私の散歩論

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2024年9月30日月曜日

学習企画 人形塚古墳を3Dで再現 -設計線と埴輪が語る古代の風景-

 Interests related to the land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City


A land division line was excavated from Ningyozuka Tomb in Chiba City as a planned line for the construction of the tomb. I will use 3D modeling technology to deepen my learning about the significance of this land division line and have fun. In relation to this, I will also express the scene created by the excavated haniwa in a 3D model and enjoy learning.

In this article, I have sketched an outline of the study of Ningyozuka Tomb in Chiba City that will unfold from now on.


千葉市人形塚古墳から古墳築造計画線としての地割線が出土しています。この地割線の意義について3Dモデル技術を投入して学習を深め、楽しむことにします。関連して、出土埴輪が演出した情景も3Dモデルで表現して、学習を楽しむことにします。

この記事ではこれから展開する千葉市人形塚古墳学習の概要をスケッチしました。

1 千葉市人形塚古墳の地割線

1-1 既往資料における地割線解釈

1-1-1 城倉正祥氏の解釈(発掘調査報告書付章)

発掘調査報告書付章(城倉正祥)「4-2 墳丘規格と埴輪配列」では、後円部の二重の円弧は設計線で間違いないとしています。しかし、前方部の4本の直線は現状での墳丘各段の変換ラインと一致しないので、これは、当初の墳丘設計線が動かされているとしています。具体的には、4本の直線が後円部中心を原点にして、北へ5°回転させて施工されたという仮説を提示しています。

なお、前方部東側の2本の直線の間隔が、西側の2本の直線より広いのは、東側のテラスを埴輪演出のため広くしたため、背後の斜面も緩やかにしたためであると述べています。


墳丘全体図と地割線(発掘調査報告書221ページ)


前方部4本直線を北へ5°回転させた図(城倉正祥氏作成図、発掘調査報告書475ページ)

1-1-2 沼澤豊氏の解釈

沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(研究連絡誌、2008)では後円部の二重の地割線は墳丘設計線であるとし、内円は墳丘2段の裾線(盛土開始線)を示し、外円は周溝(内溝)の掘り込み開始線を示すとしています。前方部の地割線は未発見の地割線が2本あったことを想定して「前方部地割線折返し図」を作成しています。この想定と推定した前方部側縁が並行していることから、地割線が前方部の墳丘側縁部の構築に深く関わる計画線であったとしています。


前方部地割線折返し図

なお、前方部地割線は第1段から盛土しているので、埋もれて使うことができない非実用線であり、作業工程を検討したり、作業員の説明用だったと解釈しています。

1-1-3 感想

城倉正祥氏の地割線解釈は出土地割線4本を東西2本づつに分け、対応させていることから合理性を失っていると考えます。地割線を棄てて設計変更したことを想定しなければなりませんし、現状地形(西側が侵食の影響を受けている)を基準に東西の墳丘形状の違いを説明しています。従って合理性を欠くと判断します。

沼澤豊氏の解釈は背景となる墳丘規格理論を含めて合理的に感じます。

このような感想に基づいて、地割線の3Dモデルによる検討は沼澤豊氏の解釈に基づいて行うことにします。

1-2 3Dモデルによる検討

1-2-1 人形塚古墳等高線図の3Dモデル作成

人形塚古墳等高線図から、等高線で表現されている古墳形状の3Dモデル作成を作成します。

等高線から3Dモデルを作成する技術は次の記事でメモしました。

2024.09.16記事「紙等高線地図から地形3Dモデルを作成する方法

1-2-2 地割線図を参考にした人形塚古墳完成時3Dモデル作成

沼澤豊氏の墳丘規格理論を背景とした地割線解釈に基づいて、人形塚古墳完成時3Dモデルを作成します。

1-2-3 検討

人形塚古墳完成時3Dモデル作成作業のなかで、地割線解釈について学習を深めます。

2 千葉市人形塚古墳の埴輪演出

2-1 城倉正祥氏の検討(発掘調査報告書付章)

発掘調査報告書付章(城倉正祥)「4-2 墳丘規格と埴輪配列」では、埴輪に関して、前方部東側テラスに武人・巫女人物区画、職掌不明男女区画、馬子・馬セット区画が、前方部墳頂に家区画があることを把握しています。それらの埴輪配置により、古墳東側の墓道を登ってきたとき、視角的に「演出」された「装置としての埴輪空間」が存在していたとしています。


埴輪配置状況イメージ図

2-2 埴輪演出の3Dモデル表現

人形塚古墳完成時3Dモデルに埴輪3Dモデルをインポートして配置した3Dモデルを作成します。この埴輪インポート古墳3Dモデルで、様々な角度から古墳と埴輪がつくる風景画像を作成し、古墳と埴輪がつくる演出的意義について検討します。

