化行政上「古墳」として認定していないことは一種の怪現象です。
・また、この古墳が撤去されて早30年経ちましたが、毎年数回、税金で丁寧な草刈をするだけの空き地になっていて、だれも見向かない場所になっています。
古墳の盛衰を知った者として、また近隣住民のひとりとして、文化財のあり方に心が痛みます。
花見川流域で見つけることができる古代文化には、汲めども汲みつくせない興味が湧きます。
路傍の模様
2013年1月22日火曜日
「考古学的遺跡等からみた古代文化」外全6つのアーカイブサイトの公開
先日アーカイブWEBサイト 花見川流域資料1 下総台地の地形発達史 を公開しました。
これに引き続き次のアーカイブWEBサイトを公開しました。
花見川流域資料2 考古学的遺跡等からみた古代文化
花見川流域資料3 小金牧と六方野
花見川流域資料4 印旛沼堀割普請
花見川流域資料5 二つの陸軍演習場
花見川流域資料6 戦後印旛沼開発と地域開発
花見川流域資料7 現在の自然環境と風景
これで花見川流域第1の課題~第7の課題に対応したアーカイブWEBサイトがそろいました。
画面上のメニューから各サイトに飛ぶことができます。
7つのアーカイブWEBサイトに掲載された記事数は次のようになり、直接比例しているわけではありませんが、私個人の課題別興味の強さをある程度反映しています。
アーカイブWEBサイト別記事数
● ブログ「花見川流域を歩く」と表示が逆順
● 投稿日時はダミー
● 動的ビュー機能により表示
今後、このアーカイブサイトの記事を基にして、繰り返しや冗長な部分あるいは誤りなど不用な情報を削るとともに、1回ごとの記事という制約を取り払い、体系的な論文風の著述を作成する予定です。
路傍の模様
これに引き続き次のアーカイブWEBサイトを公開しました。
花見川流域資料2 考古学的遺跡等からみた古代文化
花見川流域資料3 小金牧と六方野
花見川流域資料4 印旛沼堀割普請
花見川流域資料5 二つの陸軍演習場
花見川流域資料6 戦後印旛沼開発と地域開発
花見川流域資料7 現在の自然環境と風景
これで花見川流域第1の課題~第7の課題に対応したアーカイブWEBサイトがそろいました。
画面上のメニューから各サイトに飛ぶことができます。
7つのアーカイブWEBサイトに掲載された記事数は次のようになり、直接比例しているわけではありませんが、私個人の課題別興味の強さをある程度反映しています。
アーカイブWEBサイト別記事数
アーカイブWEBサイト
|
記事数
|
花見川流域地誌の課題対応
|
花見川流域資料1 下総台地の地形発達史
|
170
|
第1の課題
|
花見川流域資料2 考古学的遺跡等からみた古代文化
|
72
|
第2の課題
|
花見川流域資料3 小金牧と六方野
|
12
|
第3の課題
|
花見川流域資料4 印旛沼堀割普請
|
56
|
第4の課題
|
花見川流域資料5 二つの陸軍演習場
|
43
|
第5の課題
|
花見川流域資料6 戦後印旛沼開発と地域開発
|
35
|
第6の課題
|
花見川流域資料7 現在の自然環境と風景
|
120
|
第7の課題
|
これらのサイトはアーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08をベースに作成しており、次のような特徴があります。
● ブログ「花見川流域を歩く」と表示が逆順
● 投稿日時はダミー
● 動的ビュー機能により表示
今後、このアーカイブサイトの記事を基にして、繰り返しや冗長な部分あるいは誤りなど不用な情報を削るとともに、1回ごとの記事という制約を取り払い、体系的な論文風の著述を作成する予定です。
路傍の模様
2013年1月21日月曜日
下総台地の地形発達史を振り返る
「花見川流域資料1 下総台地の地形発達史」に掲載した過去ログ170記事をざっと読み返して、このテーマに関して活動を振り返ってみました。
●2年間にわたるブログ記事であり、現場を散歩して気になった事柄は、だいたい全部記事にしています。
大ざっぱに記事内容を整理すると次のようになります。
「下総台地の地形発達史」に関するブログコンテンツのまとめ
●ブログを始めた当初は花見川流域の地形地質にかんする事前知識は完全なるゼロでした。そのため、気軽に花見川河川争奪について記事にしていました。
そのうち、oryzasan氏からの情報提供やコメントがあり、刺激をうけて本腰を入れて検討するようになりました。
検討すればするほど、花見川流域に珍しい河川争奪現象が存在していることに確信をもてるようになり、その考えを支える現場情報とGIS上の情報も集まり現在に至っています。
●GIS上の情報(標高5mメッシュ)が最新版になり、地形断面図作成ツールを途中から入手できたことが検討を深める上で重要な役割を果たしました。
現在はさらに高精度の地形断面図作成ツールを使えますので、今後さらに検討を深めることができると思います。
このブログ活動では、分析ツールの選択肢を広げ、分析スキルをアップさせることが、大切であると感じています。
●ブログ記事では専門家や好事家でないと理解できない用語や、興味対象地物・現象が書いてあります。
これを地域資産の説明という観点から一般住民が興味をもてるように表現すれば、ブログ記事情報の価値がアップすると思います。
●今後この170記事を編集して体系的な著述を作成し、花見川流域地誌第1章作成のための素材資料とします。
路傍の模様
●2年間にわたるブログ記事であり、現場を散歩して気になった事柄は、だいたい全部記事にしています。
大ざっぱに記事内容を整理すると次のようになります。
「下総台地の地形発達史」に関するブログコンテンツのまとめ
●ブログを始めた当初は花見川流域の地形地質にかんする事前知識は完全なるゼロでした。そのため、気軽に花見川河川争奪について記事にしていました。
そのうち、oryzasan氏からの情報提供やコメントがあり、刺激をうけて本腰を入れて検討するようになりました。
検討すればするほど、花見川流域に珍しい河川争奪現象が存在していることに確信をもてるようになり、その考えを支える現場情報とGIS上の情報も集まり現在に至っています。
●GIS上の情報(標高5mメッシュ)が最新版になり、地形断面図作成ツールを途中から入手できたことが検討を深める上で重要な役割を果たしました。
現在はさらに高精度の地形断面図作成ツールを使えますので、今後さらに検討を深めることができると思います。
このブログ活動では、分析ツールの選択肢を広げ、分析スキルをアップさせることが、大切であると感じています。
●ブログ記事では専門家や好事家でないと理解できない用語や、興味対象地物・現象が書いてあります。
これを地域資産の説明という観点から一般住民が興味をもてるように表現すれば、ブログ記事情報の価値がアップすると思います。
●今後この170記事を編集して体系的な著述を作成し、花見川流域地誌第1章作成のための素材資料とします。
路傍の模様
2013年1月19日土曜日
下総台地の地形発達史に関するアーカイブサイトの公開
アーカイブWEBサイト 花見川流域資料1下総台地の地形発達史 を公開しました。
このサイトでは、ブログ「花見川流域を歩く」の記事のなかから花見川流域第1の課題「下総台地の地形発達史」に関わる167記事を抽出して掲載しています。
このサイトはアーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08をベースに作成しており、次のような特徴があります。
● ブログ「花見川流域を歩く」と表示が逆順
● 投稿日時はダミー
● 動的ビュー機能により表示
今後、このアーカイブサイトの記事を基にして、繰り返しや冗長な部分あるいは誤りなど不用な情報を削るとともに、1回ごとの記事という制約を取り払い、下総台地の地形発達史にかかわる体系的な論文風の著述を作成する予定です。
路傍の模様
このサイトでは、ブログ「花見川流域を歩く」の記事のなかから花見川流域第1の課題「下総台地の地形発達史」に関わる167記事を抽出して掲載しています。
このサイトはアーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08をベースに作成しており、次のような特徴があります。
● ブログ「花見川流域を歩く」と表示が逆順
● 投稿日時はダミー
