2024年10月29日火曜日

千葉市人形塚古墳 当初3D形状復元のための検討資料

 Chiba City Ningyozuka Tomb: Study materials for the original 3D shape restoration


In order to restore the original 3D shape of Chiba City's Ningyozuka Tomb, I created a document (conceptual material) in which the information currently known is entered into the 3D model of the excavated tomb. This has deepened my understanding of the 3D shape of the tomb.


千葉市人形塚古墳の築造当初3D形状を復元するために、現段階で判った事項を出土古墳3Dモデルに記入した資料(概念資料)を作成しました。古墳3D形状認識が一歩深まりました。

1 千葉市人形塚古墳 当初3D形状復元のための検討資料

千葉市人形塚古墳 当初3D形状復元のための検討資料


説明

1 周溝などからの古墳立ち上がり線(35.0m~36.0m)二重になっているところもある。

2 地割線が描画されている整地盛土面の造成範囲(36.5m)古墳平面外形に近似した形で造成されている。

3 テラスの範囲(37.2m)上段テラスとの境は地割線による。武人埴輪などが展示された。

4 上段テラスの範囲(37.5m)馬や馬子埴輪が展示されたテラス。

5 小段(盛土第1ステップ)範囲(38.2m)盛土施工の段階区切に小段が残ったと考えられる。

6 墳頂部(38.2m~40.2m)前方部墳頂部には家形埴輪が展示された。

テクスチャ図面は沼澤豊氏作成「千葉市人形塚古墳企画図」を引用

垂直比率:×3.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 メモ

千葉市人形塚古墳の築造当初の3D形状を復元するために、現段階(2024.10.29)で判った事項を出土古墳3Dモデル(表土、流土を剥がして出土した古墳3D形状…等高線図から3Dモデル化)に記入した資料を作成しました。

1 古墳立ち上がり線

周溝などからの古墳立ち上がり線(35.0m~36.0m)は出土古墳3Dモデル(元は等高線図)から地形を読み取り描画しました。。

2 整地盛土面の造成範囲

地割線が描画されている整地盛土面の造成範囲(36.5m)は斜め空中写真と地割線空中写真を出土古墳3Dモデルおよび等高線図と照らし合わせて判定しました。後円部の整地盛土面の造成範囲は地割線外円推定線にほぼ一致します。地割線が描画されている整地盛土面が古墳平面外形に近似した形で造成されている事実は、地割線を描く前に既に設計諸元に基づき整地盛土工事が行われていたことを物語っていて、地割線描画意義検討に関する重大情報となります。

3 テラス

テラスの範囲(37.2m)上段テラスとの境は地割線によります。武人埴輪などが展示された。後円部のテラス内側線は地割線内円に一致します。

4 上段テラス

上段テラスの範囲(37.5m)馬や馬子埴輪が展示されたテラス。古墳及び埴輪展示を観覧するための主要視点場は横穴式石室付近であると考えられます。この付近からテラスに展示されている埴輪を観覧する時、馬、馬子などの埴輪は遠方になるため、テラスを一段(30cm)高くして見やすくしたと考えられます。埴輪展示の演出(他界観の演出)の詳細(テラスを一段高くした)を地割線に描いたこと自体が、この古墳の特性を物語っています。この古墳は発掘調査報告書で強調されているように、埴輪展示の演出効果を特段に意識しています。

5 小段

小段(盛土第1ステップ)範囲(38.2m)盛土施工の段階区切に小段が残ったと考えられます。小段の線形は地割線により想定しました。盛土を安定させる(排水、圧密沈下)ために墳丘盛土は2段階に行われたと土層断面図から判断されています(発掘調査報告書)。盛土の最初のステップと最後のステップの間に小段(イヌ走り)が形成されたと想定します。等高線図にその残片を観察できます。

6 墳頂部

墳頂部(38.2m~40.2m)前方部墳頂部には家形埴輪が展示されました。前方部墳頂部線形は地割線に基づきます。前方部墳頂部の高さは40.2m、くびれ部の高さは38.2m、後円部墳頂部の高さは39.2mと想定しました。高さ推定の根拠は沼澤豊氏の古墳設計原理復元研究にもとづく24等分値(基準単位)の援用によります。

なお本資料での墳頂部表現は単純模式的ですが、実際の古墳形状は滑らかな線形であったと推定します。


2024年10月26日土曜日

技術資料 千葉市人形塚古墳 前方部地割線の立体空間表示

 Technical data: Chiba City Ningyozuka Tomb - 3D spatial display of the front land division line


The front land division line of Chiba City's Ningyozuka Tomb was displayed in 3D at the height it represents. Now that I know the meaning and height of the land division line, I can create a 3D model of the restored tomb.


千葉市人形塚古墳の前方部地割線を、それが意味する高さに立体表示しました。地割線の意味と高さが判ったので、古墳復元3Dモデル作成が可能になりました。

1 千葉市人形塚古墳の前方部地割線の立体空間表示

千葉市人形塚古墳の前方部地割線の立体空間表示

3Dモデルの垂直比率:×3.0

古墳のテクスチャは沼澤豊氏作成「前方部地割線折返し図」を引用

前方部頂部の高さは40.2mで想定

くびれ部の高さは38.2mで想定

出土物としての地割線は盛土整地面(高さ36.5m)に描かれている。(このモデルでは非表示)

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

2 前方部地割線について


人形塚古墳 高さの略推定

これまでの検討結果を上図にまとめました。

前方部地割線AとCは墳丘盛土(第1ステップ)のラインを描いていると想定します。その場所は盛土工事の大きな節目の場所であり、地形的には小段(犬走り)が設けられていたと想定します。この地割線は等高線(38.2m)です。

前方部地割線Bは墳丘盛土頂部の左側肩線を描いていると想定します。地割線外円より手前は等高線(40.2m)、それより先は傾斜線(40.2m-38.2m)であると想定します。

前方部地割線Dは、埴輪展示演出効果を高めるために右側だけに設けられた1段高いテラスの肩線を描いていると想定します。

3 感想

後円部と前方部の地割線全ての意味と高さ(想定)の検討がひとまず終わりました。後円部頂部平坦面領域を沼澤豊氏想定(直径4単位)を利用すれば、人形塚古墳の復元3Dモデル諸元がすべて揃ったことになります。早速人形塚古墳の復元3Dモデルを作成して、検討を次のステップに深めることにします。



2024年10月25日金曜日

2枚の空中写真から作成した地形3Dモデル

 3D terrain model created from two aerial photographs


Using VisualSFM and MeshLab (both free software), I created a 3D terrain model from two aerial photographs. Although it is not yet at a practical level, it is impressive that I was able to create a 3D model from two photographs.