なお、今回検討では精緻な埴輪3Dモデル作成は困難なので、簡易的3Dモデル作成(埴輪概形3Dモデル)とします。また、試行的予察的な意味合いの強い検討となります。

2-3 埴輪演出(他界観演出)の検討

埴輪配置が他界観演出であるという視点から、この時代の他界観について学習します。

3 関連事項

3-1 千葉市人形塚古墳と芝山町姫塚古墳等との関連

千葉市人形塚古墳と近隣古墳との類似性・共通性とその背景について、古墳形状(規格性)は主に沼澤豊氏著作により、埴輪は主に城倉正祥氏著作により学習を深めます。

……………………………………………………………………

追記

この記事の本文をテキストファイルにしてChatGPTに投入してブログ記事案を3つ提案してもらいました。結果は次の通りです。

「千葉市人形塚古墳の謎を3Dモデルで解明:地割線と埴輪演出を探る」

「人形塚古墳を3Dで再現:設計線と埴輪が語る古代の風景」

「地割線から読み解く千葉市人形塚古墳の真実と3Dモデルによる学習体験」

これらの表題は、記事の内容である3Dモデルによる古墳の地割線と埴輪の学習を強調しています。

このうち第2案を採用して、表題に利用しました。楽しいChatGPT遊びです。

2024年9月28日土曜日

中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)を楽しむ

 Enjoying Nakaie Keiji et al.'s "Uzbekistan Travelogue" (serialized article in the magazine "Geography")


I'm enjoying Nakaie Keiji et al.'s "Uzbekistan Travelogue" (serialized article in the magazine "Geography"), which I think is very interesting. I'm going to take notes on my impressions. Since I'm here, I'll also add my memories of my trip to Uzbekistan.


中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)がとても面白く、楽しんでいます。その感想をメモすることにします。折角ですから自分のウズベキスタン旅行の想い出も追記することにします。

1 はじめに

中家惠二さんから「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)の電子別刷をいただきました。この著作物を読んでみるととても面白く、感想をメモしたくなりました。またこれをキッカケに、自分も夫婦で以前ウズベキスタン旅行をしたことがあり、いろいろな想い出がよみがえります。さらにアラル海のことなどウズベキスタン関連ブログ記事も数編書いていて、それらも脳裏に浮かんできます。

このような状況が突然降って生まれました。中家さんの好意を受け、折角ですからその状況を十分に楽しむことにします。そのために、中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)の感想を自分の体験や検討を混ぜて数編のブログ記事にすることにします。

中家惠二さんとは50年以上前になりますが、「本邦初の応用地理を標榜する建設コンサルタント会社」で同僚でした。電子別刷を送っていただいた中家惠二さんに感謝します。

2 中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」の概要


ウズベキスタンへの旅13日間の行程

雑誌「地理」2023.11から引用

中家惠二ほかの方々が連名で雑誌「地理」に「シルクロードの十字路 ウズベキスタン」というシリーズ名でこれまでに11編の記事を書いています。現在も連載継続中です。

●記事リスト

第1回「ウズベキスタンの民と国と歴史」(雑誌「地理」2023.11)

第2回「笑顔の人々」(雑誌「地理」2023.12)

第3回「タシケント 前編」(雑誌「地理」2024.1)

第4回「タシケント 後編」(雑誌「地理」2024.2)

第5回「ヒヴァ 聖都・博物館都市」(雑誌「地理」2024.3)

第6回「ブハラ イスラムの聖地」(雑誌「地理」2024.4)

第7回「シャフリサブス ティムールのふるさと」(雑誌「地理」2024.5)

第8回「ウズベキスタンのシルクロード」(雑誌「地理」2024.6)

第9回「サマルカンド 前編」(雑誌「地理」2024.7)

第10回「サマルカンド 後編」(雑誌「地理」2024.9)

第11回「フェルガナ盆地 前編」(雑誌「地理」2024.10)

●著者リスト

中家惠二、今村遼平、高安克己、上野将司、尾上篤生、児井正臣、二村忍、岩尾雄四郎、星埜由尚、星埜祥子、興那覇準

3 ウズベキスタンについて

3-1 歴史と地理

第1回記事「ウズベキスタンの民と国と歴史」(雑誌「地理」2023.11)ではウズベキスタンの歴史と地理が詳しく書かれています。

ウズベキスタンの歴史は年表付きでとても詳しく書かれています。王朝の興亡が激しい様子が理解できます。

地形・地質についても詳しく説明されています。この説明をより深く理解するために、次のウズベキスタン-日本地勢比較3Dモデルを作成してみました。この3Dモデルは同縮尺、同垂直比率で作成していてウズベキスタン国土や地形を日本と比較して理解できるようにしました。この3Dモデルをいじりながら本著作を読み進めます。

