私の散歩論

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2021年10月31日日曜日

市川市出土の勝坂Ⅰ式土器

 八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」で展示されている「深鉢(勝坂Ⅰ式)(市川市鳴神山A貝塚)」の3Dモデルを作成して観察しました。

1 深鉢(勝坂Ⅰ式)(市川市鳴神山A貝塚) 観察記録3Dモデル

深鉢(勝坂Ⅰ式)(市川市鳴神山A貝塚) 観察記録3Dモデル

撮影場所:八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」

撮影月日:2021.10.19


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

模様を見やすくするためにアートフィルター(ドラマチックトーン)で撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 92 images


3Dモデルの動画

2 GigaMesh Software Frameworkによる展開と文様観察


GigaMesh Software Frameworkによる展開図


GigaMesh Software Frameworkによる展開図(色調調整)

隆起線文が口縁部や口縁部から胴部に下がったり、胴部で直線状や渦巻のような文様を形成します。その隆起線文のすぐ外側に結節沈線文と沈刻文が複列に並びます。隆起線文のない空間にも結節沈線文と沈刻文が模様をつくり、器面を埋めます。この土器には縄文はありません。

この土器の文様が何を表現しているのか興味が湧きます。縄文人が意味のない模様を即興で描いたとは考えられません。この土器1つだけの情報から文様の意味を探ることは不可能だと考えられますが、今後の学習材料を増やすためにこの文様から受ける感想(妄想)をメモしておきます。

●妄想

・神話の1場面などのストーリー性のある話を表現していると想定します。

・土器内部と口縁部はカミの住む天上界と想定します。胴部は地上界の出来事を表現するカンバスであると想定します。

・上から降りてくる隆起線はカミが天上界から降臨してくる様子を、下から上る隆起線は我々(この土器を作って利用している縄文人)が生まれ出てくる様子を表現していると想定します。

・上から降りてくる隆起線と下から上る隆起線が接触して(結合して、反応して)、水平にすすんで先が膨らむ隆起線と渦を巻く隆起線が生まれます。水平にすすんで先が膨らむ隆起線は我々(縄文人)が生まれ出て育つ様子を、渦を巻く隆起線は役割を終えたカミが天上界に(渦巻の先端で土器を貫通して土器内部に出て)帰る様子を表現していると想定します。


2021年10月30日土曜日

仮面貼付土器か

 八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」で展示されている土器の中に土器内面に顔面(人面)が貼り付けられているものがあり、珍しいので3Dモデルで観察しました。

1 顔面付土器(加曽利B式)(鎌ヶ谷市中沢貝塚) 観察記録3Dモデル

顔面付土器(加曽利B式)(鎌ヶ谷市中沢貝塚) 観察記録3Dモデル

撮影場所:八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」

撮影月日:2021.10.19


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 55 images


3Dモデルの動画

2 感想

3Dモデルをよく観察すると、成形された後の土器内面に粘土紐を押し付けて(塗って)人面を作っていることが判ります。目と口は輪郭は土器内面を少し彫っていますが、面はもともとの土器内面をそのまま利用しているようです。また耳の表現がありません。頭の表現も希薄です。


顔面の様子

このような特徴から、この顔面(人面)は目と口が空洞になっている仮面を表現しているように感じられます。

この土器を単なる顔面(人面)付土器でかたづけるのではなく、仮面貼付土器としてみるほうがこの土器の性格をより正確に捉えられる可能性があります。顔面(人面)一般として認識するのと仮面として認識するのとではこの土器の意味が大いに異なってくるに違いありません。

この土器が仮面祭祀と関連するものであるとすれば、どのように関連するのか、土偶とはどのように関連するのか、新たに大きな興味が生まれました。


2021年10月29日金曜日

大小の土製耳飾の3Dモデル観察

 加曽利貝塚博物館で開催中の特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されている大小12点の土製耳飾(ピアス)の3Dモデルを作成観察して感想をメモしました。

