2019年10月23日水曜日

加曽利EⅡ式期人口急増急減と土器分布(机上メモ)

縄文土器学習 269

これまでの記事と関連しませんが、突然のことですが、加曽利EⅡ式期の人口急増急減に興味が立ち向かい、それと土器分布の関連について想像が及びましたのでメモします。
同じ事象(加曽利EⅡ式期人口事象)についてこの2-3年の間繰り返し想像(空想)していますが、机上の空論とはいえ、少しずつ煮詰まってきているような感じをもっています。

1 加曽利EⅡ式期の人口急増と急減
加曽利EⅡ式期の人口急増と急減の様子は各種資料で確認できます。次の資料はそのひとつです。

関東地方西南部における竪穴住居跡数の推移 「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」から引用

2 自己触媒的増殖としての加曽利EⅡ式期人口急増
加曽利EⅡ式期人口急増は自己触媒的増殖現象として捉えられると考えています。

【自己触媒的増殖】
●環境変化や技術的発明により食物をこれまで以上にたくさん獲得できるようになった。

●栄養状態の改善により乳児死亡率が低下するなどして人口が増えた。

●増えた人口を養うために生業地開発、生業技術開発、分業や効率化にかかわる社会体制開発等が進み、ますます獲得食物量が増えた。

●獲得食物量の増大と人口増加及び空間的・技術的・社会的開発が正のサイクルとして進行して、ますます人口が増えた。

●食物獲得量の増大が人口増加を賄いきれない限界に到達し、社会崩壊した。人口の一時的広域逃散を伴う急減。

ブログ「芋づる式読書のメモ」2019.05.15記事「自己触媒的食料獲得量増加」参照

3 人口急増期の土器
加曽利EⅡ式土器が人口急増期の土器です。

人口急増期の土器
加曽利貝塚博物館企画展パンフレット引用・追記

人口急増期の巨大土器
加曽利貝塚博物館企画展に展示された加曽利EⅡ式深鉢形土器
土器の巨大さや口縁部平滑は多量ドングリの効率的保存食化に使われたと考えます。その背後にはそれだけの多量ドングリを採集する効率的社会組織が存在していたことを示します。

4 自己触媒的増殖の結果加曽利EⅡ式土器が関東広域に分布する(仮説)
自己触媒的増殖期に新たな生業地開発を求めて、人口急増ゾーンから関東広域(あるい中部・東北まで)に人々が移動したと考えることができます。
また、自己触媒的増殖が破局を迎えた時、社会崩壊により人口急増ゾーンから関東広域(あるいは中部・東北まで)に人々が一時的に逃散したと考えることができます。
このような理由により加曽利EⅡ式土器が関東広域に分布するのではないかと考えます。
このような考え(仮説)が成り立つかどうかを見極める材料の一つに、次のような加曽利E式土器分布図に時期別データ(EⅠ、EⅡ、EⅢ、EⅣ)を書き込んでみることが考えられます。EⅡ(の影響)がダントツに多く、EⅢやEⅣは少ないと予想します。

加曽利E式土器分布図
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用



2019年10月18日金曜日

縄文前期人頭形土製品(デスマスク)3Dモデル

縄文土器学習 268

1 人頭形土製品3Dモデル
成田市下総歴史民俗資料館に縄文前期(諸磯式期)人頭形土製品[レプリカ](南羽鳥中岫第1遺跡E地点)が展示されていて、以前から興味をもっていましたので3Dモデルを作成しました。

人頭形土製品[レプリカ](南羽鳥中岫第1遺跡E地点) 観察記録3Dモデル
撮影場所:成田市下総歴史民俗資料館
撮影月日:2019.09.05
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.513 processing 24 images