ウズベキスタン-日本地勢比較3Dモデル

地理院地図の自分で作る識別標高図機能、3D機能で作成

ウズベキスタンと日本の地勢3Dモデルは同縮尺

垂直比率:×20.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


ウズベキスタン-日本地勢比較3Dモデル 動画


ウズベキスタン-日本地勢比較3Dモデル画像

3-2 現代風俗

第2回記事「笑顔の人々」(雑誌「地理」2023.12)ではウズベキスタンの現代風俗が詳しく書かれています。とても興味深い記述ばかりです。

ウズベキスタンの人々が明るく、日本人旅行者に友好的で親切である様子が書かれています。この様子は2016年に自分が旅行したときの印象と同じです。

また、地下鉄での人々の様子、公園での人々の様子、結婚式での人々の様子などが詳しく書かれ、ウズベキスタンの人々が辺境の人々ではなく、現代化された人々、清潔で明るく、人なつこい人々であることが各所で書かれています。

なお、「赤ちゃん商売」(赤ちゃんをダシにした物乞い)など、観光地特有の事象も書かれていて、とても興味深いです。

自分のウズベキスタン旅行は2016年でしたが、その時残したメモには次のように書かれていて、「ウズベキスタン紀行」と比較すると、ウズベキスタンがこの数年の間でも急激に変化(現代化)しているようだという感想を持ちます。

・地方では民族衣装を着ていて、バスには子供が手を振り、放牧がどこでもあり牛飼い、羊飼いが必ずいて、クワで耕す人も見かける。

・インフレであるが、生活に困窮している様子はない。

・心がすさんでいない。

・観光地でもボルようなことはないようだ。

・いたるところで観光地・町・道路などがリニューアルされていた。


2024年9月26日木曜日

マメ圧痕多数土偶に関連したメモ

 Notes related to clay figurines with numerous bean impressions


I believe that the Middle Jomon clay figurines (Jorinji site, Ina City, Nagano Prefecture), where numerous bean impressions can be observed, are clay figurines praying for a good harvest in bean cultivation. In relation to this, I compared the distribution of bean excavations and clay figurines excavated in the middle Jomon period in the Japanese archipelago. I believe that it is no coincidence that the high-density distribution areas of beans and clay figurines coincide in the central highlands.


マメ圧痕が多数観察できる縄文中期土偶(長野県伊那市常輪寺遺跡)を、マメ栽培の豊作を祈願した土偶であると考えました。関連して、列島縄文中期のマメ出土分布と土偶出土分布を比較してみました。マメと土偶の高密度分布域が中央高地で一致することは偶然ではないと考えます。

1 マメ圧痕が多数観察できる縄文中期土偶

土偶上半身(長野県伊那市常輪寺遺跡)観察記録3Dモデル画像


主なマメ圧痕とマメ遺体


主なマメ遺体

2024.09.22記事「土偶上半身(長野県伊那市常輪寺遺跡)観察記録3Dモデル

2 縄文時代のマメ科種子出土状況


中山誠二著「マメと縄文人」(2020、同成社)

中山誠二著「マメと縄文人」(2020、同成社)に、土器などに圧痕や遺存体で残されたマメ科種子の出土状況が表と分布で掲載されています。この資料から縄文中期のマメ分布(縄文人のマメ利用分布)を知ることができます。


縄文時代のマメ科植物分布図

中山誠二著「マメと縄文人」(2020、同成社)から引用


縄文時代のダイズ属・アズキ亜属の時期別分布

中山誠二著「マメと縄文人」(2020、同成社)から引用

この資料から縄文中期のマメ分布(縄文人のマメ利用分布)を知ることができます。

3 縄文時代の土偶分布


「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992、土偶特集号)

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992、土偶特集号)に当時の土偶悉皆調査結果が掲載されています。32年前の情報です。その後土偶出土例は大幅に増えています。しかし、土偶の地域相対的分布状況に大きな変化はないものと考え、この情報を使って、列島の土偶分布を把握することにします。


時期別土偶数

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成


土偶の分布(全時期県別分布)

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成


早期土偶分布

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成


前期土偶分布

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成


中期土偶分布

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成


後期土偶分布

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成


晩期土偶分布

「国立歴史民俗博物館研究報告第37集」(1992)から作成

2020.07.08記事「1992年全国土偶集成情報の分析

4 縄文中期マメと土偶の分布


縄文中期マメと土偶の分布

長野県伊那市でマメ栽培豊作祈願と考えられる土偶が出土したのは縄文中期です。その縄文中期のマメと土偶の分布図を並べてみると、高密度分布域が中央高地で一致します。マメ栽培と土偶が密接に関連していることの一つの有力材料です。土偶がマメや他の栽培植物の豊作祈願道具であった可能性が浮かび上がります。

技術メモ 等高線の3Dモデル

 Technical memo: 3D contour model


It seems that contour shape files created with QGIS cannot be made into contour 3D models in QGIS.