1 土製耳飾(ピアス) (市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

土製耳飾(ピアス) (市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文後晩期

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.07


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 87 images


3Dモデルの動画

2 観察とメモ

2-1 大きさ

3Dモデルから直径と高さ(幅)を計測しました。


直径と高さ

最小のものは直径5.3㎜、高さ(幅)6.1㎜、最大のものは直径65.5㎜、高さ(幅)16.3㎜です。

最小のものを少年少女期に耳朶に穴を開けて差し込み、年齢がたつに従って徐々に大きな耳飾をつけて耳朶を広げ、最後は耳の大きさに匹敵あるいはそれ以上の耳飾をつけたのだと思います。ちなみに私の耳の鉛直方向の長さは65㎜です。私が直径65.5㎜の耳飾をつければ正に耳の大きさが鉛直方向で2倍になります。

次の図は千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期の耳飾の大きさのグラフで、少年少女期、青年期、壮年熟年に仮説として対応させたものです。この遺跡では耳飾の最も大きいものは直径は80㎜以上ありました。


参考 千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期耳飾の大きさ別出土数

2020.09.15記事「内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布

2-2 模様

展示耳飾12点の模様をみると凝った模様のあるもの、簡素な模様のあるもの、模様のないものに分けてみることができます。最大直径のものは凝った模様になっていますが、2番目に大きなものの模様は比較的単純です。この12点だけで必ずしも明瞭ではありませんが、千葉市内野第一遺跡出土縄文後晩期耳飾では小さいもの(少年少女用)、中ぐらいのもの(青年用)、大きなもの(壮年熟年用)にそれぞれ装飾性高・中・低のものがあります。このことから、内野第一遺跡では家柄や身分などの階層が存在していて、それぞれの家柄・身分に応じてに装飾性高・中・低を使っていたと想像しました。


参考 千葉市内野第一遺跡 大きな耳飾の装飾性


参考 千葉市内野第一遺跡 中程度と小さな耳飾の装飾性

祇園原貝塚の耳飾文様も出土情報を悉皆的に詳しく分析すると内野第一遺跡と同じような結果が出るかもしれません。

2020.09.12記事「縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識

2021年10月28日木曜日

中国切手 三星堆金面人頭像

 中国切手(2001年、三星堆金面人頭像)を見ながら三星堆遺跡の場所とか時期とか遺跡内容とかの情報に触れて楽しみました。


中国切手 2001年 三星堆金面人頭像

Wikipedia三星堆遺跡にこの金面人頭像の斜め写真が掲載されています。


貼金銅人頭像 

Wikipedia三星堆遺跡から引用

この像は人頭像が金製仮面を装着している様子を表現しているようです。

この遺跡からは目が異常に飛び出した仮面など異形のものが多数出土しています。


青銅縦目仮面

Wikipedia三星堆遺跡から引用

飛び出した目は千里眼を、大きな耳は順風耳(あらゆることを聞き知ることができる耳)を表現しているといわれます。

三星堆遺跡の場所を地図にプロットしました。四川省です。いつかこの遺跡を訪問してみたいものです。


三星堆遺跡の場所

三星堆遺跡の時期を加曽利貝塚博物館展示年表にプロットしてみました。


三星堆遺跡の時期

縄文後期から晩期にかけて約2000年間つづいた遺跡です。金面人頭像は遺跡末期(縄文晩期)頃の遺物のようです。

中国ではこの切手と一緒にツタンカーメン王の黄金仮面の切手も同時に発行して、三星堆遺跡がエジプト文明に対比されるべき重要な遺跡であることをアピールしています。


中国切手 2001年 ツタンカーメン王の黄金マスク


2021年10月27日水曜日

縄文人の顔のイレズミ

 NHKBS「英雄たちの選択」で「追跡! 古代ミステリー ”顔”に隠された古代人のこころ」を2021年10月20日と再放送27日の2回じっくり見ました。設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)の内容を番組にしたものです。