VisualSFMとMeshLab(ともにフリーソフト)を利用して、2枚の空中写真から地形3Dモデルを作成しました。実用レベルには到達していませんが、2枚の写真から3Dモデル作成が出来たことは感動的です。

1 2枚の空中写真から作成した地形3Dモデル

2枚の空中写真から作成した地形3Dモデル

未調整


使用空中写真

使用ソフト:VisualSFM、MeshLab

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 感想

3枚以上の写真なら3DF ZephyrやRealityCaptureで3Dモデルを作成することができます。米軍空中写真数枚を3DF Zephyrに投入して戦争直後の千葉市花見川区付近の地形3Dモデルを作成したことがあります。しかし、2枚の空中写真で3Dモデル作成ができるフォトグラメトリソフト(フリーソフトあるいは高額商品でないもの)の存在は知りませんでした。

なにがキッカケであるか、自分でも思い出せませんが、2枚の重なる部分がある空中写真から地形3Dモデルを作成する方法をChatGPTに訊ねました。その結果、今回のVisualSFM、MeshLabを使う方法を教えてもらいました。

今回の方法は、穴開きが多く、実用的に使えるレベルにはありません。しかし、2枚の写真でフォトグラメトリによる3Dモデル作成ができたことはとても感動的です。数十万円の専門家用ソフトならば2枚の写真から本格的3Dモデル作成が可能であることは体験(※)したことがあります。この分野の興味を持続して情報収集すれば、2枚の空中写真から本格的3Dモデル作成が可能なフリーソフト(あるいは低価格ソフト)に遭遇するのは時間の問題であると楽観視して、楽しみに待つことにします。

※ 2012.12.30記事「地物の3次元モデル化ソフト image master ビギナーズ

3 VisualSFMの使い方 メモ

・次のサイトがダウンロードや使い方の参考になりました。著者のyosiさんに感謝します。

VisualSFMで画像から3次元形状推定する

・VisualSFMのダウンロードはchromeではできませんでしたので、edgeでおこないました。

4 参考 ChatGPT質問・回答

【質問】

重なり合った部分がある2枚の空中写真を右の目で右の写真を、左の目で左の写真をみると、立体的な地形として見ることができます。この原理により2枚の重なった部分のある空中写真からパソコンで地形3Dモデルを作成する方法があれば教えてください。正確性はなくても簡易的にできる方法があれば、それを知りたいです。

【ChatGPT回答】

空中写真から簡易的な3D地形モデルを作成する方法として、ステレオ写真の原理を利用した「ステレオマッチング」という技術があります。この技術では、異なる視点から撮影された2枚の写真の重なり合った部分を比較し、対応する特徴点を検出して距離情報を計算し、立体的なモデルを作り出します。

ここでは、正確性は必要ないとのことなので、専門的なソフトを使わずに、比較的簡易的にできる方法を紹介します。

●必要なツール

VisualSFM(無料の3D再構築ソフトウェア)

Meshlab(3Dモデルの編集や表示ができる無料ソフト)

2枚の空中写真(重なり部分がある)

●手順

VisualSFMのダウンロードとインストール

まず、VisualSFMをダウンロードしてインストールします。これは、2枚の写真からカメラの位置や対象物の3D形状を推定してくれるソフトウェアです。

●写真の読み込み

VisualSFMを開き、空中写真2枚を読み込みます。左目用と右目用の2枚の写真を使用します。

●特徴点の検出とマッチング

読み込んだ写真に対して、自動で特徴点を検出して、同じ位置の特徴点をマッチングします。この作業はVisualSFMが自動的に行います。

●ポイントクラウドの生成

マッチングが完了したら、VisualSFMは3Dのポイントクラウドを生成します。これが簡易的な3Dデータです。

●Meshlabでの表示

ポイントクラウドをMeshlabに読み込むと、3D表示が可能になります。Meshlabを使って、さらにポリゴンメッシュに変換することもできます。

●3Dモデルのエクスポート

Meshlabでモデルをエクスポートして、STLやOBJなどの3Dフォーマットで保存できます。

[補足]

●精度の向上

簡易的な方法では、データが粗い場合が多いため、ステレオ写真の解像度や撮影角度の違いが精度に大きく影響します。より多くの写真を使ったり、角度を工夫したりすると精度が向上します。

●オルソ写真の利用

空中写真がオルソ補正されている(正確な位置情報が付加されている)場合、さらに高度な処理も可能です。

●代替の簡単な方法

オンラインツールの利用

「DroneDeploy」や「Pix4D」などのドローン撮影を利用した3Dモデル作成サービスを利用するのも手です。無料版でも簡易的な3Dモデルの作成が可能です。

これらの方法で、簡易的な3D地形モデルを作成できます。


2024年10月23日水曜日

千葉市人形塚古墳 地割線の第2意義

 The second significance of the land division lines at Ningyozuka Tomb in Chiba City


Among the land division lines at Ningyozuka Tomb in Chiba City, there are some that have no practical use. I believe that this was necessary to pass the on-site inspection of the tomb construction conducted by the undertakers (Haburi no Tsukasa), the overall administrator and organization of the tomb rituals dispatched by the Yamato royal authority.


千葉市人形塚古墳地割線の中に実用性がない地割線があります。それはヤマト王権から派遣される古墳儀礼の統括管理者・機関である、視葬者(はぶりのつかさ)が行う古墳築造現場検査に合格するために、必要だったからと考えました。

1 千葉市人形塚古墳の地割線

千葉市人形塚古墳の地割線は、旧地表面に古墳外形の形状範囲で厚さ30cm程度の黒土盛土をして整地し、その整地面に描かれています。


地割線を描くために整地盛土した範囲と地割線

ベース写真は発掘調査報告書から引用

描かれた地割線は後円部では地割線内円e、前方部では地割線外円fと地割線a、b、c、dです。地割線の意義は次のとおり仮説しています。


模式断面図と地割線の位置

これらの地割線は地割線外円fを除いて、これからの古墳築造のために必要な実用的設計線です。しかし、地割線外円fはこれからの古墳築造には不用の線です。対応する造形上の傾斜変換線等がありません。

地割線外円fが示す円形は古墳の大きさを示す最も基本的な設計諸元です。しかしこの設計諸元は古墳外形として盛土整地面造成で使われていて、盛土整地面に描く必要はありません。一言でいえば、地割線外円fは実用性が全くない線です。(なお、地割線外円fと地割線bの交点は前方部墳丘天端の傾斜変換点になるので、重要です。しかし、その交点は地割線外円fを描かなくても得られる情報ですから、わざわざ地割線外円を描く必要はありません。)

2 千葉市人形塚古墳地割線の第2意義

千葉市人形塚古墳地割線に造形上必要性のない線がふくまれている理由を次のように考えました。

2-1 視葬者(はぶりのつかさ)(視喪者)による古墳大きさ検査に必要な情報であるため

古墳の大きさはヤマト王権が埋葬者の貢献度等を考慮してランク付して、最終的に決定されます。千葉市人形塚古墳の大きさ(後円部直径)は径18歩(24.7m)の規格値であると考えられています。(沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(研究連絡誌、2008)による)

視葬者(はぶりのつかさ)(視喪者)[ヤマト王権から派遣される古墳儀礼の統括管理者・機関]あるいはその下部地方機関は、千葉市人形塚古墳の大きさが設定したランクの規格どおりであるか検査していることは間違いありません。書類検査だけでなく現場でその大きさを検査しているに違いありません。古墳外形を盛土整地して、そのうえに地割線を描いた段階で、検査を受ければ、視葬者に古墳の大きさや特徴を詳しく説明することができます。その際、後円部地割線外円を描いておけば、それが古墳直径を示す円の一部であり、検査で距離測定する場合にとても好都合です。後円部地割線外円を描いて置かなければ、現場でこれが古墳直径ですとわかりやすく説明することが困難です。