● 動的ビュー機能により表示
今後、このアーカイブサイトの記事を基にして、繰り返しや冗長な部分あるいは誤りなど不用な情報を削るとともに、1回ごとの記事という制約を取り払い、下総台地の地形発達史にかかわる体系的な論文風の著述を作成する予定です。
路傍の模様
2013年1月18日金曜日
「7つの課題と地誌」ページを設けました
「7つの課題と地誌」ページを設けました。
画面上のメニューから入れます。
このページは20130106記事「花見川流域の7つの課題」、20130107記事「花見川流域7つの課題-課題追究の目的方法-」、20131009記事「花見川流域の7つの課題」-花見川流域地誌を地域づくりに活かす方法-」の3つをまとめて編集加筆し、一つの文章(「花見川流域の7つの課題と流域地誌作成」)にしたものです。
路傍の模様
画面上のメニューから入れます。
このページは20130106記事「花見川流域の7つの課題」、20130107記事「花見川流域7つの課題-課題追究の目的方法-」、20131009記事「花見川流域の7つの課題」-花見川流域地誌を地域づくりに活かす方法-」の3つをまとめて編集加筆し、一つの文章(「花見川流域の7つの課題と流域地誌作成」)にしたものです。
路傍の模様
2013年1月17日木曜日
花見川のオオタカ
今朝の散歩でオオタカの若鳥の悠然とした飛翔を見ました。
柏井の後谷津の方から弁天橋の方向へ飛び、軽便鉄道橋台付近でこずえに停まりました。
オオタカ若鳥
オオタカ若鳥(拡大)
手振れであまり鮮明に撮れません。
この付近の花見川堀割の自然だけで1羽のオオタカを養えるとはとうてい考えられず、勝田川や犢橋川の田園を含めた広い土地が1羽のオオタカの生息に必要だと考えます。
オオタカが繁殖できるだけのオオタカ社会がこの付近に存在しているから、今みたオオタカ若鳥がいるのですが、そのオオタカ社会の構成員がたとえば数十羽とすると東京湾岸や印旛沼周辺を含んだ千葉北東部などで表現できる広大な土地の自然が必要になります。
花見川の自然は付近の自然の核となって大切だけれども、それだけ存在していてもその生態的意義は限られると、オオタカ若鳥を見ながら感じました。
今朝の花見川堀割の風景
柏井の後谷津の方から弁天橋の方向へ飛び、軽便鉄道橋台付近でこずえに停まりました。
オオタカ若鳥
オオタカ若鳥(拡大)
手振れであまり鮮明に撮れません。
この付近の花見川堀割の自然だけで1羽のオオタカを養えるとはとうてい考えられず、勝田川や犢橋川の田園を含めた広い土地が1羽のオオタカの生息に必要だと考えます。
オオタカが繁殖できるだけのオオタカ社会がこの付近に存在しているから、今みたオオタカ若鳥がいるのですが、そのオオタカ社会の構成員がたとえば数十羽とすると東京湾岸や印旛沼周辺を含んだ千葉北東部などで表現できる広大な土地の自然が必要になります。
花見川の自然は付近の自然の核となって大切だけれども、それだけ存在していてもその生態的意義は限られると、オオタカ若鳥を見ながら感じました。
今朝の花見川堀割の風景
2013年1月16日水曜日
bloggerブログで過去ログの昇順・降順を入れ替える方法
アーカイブ「花見川流域を歩く」20130108作成に際して、bloggerブログで過去ログの昇順・降順を入れ替えました。
しかしその方法にたどりつくまでに、WEBで回答を見つけることに難渋して多くの時間を消費してしまいました。
bloggerブログ利用者で私と同じように過去ログの昇順・降順を入れ替える方法を探していて、見つけられない方が世の中にいると思いますので、参考までにその方法を記録しておきます。
1 bloggerブログでは降順を昇順に表示変更する機能はない
bloggerブログでは過去ログは、他のブログと同様に降順に表示されます。
最新の記事が絶えず一番上にアップされます。
この降順表示を止めて昇順表示に変更する方法は、bloggerブログの設定方法の中にはありません。
従って、既にあるブログの過去ログの降順表示を昇順表示に(手間をかけないで)変更することはできません。
2 bloggerブログでは過去ログの投稿日時を編集できる
bloggerブログでは過去ログの投稿日時を自由に編集(変更)できます。
この機能を使えば、過去ログの投稿日時を全部変更するという作業をいとわなければ、過去ログを降順から昇順に(言わば強引に力ずくで)変更して表示できます。
ただし、投稿日時は実際のものではなくなってしまいます。
参考(英文)
http://blogger-hints-and-tips.blogspot.jp/2010/03/showing-your-oldest-post-first-in.html
3 コピーブログの過去ログ投稿日時変更により昇順表示する
bloggerブログではブログのコピーブログを簡単に作れます。
そこで、現在あるブログのコピーブログを作成して、このコピーブログの投稿日時を変更して降順を昇順に直して利用することができます。
その場合は、現在ある本(元)ブログはいじらないので作業上安全であり、そこには正しい投稿日時の過去ログが残っています。
アーカイブ「花見川流域を歩く」20130108はこのようにして作成したものです。
参考 コピーブログの作成と昇順化手順
ア 新規ブログを作成してアーカイブであることが判る名称をつける
↓
イ 本(元)ブログの過去ログをファイルとして自分のパソコンにエクスポートする。
↓
ウ 新規ブログ(アーカイブ)に過去ログファイルをインポートする。
↓
エ インポートした過去ログの投稿日時の順番を完全に逆転変更する。
参考 アーカイブ「花見川流域を歩く」20130108の記事投稿日時とブログ「花見川流域を歩く」の記事投稿日時の関係
4 「ブログアーカイブ」(目次)は降順と昇順の表示ができる
なお、「ブログアーカイブ」(目次)はbloggerブログでも降順だけではなく、昇順に表示することができます。
しかしその方法にたどりつくまでに、WEBで回答を見つけることに難渋して多くの時間を消費してしまいました。
bloggerブログ利用者で私と同じように過去ログの昇順・降順を入れ替える方法を探していて、見つけられない方が世の中にいると思いますので、参考までにその方法を記録しておきます。
1 bloggerブログでは降順を昇順に表示変更する機能はない
bloggerブログでは過去ログは、他のブログと同様に降順に表示されます。
最新の記事が絶えず一番上にアップされます。
この降順表示を止めて昇順表示に変更する方法は、bloggerブログの設定方法の中にはありません。
従って、既にあるブログの過去ログの降順表示を昇順表示に(手間をかけないで)変更することはできません。
2 bloggerブログでは過去ログの投稿日時を編集できる
bloggerブログでは過去ログの投稿日時を自由に編集(変更)できます。
この機能を使えば、過去ログの投稿日時を全部変更するという作業をいとわなければ、過去ログを降順から昇順に(言わば強引に力ずくで)変更して表示できます。
ただし、投稿日時は実際のものではなくなってしまいます。
参考(英文)
http://blogger-hints-and-tips.blogspot.jp/2010/03/showing-your-oldest-post-first-in.html
3 コピーブログの過去ログ投稿日時変更により昇順表示する
bloggerブログではブログのコピーブログを簡単に作れます。
そこで、現在あるブログのコピーブログを作成して、このコピーブログの投稿日時を変更して降順を昇順に直して利用することができます。
その場合は、現在ある本(元)ブログはいじらないので作業上安全であり、そこには正しい投稿日時の過去ログが残っています。
アーカイブ「花見川流域を歩く」20130108はこのようにして作成したものです。
参考 コピーブログの作成と昇順化手順
ア 新規ブログを作成してアーカイブであることが判る名称をつける
↓
イ 本(元)ブログの過去ログをファイルとして自分のパソコンにエクスポートする。
↓
ウ 新規ブログ(アーカイブ)に過去ログファイルをインポートする。
↓
エ インポートした過去ログの投稿日時の順番を完全に逆転変更する。
参考 アーカイブ「花見川流域を歩く」20130108の記事投稿日時とブログ「花見川流域を歩く」の記事投稿日時の関係
