2014年4月23日水曜日

動的河川争奪 追考

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その8

河川争奪の原理として動的河川争奪という概念と事例を発見しました。
従って、河川争奪の原理は静的河川争奪(いままでの河川争奪の原理)と動的河川争奪(事例:花見川河川争奪)の2つで構成されると考えます。

ここではその考えに基づいて思考実験を行います。

思考実験 1 静的河川争奪と動的河川争奪を統合して考えることができるか?
静的河川争奪と動的河川争奪を統合して考える一つの可能性として次のような地形発達仮説を設定してみました。

思考実験1の結果

動的河川争奪という現象があるのですから、動的河川争奪が発生した場所では静的河川争奪→動的河川争奪という順番で河川争奪が発生していると考えることが合理的です。

思考実験 2 花見川河川争奪の現場に思考実験1の結果をあてはめるとどうなるか?
花見川河川争奪の現場に思考実験1の結果をあてはめると次のような結果になります。

思考実験2の結果

赤枠付近の場所に未知の河川争奪(静的河川争奪)が存在していたのではないかという思考結果です。

一見しただけではこの付近の地形から河川争奪を見つけることはできません。
したがって、検討を深めれば

ア 詳しい調査を行えば河川争奪地形の痕跡が見つけられるか、
イ 過去には存在していたが、現在は侵蝕作用で失われたことが判るか、
ウ もともと存在していない(思考実験1の結果の不備・誤り)か、

いずれかの結果を得られる(判断することができる)ことになります。

思考実験 3 一般的河川争奪概念に思考実験1の結果をあてはめるとどうなるか?
一般的河川争奪概念に思考実験1の結果をあてはめると次のような結果になります。

思考実験3の結果

未知の動的河川争奪の存在事例を発見できるのではないかという思考結果です。

静的河川争奪に加え、動的河川争奪が生起した事例があっても、これまではだれからも発見されたことがありませんでした。
それは動的河川争奪という概念を誰も持ったことが無かったためです。

動的河川争奪という概念を持って地形を観察すれば、その地形を各所で発見できる可能性があると思います。

ただし、現在「河川争奪の地形がある」といわれるほとんどの場所は静的河川争奪の段階でとどまっている事例だと考えられます。ですから、その付近でいくら動的河川争奪を見つけようと思っても、それは困難だと思います。
動的河川争奪が生起した場所は同時に静的河川争奪も生起していて、その姿は「河川争奪らしい地形」になっていない可能性濃厚です。争奪の肘と風隙が離れています。

動的河川争奪は静的河川争奪ほどには多くは無いかもしれませんが、日本で花見川だけ1箇所であるということはありえないと考えます。生起頻度は低くても一般地学現象であると考えます。

なお、精査はこれからですが、このブログで発見した印旛沼筋河川争奪も動的河川争奪です。

2 件のコメント:

  1. 海老川(Ebigawa) 乱歩(Ranpo) です。

    今の時点では、花見川の源流の有力候補は、
    赤の楕円で囲んだ領域内にある、神場公園の谷津(さつきヶ丘中の西側)
    ではないでしょうか。

    神場公園の谷津の延長線上にも勿論、川があった事は推定できますが、
    (印旛水系の最南端がJR外房線土気駅北側のため、東京湾方向も十分範囲に入ると推定できる。)

    Google Earth で確認する限りでは、東京湾水系の侵食が激しいため確認できません。

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  2. 海老川乱歩さん
    コメントありがとうございます。

    おっしゃるとおり、神場公園の谷津が花見川原始谷津筋だと思います。

    その谷津が小さすぎる理由は、東京湾水系の頭方侵蝕が北上している時に、検見川の谷津とか畑町の谷津などの侵蝕が先に行われ、その時に花見川原始谷津が破壊されていたためと考えます。

    なお、さつきが丘団地のある場所の地形が開発で大幅に変わっています。この場所の本来の地形は短い谷津が規則正しく4本存在します。神場公園の谷津を含めると兄弟のような谷津が5本ならんで存在します。
    ですから、花見川筋だけではなく、近隣の原始谷津がここに深い谷として残ったという考えも検討しなければならないと思っています。

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