つまり、地割線外円fは築造工事には不用ですが、ヤマト王権の検査に合格するためには、必須の地割線であったと考えます。

2-2 地鎮祭に参加する要人に現場で古墳特性を理解してもらうため

古墳築造の地鎮祭が地割線が描かれた段階で行われた可能性があります。古墳外形がつくられ、設計主要線が地割線として描かれた段階で工事の成功や安全を祈願して地鎮祭を行い、その後本格的盛土工事に突入したと考えます。その際、地割線外円fを描いておけば、古墳設計概要を参加要人に理解してもらいやすくなります。散供場所の説明もしやすくなります。


地鎮祭の散供場所(空想)

3 感想

地割線の工事のための実用機能を第1意義、視葬者検査に対応するためなどの説明機能を第2意義としました。第2意義のために実用機能のない地割線を描いていることから、また、実用上必要な地割線が全部描かれていないことから、第2意義の役割が考える以上に大きかった可能性があります。



千葉市人形塚古墳 斜め空中写真の判読

 Interpretation of oblique aerial photographs of Ningyozuka Tomb in Chiba City


A careful observation of an oblique aerial photograph of Ningyozuka Tomb in Chiba City with the topsoil stripped away. It has been newly discovered that the leveled embankment surface with the land division lines was constructed in the shape of the outer burial mound. It has also been discovered that water was poured into the outer perimeter ditch for an elaborate design.


千葉市人形塚古墳の表土をはぎとった姿の斜め空中写真をじっくり観察。地割線を描いた整地盛土面は、古墳外形で造成されていたことが新たに判明。外周溝に水を流して趣向を凝らしていたことも判明。

1 千葉市人形塚古墳 斜め空中写真の判読

発掘調査報告書掲載斜め空中写真をスキャンして、パソコンで印刷用網掛のドットしか見えないまでに大伸ばしして、観察しました。時間をかけて何度も観察するうちに、いろいろなことがわかりました。

1-1 旧地表面の抽出と地割線描画用整地の範囲


旧地表面の抽出結果

ベース写真は発掘調査報告書から引用

古墳外形を縁取るように旧地表面が観察できます。この情報はかなり重要な情報です。つまり、地割面を描いた整地盛土面は旧地表面に古墳外形の形状で造成されたことがわかります。


地割線を描くために整地造成した範囲(イメージ)

ベース写真は発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書と沼澤豊氏論文では、整地面に地割線を描き、後円部では外円を描き、その地割線外円を使って周溝を掘削した。従って地割線外円は残らなかったと同じことを述べています。斜め空中写真判読から、この想定は間違いであり、描かれた地割線外円は出土した部分だけであったことが判明しました。旧地表面を整地する前に、既に古墳外形は旧地表面に実物大で描かれていて、整地自体が古墳造成盛土の第一段階であったのです。

1-2 外周溝の堰跡など


斜め空中写真の判読

ベース写真は発掘調査報告書から引用

ア 外周溝

左外周溝には南から水を導く水路、左外周溝と後円部側外周溝を結ぶ水路が見つかりました。さらに、右外周溝先端に位置する部分に四角の区画と2つの杭跡が見つかり堰跡と観察できます。その堰跡から右斜面に水路が観察できます。これらの様子から外周溝の一部には水を流し、貯める風景的演出の存在を想定できます。「1-1地割線を描くために整地造成した範囲(イメージ)」に書き込んだように、左外周溝と左内周溝をまたぐように2重の白線が観察でき、橋のように感じてしまいます。外周溝には橋の橋脚のように2つの杭跡もあります。この2重線が発掘時の重機搬入跡などではなく、古墳時代所産ならば、台地の道を通ってきた人々が古墳内部に入る橋である可能性があります。外周溝には水が流れ、そこに橋があり、橋を渡った所には広場的空間があるという趣向を凝らした風景が広がっていたことを想像できます。

なお、内周溝は排水路を設けていて、空堀だったようです。(内周溝に石棺があるので、水を貯めることはあり得なかったと考えます。)

内周溝排水路には両側に杭が複数本ありますが、これは内周溝に蓋をしていた、つまり橋をかけていた可能性があります。中堤における参拝者等の通行路機能が意識されていたようです。

[竪穴住居について]

竪穴住居跡(古墳前方部左端近く)は発掘調査報告書では古墳築造時には撤去されていた旨書いてあります。そうではなく、古墳築造後に竪穴住居があり、その場所が古墳の管理や祭祀儀礼参加者のたまり場・休憩施設として機能していたことを想像します。竪穴住居は古墳の付帯施設であると考えます。

イ 古墳軸線設定土柱

古墳軸線を正確に設定している土柱と盛土線が写真に写っています。発掘時に調査員の方が参考として残したものであるのか、古墳時代の所産であるか判断できません。もし古墳時代所産の何か(石などがあったので土柱として残ったものなど)であれば、古墳築造の最初段階作業の実物証拠であり、きわめて重要な情報です。

ウ 古墳の小段跡

古墳第2段階盛土に小段跡が観察できます。古墳第2段階(最後の墳丘造成段階)といわれるものが実はそれが2つの段階に細分できるという仮説の証拠になりそうです。

エ 古墳時代の円墳撤去跡

画面左下の旧地表面に同心円状の模様が見えます。古墳時代に円墳を撤去した跡のようです。この円墳を撤去して、その土を人形塚古墳造成に使った(最初の整地盛土に使った)可能性を想像したくなります。さらに、人形塚古墳を祀る一族が、一族の円墳を閉まって、人形塚古墳としてリニューアルしたという空想も面白いとおもいます。人形塚古墳の埋葬施設は3つありますが、メイン(横穴式石室)ではない、2つ(石棺、木棺)のどれかが、撤去円墳に対応するのかもしれません。

人形塚古墳の北には別に撤去された円墳があるようです。その撤去円墳も人形塚古墳の石棺か木棺に対応しているのかもしれません。

人形塚古墳に埋葬施設が3つある理由は、人形塚古墳築造プロジェクトの中に、一族墓群統合が含まれていたためであると考えられます。

2 感想

人形塚古墳等高線図では決して判らない重大情報が、斜め空中写真判読で続々と判明しました。垂直空中写真よりも多くの情報を得ることできました。等高線図がとても抽象度の高いものであることを実感しました。


2024年10月21日月曜日

家形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

 3D model of observation record of house-shaped haniwa (Tonomura site, Iida City)


I created a 3D model of the observation record of the house-shaped haniwa (Tonomura site, Iida City) on display at the Iida City Archaeological Museum. It is an item that shows people that a chief-level deceased person will live in a fine house in the afterlife. This house-shaped haniwa was excavated from a pit together with a boat-shaped haniwa.