4 「ブログアーカイブ」(目次)は降順と昇順の表示ができる
なお、「ブログアーカイブ」(目次)はbloggerブログでも降順だけではなく、昇順に表示することができます。
2013年1月15日火曜日
花見川雪景色
昨晩の雪で久しぶりの花見川雪景色に会えた。
花見川の雪景色 HDR ARTモード撮影 20130115 7:41
花見川の雪景色(望遠) HDR ARTモード撮影 20130115 7:42
散歩している人は少なかった
花見川の雪景色 HDR ARTモード撮影 20130115 7:43 遠方に散歩人
雪の重みで笹や蔦が沈み、昨年末発見した軽便鉄道橋台とトーチカ監視塔が露出し、サイクリングロードからよく見えた。
軽便鉄道橋台
トーチカ監視塔
雪に日の出の光が反射してまぶしい朝だった。
印旛沼堀割普請土木遺構(捨土土手)からみた住宅地の朝日 HDR ARTモード撮影 20130115 8:08
花見川の雪景色 HDR ARTモード撮影 20130115 7:41
花見川の雪景色(望遠) HDR ARTモード撮影 20130115 7:42
散歩している人は少なかった
花見川の雪景色 HDR ARTモード撮影 20130115 7:43 遠方に散歩人
雪の重みで笹や蔦が沈み、昨年末発見した軽便鉄道橋台とトーチカ監視塔が露出し、サイクリングロードからよく見えた。
軽便鉄道橋台
トーチカ監視塔
雪に日の出の光が反射してまぶしい朝だった。
印旛沼堀割普請土木遺構(捨土土手)からみた住宅地の朝日 HDR ARTモード撮影 20130115 8:08
2013年1月14日月曜日
花見川の水面で渦巻く水蒸気
花見川の水面で渦巻く水蒸気の動画を掲載します。
花見川で渦巻く水蒸気
20130111
渦巻きの原因はミクロな冷気流が谷底に流れ込むことによるものです。
カモは渦を楽しんでいる(遊んでいる)ように見えました。
場所は昨年末軽便鉄道の橋台とトーチカを発見したところです。
渦巻きの原因はミクロな冷気流が谷底に流れ込むことによるものです。
カモは渦を楽しんでいる(遊んでいる)ように見えました。
場所は昨年末軽便鉄道の橋台とトーチカを発見したところです。
2013年1月11日金曜日
堀割の谷底樹木に霜が降る
1月11日早朝の花見川堀割(弁天橋~柏井橋)の谷底では、下半分くらいの樹木、枯れたネット状の蔦類、草に霜が降っていました。
着氷という表現の方がよかもしれません。谷の下半分だけ白くなっていました。
霜の重さにたれるマダケ林
谷の下半分だけ白くなっている
水面から水蒸気が立ち上っていましたので、その水蒸気が台地の上から流れてきた冷気に触れて地物に氷結したのだと思います。
花見川水面の水蒸気はあちこちで渦を巻いていました。よく観察すると、両岸の台地上から冷気が下ってくる道があり、その左右岸の流れ込む冷気流の位置が互い違いになっているところで渦ができていました。
台地上から谷底に流れる冷気の道はよく観察すると、最近草刈した場所とか、市民が作った階段とか具体的に特定でき、一人で納得しました。
水面から立ち上る水蒸気が渦を巻いていた
着氷という表現の方がよかもしれません。谷の下半分だけ白くなっていました。
霜の重さにたれるマダケ林
水面から水蒸気が立ち上っていましたので、その水蒸気が台地の上から流れてきた冷気に触れて地物に氷結したのだと思います。
花見川水面の水蒸気はあちこちで渦を巻いていました。よく観察すると、両岸の台地上から冷気が下ってくる道があり、その左右岸の流れ込む冷気流の位置が互い違いになっているところで渦ができていました。
台地上から谷底に流れる冷気の道はよく観察すると、最近草刈した場所とか、市民が作った階段とか具体的に特定でき、一人で納得しました。
水面から立ち上る水蒸気が渦を巻いていた
2013年1月10日木曜日
アーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08の公開
花見川流域地誌作成の基礎資料としてアーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08(以下この記事では「アーカイブ資料」とします。)を公開しましたので紹介します。
1 アーカイブ資料作成の目的
アーカイブ資料はブログ「花見川流域を歩く」の過去記事そのものです。
アーカイブ資料は花見川流域地誌作成のための資料を作成するための大元基礎資料として作成しました。
このアーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08をベースにして、7つのテーマ別ブログ記事集を順次作成する予定です。
2 アーカイブ資料の特徴
アーカイブ資料は、元のブログ「花見川流域を歩く」とは次の点で異なります。
ア 表示が逆順
記事の掲載順をブログ「花見川流域を歩く」の逆順にしてありますので、資料として閲覧するときに、利用しやすくなっています。
bloggerブログでは投稿した順に降順に表示されますが、連載記事等時間を追って思考した結果を読む場合利用しづらいので、このサイトでは昇順に記事を閲覧できるようにしました。
アーカイブ資料の画面イメージ
イ 投稿日時はダミー
bloggerブログでは記事表示の降順を昇順にする機能がないため、投稿日時を変更することにより降順を昇順に変更しました。したがって投稿日時はダミーです。
ウ 2013年1月7日までの記事に限定
アーカイブ資料は、2011年1月15日記事から2013年1月7日記事までの553記事に限定しています。
エ 動的ビュー機能により表示
ブログ表示テンプレートに動的ビューを採用しています。 読者の好みにより次の7つの表示方法を自由に選択できます。
•Classic: 従来のテンプレートを今風にアレンジしました
•Flipcard: 写真をページにタイル状に表示します
•Magazine: すっきりと洗練された編集スタイルのレイアウトです
•Mosaic: 画像やテキストをさまざまなサイズでモザイク状に表示します
•Sidebar: メールの受信トレイのような表示で、閲覧ページをすばやくスクロール、表示できます
•Snapshot: 投稿をボードにピンで留めたようにインタラクティブに表示します
•Timeslide: 投稿を時系列に沿って縦に表示します
(bloggerヘルプフォーラムより引用)
これらのオプションは画面左上のブルダウンメニューに表示されます。
なお、動的ビューでは最新のソフトウェア技術を使用しているため、Internet Explorer 8 以降、Firefox 3.5 以降、Chrome、Safari など、一般的なブラウザの最新バージョンが必要です。
いずれのビューでも右上で検索を利用できます。
詳細利用法は次を参考にしてください。
http://support.google.com/blogger/bin/answer.py?hl=ja&answer=1229061
1 アーカイブ資料作成の目的
アーカイブ資料はブログ「花見川流域を歩く」の過去記事そのものです。
アーカイブ資料は花見川流域地誌作成のための資料を作成するための大元基礎資料として作成しました。
このアーカイブ「花見川流域を歩く」2013.01.08をベースにして、7つのテーマ別ブログ記事集を順次作成する予定です。
2 アーカイブ資料の特徴
アーカイブ資料は、元のブログ「花見川流域を歩く」とは次の点で異なります。
ア 表示が逆順
記事の掲載順をブログ「花見川流域を歩く」の逆順にしてありますので、資料として閲覧するときに、利用しやすくなっています。
bloggerブログでは投稿した順に降順に表示されますが、連載記事等時間を追って思考した結果を読む場合利用しづらいので、このサイトでは昇順に記事を閲覧できるようにしました。
イ 投稿日時はダミー
bloggerブログでは記事表示の降順を昇順にする機能がないため、投稿日時を変更することにより降順を昇順に変更しました。したがって投稿日時はダミーです。
ウ 2013年1月7日までの記事に限定
アーカイブ資料は、2011年1月15日記事から2013年1月7日記事までの553記事に限定しています。
エ 動的ビュー機能により表示
ブログ表示テンプレートに動的ビューを採用しています。 読者の好みにより次の7つの表示方法を自由に選択できます。