So I checked how to import contour shape files into BlenderGIS and make them into 3D models. I decided to enjoy looking at contour 3D models of problematic terrains such as archaeological phenomena.


QGISで作成した等高線shapeファイルは、QGISでは等高線3Dモデルにできないようです。

そこで、等高線shapeファイルをBlenderGISにインポートして、3Dモデルにする方法を確認しました。考古事象などで問題意識のある地形について、等高線3Dモデルを眺めて楽しむことにします。

1 等高線の3Dモデル

等高線の3Dモデル

作成方法:QGISで等高線shapeファイル作成→BlenderGISでオブジェクトファイルに整形してエクスポート

垂直比率:×1.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


等高線の3Dモデル画像


等高線の3Dモデル動画

2 作成方法メモ

2-1 QGISで等高線shapeファイル作成

・QGISで等高線をトレース、標高付与してshapeファイルで保存する。

2-2 BlenderGISへインポート

・等高線shapeファイルをBlenderGIS(アドオンBlenderGISが有効となっているBlender)にインポートする。その際、標高がフィールドのどの項目であるか設定する。同時にCRSを設定する。この例ではEPSG:6677-JGD2011 / Japan Plane Rectangular CS IX。(クエリーにEPSG:6677を入力すると、JGD2011 / Japan Plane Rectangular CS IXが応答してくる。)

2-3 オブジェクトファイルにするための整形作業

・取り込んだオブジェクト(メッシュ)をカーブに変換して、ベベル機能でチューブ状に整形し、さらにメッシュに変換する。

・メッシュにマテリアルを貼り付ける。

2-4 オブジェクトファイルのエクスポート

・整形したメッシュをWabefront(.obj)ファイルなどでエクスポートする。

3 メモ

QGISで作成した等高線shapeファイルを3Dモデルにして眺めたい(利用したい)のですが、QGISでは等高線3Dモデルを作成することはできないようです。(もしできるようでしたら、どなたか教えてください。)

そこで、等高線shapeファイルをBlenderGISに取り込み、3Dモデルにする方法を確認しました。考古事象などで問題意識のある地形について、等高線3Dモデルを眺めて楽しむことにします。

4 参考 QGISで作成したDEM、テクスチャのBlenderGISインポート

(紙等高線地図からv.surf.rstツールを活用して)QGISで作成したDEM、テクスチャもBlenderGISに取り込み、テクスチャが貼り付いた地形3Dモデルを作成することができます。

従って、QGISのQgis2threejsで3Dモデルを作成しなくても、DEMとテクスチャをQGISからエクスポートすれば、BlenderGISで3Dモデル作成ができます。Qgis2threejsで作成した3Dモデル(gltf)は必ず不必要な余白が含まれてしまい、扱いにくいので、BlenderGISで3Dモデルにした方が作業が効率的です。

5 関連記事

2024.09.14記事「千葉市人形塚古墳付近の開発前地形3Dモデル

2024.09.15記事「紙等高線地図から地形3Dモデルを作成する方法



2024年9月25日水曜日

土偶(愛称「つきミン」)(長野県伊那市月見松遺跡)観察記録3Dモデル

 3D model of the observation record of the clay figurine (nicknamed "Tsukimin") (Tsukimimatsu site, Ina City, Nagano Prefecture)


I created a 3D model of the observation record of the clay figurine (nicknamed "Tsukimin") (Tsukimimatsu site, Ina City, Nagano Prefecture) on display at the Ina City Creative Center. It has a cute face, but the snout sticks out, making it look like an animal. There is a large hole in the back of the head.


伊那市創造館に展示されている土偶(愛称「つきミン」)(長野県伊那市月見松遺跡)の観察記録3Dモデルを作成しました。愛らしい顔つきですが、吻が出ていて動物のように見えてしまいます。後頭部に大きな穴があります。

1 土偶(愛称「つきミン」)(長野県伊那市月見松遺跡)観察記録3Dモデル

土偶(愛称「つきミン」)(長野県伊那市月見松遺跡)観察記録3Dモデル

縄文中期初頭

撮影場所:伊那市創造館

撮影月日:2024.07.15


展示の様子

ガラス面越し撮影

3DF Zephyr v7.531 processing 83 images


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 メモ

この土偶は愛称「つきミン」として親しまれています。


つきミンのポスター


展示説明

愛らしい顔つきですが、吻が出ていて動物のように見えてしまいます。後頭部に大きな穴があり、何かを差し込んで使っていたのかもしれません。

この土偶が半獣半人像である可能性があるのかないのか疑問が浮かびます。もっと詳しく、背後なども観察したくなります。


2024年9月24日火曜日

有吉北貝塚北斜面貝層 UR-fl分布

 UR-fl distribution in the shell layer on the northern slope of the Ariyoshi Kita shell mound


A distribution map of UR-fl (a classification of flake stone tools) excavated from the shell layer on the northern slope of the Ariyoshi Kita shell mound has been created. The distribution is biased, so this is a piece of information that requires further investigation.