飯田市考古博物館に展示されている家形埴輪(飯田市殿村遺跡)の観察記録3Dモデルをつくりました。首長級の死者があの世で立派な家に住むことを人々に示すアイテムです。この家形埴輪は竪穴から船形埴輪と一緒に出土しました。

1 家形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

家形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

古墳時代後期

撮影場所:飯田市考古博物館

撮影月日:2024.10.03


展示の様子

3DF Zephyr v7.531 processing 125 images


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

2 メモ

この家形埴輪は船形埴輪と一緒に竪穴から出土しています。


家形埴輪と一緒に出土した船形埴輪

2024.10.09記事「船形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

発掘調査報告書にはこの竪穴が葬送儀礼に関係する施設であった可能性ものべらていますが、別の箇所で、近くに埴輪生産施設があった可能性にも触れています。

家形埴輪は当時の他界観にもとづく「天鳥船(あまのとりふね)信仰」のアイテムの一つで、死者があの世で立派な家で暮らすことを表現していると考えます。

この家形埴輪は出土部分とそうでない部分が区別しやすくなっているので、観察しやすい資料です。


2024年10月20日日曜日

千葉市人形塚古墳が左右非対称に設計築造されたことが判明

 It turns out that Ningyozuka Tomb in Chiba City was designed and constructed asymmetrically.


Aerial photographs of the old topsoil of Ningyozuka Tomb in Chiba City reveal numerous pile marks, and the meaning of the piles becomes clear, confirming the left-right asymmetry of the tomb. The terrace on the right of the front part was made wider to more effectively display the haniwa.


千葉市人形塚古墳の旧表土面空中写真から多数の杭跡が見り、杭の意味が芋づる式に判明し、古墳の左右非対象を確認。前方部右のテラスを広くとり、埴輪演出を効果的にするためです。

1 千葉市人形塚古墳築造時の杭跡(予察図)


千葉市人形塚古墳築造時の杭跡(予察図)

写真は発掘調査報告書から引用

発掘調査報告書口絵にある「1号墳墳丘下の計画線」写真を判読して古墳築造時の杭跡を抽出しました。口絵写真は印刷のために網掛してあり、解像度が落ちますが、ある程度の大きさの杭跡は観察できます。観察できる杭跡を●で示し、特段に大きなものや掘り込み跡は大きな●で示しました。

2 千葉市人形塚古墳築造時の杭跡(予察図)の予備検討


千葉市人形塚古墳築造時の杭跡(予察図)の予備検討

写真は発掘調査報告書から引用

古墳築造のための軸線を設定したと考えられる杭跡が見つかり、軸線を引きました。

地割線内円外円の中心は作図上一致しますが、その場所(図で小白点で示す)には口絵写真では明白な杭跡は見つかりません。しかし、ぼんやりと何かがある様子ですが、解像度不足の為それが円を描いた中心点の跡だと断言できません。この内円外円の中心は軸線とわずかに(20~30cmか)ずれます。このずれは当時の測量誤差と考えられます。[2024.10.23追記 空中写真はオルソ投影したものではない単なるスナップ写真のようです。したがって、描いた軸線と内円外円中心が見かけ上ずれることがありうることに気が付きました。軸線上にぴたりと一致するのか、わずかにずれているのか、今後確かめるべく検討を深めます。](内円外円の中心近くに四角の形状で4つの杭跡があります。現場における地鎮祭の祭壇跡かもしれません。)

外円と前方部が交わる場所に杭跡(掘り込み跡)が観察できます。古墳設計上の重要ポイントであると考えられます。外円と前方部が交わる場所が左右対象になっていないことを軸線との関係で確認できます。

前方部の左右角には3点の小さな杭跡が観察できます。古墳設計上の重要ポイントと考えられます。

未発見の地割線を発見できるのではないかと探索をくりかえしましたが、明白なものは見つかりませんでした。(それらしきものはあるのですが、解像度不足のため断言できません。)しかし、地割線の延伸部に杭跡がある部分があります。また、地割線部分も杭跡が点在しているように見えますが、解像度不足のため断言できません。

画面右下には周溝から排水する施設(水路)があるのですが、その両側に杭跡があり、水路工事用杭跡のようです。

左周溝と右中堤に3つの杭跡が直線状に並びます。恐らく前方部墳丘造形に使った測量道具固定跡と推察します。この3点の測量道具を使って地割線にかかる杭の位置を特定して記録し、その記録を別の高さで復元して造形作業をしていたものと推察します。その測量と復元作業を左右別々に行っていたのです。

それ以外の杭跡もそれぞれ意味があり、その中には高さの基準を定めた杭もあったと推察します。

3 予備検討結果から推察する「現場に実物大設計図(地割線)を描く手順」


実物大設計図を描くために使った主な杭(沼澤豊作成「地割線折返し図」に主な杭跡を記入)

予備検討結果から「現場に実物大設計図(地割線)を描く手順」を次のように推察しました。

ア杭を最初に設置する。この杭が人形塚設計における平面原点となる。

イ杭を40単位離れた場所に設置する。ア杭とイ杭の間を40単位のスケールが結び目等でわかる紐で直線に結ぶ。

ウ杭をア杭から12単位の場所に打つ。(写真では未確認。杭は無かったかもしれない。)ウ杭を原点にして半径7単位と12単位の円を描き、後円部内円地割線と外円地割線を作成する。地割線には等間隔的に杭を打つ。

オ杭をア杭から20単位の場所に進み、そこから右に8単位の場所に設置する。オ杭が前方部右側測線と外円部交点となる。

エ杭をア杭から22単位の場所に進み、そこから左に6単位の場所に設置する。エ杭が前方部左側測線と外円部交点となる。

キ杭をア杭から38単位の場所に進み、そこから右に21単位の場所に設置する。キ杭が前方部前部右端となる。キ杭とオ杭を結ぶ線が前方部右側測線となる。

カ杭をア杭から38単位の場所に進み、そこから左に22単位の場所に設置する。カ杭が前方部前部左端となる。カ杭とェ杭を結ぶ線が前方部左側測線となる。

ア杭~キ杭を設置し、後円部地割線内円、外円を描くことで、古墳の実物大形状が出来上がる。この実物大形状の中に、詳細設計図(紙?)に記入された主要な設計線を、ア杭-イ杭軸により設定された仮想格子パターンを頼りに、前方部地割線A、B、C、Dとして描き、等間隔的に杭を打つ。地割線を描かない設計線も杭列で表現する。

(水準的原点は横穴式石室羨道部に(恐らく)敷石の1つとして設置し、そこから高さ情報を引っ張って、古墳周辺に高さを示す杭網を設置していると考えます。)

(平面位置を示す杭網を観測記録し、盛土掘削後もその情報を復元利用できる測量観測道具設置杭を設置しています。)

4 千葉市人形塚古墳は左右非対称形


千葉市人形塚古墳が左右非対称形であることを示す図

図に示す通り、千葉市人形塚古墳は非対称形です。最も異なる点はエ杭とオ杭の位置が異なることです。意図して非対象形にしています。

その理由は右側で第1段盛土面(テラス)の幅を広くとり、埴輪展示をより効果的にするためです。

より具体的にいえば、第1段盛土面(テラス)を地割線d線を境に左側で少しだけ高くして、埴輪展示施設を上下2つに分け、より効果的埴輪演出を企図しています。

低い方のテラス(d線右側で人々の視点が存在する横穴式石室に近い場所)は武人・巫女埴輪を展示し、高い方のテラス(d線より左側で人々の視点から離れた場所)は職掌不詳人物・馬・馬子埴輪を展示しています。ちなみに家埴輪は前方部頂部に展示しています。