人頭形土製品[レプリカ](南羽鳥中岫第1遺跡E地点)展示の様子

2 人頭形土製品の記述
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」にはこの人頭形土製品についてつぎのように記述されています。
「人頭形土製品は南端の土壙から出土している。人頭形土製品とは人間の頭部を写実的にかたどった土製品をさす。これが出土した土壙の形状は、1.14×0.83m、深さ30cmの楕円形を呈しており、その規模から、被葬者は屈葬の姿勢で葬られたと考えられよう。本遺物は土壙中央の壁際に横たえられており、出土した位置や高さから、遺骸の隙間に置かれた可能性が高い。人頭形土製品は、器高15.1cm・最大幅13.5cm・開口部8.0cm、器厚は頭頂部で最大15cmである。製作技法は土器と同様、輪積み技法を用いているため、中空であり、頭頂部は土器の底部を丸く削って作り出している。また顔面表現のほとんどは、粘土を貼り付けて表現されており、隆帯の貼り付けによる眉表現と膨らませた眼によって落ち窪んだ眼窩を表現し、横位の沈線で閉じた眼を描いている。鼻は立体的で高く、ヘラを用いて鼻孔を深くあけている。口の部分もほかと同様に、粘土の貼り付け後に沈線による表現が行われる。このように各部は精巧に作られるが、頭髪や耳の表現は省略されている。また、唇の下および縁に沿っては穿孔が計4か所にあり、人頭形土製品の使用方法を解明する手がかりとなるものと思われる。例えば、これに紐を通すなどして、蓋を被せる、固定させるなどの機能が考えられるが、慎重に検討する必要がある。人頭形土製品は土器製作技法を応用して作成されているため、逆さにすると容器としても使用でき、土製品と土器の二面性を兼ね備えている。しかし。土器として直立させた場合、底部を丸く削っているために非常に不安定であり、顔面表現も逆になること、また内部の調整が粗いことなど、容器としての機能は二次的なものと判断されるが、副葬品としての性格上、内部に供物を入れて埋葬者に供献した可能性は否定できない。この土壙からは、人頭形土製品のほかは明らかに副葬された遺物はない。また、土製品自体にも時期を明示できる特徴的な文様が皆無であることから使用された時期については不明である。しかし、前期土壙群の範囲内のひとつの土壙から出土していること、土壙形態が前期のそれに類似すること、遺物を共伴する前期土壙の特色に似ていることなどから考え、前期の所産ととらえたい。」

人頭形土製品の写真と出土状況
「印旛の原始・古代-縄文時代編-」(2007、財団法人印旛郡市文化財センター)から引用

3 メモ
埋葬者の顔を模したデスマスクであると考えます。
眼窩のへこみや鼻のとがり方、唇が出ていることなどの特徴から、長い殯期間を終えて遺体がミイラ化した時点でこのデスマスクがつくられたと考えられます。
殯期間の最後をデスマスク作成で区切り、遺体をデスマスクとともに土坑に埋葬したと考えます。

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参考 3Dモデルのカメラ配置

2019年10月17日木曜日

石棒の3Dモデルと妄想

1 石棒の3Dモデル
縄文木製弓の近くに石棒が置いてあり、参考までに石棒の3Dモデルも作成してみました。
2019.10.17記事「亀田泥炭遺跡出土木製弓の3Dモデル作成」参照

石棒の観察記録3Dモデル
縄文時代晩期 石棒(匝瑳市豊和地区出土) 観察記録3Dモデル
撮影場所:匝瑳市立のさか図書館展示室
撮影月日:2019.09.04
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.513 processing 18 images

石棒展示の様子

2 石棒に関する妄想
この匝瑳市豊和地区出土石棒をみると亀頭に曲線を用いた造形が施されていて、通常の亀頭とは大いに異なり、不思議な感じがします。違和感を持ちます。謎解きを迫られた感じになります。
私は石棒に関する知識は文字通り皆無です。石棒がペニスを模したものであることしか知りません。webをざっとみると形態分類や地理的分布など詳しい分析があるようですが、それらを読んだことは全くありません。
無知識をよいことに、この石棒をネタにして手元情報だけで勝手な妄想を楽しんでみました。
2-1 最初の妄想 自傷行為
縄文人は体に入れ墨をしています。また抜歯をしています。これらの行為は苦痛を伴います。抜歯は咀嚼能力を減退させ健康に悪影響を及ぼします。しかし縄文人にとって大切な行為でした。
同様に、亀頭に自傷行為をして変形させる風習があり、それで「男をあげた」のかもしれません。亀頭に自傷行為をすれば激しい苦痛だけでなく、一時的に生殖活動もできなかったに違いありません。
マヤ文明のウシュマル遺跡でペニス(亀頭ではなく竿の部分)に放血のための沢山の傷をつけた男性リーダーの像を見たことがあります。