設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」は学習した内容をブログ「芋づる式読書のメモ」で17回連載記事にしたものであり、興味と愛着があります。テレビはニュース以外見ない私ですが、思わず2回もテレビを見た次第です。番組は弥生から古墳時代の顔のイレズミのミステリーをメインにしていますが、自分は縄文イレズミについて関心があり、その部分について感想を持ちましたのでメモします。

1 参考 番組の概要

・NHKBS 3チャンネル

・英雄たちの選択 追跡! 古代ミステリー ”顔”に隠された古代人のこころ

・2021年10月20日放送、27日再放送

・司会 磯田道史 、杉浦友紀 出演 いとうせいこう 、設楽博己 、松木武彦

・内容 東京大学名誉教授・設楽博己さんは、顔にイレズミとみられる表現が、縄文から弥生、古墳時代にかけて、形を変えて現れることを発見した。縄文的なこころが、形を変えて、弥生時代や古墳時代に伝えられているのだろうか? 最新の考古学の知見をもとに、「顔」が語る古代人の「こころ」をひもとく。そこから、弥生時代後期から古墳時代にかけて、大和地方に顔をめぐる驚くべきミステリーが浮かび上がってきた。(NHKページから引用)

2 縄文時代の顔イレズミに関する司会・出演者・専門家の話の要点

・土偶にみられる顔の線はイレズミかフェイスペイントと考えられるが、イレズミ説が有力である。

・縄文時代は男女ともにイレズミをした。(弥生時代以降イレズミは男だけ)

・トチの実アク抜きのための水システムが出来ていた。ダイズは栽培化が進み現代と同じような大きさにまで長年月かけて変化させていた。このような組織的取組のためには共同体でルール作りが必要で、結束しなければならない。その結束を確認しあうために顔のイレズミがあったかもしれない。

・顔に痛みを伴うイレズミをすることによって、大人になる試練とした。

・厳しい生活のなかで不安を除去するためには集団の中に入ることが必要であり、その集団帰属のために顔にイレズミした。

・集団帰属のためにイレズミだけでなく抜歯も行われた。


イレズミのある人面


イレズミのある土偶

3 感想

・縄文時代イレズミは通過儀礼としての利用、集団帰属感強化、集団結束強化として行われた(そのために必要であった)ということで番組発言を要約できます。まさにその通りだと思います。

・同時に顔のイレズミは単独に顔だけにあったのではなく、体全体にあるイレズミの一部であると考えることが合理的です。

・体のイレズミといえば、最近スノーマンの研究でイレズミと体損傷との関係が指摘されていて、新しいイレズミの意義として注目されています。

「彼の体には61の入れ墨があったが、それは損傷がある骨と関節の位置を示していた(現在のはり治療のツボとも一致している)。」(national geographic 「凍結ミイラ「アイスマン」発見から30年、明らかになった10の事実」 から引用

・顔のイレズミもその発生意義としてアイスマン研究成果のように、健康・安全などの祈願がメインであったのではないかと想像します。あるいは獲物や木の実などの獲得増大祈願であったのかもしれません。一言でいえばイレズミ本来の意義は呪的意義であると考えます。

・イレズミの通過儀礼としての利用、集団帰属感強化、集団結束強化などの社会的意義は社会が複雑化してから付加された二次的意義であるように感じられます。

・イレズミを始めた頃の縄文人意識では、イレズミとは自分を事故から守る、病魔から守る、獲物や食べ物を容易に獲るための祈願であったに違いありません。

・顔のイレズミを考えるに当たって、その社会的意義だけでなく呪的意義も考えないと片手落ちになると感じました。


2021年10月26日火曜日

アホウドリ骨製垂飾の3Dモデルによる観察

 加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」で展示されているアホウドリ骨製垂飾について2021.10.12記事「アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)」で「アホウドリの雄大な飛翔力(霊力)を自分に取り込む」という観念が働いていたと考えました。この垂飾の3Dモデルを作成して詳しく観察しました。刻印が付いていることに気が付きました。