有吉北貝塚北斜面貝層から出土したUR-fl(剥片石器の一分類)の分布図を作成しました。分布の様子が偏っていて、要検討資料になります。

1 有吉北貝塚北斜面貝層 UR-fl分布

有吉北貝塚北斜面貝層 UR-fl分布

データ:発掘調査報告書

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像

2 メモ

2-1 UR-flについて


UR-flの挿図 北斜面貝層出土分

UR-flは剥片石器の一分類ですが、定形的な分類に当てはまらない剥片石器群をUR-fl(使用痕のある剥片)、OEF(楔形石器の剥片)、剥片一般に3分類したもののようです。(詳しい分類ドキュメントが発掘調査報告書には掲載されていないので、私の感想です。今後関係者に聞く機会があれば、分類方式を詳しく聞きたいと思います。)

恐らく、この剥片石器群の3分類はとても微妙ですから、個人によって、あるいは作業ロットの大小(1つの遺物観察に使える時間の量)によって、あるいは分類時期(分類習熟過程の違い)によって異なってくると考えます。

2-2 UR-flの遺構別出土数


UR-fl出土数

北斜面貝層の出土数が異常に少なくなっています。この遺構別出土数の分布は遺構別作業で統一が図られていないことによると想定します。

もし、そのような作業上の問題がなければ、北斜面貝層だけ特段にその数が少ない事象はきわめて鋭い問題意識を惹起します。

2-3 北斜面貝層におけるUR-fl分布

北斜面貝層のグリッドはⅠゾーン、Ⅱゾーン、Ⅲゾーン、Ⅳゾーン毎に10×10に区画されています。UR-flの分布はⅢゾーンだけに限定されています。このデータは作業上の特性(ⅢゾーンでしかUR-flが抽出されなかった)を表現していると想定します。

したがって、詳しい分析は略します。

もし、この分布が作業上の特性ではなかったならば、きわめて鋭い問題意識を惹起します。

3 感想

多量の石器を一つのストーリーで正確に分類することは、数年にわたり、何人もの担当者が変わるなかで、とても困難である様子を垣間見ました。


2024年9月23日月曜日

中期農耕説と土偶

 谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 20


The Middle Agricultural Theory and Clay Figurines


Study 20 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi


I learned about the relationship between the Middle Agricultural Theory and the interpretation of clay figurines, as described in “DOGU & SEKIBOU” by Yasuhiro Taniguchi. I am pleased that the destruction of clay figurines based on the Hainuwere myth, which I have hypothesized, is being reexamined due to the results of field research and archaeobotanical studies.


谷口康浩著「土偶と石棒」で記述されている中期農耕説と土偶解釈との関係ついて学習しました。自分が仮説してきたハイヌヴェレ神話にもとづく土偶破壊活動が、領域研究や植物考古学成果により再び検討俎上に上がりつつあることは喜ばしいことです。

第1章 縄文時代の儀礼と社会

3 土偶と石棒-異質なシンボルと儀礼-

(2)中期農耕説と土偶

【要約・抜粋】

・中期になると土偶の造形は急に具体的な容姿をもち始め、東日本各地で個性的な土偶型式が生み出される。

・具体的で明確な神観念が各地域で確立し、神霊への信仰が体系化された可能性が高い。

・中期土偶伝統の一つに「勝坂系土偶伝統」がある。

・勝坂系土偶の用途について土偶を破壊して破片を撒く、あるいは配布する行為が土偶祭祀の中心であるとする解釈(水野1974・1979)が出され、磯前順一も「死」が生の更新・再生としての意味を持つことを指摘して、故意破壊行為の解釈を補強した(磯前1987)。

「藤森栄一や吉田敦彦は、こうした土偶の破壊行為が、死体化生型作物発生神話に類似する点を指摘する(藤森1968、吉田1986)。死体化生型作物発生神話とは、AD.イェンゼンが「ハイヌヴェレ型」として類型化したものである。イェンゼンは、殺された女神の死体から作物が発生したとする神話要素が世界各地に分布することに注目し、主として根菜・果樹栽培をおこなう初期農耕民の原初的な神観念「デマ神」として類型化した(イェンゼン1977)。デマ神とは、神話的原古における偉大な存在であり、その社会にとって重要なすべてのものをもたらし、世界の秩序を基礎づけたと信じられている。藤森と吉田は、土偶の意図的破壊を女神殺しの神話と結びつけて、その意味を解釈したのである。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

