2021年7月9日金曜日

有吉北貝塚北斜面貝層から出土した藤内Ⅱ式土器

 縄文社会消長分析学習 112

2021.07.08記事「土はどこから 補遺」で掲載した画像「第2断面 純貝層直下の混貝土層から出土する多様な遺物」の写真に写る藤内Ⅱ式土器について写真を拡大してみました。

1 第2断面 純貝層直下の混貝土層から出土する多様な遺物


第2断面 純貝層直下の混貝土層から出土する多様な遺物

2 Ⅱ-42・52 P層


Ⅱ-42・52 P層

3 「Ⅱ-42・52 P層」に写る藤内Ⅱ式土器


「Ⅱ-42・52 P層」に写る藤内Ⅱ式土器

この土器片は発掘調査報告書では、第4群土器に分類されています。阿玉台Ⅲ式期に比定される勝坂様式の資料で藤内Ⅱ式の縦帯区画文土器で、隆線による三角形区画文が縦帯し、内部には彫刻的手法による三叉文が充填されると記述されています。

この古い土器片が11群土器片(加曽利EⅡ式最終段階)と一緒に出土することに興味を持ちます。11群土器片と4群土器片が11群土器の時代に一緒にこの場に持ち込まれたことは確実です。11群土器時代に4群土器片が台地集落内に保存されていたことと、それをわざわざ祭祀的な場所に持ち込むことから、一種の記念品として保存されていた土器片が重要な祭祀に際して持ち込まれたと想像します。

4 感想

11群土器(加曽利EⅡ式最終段階土器)の簡素化省略化した渦巻と特徴的な懸垂文と較べると、藤内Ⅱ式土器の三角形区画文とその中に彫刻的手法で描かれた三叉文は文様デザインの重厚さ、緻密さという点が浮き彫りになります。このデザインの違い(簡素と重厚の違い)は11群土器を使っていた縄文人も同じように感じていたと想定します。

藤内Ⅱ式土器片を加曽利EⅡ式最終段階縄文人が本当に「お宝」「記念品」として所持していたかどうかは証明する手段がありません。単純に竪穴住居周辺に転がっていたものにすぎないかもしれません。しかし祖先がつくったこの土器片をわざわざ北斜面貝層に持ち込んでいるのですから、11群土器とはまた異なる効能(ご利益)を期待したとか、11群土器が発揮する効能(ご利益)を補強したとかがあったに違いないと想像します。

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