1 アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)(市原市根田祇園原貝塚) 観察記録3Dモデル

撮影場所:加曽利貝塚博物館特別展「-市原市史跡指定-祇園原貝塚 千年続いた縄文のムラ」

撮影月日:2021.10.14


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 57 images


3Dモデルの動画

2 観察

2-1 サイズ

ショーケースの前にスケール(ファイバー製折尺)をおいて3Dモデルの中にスケールを取り込み、アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)のサイズを計測しました。


アホウドリ骨製垂飾(ペンダント)

現代ご婦人が着装するペンダントトップとほぼ同じくらいの大きさです。

2-2 浅い溝と刻印


浅い溝と刻印

3Dモデルで観察すると両端に近い場所に浅い溝があります。ここに紐を結び首からかけたものと推察できます。

深い刻印が2つ、浅い刻印が3つあります。ペンダントを首にかけた時、この刻印が正面に見えるようになります。

骨の厚さは0.8㎜ですから、深い刻印を石器等で刻むとき骨を貫通しないような微妙な手加減が必要となり、かなり意識を集中する作業になったことと推察します。

2-3 刻印の意味

刻印について最初は別のモノ(Y字型などの何か)をこの垂飾に付けた跡かもしれないと考えました。しかし、別のモノを付ける(縛る)とこのアホウドリ骨はあまり見えなくなってしまいます。そもそも市原ではアホウドリは獲れなかったと考えられます。このアホウドリの骨は南房総海洋をテリトリーとしている縄文人から入手した貴重で特別な霊力を帯びたものです。従って垂飾としてこの骨を骨として見せるような使いかたをしたと考えるのが順当です。従って、刻印はそれ自体に意味があるに違いありません。呪的意味のある模様(記号)であると想像します。この1点だけをいくら見つめても、残念ながらそれ以上に考えは深まりませんでした。

2021年10月25日月曜日

千葉県縄文土器の文様変遷図の組み換え

 八千代市立郷土博物館で開催中の「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」(主催:公益財団法人千葉県教育振興財団)の展示解説会に参加して縄文土器に関する最新情報を入手することが出来ました。

2021.10.23記事「らくがく縄文館展示解説会

1 千葉県縄文土器の文様変遷図

展示解説会で得た最新情報の中に千葉県縄文土器の文様変遷図があります。


主な文様の変遷

とてもよく整理されています。この図について展示解説会で詳しい説明がありました。

この図を「展示解説会に参加しました」みたいなSNS投稿の中で紹介させていただきました。そうしたところFacebook関根達夫さんからこの図の文様を出土順に並べ替えたものを送っていただきました。とてもみやすくなります。文様の出現時間順がとてもよくわかりますので紹介します。


「主な文様の変遷」らくがく縄文館資料の関根達夫式組み換え図(出現順組み換え図)

まず最初に出現したのが無文・隆起線文・貼付文であり、次いで沈線文・爪形文が出現し、その次が縄文です。縄文が最初から存在していたのではないということをこの図で一目で意識することができます。

縄文から遅れて撚糸文が生まれるという情報も撚糸文が縄文の応用形であると考えると納得できます。

撚糸文から遅れて貝殻文が出現しますが、展示解説会での説明のとおり、縄文海進と対応して貝殻文が発生したと合理的に理解できます。貝殻文の終焉も縄文海進が海退に転じて海岸線が台地から遠ざかることと対応しているのではないかと考えます。

縄文前期になってはじめて、より一層装飾的であり技巧的な文様がうまれます。縄文+無地文(磨消)、(結節)浮線文、(結節)半隆起線文、沈刻文などです。これで縄文土器の文様がすべて出そろいます。