ウシュマル遺跡僧院の男性リーダー像
マヤ文明では集団リーダーが自らのペニスから放血して、その血を儀式に使ったそうです。そうした苦痛に耐えることがリーダーの資質であったようです。

2-2 二番目の妄想 交合描写
3Dモデルをみると、自傷行為で亀頭を変形させたにしてはその造形の曲線が「ねっとり」しすぎています。
もしかすると・・・。
交合によって亀頭が変形している様子、相手器官により亀頭部分をくわえられた様子をリアルに表現しているようにも見えます。
最近読んだ武居幸重著「文様解読から見える縄文人の心」(諏訪郷土研究所発行)には次のような交合石棒の絵が掲載されています。

交合石棒
武居幸重著「文様解読から見える縄文人の心」(諏訪郷土研究所発行)から引用
この石棒亀頭部に刻印されている模様(記号)が女性を表しているから交合石棒であると説明されています。「交合」は女性は記号で、男性はペニス造形そのもので表現されています。

匝瑳市豊和地区出土石棒はこのような観念記号的交合石棒とは異なる、交合による亀頭部変形というポルノ顔負けの描写をしている石棒かもしれません。

亀田泥炭遺跡出土木製弓の3Dモデル作成

縄文木製品学習 10

2019.09.04に匝瑳市立のさか図書館展示室にお伺いして亀田泥炭遺跡出土木製弓の観察機会を得ることができましたのでメモしておきます。

1 亀田泥炭遺跡出土木製弓について
亀田泥炭遺跡から縄文後晩期土器と一緒に丸木舟、木製弓、多数の棒状木製品が出土しています。

亀田泥炭遺跡出土木製品
発掘調査報告書から引用

木製弓出土の様子
発掘調査報告書から引用
木製弓は発掘調査報告書で次のように記述されています。
「弓は、南側調査区の第6層の暗黒褐色泥炭層より出土した。全長(残存長)88.7cm、最大長径2.7cm、最大短径2.35cmを測る。弓の先端部には左右対象に弦をまき付ける浅い溝を有し、弓の中央部に径2㎜~6㎜、深さ2㎜~3㎜程度の溝が付けられており、この溝は恐らく弓を引いたとき引力により弓の折れるのを防ぐものではないだろうかと思われる。また弓には樹皮が4箇所巻き付けられてあったが、そのうち2箇所は樹皮の巻き付けられていた痕跡が残っている。弓の表面は、念入りに枝払いされ丁寧に表面を磨いている。樹皮を巻き付けることは恐らく弓の強度を増す為のものだろうか。またこの弓は半分に折れており、どの様な状況下で折れたのかは不明である。弓の材質は同定の結果イヌガヤであることが判明した。弓に巻き付けられていた樹皮は同定不可能であった。」


2 木製弓(実物)展示の様子と観察記録3Dモデル作成

木製弓(実物)展示の様子
保存処理されていることによるからであると考えますが、とても縄文時代遺物とは思えない現代製品的質感がします。

木製弓の観察記録3Dモデル
強くしならせても耐えられるだけの強度を生むために溝が彫られていて、それが反った外面にあることがわかります。
ガラスドアを開けていただいて撮影したのですが、左1/3にはガラス面がかかり、弓の途中にガラスドア端の反射が2列投影されていまっています。

3 参考 亀田泥炭遺跡棒状木製品と雷下遺跡棒状木製品の類似性
亀田泥炭遺跡出土棒状木製品(縄文後晩期)と市川市雷下遺跡出土棒状木製品(縄文早期)に形態的類似性があり、西根遺跡出土棒状木製品(縄文後期 イナウ仮説設定)との関連から、これらの用途不明棒状木製品に強く着目しています。
匝瑳市を訪れたのは棒状木製品観察を主目的にしていましたが、残念ながら棒状木製品現物は観察することができませんでした。
2019.06.09記事「異なる2遺跡から出土した棒状木製品の意匠近似性」参照