千葉市人形塚古墳は埴輪展示をより効果的に演出するために、細部で左右非対称形を採用しています。


埴輪配列イメージ図

発掘調査報告書から引用

地割線d線の意味、地形の詳細についてはさらに詳しく別記事で検討します。

5 感想

旧表土面の空中写真から古墳築造時の杭跡が見つかり、その分布を沼澤豊氏作成24等分値格子図にプロットすると、杭の意味が芋づる式に判明しました。それにより古墳実物大設計図の作成方法、地割線描画の手順がわかりました。

これにより、古墳が左右非対称であり、地割線d線がテラスを2分するもので、それは埴輪展示演出のためであることがわかりました。千葉市人形塚古墳は設計の段階から埴輪展示演出を意識していることがわかりました。

沼澤豊氏の古墳設計原理復元研究がとても画期的であることにより、千葉市人形塚古墳学習が短期間に大幅に進みました。沼澤豊氏に感謝します。


2024年10月19日土曜日

千葉市人形塚古墳の前方部地割線の意味

 The meaning of the front land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City


I examined the meaning of the front land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City by projecting the front land division line folding diagram created by Yutaka Numazawa onto a 3D model. I thought that it was the shoulder line and foot line of the second stage of the mound and the small step line located in between.


千葉市人形塚古墳の前方部地割線の意味を、沼澤豊氏作成の前方部地割線折返し図を3Dモデルに投影して検討しました。墳丘第2段の肩線、裾線とその中間に位置する小段線と考えました。

1 千葉市人形塚古墳 前方部地割線折返し図(沼澤豊氏作成)の3Dモデル

千葉市人形塚古墳 前方部地割線折返し図(沼澤豊氏作成)の3Dモデル

前方部地割線折返し図はつぎの論文から引用

沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)

3Dモデルの垂直比率:×3.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

[注]

地割線A、B、C、Dが指示する高さは古墳地形面とは別の高さに存在し、それを古墳地形面に鉛直方向に投影して表示したものがこの3Dモデルです。地割線A、Dは等高線、地割線B、Cは傾斜線。

2 前方部地割線折返し図について

沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)では前方部地割線A、B、C、Dについて、AとCは対応するものとして考え、Bに対応すべき未検出地割線B´を、Dに対応すべき未検出地割線D´を折返し図の中に記入しています。

この折返し図はとても示唆に富む図であるので、上記で3Dモデルにしました。


沼澤豊氏作成 人形塚古墳前方部地割線折返し図

沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)から引用

3 沼澤豊氏の前方部地割線の解釈・意義

沼澤豊氏は上記論文で、D及びD´は第1段肩線を示す余地を残すと述べています。

A、C線は第2段の裾を示し、B、B´線は第2段の肩線を示す可能性を指摘していますが、それでは第2段の斜面幅が狭すぎる難点を指摘しています。

また、第2段の肩の線(B、B´)は盛土が始まれば、すぐに埋もれてしまうから、旧表土面に表示しても実用的な意味はないと述べています。

「前方部では実用的には必要のない線が引かれたことも間違いない。」と述べ、実用性のない線を引いた意味として作業員のための説明用等の意義について検討しています。

4 前方部地割線の意義

前方部地割線折返し図をもとに地割線意義について検討します。

4-1 地割線の実用性

後円部地割線の検討で、旧表土面に描かれた地割線は旧表土面とは別の高さに設定された設計線であり、盛土あるいは掘削でその地割線が消失しても、別の高さで造形物形状に使われていることが判明しました。

旧表土面に描かれた地割線位置を掘削や盛土の後に別の高さで復元できる測量技術が存在していたことになります。

従って、前方部でも地割線はそれぞれ旧表土面と異なる高さに設定された設計線であり、それは盛土の後に別の高さで復元できる測量技術によって活用されていたと考えることができます。地割線に実用性はなく、作業員の教育用であったなどの見解は根本から間違っていると考えます。

4-2 旧表土面に描かれた地割線を盛土後復元利用する測量技術

旧表土面に描かれた地割線を盛土後復元利用する測量技術の具体は不明です。しかし、次のような原理であったことは想定できます。

ア 詳細設計が実施される

詳細設計により傾斜変換線(掘り込み位置、盛土位置、盛土作業単位区切り位置)とその高さ情報が決定され、後円部、前方部、周溝、中堤の立体形状がメディア(紙?)に詳細設計図として表現される。

イ 詳細設計の現場投影

現場(旧表土面)をカンバスにして詳細設計の主要事項を地割線(杭列)や杭で現場に実物大で投影する。地割線(杭列)や杭は測量しながら位置決めするとともに、測量結果(及びそれぞれが持つ高さ情報)をメディア(測量道具そのもの?)に記録する。同時にメディアに記録された情報を即座に復元して、再度現場空間に投影できる体制を整える。

ウ 古墳築造工事

測量技術(詳細設計結果を盛土や掘削にもかかわらず現場空間に投影できる技術)により、設計通りの古墳を築造する。

つまり、図上で考えた詳細設計結果の主要事項を現場で実寸大の地割線で表現し、地割線を杭列に変換して、各杭の位置と与える高さを現場測量道具(恐らく現場に固定された道具)に記録したのだと思います。盛土の後、現場測量道具から各杭の位置・高さ情報を取り出し、盛土空間に投影して、造形に利用したと考えます。

4-3 前方部地割線の意味

B、B´線は第2段の肩線であると考えます。表土を含めて古墳前方部の最高点は39.6mですが、37.2mを一つの基準の高さとして1単位の整数倍がこの古墳の最高点だったと仮定すると、1単位が1.03mですから、40.2m(40.3m)あるいは41.2m(40.3m)のどれかになる可能性が濃厚です。古墳斜面に厚く堆積していた表土・流土の量を勘案すると、40.2mでは平仄が合わないので、古墳最高点は41.2mであったと仮説できるかもしれません。

D、D´線は第2段の裾線と考えます。くびれ部は雨水が集まるような形状となっていて、古墳築造直後から浸食が進んだと考えられます。その結果、裾部線(法尻線)が後退し、D、D´線の位置がずれているように見えるのだと考えます。(2024.10.20追記 D線の意味についてより合理的な解釈案が生まれましたので、別記事で検討します。D線は右側特有の地割線と考え、D´線の想定は不用と考えます。)

A、C線は第2段斜面の途中に位置します。第2段斜面は上部で緩、下部で急になっています。また斜面が急から緩に変化するあたりに狭い平面が想像できるような等高線配置になっています。さらに発掘調査報告書の盛土説明に次の記述があります。

「次に、後円部ではドーナツ状の土手の内側に土砂を入れて1.5m程盛り上げ、さらに前方部前端からの盛土との間を埋めたところで一旦水平に整地して第2段階の盛土を終えている。次の段階では前方部・後円部の墳丘を一気に墳頂近くまで築き、最後に鞍部に盛土して墳丘を整え、盛土を完成したと見られる。」

この記述を踏まえると、後円部、前方部ともに墳丘を一気に盛土しているのではなく、テラス(第1段階盛土面)から1.5m付近まで盛土して整地し、作業を区切っています。この作業区切りは盛土の排水などを考慮した工法に基づいているものと想像できます。盛土を安定させた後の最終盛土をする場合、作業の足場が必要なので、狭い小段を設けて最終盛土作業を始めたかもしれません。

これらの情報から、A、C線は盛土作業の区切りを表現する線分(狭い小段線)の位置を表現していた可能性が考えられます。発掘調査報告書では第1段盛土(テラス盛土)から1.5mの高さで盛土を一旦水平にしたと書いてありますが、沼澤理論に基づくと、第2段盛土裾線(高さ37.2m)から1単位上の38.2mがA、C線が指示した高さだったと仮説します。


技術資料 千葉市人形塚古墳の後円部地割線の立体空間表示

 Technical data: Three-dimensional spatial display of the circular mound land division lines of Ningyozuka Tomb in Chiba City


The circular mound land division lines (inner circle, outer circle) shown in the Chiba City Ningyozuka Tomb project drawing (design principle restoration drawing) created by Yutaka Numazawa are displayed in three dimensions together with a 3D model of the tomb. It shows that the land division lines projected on the project drawing (plan view) are circular contour lines located in three dimensions.


