花見川河川争奪を知る15 思わぬみっけものに興奮
2011年10月6日記事「花見川河川争奪の証明」の文章を一部削除したことを、前記事で報告しました。
この削除した文章にある花見川本川谷底と前谷津谷底の段差の成因については、やはり気になっています。
戦後の印旛沼総合開発の工事前の段差と、現在の段差を比較すれば、江戸時代の堀割普請によりできた段差の量と戦後の工事で出来た段差の量を分離して把握することができます。
それができれば、江戸時代の堀割普請の工事土量がわかり、普請の実体を定量的な工事量としてより正確に把握できます。
また、谷津の形成にかかわるなんらかの情報も得られるかもしれません。
このような視点から旧版1万分の1地形図(大正6年測量)と迅速図(2万分の1、明治15年測量)をみましたが、問題個所に段差は表現されていません。
そのようなことを考えているとき、米軍撮影空中写真なら戦後の工事前の地形実体を把握できることに気がつきました。
それを入手(購入)しようとして国土地理院のWEBをのぞいてみると、その空中写真の電子ファイルをフリーに閲覧(「名前を付けて保存」でjpgファイルのダウンロード可)できることが判り、驚きました。
さらにダウンロードした連番2つの電子ファイルをディスプレイ上でならべて裸眼実体視を試みると、
なんと鮮明な映像で地形の起伏が実体視できました!!!
久しぶりにパソコンの前で静かに大興奮しました。
すきな時に、すきな場所、すきな時点の空中写真をダウンロードして、それをパソコンディスプレイ上で実体視できる環境が日本に実現していたことに驚きました。
案の定という表現がぴったりですが、案の定、この実体視により花見川本川と前谷津の間に、戦後工事前の明瞭な段差を確認できました。その他、地図では分からなかった地形の様々な特徴が、凹凸が強調されている実体視画面の中に広がっています。
そして、さらに、なんと、堀割普請により原地形が失われたと勝手に思い込んでいた場所に、
古柏井川の谷壁の断片と考えられる地形を、複数個所発見しました。!!!
古柏井川の谷底の断片と考えられる地形まで見つかります。
古柏井川の谷地形復元に手が届いたという感触を持ちました。
その地形が花見川方向と勝田川方向でともに、これまで見過ごしてきた河岸段丘に連続しているということにも気がつきました。(追って詳細は報告します。)
米軍空中写真の閲覧と実体視により、自分の花見川河川争奪検討に一つの転機が訪れました。
終戦直後に撮影された米軍空中写真で地形を実体視で調べることができるということは、人工改変が少ない場所なら、大正、明治、江戸時代、さらにさかのぼってその地形をほぼそのまま正確に把握できるということだ、と私は思います。
地図という人の抽象化過程が介在する間接的情報ではなく、地物そのものの直接的情報を3D画像として認識できることに興奮が収まりません。
河川争奪以外の興味(縄文語「ハナ」地名由来の地形、子和清水の姿、縄文丸木舟出土地の状況、続保定記絵地図掲載情報の現地比定、特殊演習場など軍関係施設の残存状況など)にも米軍空中写真実体視は、大いに活用できそうです。
私の散歩にとって革命的と言えるほどのツールを入手できたことになります。
散歩のICT化をまた一歩進められそうです。
花見川谷底の段差から、思わぬみっけものを得ました。
裸眼実体視した画面
ダウンロードした写真は1949年米軍撮影、縮尺1:16000。ファイルの画像解像度は200dpi。
参考
国土地理院の空中写真閲覧ページ
「国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧」 http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
現在公開されている空中写真
1936年1月~1945年12月撮影:約 17,000枚
1946年1月~1960年12月撮影:約144,000枚
1961年1月~1970年12月撮影:約138,000枚
1971年1月~1980年12月撮影:約393,000枚
1981年1月~1990年12月撮影:約 56,000枚
1991年1月~2000年12月撮影:約 71,000枚
2001年1月~2009年12月撮影:約174,000枚
2010年1月~2010年11月撮影:約 15,000枚
始めまして 犢橋に住んでおります。
返信削除松本清張の著書に 花見川のことを書いたのがあると昔聞いたことがあるので 松本清張 こてはしと 入力したら このプログに 会えました。
面白くて 興味深くて 昨日からお気に入りに 加え 仕事の合間に 開かせていただいています、
私には とても 難しいのですが みなれた 風景の写真も多く 楽しみが ひとつ増えました、
今月 72歳になりましが 少しずつ 花島公園あたりに散歩に出かけて みようと思っています。
ねむの木さんコメントありがとうございます。
返信削除私は松本清張の天保図録の記述を専門書「印旛沼開発史」(栗原東洋著)が一つの学説として紹介検討していることを読んで、松本清張と栗原東洋の2者と堀割普請の土木工法について興味を深めました。
これからもこのブログをよろしくお願い申し上げます。