2遺跡出土木製品で意匠が近似する2つの木製品

2019年10月10日木曜日

関山式片口付土器の3Dモデルによる筋肉感覚的観察

縄文土器学習 267

1 はじめに
twitterでKiKiKiさんから私の関山式土器3Dモデルに関するツィートコメントをいただきました。
注口に角度があることのご指摘です。
ハタッとこれは重要なご指摘であると気が付きました。
土器実物を手に取ることができる専門家ならば、かならずや片口方向の偏向に気が付き、すでに専門分析があるに違いありません。その必ずあるにちがいない分析論文を探すのは後回しにして、自分でまず確かめてみました。
当方は土器実物を手に取りマジマジと眺める機会を得ることはできません。しかし3Dモデルによりそれとほぼおなじことができます。3Dモデルの活用方策の一つの事例ともなります。
これまでに3Dモデルにした関山式片口付深鉢形土器が4点みつかりましたので、並べて比較検討してみました。
3Dモデルをくるくる回したり、拡大縮小したり、マウスで動かしていると、片口偏向の様子から縄文人による右手と左手の使い勝手の様子を「筋肉感覚」的に感得(観察)することができます。
以下3Dモデルの視覚的観察のみならず、筋肉感覚的観察を行ったメモです。

2 4事例の片口の偏向
2-1 例1

例1 片口の偏向(上から)
片口の流向方向が土器中央からの直線に対して左側に偏向しています。
片口を利用して液体を別の容器に注ぐとき、右利きの人が扱いやすい形状となっています。

例1 通常視点
3Dモデル

2-2 例2

例2 片口の偏向(上から)
片口の流向方向が土器中央からの直線に対して右側に偏向しています。
片口を利用して液体を別の容器に注ぐとき、左利きの人が扱いやすい形状となっています。

例2 通常視点
3Dモデル

2-3 例3

例3 片口の偏向(上から)
片口の流向方向が土器中央からの直線に対して右側に偏向しています。
片口を利用して液体を別の容器に注ぐとき、左利きの人が扱いやすい形状となっています。

例3 通常視点
3Dモデル

2-4 例4

例4 片口の偏向(上から)
片口は偏向していません。右利き、左利きの人兼用です。ただし波状口縁が大きいので片口は利用しずらかったにちがいありません。

例4 通常視点
3Dモデル

3 考察
片口の偏向が別の容器に液体を注ぐときの使い勝手を考えた発明であり、右利きの人用と左利き人用の2種あると考えました。別に波状口縁が大きいものは偏向を加えていないと考えました。
片口偏向に関するこのような基本的考えが合理的であるかどうか、確かめる必要があります。
もし片口偏向の様子から右利きの人と左利きの人の割合を推定できれば、面白いことです。(正確には土器を右利きの人と同じような土器扱いを好む人と左利きの人と同じような土器扱いを好む人の割合です。)




2019年10月9日水曜日

黒浜式土器他2点の3Dモデル作成を楽しむ

縄文土器学習 266

千葉市あすみが丘プラザ展示室に展示されている縄文土器の3Dモデルを作成しました。この展示室は野外の光を全面的に取り入れているロビーに隣接していて、展示ショーケースガラス面に野外光が反射して写ってしまいます。そのため3Dモデル土器表面にガラス反射面光景が焼き付いているなど難点の多い3Dモデルとなりました。

1 3Dモデル作成に利用した写真

3Dモデル作成に利用した写真(一部)

3Dモデル作成に利用した写真(反射光の強いものの例)

2 3Dモデル

3Dモデル作成画面
ガラス反射面光景が土器表面に焼き付いている様子
実物にはない穴も開いている。

3Dモデル作成画面
土器を上からのぞき込むようなカメラ位置では反射光が生まれないので、土器内部はきれいな3Dモデルとなっている様子

黒浜式土器(千葉市弥三郎第1遺跡)他2点 観察記録3Dモデル
4…関山式土器(千葉市弥三郎第1遺跡)
6…黒浜式土器(千葉市弥三郎第1遺跡)
7…浮島式土器(千葉市文六第1遺跡)
撮影場所:千葉市あすみが丘プラザ展示室
撮影月日:20190826
ガラス面越し撮影のため難点の多い3Dモデルとなっている