2 十三菩提式土器(千葉市文六第2遺跡)の文様

展示されている十三菩提式土器(千葉市文六第2遺跡)は結節沈線文と沈刻三角文の文様組合わせで埋め尽くされていて感動的です。遠目には縄文のように見えますが、近くでみると4本の半裁竹管を横並びセットにして結節沈線文をつくり、別の道具で深い沈刻三角文を穿っています。


十三菩提式土器(千葉市文六第2遺跡)の展示(中央)


十三菩提式土器(千葉市文六第2遺跡)の文様


鳥頭形突起付土器を3Dモデルで観察する

 八千代市立郷土博物館で開催中の「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」で展示されている「鳥頭形突起付土器(加曽利EⅣ式)印西市馬込遺跡」の観察記録3Dモデルを作成してじっくりと観察しました。

1 鳥頭形突起付土器[加曽利EⅣ式](印西市馬込遺跡) 観察記録3Dモデル

鳥頭形突起付土器[加曽利EⅣ式](印西市馬込遺跡) 観察記録3Dモデル

撮影場所:八千代市立郷土博物館「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」

撮影月日:2021.10.19


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v6.010 processing 109 images


3Dモデルの動画

2 観察メモ

2-1 土器形状

・展示解説会(※)では鳥頭突起に対向する突起が尾羽、左(と欠けている右)の小突起が羽根であり、鳥が土器をくるんでいる造形(土器が鳥そのものの造形)であるとの説明がありました。

※2021.10.23記事「らくがく縄文館展示解説会

なお、この土器を上からオルソ投影してみると、ほぼ円形の土器に突起がついていることがわかります。


オルソ投影 上から

2-2 目

・鳥の目の付近に穴が二つありますが、目は嘴に近い方の穴が該当すると考えます。

2-3 8字状貼付文

・鳥の首に該当する部分の前後に太い隆帯で8字状貼付文が描かれています。よく見ると8字状貼付文の書き順が判るようになっています。この書き順は他の出土鳥頭突起も全て同じようです。


8字状貼付文 土器外


8字状貼付文 土器内


8字状貼付文の書き順


参考 大膳野南貝塚出土鳥頭突起にみられる8字状貼付文の書き順

2021.04.01記事「千葉市動物公園に展示されている鳥形突起(縄文後期初頭)

8字状貼付文は書き順が決まっている呪的形象で、縄文中期から継承されてきている縄文人には馴染み深いものであるようです。二つの渦(生と死)に始原をもつ記号で鳥頭突起では猛禽類が大空を飛翔する様子と重ね合わせてイメージされていたのかもしれません。

2-4 弥生時代鳥信仰との関係

展示パネルでは縄文時代鳥信仰と弥生時代鳥信仰の関連について触れています。弥生時代に大陸からもたらされた鳥信仰の下地がすでに縄文時代に形成されていた可能性があると考えます。


鳥に関する展示パネル


2021年10月23日土曜日

らくがく縄文館展示解説会

 2021年10月23日、八千代市立郷土博物館を会場に開催されている「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」(主催:公益財団法人千葉県教育振興財団)の展示解説会に参加して展示物の解説を聞くことができました。解説者は財団のハットリさんです。参加者は7名でした。展示は第1章から第5章までありますが、その順に全ての章の主要な展示物を詳しく解説していいただきました。縄文土器学習初心者の自分にとってまたとない知識吸収の機会となりました。自分が特に興味を持った点をメモします。

●第1章 縄文土器の美妙

(1)文様の美妙

縄文、半裁竹管文、貝殻文などについて展示土器を例に詳しい説明がありました。主な文様の変遷がパネルとパンフレットにまとめられていて縄文土器文様の全体像が俯瞰できます。