•Classic: 従来のテンプレートを今風にアレンジしました
•Flipcard: 写真をページにタイル状に表示します
•Magazine: すっきりと洗練された編集スタイルのレイアウトです
•Mosaic: 画像やテキストをさまざまなサイズでモザイク状に表示します
•Sidebar: メールの受信トレイのような表示で、閲覧ページをすばやくスクロール、表示できます
•Snapshot: 投稿をボードにピンで留めたようにインタラクティブに表示します
•Timeslide: 投稿を時系列に沿って縦に表示します
(bloggerヘルプフォーラムより引用)
これらのオプションは画面左上のブルダウンメニューに表示されます。
なお、動的ビューでは最新のソフトウェア技術を使用しているため、Internet Explorer 8 以降、Firefox 3.5 以降、Chrome、Safari など、一般的なブラウザの最新バージョンが必要です。
いずれのビューでも右上で検索を利用できます。
詳細利用法は次を参考にしてください。
http://support.google.com/blogger/bin/answer.py?hl=ja&answer=1229061
2013年1月9日水曜日
花見川流域の7つの課題 -花見川流域地誌を地域づくりに活かす方法-
花見川の7つの課題追究の目的を花見川流域地誌の作成としました。
花見川流域地誌は花見川流域の地域づくりに活かすために作成します。
どのように活かすのか、考えてみました。
ア 花見川流域地誌を通じて花見川流域に興味を持ってもらう
花見川流域地誌のコンテンツには流域にある地域資産を満載したいと思います。
これまで見慣れて何の興味もわかなかった地物が、実は興味深く、価値のある地域資産であるということが気が付くようにしたいと思います。
地域資産とは、法的に定められた文化財とともに、そうではない希少価値・学術価値等のある地形・地質・地学現象、考古学的あるいは歴史的遺跡・遺物、土木遺構や産業遺跡・戦争遺跡など、地名や言い伝え・民俗行事などの無形文化財、優れた自然や風景などです。
花見川流域地誌を読んでいただいた方に、これだけたくさんの地域資産が気づかれずに存在していたということに驚いていただき、それをきっかけに、花見川流域に興味をいだいていただけるようにしたいと思います。
これまで誰からも注目されることなく、埋もれていた沢山の地域資産の存在を知っていただくことにより、一般住民のみならず、担当行政、各分野の専門家の方にも花見川流域の再認識をしていただけるものと思います。
ブログ「花見川流域を歩く」で作成した画像の一部
イ 花見川流域地誌を通じて、地域資産を大事にしたい、もっと見つけたいという気持ちを醸成する
花見川流域地誌に記載されている地域資産に興味を持っていただければ、当然のこどですが、それらの地域資産を大事にしたいとか、あるいはもっと見つけたいという気持ちになります。
そうした地域資産の保全や探究に関する話題も花見川流域地誌に含めたいと思います。
ウ 花見川流域地誌を通じて、地域資産により地域づくりを進めたいという気持ちを醸成する
花見川流域地誌に記載されている地域資産を活用して次のような地域づくりが考えられます。
1 地域資産の自然的、風景的、文化的価値を居住環境に意識的に取り込む
2 地域資産とのふれあい・体験あるいは学習・教育・研究等がしやすい地域環境をつくる。一種のフィールミュージアムの形成。
このような話題についても、花見川流域地誌でふれたいと思います。
おわり
花見川流域地誌は花見川流域の地域づくりに活かすために作成します。
どのように活かすのか、考えてみました。
ア 花見川流域地誌を通じて花見川流域に興味を持ってもらう
花見川流域地誌のコンテンツには流域にある地域資産を満載したいと思います。
これまで見慣れて何の興味もわかなかった地物が、実は興味深く、価値のある地域資産であるということが気が付くようにしたいと思います。
地域資産とは、法的に定められた文化財とともに、そうではない希少価値・学術価値等のある地形・地質・地学現象、考古学的あるいは歴史的遺跡・遺物、土木遺構や産業遺跡・戦争遺跡など、地名や言い伝え・民俗行事などの無形文化財、優れた自然や風景などです。
花見川流域地誌を読んでいただいた方に、これだけたくさんの地域資産が気づかれずに存在していたということに驚いていただき、それをきっかけに、花見川流域に興味をいだいていただけるようにしたいと思います。
これまで誰からも注目されることなく、埋もれていた沢山の地域資産の存在を知っていただくことにより、一般住民のみならず、担当行政、各分野の専門家の方にも花見川流域の再認識をしていただけるものと思います。
ブログ「花見川流域を歩く」で作成した画像の一部
イ 花見川流域地誌を通じて、地域資産を大事にしたい、もっと見つけたいという気持ちを醸成する
花見川流域地誌に記載されている地域資産に興味を持っていただければ、当然のこどですが、それらの地域資産を大事にしたいとか、あるいはもっと見つけたいという気持ちになります。
そうした地域資産の保全や探究に関する話題も花見川流域地誌に含めたいと思います。
ウ 花見川流域地誌を通じて、地域資産により地域づくりを進めたいという気持ちを醸成する
花見川流域地誌に記載されている地域資産を活用して次のような地域づくりが考えられます。
1 地域資産の自然的、風景的、文化的価値を居住環境に意識的に取り込む
2 地域資産とのふれあい・体験あるいは学習・教育・研究等がしやすい地域環境をつくる。一種のフィールミュージアムの形成。
このような話題についても、花見川流域地誌でふれたいと思います。
おわり
2013年1月7日月曜日
花見川流域の7つの課題 -課題追究の目的・方法-
ア 7つの課題追究の目的
7つの課題追究の目的を花見川流域地誌作成とします。
7つの課題を並べてみると、花見川流域の歴史、自然、文化のかなり広い分野をカバーします。
これだけの情報が得られれば、それは花見川流域の森羅万象の一部にすぎないとは言っても地誌(※)と称してもお叱りを受けることは無いと思います。
花見川流域を対象とした史上初の地誌作成を7つの課題追究の目的とします。
※地誌:地誌(ちし)とは、地理上の特定地域を様々な諸要素(自然・地形・気候・人口・交通・産業・歴史・文化など)を加味してその地域性を論じた書籍。郷土誌。(ウィペディア)
花見川流域の7つの課題
イ 7つの課題追究の方法
次のような方法(ステップ)で7つの課題を追及したいと思います。
第1ステップ 過去記事の課題別アーカイブ構築
過去のブログ記事を7つの課題別にアーカイブを構築し、過去記事を体系的に閲覧できるようにします。(別ブログあるいはサイトを開設します。)
読者のみなさんに7つの課題別に過去記事を楽に読んでいただくためであると共に、自分の課題追究作業の効率アップの基礎を構築するステップです。
第2ステップ 過去記事をベースとした課題別WEBページ作成
過去のブログ記事には繰り返しや冗長な部分あるいは明らかな誤りもあり、これらの不用な情報を削るとともに、1回ごとの記事という制約を取り払い、体系的な論文風の著述に直してWEBページを作成します。(別サイトを開設します。)
このWEBページを見ることにより課題についてのこれまでの私の追究の到達点やレベルあるいは不足点等が一読で判るようになると思います。
読者の便のなるとともに、自分の到達点を確認し、今後の作業について考える資料とするためです。
なお、第3ステップ以降のステップで得られた知見はこの課題別WEBページに成果として取り込むことになります。
第3ステップ 課題ごとの調査研究計画の作成
これまでの取り組み(ブログ記事の作成)を踏まえ、7つの課題を追究する調査研究計画を作成します。
調査研究計画は次のような視点で作成します。
1成果が得られるようなことがらに絞って取り組みますが、自分ができることや方法、興味のあることや方法はすべて取り組んでみたいと思います。(作業は徹底して楽しみます)
2課題別検討成果のイメージを最初に作成します。 ただやみくもに面白いと思った作業をしていても、それで自分の望むような成果が得られるとは考えられません。 本格的調査研究作業の突入する前に自分の望む最終成果のイメージをよく考えておき、そのイメージに向かって作業計画をつくりたいと思います。