・土偶の意図的破壊を前提としたこの学説には批判が多い。

「しかし、中期の社会背景の中で考えると、再評価に値する重要な問題提起を含んでいたのは確かである。

周知のとおり、勝坂系土偶伝統を保持した地域では集落の増大ぶりが著しく、拠点的な環状集落が多数出現した。集落の分布密度も高まり、内陸の台地・丘陵に広く展開して均等分布の傾向を強める。こうした地域的動向は生業形態や領域構造の大きな変化を表すものである。狭く密集した領域構造の出現は、集落周辺でおこなう生産の重要性を強く示唆しており、クリ・イモ類などの栽培が集落の周辺でおこなわれていた可能性が高い(谷口2003)。

信仰と儀礼の体系は、集団存続の基盤となる主要な生業とも密接に結びついていたはずである。中期農耕論の中で土偶の性格を考えようとした藤森らの仮説は、集落や領域構造の変化という生態的な見地からみても蓋然性があり、再検討に値する。儀礼行為の観点から土偶の取り扱いやこわれ方を再検討する必要がある。この問題については、近年の植物考古学的な研究成果も踏まえて、第7章であらためて考察することにしたい。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)


勝坂系土偶とこわされた破片 谷口康浩著「土偶と石棒」から引用

【感想】

・自分は、中期土偶の意義は吉田敦彦が指摘した死体化生型作物発生神話を参考にすると理解しやすい考えてきました。

・この死体化生型作物発生神話による中期土偶解釈が、近年の領域研究発展や植物考古学的成果で見直される気運が高まっていることは、これまでの自分の学習が生きることになり、喜ばしいことです。

・古田敦彦の指摘は、死体化生型作物発生神話のみならず、関連する神話でもとても参考になると考えます。

2019.03.24記事「顔面付釣手形土器と吉田敦彦「縄文の神話」

・[余談]作物の栽培が中期の中部山地で行われ、それに対応して汎世界的に分布する神話の分派が存在していたと考えるならば、結局は日本海を通じて富山・新潟あたりに大陸から作物栽培技術と神話が伝来したのだと考えることになります。

2024年9月22日日曜日

土偶上半身(長野県伊那市常輪寺遺跡)観察記録3Dモデル

 Observation record 3D model of clay figurine upper body (Jorin-ji site, Ina City, Nagano Prefecture)


The upper body of the clay figurine (Jorin-ji site, Ina City, Nagano Prefecture) was observed at the Ina City Creative Center and a 3D model was created. Numerous bean impressions and bean remains can be observed on this clay figurine. It is thought that this clay figurine was made to pray for a good bean harvest.

This clay figurine is valuable when considering the significance of mid-period clay figurines.


伊那市創造館で土偶上半身(長野県伊那市常輪寺遺跡)を観察し、3Dモデルを作成しました。この土偶はマメ圧痕とマメ遺体が多数観察できます。マメ栽培の豊作を祈願してこの土偶を製作したと考えられます。

この土偶は中期土偶の意義を考える上で、物質的証明要素を含んでいる点で、とても貴重な土偶です。

1 土偶上半身(長野県伊那市常輪寺遺跡)観察記録3Dモデル

土偶上半身(長野県伊那市常輪寺遺跡)観察記録3Dモデル

縄文時代中期

マメ圧痕とマメ遺体が多数観察できる

撮影場所:伊那市創造館

撮影月日:2024.07.15


展示の様子

ガラス面越し撮影

3DF Zephyr v7.531 processing 73 images


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 マメ圧痕とマメ遺体

この土偶はマメ圧痕とマメ遺体が多数観察できる特別なものです。


マメ圧痕


主なマメ圧痕とマメ遺体


主なマメ遺体

土偶の内外に多数のマメを埋め込んでいることが直接観察できます。圧痕は主なものだけ図示しましたが、小さいものもさらに多数あります。

圧痕だけでなく、マメ遺体も胴部断面で多数観察できることに驚きます。

これだけ多数のマメを土偶に埋め込んだ意味は、マメの豊作を祈願する対象としてこの土偶を製作したと考えることが一番自然です。マメは栽培していたからこそ、その豊作を祈願したのです。

マメの栽培-マメの豊作祈願-豊作祈願ツールとしての土偶という項目がしっかりと繋がったと考えます。

土偶は女性の祈願道具であることから、マメ栽培は女性が担っていたと考えます。

なお、中山誠二著「マメと縄文人」(2020、同成社)には縄文時代のマメ科種子の出土状況という詳しい表がありますが、この表には常輪寺遺跡の記述はありません。

この土偶は、「土偶の出現年代の古さからみても、人間生活にとってより基本的な祈りに関係したシンボル、とりわけ生命と生活を維持していくうえで欠かせない生産や食に関連した祈りの対象と考えるのが、やはりもっとも妥当であろう。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)という思考の正確さを証明するような土偶です。