主な文様の変遷

(2)造形の美妙

器形の詳しい説明が展示土器を例にありました。異形台付土器が手燭形土器に変遷していくので異形台付土器が燻煙を伴う用途であったことの説明もありました。


展示されている異形台付土器と香炉形土器

また人の意匠、動物の意匠についての説明がありました。


サンショウウオの意匠

(3)彩色の美妙

黒漆の下地を塗り、その上に赤漆で文様を描く例などの説明がありました。


彩色土器

●第2章 縄文土器のライフサイクル

(1)制作

粘土積み上げ技法に関する統計的研究成果の展示があり、粘土積み上げに起因する矩形破片の展示がありました。興味深い研究です。


加曽利E式土器における部位別の「成形技法」のあり方

(2)使用

スス・コゲに関する展示物説明も興味深いものばかりです。壊れた深鉢を横に倒して使ったり、大きな破片をフライパンのように使った展示物もあります。


スス・コゲなどの使用痕展示

●第3章 土器型式と標式遺跡

「千葉県を中心とした縄文土器編年」表がパネル展示およびパンフレット掲載されています。千葉県の縄文土器編年の最新資料であり、学習にとても参考になります。


千葉県を中心とした縄文土器編年

●第4章 土器型式の移り変わり

阿玉台式土器の変遷について展示物により詳しい説明がありました。説明を受けて初めて知ることが多く、「現物+資料」だけの学習では効率がきわめて悪いことを逆に実感しました。


阿玉台式土器の変遷展示

●第5章 土器型式から見る地域性と文化の広がり

これまで阿玉台式土器と勝坂式土器の関係が詳しく調べられてきていますが、最近は阿玉台式土器と大木式系土器である七郎内Ⅱ群土器との関わりが判ってきたということで、阿玉台式土器と七郎内Ⅱ群土器の関係について詳しい説明がありました。自分にとっては聞きなれない新しいことばかりです。この説明の中で次の展示キメラ土器の説明もありました。興味が深まります。


深鉢(阿玉台式・勝坂式・七郎内Ⅱ群)(柏市小山台遺跡)


2021年10月22日金曜日

原田昌幸「土偶の多様性」学習感想 土偶大局観

 2021.10.21記事「原田昌幸「土偶の多様性」学習」で論文の内容と感想をメモしましたが、一晩寝る中で次のような新たな感想(想像)が生まれましたのでメモします。

ア 草創期から晩期までの土偶変化を3段階で大局的に捉えられそうです。

イ 草創期から早期の土偶は身につけて、あるいは手に握って、肉体として祈願する道具であったのではないでしょうか。祭壇に安置して拝むような使い方ではないと思います。

ウ 前期土偶は立像化と顔面形成を目指していて、前後の移行型と考えます。

エ 中期から後期半ばまでの立像土偶はほとんどすべての顔面が斜め上を向きます。顔面が上を向いているのは、それを見つめる縄文人と対面するためであると直観します。この場合、土偶と視線を合わせることができるのは1人だけです。つまり、立像土偶(カミ)は個人がカミと直接対話するための道具であると考えます。祭祀そのものは集団で行われたに違いありませんが、土偶の構造は個人祈願用であったと考えます。

オ 後期から晩期にかけての土偶は再び板状になります。土偶は祭壇に水平に安置されたと考えます。その土偶を集団が取り囲んで拝み、祭祀が行われたと想像します。土偶の構造は個人と対面するものから、多数人に対応できるもの、見られやすいものに変化したのだと思います。集団が祈願するのに都合の良いものに変化したのだと考えます。


原田昌幸「土偶の多様性」学習の感想メモ 土偶大局観(想像)


土偶利用の変化

2021年10月21日木曜日

原田昌幸「土偶の多様性」学習

 縄文時代土偶及び関連事項について専門的図書・論文を学習してある程度体系的で新しい知識を身につけることにしました。趣味として土偶を楽しむにしても最低限の基礎知識がなければより深く楽しむことが出来ないからです。