第4ステップ 課題ごとの調査研究の実施
調査研究計画に基づいて、調査研究を実施します。
調査研究は、スケジュールを作成して作業し、一定期間毎に作業について内省し(得られた成果と得られなかった成果の確認等)、柔軟にスケジュールや方法を変更するなど、活動をPDCAサイクルとして行います。
第5ステップ 花見川流域地誌のとりまとめ
調査研究活動の成果は花見川流域地誌としてとりまとめます。予備的なとりまとめ、中間的なとりまとめ、最終的なとりまとめなどとりまとめ自体もステップを踏むことになると思います。
これらの活動の進行状況や検討成果の概要、感想等はこのブログ記事として報告しますが、検討成果そのものはブログ形式になじまないので、別サイトを開設して掲載します。
自分の使える時間、能力気力、各種条件とこの7つの課題追究活動の質的レベルの調和をどこかで見出して試行錯誤の中で活動することになります。
また、便宜上上記記述は第1ステップ~第5ステップに分けましたが、これらは厳密なものではなく、相互に重なりあいながら進むことは当然のことです。
ウ このブログの目的
このブログの目的もこれまでの「散歩で得られた情報を分析するなどしてブログ記事を作成し、発信する」から、「7つの課題追究=花見川流域地誌作成活動という調査研究活動の実施に伴い、その過程や概要・感想等をブログ記事にして、情報発信する」に変化します。
なお、これまでのブログ活動と同じく、7つの課題追究=花見川流域地誌作成活動は完全な個人趣味活動であり、行政・企業・団体・個人とのひも付き関係は一切ありません。
7つの課題追究を地域づくりに活かす方法について次に考えてみます。
つづく
7つの課題追究の目的を花見川流域地誌作成とします。
7つの課題を並べてみると、花見川流域の歴史、自然、文化のかなり広い分野をカバーします。
これだけの情報が得られれば、それは花見川流域の森羅万象の一部にすぎないとは言っても地誌(※)と称してもお叱りを受けることは無いと思います。
花見川流域を対象とした史上初の地誌作成を7つの課題追究の目的とします。
※地誌:地誌(ちし)とは、地理上の特定地域を様々な諸要素(自然・地形・気候・人口・交通・産業・歴史・文化など)を加味してその地域性を論じた書籍。郷土誌。(ウィペディア)
花見川流域の7つの課題
イ 7つの課題追究の方法
次のような方法(ステップ)で7つの課題を追及したいと思います。
第1ステップ 過去記事の課題別アーカイブ構築
過去のブログ記事を7つの課題別にアーカイブを構築し、過去記事を体系的に閲覧できるようにします。(別ブログあるいはサイトを開設します。)
読者のみなさんに7つの課題別に過去記事を楽に読んでいただくためであると共に、自分の課題追究作業の効率アップの基礎を構築するステップです。
第2ステップ 過去記事をベースとした課題別WEBページ作成
過去のブログ記事には繰り返しや冗長な部分あるいは明らかな誤りもあり、これらの不用な情報を削るとともに、1回ごとの記事という制約を取り払い、体系的な論文風の著述に直してWEBページを作成します。(別サイトを開設します。)
このWEBページを見ることにより課題についてのこれまでの私の追究の到達点やレベルあるいは不足点等が一読で判るようになると思います。
読者の便のなるとともに、自分の到達点を確認し、今後の作業について考える資料とするためです。
なお、第3ステップ以降のステップで得られた知見はこの課題別WEBページに成果として取り込むことになります。
第3ステップ 課題ごとの調査研究計画の作成
これまでの取り組み(ブログ記事の作成)を踏まえ、7つの課題を追究する調査研究計画を作成します。
調査研究計画は次のような視点で作成します。
1成果が得られるようなことがらに絞って取り組みますが、自分ができることや方法、興味のあることや方法はすべて取り組んでみたいと思います。(作業は徹底して楽しみます)
2課題別検討成果のイメージを最初に作成します。 ただやみくもに面白いと思った作業をしていても、それで自分の望むような成果が得られるとは考えられません。 本格的調査研究作業の突入する前に自分の望む最終成果のイメージをよく考えておき、そのイメージに向かって作業計画をつくりたいと思います。
第4ステップ 課題ごとの調査研究の実施
調査研究計画に基づいて、調査研究を実施します。
調査研究は、スケジュールを作成して作業し、一定期間毎に作業について内省し(得られた成果と得られなかった成果の確認等)、柔軟にスケジュールや方法を変更するなど、活動をPDCAサイクルとして行います。
第5ステップ 花見川流域地誌のとりまとめ
調査研究活動の成果は花見川流域地誌としてとりまとめます。予備的なとりまとめ、中間的なとりまとめ、最終的なとりまとめなどとりまとめ自体もステップを踏むことになると思います。
これらの活動の進行状況や検討成果の概要、感想等はこのブログ記事として報告しますが、検討成果そのものはブログ形式になじまないので、別サイトを開設して掲載します。
自分の使える時間、能力気力、各種条件とこの7つの課題追究活動の質的レベルの調和をどこかで見出して試行錯誤の中で活動することになります。
また、便宜上上記記述は第1ステップ~第5ステップに分けましたが、これらは厳密なものではなく、相互に重なりあいながら進むことは当然のことです。
ウ このブログの目的
このブログの目的もこれまでの「散歩で得られた情報を分析するなどしてブログ記事を作成し、発信する」から、「7つの課題追究=花見川流域地誌作成活動という調査研究活動の実施に伴い、その過程や概要・感想等をブログ記事にして、情報発信する」に変化します。
なお、これまでのブログ活動と同じく、7つの課題追究=花見川流域地誌作成活動は完全な個人趣味活動であり、行政・企業・団体・個人とのひも付き関係は一切ありません。
7つの課題追究を地域づくりに活かす方法について次に考えてみます。
つづく
2013年1月6日日曜日
花見川流域の7つの課題
このブログでこれまで興味を持ってきた沢山の対象、話題を整理してみると7つの類型に集約して捉えることができます。
それは私が花見川流域を深く理解するための課題であるということもできます。
あるいは私の趣味の散歩の興味の対象が区分けしてみると7つあるというこでもあります。
次に、花見川流域を知るための7つの課題について思いつくことをメモしてみました。
第1の課題 下総台地の地形発達史
河川争奪現象、活断層地形と長沼、縄文海進などにこれまで興味をもってきました。
【河川争奪現象】
花見川河川争奪現象はこのブログでのみ話題としていて、一般社会(具体的には地学関係の学術界)では話題になったことはありません。
私としては一般社会で首肯していただけるだけの情報を用意し(証明し)、しかるべき情報発信をしたいと思っています。
花見川河川争奪現象という稀有な地学現象が幾つかの条件がそろってこの地に発生したことにより、その結果としての特異な谷津分布が生じ、それが古代から現代までの人社会に強固で特徴的な影響を及ぼしています。
その影響そのものは第2~第7の課題で扱う内容になります。
【活断層地形と長沼】
活断層地形(小崖1~3)については、その実態を十分に調査するとともに、その意義について学習を深めたいと思っています。
現在自分が考えているような検討ストーリーを展開していけば、場合によっては大きな発見的活動になるかもしれないと、楽しみにしています。
活断層地形と関連して長沼の地学的成因についてもこのブログで検討してきました。
長沼の成因についての検討はこれまでにされたことがないので、検討をまとめて一般社会にしかるべき情報発信をしたいと考えています。
第2の課題 考古学的遺跡等からみた古代文化
古代遺跡の立地土地環境、縄文語起源の地名などについてこれまで興味をもってきました。
【古代遺跡の立地土地環境】
古代遺跡の立地土地環境については、花見川河川争奪現象地形と関連して、新しい知見を得たいと思っています。
具体的には花見川が果たした東京湾と香取の海(現印旛沼)の連絡機能の姿を何らかの証拠により、明らかにしたいと考えています。
検見川で大賀ハスと一緒にみつかった縄文丸木舟は東京湾に開いた港の存在を暗示し、印旛沼保品で見つかり八千代市立郷土博物館でその復元品が展示されている縄文丸木舟の存在は香取の海に開いた港の存在を暗示しています。