沼澤豊氏作成の千葉市人形塚古墳企画図(設計原理復元図)に表現された後円部地割線(内円、外円)を古墳3Dモデルと一緒に立体空間表示しました。企画図(平面図)に投影された地割線が立体空間に位置する円周等高線であること示しています。

1 千葉市人形塚古墳の後円部地割線の立体空間表示

千葉市人形塚古墳の後円部地割線の立体空間表示

千葉市人形塚古墳企画図3Dモデルの垂直比率:×3.0

後円部地割線内円の高さは37.2m

後円部地割線外円の高さは36.2m

出土物としての後円部地割線内円、外円は旧地表面(高さ36.5m)に描かれている。(このモデルでは非表示)

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3Dモデルの画像


3Dモデルの画像(地中から地表方向を見た場合)


3Dモデルの動画

2 後円部地割線内円、外円の意味

後円部地割線内円、外円は旧地表面(高さ36.5m)に描かれています。

沼澤豊氏により後円部地割線外円は古墳大きさを設定する基準円であり、その大きさ(直径)は24.7m(=18歩)であることがわかりました。地割線外円に与えられた高さは次の内円高さ(37.2m)から1単位下の36.2mであると捉えることができます。

後円部地割線内円は後円部第2段墳丘の裾線(法尻線)を指示する円周です。裾線(法尻線)は原地形が残っているのでその高さ(37.2m)が内円に与えられた高さであることが判明しました。

3 後円部地割線内円、外円の立体空間表示とその投影

後円部地割線内円と外円を与えられた高さで表示すると、上記3Dモデルでわかるように、古墳地形の上に出て空中から見える部分もありますが、古墳地形の下に隠れて空中からは見えない部分もあります。これは盛土掘削による造形が地割線の指示と完全に一致していないために生じている現象です。沼澤豊氏作成企画図では地割線内円、外円が平面に投影して表示されています。

なお、外円、内円ともに、古墳先端方向で古墳地形の下に隠れます。これは内円、外円が指示する造形とくらべて、実際の施工による造形が先端方向に少しだけ膨らんでいるからです。

[注意]

この事情により、企画図(平面図)の外円は先端付近で古墳等高線の36.5mと平行的になる部分もあります。たまたまそうなっただけです。企画図(平面図)における外円は投影したものですから様々な等高線の上に表現されています。

しかし、外円が先端付近で古墳等高線の36.5mと平行的になることをもって、外円に与えられた高さは36.5mであるという誤認識が生まれる可能性があります。これは36.5mという高さが旧地表面の高さ(外円が描かれた高さ)に一致するからです。

沼澤豊氏は旧地表面をもって施工基準面としていますが、これは外円が指示する高さを上記理由から36.5mと誤認し、その36.5mが旧地表面の高さであることから生まれた発想です。この発想は間違いであると考えます。

(もし、外円が指示する高さが36.5mと仮定すると、沼澤理論では内円が指示する高さは1単位上の37.5mになります。しかし、実際に造形された地形から判明した内円の高さは37.2mですから、外円が指示する高さを36.5mとすることは間違いであるとわかります。)

4 感想

沼澤豊氏作成企画図(平面図)には古墳等高線図と円周等高線図(地割線図)が同時に描かれています。この2種等高線の立体関係を平面図で理解することはほとんど不可能であることを理解しました。著作者までもが消化不良になっています。

2種等高線の立体関係を理解するためにはそれを立体空間に表現することが必須です。その意味で、この記事で作成した3Dモデル「千葉市人形塚古墳の後円部地割線の立体空間表示」は意義があります。

造形物としての古墳理解には3Dモデル技術が必須となります。


2024年10月18日金曜日

千葉市人形塚古墳の後円部地割線の意味検討

 Examining the meaning of the land division line of the circular rear mound of Ningyozuka Tomb in Chiba City


Based on the theory of Yutaka Numazawa, it was found that the outer circle of the land division line is the setting line for the size of the Tomb (circular rear mound), and the inner circle of the land division line indicates the base line of the second stage of the mound. The land division line is drawn on the old ground surface and indicates a different height shape.


沼澤豊氏の古墳設計原理復元理論に基づいて検討し、地割線外円はヤマト王権から指定された古墳大きさ(後円部円形)を設定する基準線分であり、地割線内円は第2段墳丘の裾線(法尻線)を示していることがわかりました。地割線は旧地表面に描かれ、別の高さの形状を指示しています。

1 千葉市人形塚古墳の地割線


千葉市人形塚古墳から検出された地割線(空中写真) 発掘調査報告書から引用


千葉市人形塚古墳から検出された地割線(等高線図投影図) 発掘調査報告書から引用

2 地割線検討の前提と学習のポイント

沼澤豊著「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」(千葉県教育振興財団文化財センター 研究連絡誌、 2008)で記述されている、沼澤豊氏が解明した「24等分値古墳設計原理」とも呼べる設計原理復元理論を大前提とします。そして、それを人形塚古墳に適用して分析した地割線分析結果(上記論文内容)を検討の基本とします。

ただし、上記論文を3Dモデルを使って詳細に検証すると、細部で異なる見方が可能であるので、その部分(沼澤豊氏が見落とした点など)を学習の主なポイントとします。

3 後円部地割線の意味検討

以下の記述の主部は次の記事を集成要約したものです。

2024.10.12記事「沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」学習

2024.10.14記事「沼澤豊氏が作成した千葉市人形塚古墳の設計原理復元図に感銘を受ける

2024.10.14記事「千葉市人形塚古墳の高さ基準及び地割線が平面設計図であること

3-1 沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図(設計原理復元図)


沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図(設計原理復元図)

この図は沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図に上記論文における説明を書き込んだものです。

地割線外円の直径を24単位に設定すると、地割線内円は14単位ピタリになることなどが示されています。

この沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図(設計原理復元図)に基づいて、以下の検討を進めます。