この土偶は中期土偶の意義を考える上で物質的証明要素を含んでいるとても貴重な土偶であると考えます。

【追記 2024.09.23】
全国遺跡報告総覧から発掘調査報告書(「東方A・村岡北・村岡南・常輪寺下・北条遺跡」(1975、伊那市教育委員会)をダウンロードして確認したところ、この土偶は加曽利EⅠ式土器が出土する第18号竪穴住居内の穴の側面から倒立して出土したことがわかりました。土偶は出土写真が掲載されていますが、観察や記述は一切ありません。

有吉北貝塚北斜面貝層 石錐・削器・異形石器の分布

 Distribution of stone drills, scrapers, and irregular stone tools in the shell layer on the northern slope of the Ariyoshi Kita shell mound


A distribution map of stone drills, scrapers, and irregular stone tools excavated from the shell layer on the northern slope of the Ariyoshi Kita shell mound has been created. The scrapers include ones that were not moved much after being dumped.


有吉北貝塚北斜面貝層から出土した石錐、削器、異形石器の分布図を作成しました。削器は投棄後の移動が少ないものが含まれています。

1 有吉北貝塚北斜面貝層 石錐分布

有吉北貝塚北斜面貝層 石錐分布

データ:発掘調査報告書

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3Dモデルの画像

2 有吉北貝塚北斜面貝層 削器分布

有吉北貝塚北斜面貝層 削器分布

データ:発掘調査報告書

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3Dモデルの画像

3 有吉北貝塚北斜面貝層 異形石器分布

有吉北貝塚北斜面貝層 異形石器分布

データ:発掘調査報告書

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3Dモデルの画像

4 メモ

4-1 石錐


石錐 発掘調査報告書から引用

石錐の出土数は3で、出土場所はいずれもガリー流路筋に当たる場所です。従って投棄場所から移動している可能性が濃厚です。

4-2 削器


削器 発掘調査報告書から引用

削器の出土数は6です。ガリー谷地形の縁辺部から出土したものが3点あり、これらは投棄された場所からほとんど移動していないと考えられます。石鏃の投棄場所と近似しています。


削器の分布


石鏃分布のゾーン区分

2024.09.11記事「有吉北貝塚北斜面貝層 石鏃分布

4-3 異形石器


異形石器

異形石器の出土数は2です。出土場所はいずれもガリー流路筋に当たる場所です。従って投棄場所から移動している可能性が濃厚です。


2024年9月21日土曜日

土偶頭部(長野県伊那市今泉遺跡)観察記録3Dモデル

 Observation record 3D model of clay figurine head (Inezumi site, Ina City, Nagano Prefecture)


I observed the clay figurine head (Inezumi site, Ina City, Nagano Prefecture) at the Ina City Creative Center and created a 3D model. There are two facial contour lines, and it is made like a tray. It feels like a mask. There are swirls on the neck and top of the head.


伊那市創造館で土偶頭部(長野県伊那市今泉遺跡)を観察し、3Dモデルを作成しました。顔輪郭線が2本となっていて、お盆のようにつくられています。仮面のように感じます。首と頭頂部に渦巻きがあります。

1 土偶頭部(長野県伊那市今泉遺跡)観察記録3Dモデル

土偶頭部(長野県伊那市今泉遺跡)観察記録3Dモデル

縄文時代中期

撮影場所:伊那市創造館

撮影月日:2024.07.15


展示の様子

ガラス面越し撮影

3DF Zephyr v7.531 processing 95 images


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

2 メモ

・顔輪郭線が2本となっていて、お盆のようにつくられていて、仮面のように感じます。

・首と頭頂部に渦巻きがあります。

・人中(鼻と口の間の溝)が長く深く、間延びした印象を受ける顔になっています。

・鼻下から左右に伸びるヒゲのような2本の溝はイレズミを表現していると考えます。


横から


上から


土偶と石棒の異質さ

 谷口康浩著「土偶と石棒 儀礼と社会ドメスティケーション」学習 19


The difference between clay figurines and stone rods


Study 19 “DOGU & SEKIBOU: Rituals and the Domestication of Society in Prehistoric Jomon” by Yasuhiro Taniguchi


I learned about the difference between clay figurines and stone rods described in “DOGU & SEKIBOU” by Yasuhiro Taniguchi. I intend to follow the pages and digest the author's idea that clay figurines are objects of prayer related to production and food, while stone rods show a connection to ancestral spirits and ancestral worship.