その2つの港を繋ぐルートが花見川河川争奪現象地形です。
【縄文語起源の地名】
ハナミガワのハナはハナワやイノハナなどのハナと同じで、縄文語起源の地名(台地の突端部地形名称)であると考えています。
この論が正しいと理解していただけるような情報をまずは沢山集めたいと考えています。
そもそも花見川河川争奪現象地形の存在が古代人にとってあまりにも特徴的であったため、ハナミガワという地名が縄文人によって語られたのだと考えています。
第3の課題 小金牧と六方野
馬防土手、入会地などについて興味をもってきました。
貴重な古地図や古文書を手がかりにして小金牧と六方野に関わる歴史と人々の生活にもっと興味を持ちたいと考えています。
印旛沼堀割普請前から(自然地形としての花見川河川争奪現象地形が存在していたときから)小金牧の東端が花見川筋であり、花見川筋の東は六方野でした。
早朝の花見川
2013.1.6 6:36 弁天橋から上流方向 カモが二羽飛ぶ
第4の課題 印旛沼堀割普請
堀割普請前の自然地形、土木遺構分布などに興味をもってきました。
【堀割普請前の自然地形】
堀割普請前の自然地形とは花見川河川争奪現象地形そのものであり、それが既に台地を刻む谷地形であったと考えています。
その谷地形を利用した連絡ルートは、旧石器時代人、縄文時代人、弥生時代人、古墳時代人、中世時代人と引き継がれてきていた印旛沼と東京湾を結ぶルートです。江戸時代人がここを印旛沼堀割普請のポイントとしたことは当然です。
その堀割普請前の自然地形を普請土木遺構(台地、段丘上に残された捨土土手)の土量を手がかりにして復元したいと考えています。幸い酒田市久松家資料など多量の古文書・絵図が残されていて、検討を進める際の参考になります。
【土木遺構分布】
印旛沼堀割普請の土木遺構の分布を正確に捉える活動を続けています。
保存等の施策がゼロの現状では土木遺構は結局消滅する運命にありますが、そうした現状を少しでも改善するためには、「ここが印旛沼堀割普請の場所です」という必要があります。
千葉市や八千代市の小学校社会科副読本では印旛沼堀割普請について数ページにわたる記述があり、郷土の歴史として全生徒が学びます。しかし、それにしては文化行政が土木遺構を粗末に扱っているというのが私の感想です。
第5の課題 二つの陸軍演習場
これまでに、近衛師団管轄演習場規程附図を閲覧したり、花見川河川敷内で軽便鉄道橋台やトーチカを発見しました。
【近衛師団管轄演習場規程附図の閲覧】
近衛師団管轄演習場規程附図は国会図書館、防衛省防衛研究所防衛史料室、陸上自衛隊関係部署、各大学、地元図書館等を探し、最後に関係者のご好意により所蔵者から閲覧させていただきました。
この附図には習志野演習場と下志津演習場の施設の内部配置や活動に関する情報が詳細に記述されています。
終戦後67年にして初めて分かった重大事実も含まれていました。
この資料を一つの核として他の資料も収集し、二つの陸軍演習場での活動について詳しく知りたいと思います。
そして、そうした軍事情報を「負の遺産」ではなく、地域づくりに役立つ「正の遺産」とする方法を見つけ出し、今後の花見川流域の地域づくりに役立てたいと思います。
【戦争遺跡(トーチカ)の発見】
軽便鉄道の橋脚をさがしている時、偶然ですが花見川河川敷内に覆土されたトーチカを発見しました。
予備調査を昨年末に実施してトーチカの存在を確認しました。
今後本格的発掘調査を行政に要請する予定です。
私はこのトーチカを本土決戦用施設と見立てており、戦争遺跡と呼ぶにふさわしい遺跡です。
今後の調査に待たなければなりませんが、もし花見川に本土決戦用トーチカがあることが確認されれば、花見川が軍事的要害として活用されたということになります。
米軍の本土進攻計画書(千葉市史掲載)にも台地を刻む谷津は、そこに日本軍の抵抗陣地が設けられている可能性が高く、進軍の妨げになるとの記述があります。
戦争末期には、人々が花見川を戦場として捉え思考したという、新たに判明した事実も詳しくこのブログで記録したいと思います。
早朝の花見川
2013.1.6 6:38 弁天橋から下流方向 ボーリング調査用仮橋がある
第6の課題 戦後印旛沼開発と地域開発
戦後印旛沼開発と流域変更、河川名称、都市開発などに興味を持ちました。
【戦後印旛沼開発と流域変更】
戦後印旛沼開発で印旛沼と花見川がつながりました。
そのこと自体は国土建設上大切なことであったと思います。
我国高度成長の一つの礎となりました。
その偉業に隠れて誰も気がつく人はいませんが、その開発に際し、流域変更が行われました。
高津川、勝田川が印旛沼水系から花見川水系(東京湾水系)に編入されました。
高津川流域には習志野演習場、勝田川流域には下志津演習場があったところです。
流域変更の理由は印旛沼水系の洪水を防ぐためだとの説明ですが、印旛沼水系に占める高津川、勝田川水系の流域面積は微小であり、とても納得できる理由とは考えられません。
河川で流域変更するということはそれなりの大きな理由があってのことです。
現在の花見川流域の出自に関わる問題ですからないがしろにできません。
私には、戦後のドサクサまぎれに、真の理由を行政内部でのみ了解し、国民に隠して流域変更したとしか思えません。
このような私の考えが間違っているのか、正しいのか検証したいと思います。
【河川名称】
花見川という名称は通称であり、河川法上は「印旛放水路(下流部)」という名称になっています。
「印旛放水路(下流部)」という名称は、治水と利水を主軸に活動を展開するという旗印を掲げていた、一昔前の時代のものであると考えます。
印旛沼開発事業だけを考えていれば、それが地域のためだという時代の名称です。
しかし、平成9年の河川法改正で河川の目的に環境が加えられ、治水・利水・環境の3つの河川管理により河川の目的を達成する時代になりました。
花見川の環境(自然環境、歴史環境、地史環境、風景と散策など)は花見川管理の立派な本来目的です。
「印旛放水路(下流部)」と言っても住民のほとんどが、それが花見川だと知らないと思います。
また、花見川という名称があるのに、わざわざ「印旛放水路(下流部)」という名称に住民が親しみをもてるはずがありません。
河川法上の名称を「印旛放水路(下流部)」から「花見川」に変更していただけないものか、その算段について検討したいと思います。
【地域開発】
花見川流域には沢山の宅地開発があります。開発年代の違いによって開発の仕方が異なり、興味を引きます。また、台地を刻む谷津毎に開発法が異なる場合が見られます。
谷津毎に異なる開発法がなぜ生まれるのか興味が湧きます。
第7の課題 現在の自然環境と風景
野鳥等の生息、谷津の風景などに興味をもってきました。
【野鳥等の生息】
野鳥や哺乳類等の生息と花見川の自然との対応に興味が湧きます。
花見川の存在が野鳥や哺乳類等の生息を支えていることは確実です。
動植物の生息の場としての価値が失われないよう、地域の自然観察をしていきたいと思います。
【風景】
花見川流域の素晴らしい風景をこれからも発見したいと思います。それをこのブログで紹介して多くの人と楽しみたいと思います
。また風景をたのしむことができる散歩道の整備についても提案したいと思っています。
次に、この花見川流域の7つの課題の追究方法とそれを地域づくりに活かす方法について考えてみます。
つづく
それは私が花見川流域を深く理解するための課題であるということもできます。
あるいは私の趣味の散歩の興味の対象が区分けしてみると7つあるというこでもあります。
次に、花見川流域を知るための7つの課題について思いつくことをメモしてみました。
第1の課題 下総台地の地形発達史
河川争奪現象、活断層地形と長沼、縄文海進などにこれまで興味をもってきました。
【河川争奪現象】
花見川河川争奪現象はこのブログでのみ話題としていて、一般社会(具体的には地学関係の学術界)では話題になったことはありません。
私としては一般社会で首肯していただけるだけの情報を用意し(証明し)、しかるべき情報発信をしたいと思っています。
花見川河川争奪現象という稀有な地学現象が幾つかの条件がそろってこの地に発生したことにより、その結果としての特異な谷津分布が生じ、それが古代から現代までの人社会に強固で特徴的な影響を及ぼしています。