3 感想
・ガラス面反射が思いのほか3Dモデルに悪影響を及ぼしています。展示室に隣接するロビーが野外光を全面的に取り入れる建物構造となっているため、その遠方の明るい野外光が展示ショーケースガラス面に強烈に写ってしまうためです。
・難点の多い3Dモデルですが、土器学習入門者(=自分)の学習資料としては大変有用であると考え、有効活用することにします。
・「作品」的価値からこの3Dモデルを評価することは意味のないことであると考えます。
・難点が多いといってもこの3Dモデルと一緒に元写真27枚があり、それは3Dモデルとは独立した貴重な情報源です。
・この3Dモデルを3つの土器それぞれに分解して個別3Dモデルにします。個別土器3Dモデルが貯まった段階で整理作業を予定します。

2019年10月8日火曜日

関山式片口付深鉢形土器の3Dモデル作成を楽しむ

縄文土器学習 265

野田市郷土博物館で周回多視点撮影をした縄文土器5点のうち関山式片口付深鉢形土器(稲荷前遺跡出土)の3Dモデルを作成しました。

この記事では作成作業で着目した次の技術的興味2点についてメモします。
・ガラス面越し撮影ではない、さえぎる物がない状態での撮影でできる3Dモデルの出来ばえ。
・パソコン更新で使えるようになった新パソコンの作業時間短縮の様子。

1 3Dモデルの出来ばえ

撮影写真の一部
60枚の写真を市民集いの間(資料閲覧スペース)で通常室内光で撮影しました。

3Dモデル最初画面

3Dモデル 切抜画面

3Dモデル 最終調整画面

関山式片口付深鉢形土器(野田市稲荷前遺跡)観察記録3Dモデル
撮影場所:野田市郷土博物館
撮影月日:2019.09.09
3Dモデル写真測量ソフト3DF Zephyrで生成v4.509 60画像の処理
撮影掲載は野田市郷土博物館の許可による

3Dモデルとしての出来ばえは自分がこれまでに作成したモデルの中ではベストといえるものです。特段の難点は見つかりません。
土器を机の上の置いて、その周りを回りながら撮影できれば、通常の室内光でレベルの高い3Dモデル作成が可能であることを確認できました。
土器の形状・模様の細部まで確認できます。学習資料としての用途として大変優良です。個人でつくる縄文土器web展示館に展示しても恥ずかしさを感じることのない「作品」的なレベルであると考えます。
照明装置やカメラ、撮影技術など特段の機材・スキルを必要としないでこのような3Dモデルができることにわれながら感動します。
次の記事でこの優良モデルとは正反対の難点の多い通常ガラスショーケース展示土器の3Dモデル作成を楽しみます。

2 パソコン作業時間
8年前のパソコン(購入時Windows7)を現時点最新鋭Windows10パソコンに更新して、3Dモデル作成作業をしました。3Dモデル写真測量ソフトは同じ3DF Zephyr Liteです。
作業時間が1/4~1/5に短縮しました。旧パソコンでは、写真枚数にもよりますが、60枚程度の写真を使うときはCPU100%を含む時間が15分程度つづく場面があり、「コーヒーを飲む」休憩の時間となりました。
新パソコンではコーヒーを飲む余裕は生まれません。
3Dモデル作成の時短が実現したので、溜まっている写真をはやく3Dモデルにして、いつぞやには縄文土器3Dモデルの整理分類分析作業に移りたいと思います。

2019年10月6日日曜日

柳田國男館訪問 30年前の希望が叶う

飯田市美術博物館の常設展示縄文土器2点の3Dモデル用撮影をした際、館に隣接して柳田國男館が併設されていること知り、訪れてみました。

40年以上前から柳田國男に興味を持ち、その著作が豊かで途切れることのない泉のような優良情報源であると直感しています。柳田國男を縄文学習とすら結び付けて考えています。
2017.07.28記事「イナウ学習 柳田國男「花とイナウ」による
2017.07.30記事「イナウ学習 梅原猛 柳田國男 金田一京助」など