次の図書に掲載されている諸論文は興味深いものが多いので、逐次学習することにしました。

「縄文時代の考古学11 心と信仰 宗教的観念と社会秩序」同成社 2007

目次

1 総論 

縄文文化の宗教的観念と社会秩序〔小杉康〕

2 まつりの道具 

土偶の多様性〔原田昌幸〕

土偶の社会的意味機能―縄文終末から弥生前半における象徴的歴史観―〔阿部友寿〕

遮光器土偶〔金子昭彦〕

岩偶(晩期)〔稲野裕介〕

省略形土偶〔伊藤正人〕

仮面―遺跡における組成論―〔磯前順一〕

石棒〔鈴木素行〕

刀剣形石製品〔後藤信祐〕

石冠とその類品〔西脇対名夫〕

後期岩版類〔長田友也〕

3 モニュメント 

環状列石の造営〔宮尾亨〕

環状列石(東北・北海道地方)〔小林克〕

環状列石(関東・中部地方)〔石坂茂〕

環状木柱列〔西野秀和〕

大規模記念物と二至二分〔太田原(川口)潤〕

4 宗教的観念 

他界観念〔丹羽佑一〕

祖先祭祀〔谷口康浩〕

宗教的観念の発達過程(比較文化論)〔松本直子〕

屋内祭祀の性格〔山本暉久〕

物語性文様―縄文中期の人獣土器論―〔小杉康〕

5 文化移行期の祭祀 

縄文―弥生移行期における祭祀と変化〔小林青樹〕

縄文―弥生移行期における祭祀と変化(九州)〔大坪志子〕

縄文―弥生移行期の大型石棒祭祀〔中村豊〕

原田昌幸「土偶の多様性」(「心と信仰」同成社、2007)を学習しましたのでメモします。土偶型式の分類系統について要約的に情報を入手できたと思います。以下自分が興味をもった事項と感想をメモします。


「縄文時代の考古学11 心と信仰 宗教的観念と社会秩序」同成社2007の箱

この記事では原田昌幸「土偶の多様性」学習結果をメモします。

1 要旨メモ

ア 発生期・出現期土偶

・トルソー、 顔がない、四肢がない、意図的に壊していない。

・撚糸文土偶様式は地域偏在する。 房総中心、土器は広域に分布するのに。土偶受容に地域差。

イ 前期土偶

・前期土偶に顔表現の指向、立像への移行形態

ウ 中期土偶

・平面的顔表現、カッパ形

・縄文のビーナスの急速な完成…縄文社会の上昇的発展が反映されている。

・立像土偶の爆発的盛行、豊かな顔面表現…豊穣のシンボルの役割獲得

・最初の土偶盛行ピーク

・土偶多出遺跡とそうでない遺跡の峻別傾向

エ ポーズ土偶

・子どもの出産・養育・育児…家族レベルの祭祀

・仮面舞踏…集落単位以上の集団祭祀

オ 中期後半

・加曽利E式、曽利式土器様式になるとポーズ土偶が消滅、連弧文系土器様式の地域に限って素朴な先祖帰りした橋本土偶型式が分布する。土偶の手抜き…土偶役割期待の低下

・加曽利E式の東関東ではほぼ完全に消滅

・橋本土偶型式も加曽利EⅢ式期を最後に消滅

・加曽利EⅣ式期から後期初頭称名寺式土器様式の時期には、東北地方の一部を除き、ほぼ全国から土偶は消える。

・縄文世界における最初の「土偶存続の危機」

カ 後期前半

・堀之内土器様式期にハート形土偶 見事な「土偶の復活劇」

・仮面の女神 「カミ」の表象として豊穣の女神としてのトルソーが意識され始めた。体部表現に性表象を取り入れた結果。

キ 後期後葉

・加曽利B式土器様式期 山形土偶…板状化、「ひとがた」への抽象化の意識が顕著 性表象はわずかに読み取れる。椎塚土偶型式

・ひとがた像の変貌はカミの姿がつねに細かく変化しつづけていたから かもしれない。

ク 後期安行式土器様式期

・ミミヅク土偶 滝・馬室土偶型式 顔面がより具象から離れる 「ひとがた」像の極度の抽象化 豊穣のトルソーを離れてカミの姿へ昇華 性的表象が捨象 →後期後葉になってはじめて「性を超越した造形物・カミの姿。これ以前は土偶=女性像の潜在意識が働いていた。