その影響そのものは第2~第7の課題で扱う内容になります。
【活断層地形と長沼】
活断層地形(小崖1~3)については、その実態を十分に調査するとともに、その意義について学習を深めたいと思っています。
現在自分が考えているような検討ストーリーを展開していけば、場合によっては大きな発見的活動になるかもしれないと、楽しみにしています。
活断層地形と関連して長沼の地学的成因についてもこのブログで検討してきました。
長沼の成因についての検討はこれまでにされたことがないので、検討をまとめて一般社会にしかるべき情報発信をしたいと考えています。
第2の課題 考古学的遺跡等からみた古代文化
古代遺跡の立地土地環境、縄文語起源の地名などについてこれまで興味をもってきました。
【古代遺跡の立地土地環境】
古代遺跡の立地土地環境については、花見川河川争奪現象地形と関連して、新しい知見を得たいと思っています。
具体的には花見川が果たした東京湾と香取の海(現印旛沼)の連絡機能の姿を何らかの証拠により、明らかにしたいと考えています。
検見川で大賀ハスと一緒にみつかった縄文丸木舟は東京湾に開いた港の存在を暗示し、印旛沼保品で見つかり八千代市立郷土博物館でその復元品が展示されている縄文丸木舟の存在は香取の海に開いた港の存在を暗示しています。
その2つの港を繋ぐルートが花見川河川争奪現象地形です。
【縄文語起源の地名】
ハナミガワのハナはハナワやイノハナなどのハナと同じで、縄文語起源の地名(台地の突端部地形名称)であると考えています。
この論が正しいと理解していただけるような情報をまずは沢山集めたいと考えています。
そもそも花見川河川争奪現象地形の存在が古代人にとってあまりにも特徴的であったため、ハナミガワという地名が縄文人によって語られたのだと考えています。
第3の課題 小金牧と六方野
馬防土手、入会地などについて興味をもってきました。
貴重な古地図や古文書を手がかりにして小金牧と六方野に関わる歴史と人々の生活にもっと興味を持ちたいと考えています。
印旛沼堀割普請前から(自然地形としての花見川河川争奪現象地形が存在していたときから)小金牧の東端が花見川筋であり、花見川筋の東は六方野でした。
早朝の花見川
2013.1.6 6:36 弁天橋から上流方向 カモが二羽飛ぶ
第4の課題 印旛沼堀割普請
堀割普請前の自然地形、土木遺構分布などに興味をもってきました。
【堀割普請前の自然地形】
堀割普請前の自然地形とは花見川河川争奪現象地形そのものであり、それが既に台地を刻む谷地形であったと考えています。
その谷地形を利用した連絡ルートは、旧石器時代人、縄文時代人、弥生時代人、古墳時代人、中世時代人と引き継がれてきていた印旛沼と東京湾を結ぶルートです。江戸時代人がここを印旛沼堀割普請のポイントとしたことは当然です。
その堀割普請前の自然地形を普請土木遺構(台地、段丘上に残された捨土土手)の土量を手がかりにして復元したいと考えています。幸い酒田市久松家資料など多量の古文書・絵図が残されていて、検討を進める際の参考になります。
【土木遺構分布】
印旛沼堀割普請の土木遺構の分布を正確に捉える活動を続けています。
保存等の施策がゼロの現状では土木遺構は結局消滅する運命にありますが、そうした現状を少しでも改善するためには、「ここが印旛沼堀割普請の場所です」という必要があります。
千葉市や八千代市の小学校社会科副読本では印旛沼堀割普請について数ページにわたる記述があり、郷土の歴史として全生徒が学びます。しかし、それにしては文化行政が土木遺構を粗末に扱っているというのが私の感想です。
第5の課題 二つの陸軍演習場
これまでに、近衛師団管轄演習場規程附図を閲覧したり、花見川河川敷内で軽便鉄道橋台やトーチカを発見しました。
【近衛師団管轄演習場規程附図の閲覧】
近衛師団管轄演習場規程附図は国会図書館、防衛省防衛研究所防衛史料室、陸上自衛隊関係部署、各大学、地元図書館等を探し、最後に関係者のご好意により所蔵者から閲覧させていただきました。
この附図には習志野演習場と下志津演習場の施設の内部配置や活動に関する情報が詳細に記述されています。
終戦後67年にして初めて分かった重大事実も含まれていました。
この資料を一つの核として他の資料も収集し、二つの陸軍演習場での活動について詳しく知りたいと思います。
そして、そうした軍事情報を「負の遺産」ではなく、地域づくりに役立つ「正の遺産」とする方法を見つけ出し、今後の花見川流域の地域づくりに役立てたいと思います。
【戦争遺跡(トーチカ)の発見】
軽便鉄道の橋脚をさがしている時、偶然ですが花見川河川敷内に覆土されたトーチカを発見しました。
予備調査を昨年末に実施してトーチカの存在を確認しました。
今後本格的発掘調査を行政に要請する予定です。
私はこのトーチカを本土決戦用施設と見立てており、戦争遺跡と呼ぶにふさわしい遺跡です。
今後の調査に待たなければなりませんが、もし花見川に本土決戦用トーチカがあることが確認されれば、花見川が軍事的要害として活用されたということになります。
米軍の本土進攻計画書(千葉市史掲載)にも台地を刻む谷津は、そこに日本軍の抵抗陣地が設けられている可能性が高く、進軍の妨げになるとの記述があります。
戦争末期には、人々が花見川を戦場として捉え思考したという、新たに判明した事実も詳しくこのブログで記録したいと思います。
早朝の花見川
2013.1.6 6:38 弁天橋から下流方向 ボーリング調査用仮橋がある
第6の課題 戦後印旛沼開発と地域開発
戦後印旛沼開発と流域変更、河川名称、都市開発などに興味を持ちました。
【戦後印旛沼開発と流域変更】
戦後印旛沼開発で印旛沼と花見川がつながりました。
そのこと自体は国土建設上大切なことであったと思います。
我国高度成長の一つの礎となりました。
その偉業に隠れて誰も気がつく人はいませんが、その開発に際し、流域変更が行われました。
高津川、勝田川が印旛沼水系から花見川水系(東京湾水系)に編入されました。
高津川流域には習志野演習場、勝田川流域には下志津演習場があったところです。
流域変更の理由は印旛沼水系の洪水を防ぐためだとの説明ですが、印旛沼水系に占める高津川、勝田川水系の流域面積は微小であり、とても納得できる理由とは考えられません。
河川で流域変更するということはそれなりの大きな理由があってのことです。
現在の花見川流域の出自に関わる問題ですからないがしろにできません。
私には、戦後のドサクサまぎれに、真の理由を行政内部でのみ了解し、国民に隠して流域変更したとしか思えません。
このような私の考えが間違っているのか、正しいのか検証したいと思います。
【河川名称】
花見川という名称は通称であり、河川法上は「印旛放水路(下流部)」という名称になっています。
「印旛放水路(下流部)」という名称は、治水と利水を主軸に活動を展開するという旗印を掲げていた、一昔前の時代のものであると考えます。
印旛沼開発事業だけを考えていれば、それが地域のためだという時代の名称です。
しかし、平成9年の河川法改正で河川の目的に環境が加えられ、治水・利水・環境の3つの河川管理により河川の目的を達成する時代になりました。
花見川の環境(自然環境、歴史環境、地史環境、風景と散策など)は花見川管理の立派な本来目的です。
「印旛放水路(下流部)」と言っても住民のほとんどが、それが花見川だと知らないと思います。
また、花見川という名称があるのに、わざわざ「印旛放水路(下流部)」という名称に住民が親しみをもてるはずがありません。
河川法上の名称を「印旛放水路(下流部)」から「花見川」に変更していただけないものか、その算段について検討したいと思います。
【地域開発】
花見川流域には沢山の宅地開発があります。開発年代の違いによって開発の仕方が異なり、興味を引きます。また、台地を刻む谷津毎に開発法が異なる場合が見られます。
谷津毎に異なる開発法がなぜ生まれるのか興味が湧きます。
第7の課題 現在の自然環境と風景
野鳥等の生息、谷津の風景などに興味をもってきました。
【野鳥等の生息】
野鳥や哺乳類等の生息と花見川の自然との対応に興味が湧きます。
花見川の存在が野鳥や哺乳類等の生息を支えていることは確実です。
動植物の生息の場としての価値が失われないよう、地域の自然観察をしていきたいと思います。
【風景】