3-2 地割線内円について

3-2-1 地割線内円が示すものと高さ

地割線内円は後円部墳丘第2段斜面の裾線(法尻線)を示しています。


地割線内円が墳丘第2段斜面の裾線を示す3Dモデル画像


地割線内円が墳丘第2段斜面の裾線を示す平面図

内円の高さは37.2mと読みとることができます。設計上内円は高さ37.2m等値線として理念されていたと考えます。

3-2-2 地割線内円の高さの重大意義

墳丘第2段斜面の裾線は次の模式図に示すとおり、埋没することはあっても、削られる可能性はほとんどない地形です。つまり、墳丘第2段の裾線は築造時形状を保っていると考えられます。


墳丘第2段の裾線が築造時形状を保っている理由

このことから、墳丘第2段斜面の裾線の高さ37.2mは、古墳設計時高さ基準点から数えて整数倍の単位(1単位=24等分値=0.75歩=1.0275m≒約1.03m)が位置していたと考えられます。この情報は人形塚古墳を復元する上で重大な情報です。つまり、37.2mを起点にして上と下にそれぞれ1単位(1.03m)の整数倍に設計上の区切りがある可能を想定できるからです。

3-2-3 地割線外円が示すもの

地割線外円はヤマト王権から指示された古墳の大きさ、つまり後円部直径を決定する古墳築造者にとって最も基本となる重大な基準円周線分です。後円部直径を18歩≒24.7mに設定されていると捉え、それを24単位に区分すると、古墳形状諸元のほとんどの長さや幅を1単位の整数倍あるいは0.5単位の整数倍で把握できます。横穴式石室の玄室は丁度地割線外円内に収まっています。

沼澤理論に従い、地割線外円は内円より1単位下の36.2mに設定された等値線として、設計上は理念されていたと考えられます。実際の等高線図との関係では横穴式石室付近などで地割線外円が36.2mに一致します。

地割線外円は後円部直径を定める基準線であり、地形上は周溝の底から立ち上がる第1段階斜面の途中に位置し、地割線内円のように地形の変換線を意味していません。

しかし、よく観察すると、地割線外円より周溝側斜面は急であり、テラス側斜面は緩となっています。おそらく、地割線外円を意識して斜面勾配を変化させ、後円部直径を風景的にもわかるように築造されたものと推察します。


沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図

3-2-4 地割線外円が旧地表面の掘込み開始線という説について

上記論文では地割線外円を「周溝掘り込み線」を示すとしています。これは旧地表面(高さ36.5m)に描かれた地割線外円から周溝を掘り始めたとい意味に解釈できます。しかし、沼澤理論から見ると、旧地表面(高さ36.5m)に描かれた地割線外円は高さ36.2mを意味しています。つまり、旧地表面に描かれた地割線外円を掘り込み開始線にしているわけではありません。


断面からみた、旧地表面に描かれた地割線外円を掘り込み開始線にしていない様子

上図で示す通り、地割線内円も旧地表面(高さ36.5m)に描かれていますが、その線が意味する高さは37.2mです。

つまり、旧地表面に描かれた地割線は、旧地表面の高さとは異なる高さで設定されていて、旧地表面における掘削開始線や盛土開始線を表現したものではありません。旧地表面をカンバスに平面設計図が描かれているのです。

従って、上記論文の説(地割線外円は「周溝掘り込み線」を示すという説)は否定されます。

なお、このように考えると、旧地表面に描かれた地割線位置を掘削や盛土の後に別の高さで復元できる測量技術が存在していたことになります。沼澤理論の帰結として、旧地表面に刻まれた地割線位置を掘削や盛土の後に別の高さで復元できる測量技術の存在を仮説せざるをえなくなります。

3-2-5 古墳設計における高さ基準点の想定

地割線内円(高さ37.2m)から1単位下がると地割線外円の高さ(36.2m)になります。さらに1単位下がると、その高さ35.2mは横穴式石室の羨道部敷石の付近になります。羨道部敷石のどれかがこの古墳設計高さ基準点だったのかもしれません。


横穴式石室の断面と高さ


2024年10月17日木曜日

挂甲の武人切手

 Slat armor stamp


There are two versions of the Slat armor stamp: one before repair and one after repair. On the repaired stamp, the bow in the left hand has been restored to the side of the face.


挂甲の武人切手には修理前の切手と修理後の切手があります。修理後の切手には左手の弓が顔の横まで復元されています。


国宝切手1989年シリーズ はにわの兵士


第4次国宝シリーズ第3集 埴輪 挂甲の武人(2022年)


挂甲の武人切手 修理前と修理後


参考 挂甲の武人説明資料 芸術新潮2024.10から引用


2024年10月14日月曜日

アラル海

 Aral Sea


There was a description of the Aral Sea in "Travels in Uzbekistan" (a serial article in the magazine "Geography") by Keiji Nakaie et al. I had previously collected photos and maps of the Aral Sea, so I arranged them again and thought about the shrinking of the Aral Sea.


中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)にアラル海についての記述がありました。以前、アラル海の写真や地図を集めたことがありましたので、再度並べてみて、アラル海の縮小について考えてみました。

アラル海の記述は次の連載記事に出ています。

第10回「サマルカンド 後編」(雑誌「地理」2024.9)

1 1964年アラル海偵察衛星写真など


アラル海1964年 NASA earth observatoryから引用

NASA偵察衛星が1964年撮影した乾燥化前のアラル海写真です。


The World Atlas second edition moscow 1967のアラル海

1964年アラル海偵察衛星写真と同じ時期のソ連作成地図です。


OXFORD ATLAS OF THE WORLD 2016のアラル海

2 アラル海経年変化


アラル海2000年 NASA earth observatoryから引用


アラル海2014年 NASA earth observatoryから引用


アラル海2017年 NASA earth observatoryから引用

3 資料 ChatGPT回答

質問「アラル海がこの数十年で急速に縮小した理由について箇条書きで教えて下さい。」

回答

アラル海がこの数十年で急速に縮小した主な理由は以下の通りです。

●ソビエト連邦による灌漑事業: 1960年代にソビエト連邦が始めた大規模な灌漑計画により、アムダリヤ川とシルダリヤ川の水が大量に農業用に転用された。これらの川はアラル海に水を供給する主要な水源であったが、灌漑によりアラル海への流入が大幅に減少した。

●綿花生産の拡大: 中央アジアの乾燥地帯で大規模な綿花栽培が推進され、アラル海周辺の農業において大量の水が必要となった。このため、さらに多くの河川水が灌漑用に使われ、アラル海の水位が急激に低下した。

●蒸発の影響: 水量が減少したことで、アラル海の表面積が縮小し、塩分濃度が上昇した。これにより、蒸発がさらに加速し、残った水も急速に失われた。

●環境政策の不備: ソビエト連邦崩壊後も中央アジアの国々が適切な環境保護政策を講じなかったことや、農業優先の政策が続いたことで、アラル海の回復が遅れた。

●気候変動の影響: 気候変動により乾燥化が進み、河川の流量がさらに減少し、アラル海の縮小が加速されたとされる。

これらの要因が重なり、アラル海は急速に縮小しました。


質問「アラル海がこの数十年間で急速に縮小した結果生じた社会問題を箇条書きで教えてください。」

回答

アラル海の縮小が引き起こした主な社会問題は以下の通りです。

●漁業の崩壊: アラル海の縮小により漁業資源が壊滅的な影響を受け、漁業に依存していた地域住民は収入源を失った。かつて活気のあった漁業産業が消滅し、多くの人々が仕事を失った。