・遮光器土偶 亀ヶ岡土偶型式 他の土器様式圏まで広く影響 最も効力がある土偶造形が模倣された。


自分専用学習図解メモ

2 感想メモ

・一般向け概説書ではない専門書としての土偶型式分類系統説明を初めて学習しました。余分な情報がないので土偶全体像をコンパクトに一気に理解できました。頭の中が整理できました。

・土偶の役割が大きくなる時期(土偶が盛行する時期)があるとともに土偶がほとんど消滅する時期があります。その理由はなぜか知りたくなります。現象的には土偶祭祀の効果がなくなったので土偶を捨てたということだと思いますが、土偶祭祀の効力がなくるような社会状況とはどのようなものか?

・加曽利EⅣ式~称名寺式期には土偶は東北の一部を除き全国からほとんど姿を消しています。この時期に関東では鳥頭突起付土器が出土します。土偶祭祀の代替として鳥信仰があった可能性があるのかどうか興味が深まります。

・この論文では家族レベル利用と集団レベル利用の区分など土偶利用について触れられていすが、もう少しリアルに祭祀体系(神話・呪文・儀礼・式)を知りたくなります。本書の別論文にそのような記述があるのか今後の学習が楽しみです。

・これまで自分が作った土偶観察記録3Dモデルは丁度50あります。この土偶3Dモデルをこの論文で学習した型式・様式で再整理したいとおもいます。

これまでに作成した土偶観察記録3Dモデル 


Sketchfab「土偶 arakiminoru」検索結果

なお、以前作成した土偶観察記録3Dモデル20選には時期が間違っているものがあり、本書情報をもとに修正することにします。


2021年10月20日水曜日

鳥頭形突起付土器の未調整素3Dモデル

 八千代市立郷土博物館で開催中の「らくがく縄文館-縄文土器のマナビを楽しむ-」で展示されている「鳥頭形突起付土器(加曽利EⅣ式)印西市馬込遺跡」の未調整素3Dモデルの動画です。


鳥頭形突起付土器の未調整素3Dモデル動画

狭いショーケース(3面ガラス、1面鏡)の隅という条件のもとで100枚以上の写真を撮影してできた最初の素モデルで、これから対象物を切り抜き調整して観察記録3Dモデルを作成します。


展示の様子

オーストリアの考古学切手 エフェソスのアルテミス女神像

 海外考古学切手収集を楽しんでいます。オーストリア切手(2020、エフェソス発掘125年)の図案がエフェソスのアルテミス女神像となっていますので紹介します。


オーストリア切手 2020年発行 エフェソス発掘125年

ギリシャ神話の狩猟・貞潔の女神アルテミスが小アジア古代都市エフェソスでは植物の豊穣や多産を管掌する地母神として崇拝の対象となりました。この像は一般に「多数の乳房を持つ豊穣の女神」として知られ紹介されていますが、乳房に乳首がないことから、女神への生け贄とされた牡牛の睾丸をつけているという異説もあります。

(以上Wikipediaアルテミスによる)

壮大なアルテミス神殿が立てられましたが現在では円柱1本だけになっています。


円柱1本だけのアルテミス神殿跡

エフェソス遺跡


エフェソス遺跡


エフェソス遺跡の位置

余談

エフェソス遺跡を訪問した時に、現地遺跡ガイドが棒で大理石遺物を直接敲きながら(指しながら)説明していて、ギリシャ遺跡とは異なり遺跡保護の観点が弱いような印象を受けました。今は改善されているに違いありません。