花見川流域の素晴らしい風景をこれからも発見したいと思います。それをこのブログで紹介して多くの人と楽しみたいと思います
。また風景をたのしむことができる散歩道の整備についても提案したいと思っています。
次に、この花見川流域の7つの課題の追究方法とそれを地域づくりに活かす方法について考えてみます。
つづく
2013年1月4日金曜日
印旛沼流域下水道の伏越
昨年末に実施した「花見川河川敷内で発見された戦争遺跡の予備調査」では印旛沼下水道事務所に管理用道路の通行の便を図っていただき大変助かりました。
改めてお礼申し上げます。
ところで、その調査の際に「西部ゲート」の存在を知り、どのような機能を果たしているのか印旛沼下水道事務所から教えていただきました。
私にとって驚くべき施設がそこに存在していたので、流域下水道の概要とともに報告します。
ア 印旛沼流域下水道のあらまし(パンフレットより)
昭和40年代、東京から50㎞圏にある印旛沼は、その流域の急速な開発と都市化により水質が悪化し、貴重な水資源の保全を迫られていました。また、流域の市町村は、公共下水道の整備により生活環境を向上させ、すみよい町づくりを目指していました。
そこで、主として印旛沼流域を対象とする印旛沼流域下水道が、昭和43年12月に都市計画決定され、県が建設を進めてきました。
印旛沼流域下水道は、平成23年3月現在、13市町約124万人の生活排水や工場排水を、総延長約163㎞の管渠と10か所のポンプ場を経て花見川終末処理場及び花見川第二終末処理場で処理しています。
千葉市にある花見川終末処理場は昭和49年4月に供用開始し、また千葉市と習志野市にまたがる花見川第二終末処理場は平成6年6月に供用開始しました。ひきつづき管渠、処理場などの施設整備を進めています。
なお、印旛沼流域下水道では、下水道の多目的利用として、①処理水を高度処理し、水洗トイレ等に利用する「再生水利用」事業、②地域冷暖房に処理水の持つ熱を利用する「処理水再利用」事業、③都市河川の流量維持や水質改善等を目的とした「高度処理水河川放流」事業、④水処理施設の上部空間を「美浜ふれあい広場」として県民に開放する事業を行っています。
印旛沼流域下水道の概要
印旛沼流域下水道の全体図
印旛沼流域下水道の終末処理場付近拡大図
これらの情報から、印旛沼流域下水道は花見川を境にして、東部と西部に分けられ、管渠体系と終末処理場も異なることがわかります。
イ 西部ゲートの役割
印旛沼下水道事務所の担当の方から、西部ゲートは東部幹線と西部幹線をつなぐ役割をしていると教えていただきました。
東部幹線と西部幹線をつなぐ役割
構造的には次の図に示すように、花見川の地下に大規模な伏越(サイフォン)を通しています。
伏越部の断面
常時は使用しておらず、非常時等に西部幹線から東部幹線へ、あるいは逆に東部幹線から西部幹線に下水道水を流せるとのことです。
幹線や処理場に問題が生じた時の安全弁の役割をはたしているようです。
地下の構造物については散歩している分には知る由もなく、たまたま知った巨大な伏越の存在に驚きました。
快適な現代生活に必須の装置を置くために、眼前の花見川の風景を破壊しない工夫が人知れずここにあることに、一種の感慨を持ちました。
なお、伏越の場所が陸軍の軽便鉄道架橋地点であることも、単なる偶然ではなく、時代が変わっても失われない土地特性(土地機能)がそこにあると理解できて、興味を深めることができました。
花見川は、西岸と東岸では小金牧と六方野、習志野演習場と下志津演習場など歴史的に境界機能を有していますが、現代都市施設の流域下水道システムも西と東に分かれていることを今回知り、その面でも花見川の境界機能を目の当たりにすることができました。
改めてお礼申し上げます。
ところで、その調査の際に「西部ゲート」の存在を知り、どのような機能を果たしているのか印旛沼下水道事務所から教えていただきました。
私にとって驚くべき施設がそこに存在していたので、流域下水道の概要とともに報告します。
ア 印旛沼流域下水道のあらまし(パンフレットより)
昭和40年代、東京から50㎞圏にある印旛沼は、その流域の急速な開発と都市化により水質が悪化し、貴重な水資源の保全を迫られていました。また、流域の市町村は、公共下水道の整備により生活環境を向上させ、すみよい町づくりを目指していました。
そこで、主として印旛沼流域を対象とする印旛沼流域下水道が、昭和43年12月に都市計画決定され、県が建設を進めてきました。
印旛沼流域下水道は、平成23年3月現在、13市町約124万人の生活排水や工場排水を、総延長約163㎞の管渠と10か所のポンプ場を経て花見川終末処理場及び花見川第二終末処理場で処理しています。
千葉市にある花見川終末処理場は昭和49年4月に供用開始し、また千葉市と習志野市にまたがる花見川第二終末処理場は平成6年6月に供用開始しました。ひきつづき管渠、処理場などの施設整備を進めています。
なお、印旛沼流域下水道では、下水道の多目的利用として、①処理水を高度処理し、水洗トイレ等に利用する「再生水利用」事業、②地域冷暖房に処理水の持つ熱を利用する「処理水再利用」事業、③都市河川の流量維持や水質改善等を目的とした「高度処理水河川放流」事業、④水処理施設の上部空間を「美浜ふれあい広場」として県民に開放する事業を行っています。
印旛沼流域下水道の概要
印旛沼流域下水道の全体図
印旛沼流域下水道の終末処理場付近拡大図
これらの情報から、印旛沼流域下水道は花見川を境にして、東部と西部に分けられ、管渠体系と終末処理場も異なることがわかります。
イ 西部ゲートの役割
印旛沼下水道事務所の担当の方から、西部ゲートは東部幹線と西部幹線をつなぐ役割をしていると教えていただきました。
東部幹線と西部幹線をつなぐ役割
構造的には次の図に示すように、花見川の地下に大規模な伏越(サイフォン)を通しています。
伏越部の断面
常時は使用しておらず、非常時等に西部幹線から東部幹線へ、あるいは逆に東部幹線から西部幹線に下水道水を流せるとのことです。
幹線や処理場に問題が生じた時の安全弁の役割をはたしているようです。
地下の構造物については散歩している分には知る由もなく、たまたま知った巨大な伏越の存在に驚きました。
快適な現代生活に必須の装置を置くために、眼前の花見川の風景を破壊しない工夫が人知れずここにあることに、一種の感慨を持ちました。
なお、伏越の場所が陸軍の軽便鉄道架橋地点であることも、単なる偶然ではなく、時代が変わっても失われない土地特性(土地機能)がそこにあると理解できて、興味を深めることができました。
花見川は、西岸と東岸では小金牧と六方野、習志野演習場と下志津演習場など歴史的に境界機能を有していますが、現代都市施設の流域下水道システムも西と東に分かれていることを今回知り、その面でも花見川の境界機能を目の当たりにすることができました。
2013年1月1日火曜日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
新しい年を迎え、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
このブログも1月15日で3年目に突入することになり、掲載した記事も550になりました。
ひとえに皆様にこのブログを閲覧していただき、さらにコメントをいただいたおかげです。
今年はこれまでの記事を別ページにまとめて読みやすくしたり、分析を深めたりして趣向をこらし、花見川散歩から得られる面白さ・興味をより一層深めたいと考えています。
今年もこのブログをよろしくお願い申し上げます。
地形段彩図と花見川流域界
基盤地図情報5mメッシュにより地図太郎PLUSで作成
新しい年を迎え、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
このブログも1月15日で3年目に突入することになり、掲載した記事も550になりました。
ひとえに皆様にこのブログを閲覧していただき、さらにコメントをいただいたおかげです。
今年はこれまでの記事を別ページにまとめて読みやすくしたり、分析を深めたりして趣向をこらし、花見川散歩から得られる面白さ・興味をより一層深めたいと考えています。
今年もこのブログをよろしくお願い申し上げます。
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