私の散歩論

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2024年7月20日土曜日

縄文人の過去のモノへの想い

 谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 11


Jomon people's feelings towards things from the past


Study 11 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi


In “DOGU & SEKIBOU” by Yasuhiro Taniguchi, he touches on evidence that Jomon people had feelings towards things from the past (pottery handles and stone rods). I have read that in the Ariyoshikita Shell Mound, Jomon people similarly possessed things from the past and discarded them along with new things, which has deepened my interest.


谷口康浩著「土偶と石棒」のなかで、縄文人が過去のモノにある想いを寄せていた証拠に触れています。有吉北貝塚でも、同じように縄文人が過去のモノを所持し、それを新しいモノと一緒に廃棄した様子が読み取れ、興味を深めています。

序章 儀礼考古学の現代的意義

2 儀礼考古学の研究法一モノ・行為・コンテクストー

(4)記憶と歴史の物象化

・この小節では前半で社会的記憶の物象化が、後半で縄文人の過去遺物に対する想いが述べられています。双方のテーマともにとても重要で興味があります。社会的記憶の物象化についての学習は

2024.07.16記事「同じ場所で長期に繰り返される儀礼行為」で記事にしました。この記事では縄文人の古いモノに対する想いを学習します。

・次の4事例をあげています。

・埼玉県赤城遺跡の「祭祀遺物集中地点」(晩期前半)→大型中空土偶などの遺物が集中していたが、明らかに時期の古い中期・後期の土器把手が少なからず含まれていた。

「晩期初頭の縄文人たちが、過去の遺物に関心をもち、ここに集めてきた状況が窺える。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

・新潟県寺地遺跡(晩期)、東京都田端環状積石遺構(後期~晩期)、東京都下布田遺跡(晩期)の配石遺構→中期の石棒が集積され再活用されていた。

「縄文人が過去のモノにある想いを寄せていた証拠である。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

「縄文人が過去をどのように認識していたのかを、こうした事例から読み解く必要がある」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

【考察】

・以上の記述を読んで、真っ先に有吉北貝塚北斜面貝層の発掘写真を見て生まれた同種感想(縄文人が過去遺物に想いを寄せて使っていた)を思い出しました。


有吉北貝塚北斜面貝層の発掘写真

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用・加筆(Photoshopでカラー化)

・この写真には加曽利EⅡ式最終段階土器と一緒に右端に藤内Ⅱ式土器(阿玉台Ⅲ式期に比定される勝坂様式の資料で藤内Ⅱ式の縦帯区画文土器)が写っています。


藤内Ⅱ式土器

この出土地点は北斜面貝層第2断面の純貝層直下の多様な遺物が出土する混貝土層で、祭祀的活動の跡を示していると考えられます。


出土状況

出土状況から、加曽利EⅡ式土器と一緒にこの藤内Ⅱ式土器もこの場所に持ち込まれたことは確実です。つまり、加曽利EⅡ式期縄文人は過去遺物である藤内Ⅱ式土器を所持していて、あるとき、加曽利EⅡ式土器、器台、貝輪などと一緒にこの藤内Ⅱ式土器をこの場所に持ち込みました。

・加曽利EⅡ式最終段階土器の簡素化省略化した渦巻と特徴的な懸垂文と較べると、藤内Ⅱ式土器の三角形区画文とその中に彫刻的手法で描かれた三叉文は文様デザインの重厚さ、緻密さが浮き彫りになります。このデザインの違いは当時の縄文人も同じように感じていたと想定できます。当時の縄文人はこの藤内Ⅱ式土器を自分たちのデザイン原理とは異なる過去のデザイン原理でできた作品と認識して、所持活用していたと考えます。

・この藤内Ⅱ式土器片(タブレット)を儀礼の道具としてどのように活用したのかは不明というしかありませんが、儀礼の道具であったことは間違いないと考えます。想像するに、祖先信仰に関わる儀礼の道具として使われたのかもしれません。

・北斜面貝層で加曽利EⅡ式最終段階土器が大量廃棄され、その直後に有吉北貝塚集落が消滅状況になります。そうした状況を考えると、集落しまい(集落廃絶?移転?)に関連して、祖先に想いをはせる道具であるこのタブレットも廃棄したのかもしれません。

2021.07.09記事「有吉北貝塚北斜面貝層から出土した藤内Ⅱ式土器」参照


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