ガラス張り入り口ドアから室内に人がいる様子が見えたので、ドアをあけて入ってみました。後からわかったのですが、本来は飯田市美術博物館に事前申し込みして予約の上観覧できる施設でした。当日は偶然「伊那民俗学研究所」の方がいらっしゃって、運よく内部を観覧させていただき、詳しい説明を受け、写真撮影もできました。

お話を聞くと、なんとこの建物は成城にあった自宅兼書斎の建物を移築したものであるとのことでした。
書斎にあった膨大な図書は成城大学に寄贈されたことは知っていましたが、自宅兼書斎はどうなったか知りませんでした。30年程前に世田谷成城の何処に自宅兼書斎建物があるのか調べて見学に行こうとしたことがあります。その時はすでに現場に無いことを知りました。
ただ、全集月報かなにかだったと思いますが、「戦時中大書斎で行われていた定例研究会が暖房用燃料不足で寒くて、毛布を巻いても寒いので、開催不可能になった」と読んだことを覚えています。柳田國男の湧きいでる発想が暖められ、著作になっていくその現場の書斎空間そのものが見られなくて残念な思いを持った思い出があります。

その30年前に断念した柳田國男大書斎見学が突然実現したので、驚愕です。思わず自分の驚きを研究所の方にべらべらしゃべってしまいました。

柳田國男の成城自宅兼書斎の大書斎空間
飯田市柳田國男館(成城から移築)

大書斎空間を見学して、柳田國男が収集した膨大な資料とそれに裏付けされて発信された膨大な優良情報に思いを巡らしました。自分の趣味活動に強い刺激を受けました。
現在取り組んでいる趣味学習は縄文ですが、どこかで柳田國男から得た情報の活用がありうるのではないかと考えています。
縄文土器学習に意識を意図的に狭窄させている状況の中で、一時の意識拡大の甘美な時間を味わいました。

飯田市柳田國男館(成城から移築)

飯田市柳田國男館(成城から移築)

参考 柳田國男館リーフレット表

参考 伊那民俗学研究所リーフレット表







2019年10月5日土曜日

飯田市上郷考古博物館の観覧

縄文土器学習 264

飯田市上郷考古博物館の縄文土器展示を観覧しました。

飯田市上郷考古博物館の縄文土器展示の様子
通路と展示を区切る背の低いガラス柵以外のガラス面がない「露天」的な展示方式であり、3Dモデル撮影をする自分にとってはうれしい展示方式です。

千葉の土器と比べると装飾が強いものが多いように感じます。

縄文土器展示の様子(3Dモデル作成用撮影の一コマ)

縄文土器展示の様子(3Dモデル作成用撮影の一コマ)

縄文土器展示の様子(3Dモデル作成用撮影の一コマ)

施設入り口にはガラス張りケースに収められた「顔面把手付釣手土器」(黒田垣外遺跡、縄文中期中葉末~後葉)が展示されています。

「顔面把手付釣手土器」(黒田垣外遺跡、縄文中期中葉末~後葉)

興味を引く土器ばかりであり、3Dモデルを作成しながらじっくり学習することにします。

館で過去企画展図録「下伊那唐草文土器~縄文中期後葉伊那谷南部の地域性~」を入手しました。

過去企画展図録「下伊那唐草文土器~縄文中期後葉伊那谷南部の地域性~」
加曾利EⅡ式頃の伊那谷南部の縄文土器が「下伊那唐草文土器」として独立形式となっています。興味深い土器文化圏模式分布図が掲載されています。

下伊那唐草文文化圏を中心とする土器文化圏模式分布図
H17企画展図録「下伊那唐草文土器~縄文中期後葉伊那谷南部の地域性~」から引用

多数の展示縄文土器すべてについて3Dモデルを作成してモニター画面上でじっくり観察することにします。
唐草文は列島規模で共通している模様であり、その意義について学習を深めることにします。