谷口康浩著「土偶と石棒」で記述されている土偶と石棒の異質さについて学習しました。土偶は生産や食に関連した祈りの対象であり、石棒は祖霊観念や祖先祭祀との関連性が窺えるという筆者の考えを、今後ページを追って、咀嚼するつもりです。

第1章 縄文時代の儀礼と社会

3 土偶と石棒-異質なシンボルと儀礼-

(1)土偶と石棒の異質さ

【抜粋】

「土偶は第二の道具の中でも出現期がもっとも古く、草創期末ないし早期初頭に出現し(原田1997)、それ以後、縄文時代を通じて多様な系統と型式を派生しながら発達した(原田2010)。近畿地方の大川・神宮寺式系押型文期や関東地方の撚糸文期に出現した発生期の土偶は、抽象的かつ小型ながらも女性をイメー

ジして作られている(図4)。現在のところ最古例となる滋賀県相谷熊原遺跡と三重県粥見井尻遺跡出土の土偶(草創期後半)にも乳房の表現があり、明らかに女性をイメージした造形である。豊穣や多産への祈りから生み出されたシンボルという解釈があるのも、女性の性徴を表現するその造形による。

「土偶」とはひとがたの土製品を総称する考古学上の分類であり、多様な型式・系統の違いを無視して縄文時代の土偶の性格や用途を一律に考えることはできないが、女性的な造形表現は土偶の根源的なイメージを読み取る重要な手がかりとなる。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

「女性的造形を土で表現する土偶に対して、男性の性徴を石で表す石棒がある(図5)。二つの異質な象徴は、形態や大きさが対照的であるだけでなく、出現年代がかけ離れている。石棒が出現するのは中期初頭であり、草創期に出現した土偶に比べると約5,000年も後出である。土偶の起源が古く縄文文化の形成期にさかのぼるのは、生命維持に直結する豊穣や多産への祈りが古くから先行しておこなわれていたからであろう。それに対し石棒の出現時期が新しいのは、後から発達してきた神観念や儀礼に関係していることを意味するものと考えられる。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

「土偶と石棒は、土と石という素材の物質性、女性と男性という性徴表現、サイズと重量の違いのいずれにおいても、異質さが際立つている。石棒には祖霊観念や祖先祭祀との関連性が窺え、家族や親族集団がおこなう集団的儀礼の性格が読み取れるが、土偶にはそうした性格は認めがたい。土偶の出現年代の古さからみても、人間生活にとってより基本的な祈りに関係したシンボル、とりわけ生命と生活を維持していくうえで欠かせない生産や食に関連した祈りの対象と考えるのが、やはりもっとも妥当であろう。」(谷口康浩著「土偶と石棒」から抜粋引用)

土偶の遷移 谷口康浩著「土偶と石棒」から引用

石棒の諸形態 谷口康浩著「土偶と石棒」から引用

【感想】

・土偶は草創期に出現し、多様な型式・系統の違いがあるが、人間生活にとってより基本的な祈りに関係したシンボル、とりわけ生命と生活を維持していくうえで欠かせない生産や食に関連した祈りの対象であるという筆者の考えがよく理解できます。

・石棒には祖霊観念や祖先祭祀との関連性が窺え、家族や親族集団がおこなう集団的儀礼の性格が読み取れるという筆者の考えを今後咀嚼していくつもりです。


2024年9月18日水曜日

河川争奪説明等高線図の3Dモデル作成

 Creating a 3D model of a contour map explaining river capture


Using the v.surf.rst tool (a GRASS plugin for QGIS), I created a 3D model of a contour map explaining river capture published in a geomorphology textbook. Naturally, a 3D model allows you to observe the topography in more detail than a contour map, which in turn helps you understand the river capture phenomenon.


v.surf.rstツール(QGISのGRASSプラグイン)を使って、地形学専門書に掲載されている河川争奪説明等高線図の3Dモデルを作成しました。当然のことながら等高線図よりも3Dモデルの方が地形を細部まで観察できて、その分河川争奪現象の理解が進みます。

1 河川争奪説明等高線図


河川争奪説明等高線図(「地形学」(F.マハチェック著、技報堂、昭和50年)から引用)

2 河川争奪説明等高線図の3Dモデル

河川争奪説明等高線図の3Dモデル

河川争奪説明等高線図は「地形学」(F.マハチェック著、技報堂、昭和50年)から引用

上が河川争奪前、下が河川争奪後

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

3 参考

花見川は河川争奪により生まれた河川ですから、河川争奪には大いに興味を持っていて、これまで多数の記事を書いてきています。

記事例

2014.04.22記事「花見川河川争奪の特異な原理 動的河川争奪

2014.04.23記事「動的河川争奪 追考

2014.05.08記事「花見川河川争奪のまとめ

2014年当時v.surf.rstツールが利用できる状況にあれば、その時の河川争奪検討はもっと深まり、わかりやすい表現が可能であったとふりかえります。

花見川が河川争奪河川であったために東京湾と印旛沼を結ぶ舟運路(途中に船越(=短区間陸路)あり)が古代に栄えました。その後、江戸期には東京湾と印旛沼を完全に水路で繋ぐ工事(印旛沼堀割普請、国家的プロジェクト)が行われました(失敗)。現在は印旛沼の洪水を東京湾に流す放水路の役割を担っています。