●健康問題の増加: 水の蒸発と共に、底に残った塩分や化学肥料、農薬が風で運ばれ、周辺住民の呼吸器疾患や眼病、皮膚疾患が急増した。アラル海周辺は健康被害が深刻な地域となった。

●飲料水の不足: アラル海の縮小により、周辺地域の淡水供給が減少し、住民は清潔な飲料水を確保するのが難しくなった。また、塩分濃度の高い水が農業用水として使えなくなった。

●農業への影響: 土壌の塩害が広がり、農作物の生産量が激減。灌漑用水の不足や塩分による土壌劣化で農業が難しくなり、農民たちの生計が立たなくなった。

●失業率の上昇と貧困の拡大: 漁業や農業の崩壊により多くの人が仕事を失い、失業率が上昇。これに伴い、地域全体で貧困が拡大した。

●移住の増加: 生計が立たなくなった人々が仕事を求めて他地域へ移住し、周辺地域の過疎化が進んだ。

●地域の気候変動: アラル海の縮小により、地域の気候が変わり、夏はより暑く、冬は寒くなるという極端な気候変動が発生。これが農業や住民の生活にさらに悪影響を及ぼした。

これらの社会問題は、アラル海周辺の住民に深刻な影響を及ぼし、地域全体が経済的・社会的に困難な状況に直面しています。


千葉市人形塚古墳の高さ基準及び地割線が平面設計図であること

 The height standard and land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City are the plan design drawing


Based on Numazawa theory, I thought that the paving stones of the passageway of the horizontal stone chamber of Ningyozuka Tomb in Chiba City may be the height standard for the construction of the tomb. I also thought that the land division line is a plan design drawn on a canvas of the old ground surface, and is not the start line of embankment or excavation on the old ground surface.


千葉市人形塚古墳の横穴式石室の羨道敷石が古墳築造の高さ基準かもしれないと、沼澤理論から考えました。また地割線は旧地表をカンバスに描かれた平面設計図であり、旧地表面における盛土開始線や掘削開始線ではないと考えました。

1 千葉市人形塚古墳の高さ基準


後円部地割線内円と外円の高さ

後円部地割線内円は墳丘第2段斜面裾線を、地割線外円は周溝の掘り込み開始線を表現しています。その高さは37.2mと36.2mで、沼澤豊氏理論に基づく1単位(1.03m)丁度です。

さらに1単位下(35.2m)が横穴式石室の羨道部の基礎高さ(敷石の下面付近)に一致します。


横穴式石室の断面と高さ

作業上の誤差を勘案すると、横穴式石室羨道部の敷石がこの古墳の高さ基準だったのかもしれません。

沼澤論文では施工基準面を地割線がかかれた旧地表(36.5m)としています。しかし、この高さを基準にすると、1単位上は37.5mとなり、理論上1単位上にあるべき地割線内円の高さ(第2段斜面の裾線の高さ…36.2m)と合わなくなります。また、次の検討のとおり、旧地表面の地割線は盛土開始線や掘削開始線ではないので、旧地表面を施工基準面と捉えることはできません。

2 地割線が平面設計図であること


旧地表面に描かれた地割線は平面設計図であること

上図に示した通り、後円部では旧地表面に描かれた地割線は平面設計図です。地割線を盛土開始線や掘削開始線として描いたものではありません。

この検討から、旧地表面は単なる平面設計図を表現するカンバスであり、施工基準面ではないことがわかります。

同時に、地割線位置を盛土や掘削した後に別の高さで復元できる測量技術が存在していたことがわかります。

沼澤論文では前方部直線状地割線を計画線と認識しています。それにもかかわらず、地割線は直ぐに盛土で埋まってしまうので実用性はなく、作業員説明用等の意義を論じています。

私は前方部地割線も後円部と同様に平面設計図であると考えます。地割線に高さ情報を加味して古墳立体形状創出に使っていたと考えます。描かれた地割線は埋まる前に、別メディアに記録され、盛土後、測量技術により盛土面に地割線が復元投影されて使われたと考えます。今後検討を深めることにします。発掘調査報告書には掲載されていない、古墳築造時の工事・測量に関わる新たな現場データも入手できそうです。


沼澤豊氏が作成した千葉市人形塚古墳の設計原理復元図に感銘を受ける

 Impressed by the design principle reconstruction of Ningyozuka Tomb in Chiba City created by Yutaka Numazawa


I was impressed by the design principle reconstruction of Ningyozuka Tomb in Chiba City created by Yutaka Numazawa. Every detail has been restored, with the design using 24 equal parts of the diameter of the circular mound as the standard unit. It is a magnificent reconstruction of the design principle.


沼澤豊氏が作成した千葉市人形塚古墳の設計原理復元図に感銘を受けました。後円部の直径の24等分値を基準単位として設計された様子が、細部まで全て復元されています。見事な設計原理復元です。

1 沼澤豊氏が作成した設計原理復元図


千葉市人形塚古墳

沼澤豊氏作成企画図(設計原理復元図)

a 地割線外円の直径を24単位に設定

b 地割線内円の直径は14単位

c 横穴式石室は半径8単位と半径12単位の円周に収まる

d 前方部長は15単位

e 墳長は外円直径+前方部長で39単位

f 前方部前幅は26単位

g くびれ部幅は16単位

h 等高線平行作図線と地割線が平行

i 前方部隅角が面取りされている

j 内溝の幅は3単位

k 内溝外周は45単位×30単位

l 中堤の幅は3単位

m 中堤外周は51単位×35単位

n 外溝の幅は後円部背後で3単位


沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」( 2008,研究連絡誌)から引用作成

沼澤豊氏が作成した千葉市人形塚古墳の設計原理復元図に感銘を受けました。後円部の直径の24等分値を基準単位として細部まで全て設計された様子が復元されています。見事な設計原理復元です。

2 概略設計

各所で3単位が使われていて、概略設計が3単位で行われたことが著者により述べられています。

古墳築造は、地割線活用を軸に考えると、次のような工程で行われたと想像します。

・旧地表面の樹木伐開

・現場調査

・概略設計(メディア(紙?)における概略設計図の作成。3単位スケールで概略の平面位置・範囲を決める。)

・概略設計の現場投影(現場をカンバスにして概略設計の概要を杭や目印で旧地表に投影して確認する。横穴式石室の収まり確認。高さ基準点の設置。)

・詳細設計(メディア(紙?)に詳細設計図を作成する。傾斜変換線(掘り込み位置、盛土位置、盛土作業単位区切り位置)とその高さ情報で、後円部、前方部、周溝、中堤の立体形状を表現する。別途検討された横穴式石室詳細設計情報をすり合わせて、埋め込む。)

・詳細設計の現場投影(現場をカンバスにして詳細設計の主要事項を地割線(杭列)や杭で現場に投影する。地割線(杭列)や杭は測量しながら位置決めするとともに、測量結果(及びそれぞれが持つ本来の高さ情報)をメディア(測量道具そのもの?)に記録する。同時にメディアに記録された情報を即座に復元して、再度現場空間に投影できる体制を整える。)

・古墳築造工事(測量技術(詳細設計結果を盛土や掘削にもかかわらず現場空間に投影できる技術)により、設計通りの古墳を築造する。)