2016年4月30日土曜日

千葉県 出現数の多い小字名


1 出現数別に見た小字名(コアザナ)の数及び小字数

千葉県小字データベースから出現数別に見た小字名(コアザナ)の数及び小字数をカウントしてみました。

小字名の集計は文字表記を基準にして実施しました。(*注)

千葉県 出現数別に見た小字名の数及び小字数 (表)

千葉県 出現数別に見た小字名の数及び小字数 (グラフ)

出現数が100以上の小字名は全部で35あり、それは全小字名数43004の0.08%を占めます。

その出現数100以上小字名の小字数は全部で4726あります。それは全小字数94004の5.03%を占めます。

出現数1の小字名は全部で32958あり、それは全小字名数43004の76.64%を占めます。

それが占める全小字数94004に対する割合は35.06%になります。


上記データから出現数別にみた小字名の数と小字数の関係を知ることができました。


2 出現数上位の小字名

出現数が100以上の小字名グラフを作成してみました。

千葉県 出現数100以上の小字名

1位大谷、2位新田、3位谷、4位前田、5位原・・・と続きます。

なお、以前作成した千葉市周辺6市域の出現数の多い小字名とくらべると、順位がかなり異なります。

その様子から、出現数上位の小字名といっても、その分布をみるとおそらく地域的偏りが存在し、それは地域毎に生活と土地の関わりが異なるためであると考えます。


地域によって生活と土地の関わりが異なり、それに起因して出現数の多い小字名も変化するのですから、逆に小字名出現数データから、地域別に異なる、過去の生活と土地の関わりについて情報を得ることができると考えます。

参考 6市域の出現数上位20までの小字名称


3 興味ある小字名

次に、千葉県出現数100以上小字名について、その興味をまとめてみました。

千葉県 出現数が多い小字名に関する興味

12位 清水

12位清水は極普通の小字名のように感じてしまいます。その通りだと思います。

しかし、小字名「清水」は一般に実際の地下水湧出場所(泉)と対応している場合が多いと考えられます。

一方、地下水湧出場所は旧石器時代、縄文時代から戦後の高度経済成長期以前までは継続したものが多かったと考えられます。

このような考え方から、小字名「清水」及び関連小字名(例 子和清水)の中には旧石器時代や縄文時代から利用されてきた湧泉場所の存在を伝えているものが数多く含まれていると考えます。

小字名「清水」が旧石器時代や縄文時代の環境を考える上での重要なヒント情報となる可能性があります。


17位 馬場

17位馬場は古代牧及び中世以降近代までの馬揃場所等にその由来を持っていると考えます。

千葉の歴史を考える上で重要なキーワードとなる小字名です。

その分布図を作り、考察することが楽しみです。

……………………………………………………………………
参考

ばば 馬場

乗馬,馬術の練習および馬術競技や競馬を行う場所。

古代には端午の節会に天皇が騎射を観覧した馬場が朝廷の武徳殿の前にあり,近衛府,兵衛府にも調練のための馬場があった。

古代には国家の軍馬供給を目的とする▶牧が各地にあったが,これを基盤に古代末から中世にかけて東国を中心に勢力を伸ばした武士は,その軍事力の基礎を騎馬と弓射においた。

各地に残る馬場という名には,この牧に由来するものもあると考えられる。

また中世武士団の拠点となる広大な豪族の館の中にも必ず馬場があり,戦闘の際の馬揃〘うまぞろえ〙(▶勢汰〘せいぞろえ〙)もここで行われた。

『平凡社 改訂新版 世界大百科事典』 日立ソリューションズから引用

太字は引用者
……………………………………………………………………

22位 台畑

22位台畑は大秦(ダイハタ)つまり裕福な秦氏(渡来系古代氏族、製鉄等に関わる技能集団)の存在を伝えているものが含まれている可能性があります。

2015.02.12記事「ハタ地名検討の重大な意義に気がつく」参照


27位 長谷

ナガサクと読む小字(長谷のほか長作、永作など)のなかには旧石器時代、縄文時代由来の地形(台地縁辺の長い崖)を利用した狩場が含まれている可能性を考えています。

2015.11.16記事「縄文時代起源と想定する小字 ナガサクとハナワ」参照

28位 前畑

渡来系秦氏集団(製鉄などの技能を伝えた集団)は幾度かにわたって千葉に進出して分布したと考えられます。

そして、新たな集団がやってきた時に、より以前に千葉にやってきて居住している秦氏集団を前秦と呼び、地名となった場合があると考えます。


29位 堀込

堀を掘って土地を囲い込み、その中に牛馬を込めるという意味であり、つまり牧を意味していると考えます。

この地名の場所には古代牧も含まれている可能性があります。

馬場と並んで、千葉の歴史を考える上で重要なキーワードとなる小字名です。






……………………………………………………………………
注*

原始、古代の地名は、まだ文字が存在していなかった、あるいは庶民が漢字を知らなかった時代から口承で伝えられてきています。

そして、漢字が普及する時代に当て字として文字表記されたという経緯があります。

ですから原始、古代の地名表記は全て当て字であり、異なる場所では別の当て字が使われた場合も多かったと考えられます。

従って、文字表記で地名をとらえるのではなく、音(よみ)として捉えることが本筋です。

しかし、音(よみ)は同音意義の地名が紛れ込みますし、時代とともに変化してしまい(なまってしまい)別の大きな検討不都合がうまれます。

このような状況を理解した上で、この記事では小字名の集計を扱いやすい文字表記で行いました。

2016年4月29日金曜日

千葉県小字データベースの概要

3月に入力作業が完了した千葉県小字データベースについて、その後チェック修正作業を重ね、大きな入力ミスはほぼ解決できた状態になりましたので、実用データベースとして利用し出したいと思います。

この記事では千葉県小字データベースの概要を紹介します。

●大字(町丁)数、小字数

・大字(町丁)数…2954
・小字数…94004

参考 都道府県別小字数(推定)

都道府県別小字数(推定)

角川日本地名大辞典付録小字一覧から小字数を簡易カウントした資料です。

千葉県は全国で小字資料が4番目に多い県です。

小字資料からくみ取れる情報は大きなものが期待できると考えます。

●市町村別大字(町丁)数

グラフで市町村別大字(町丁)数を示すと次のようになります。

市町村別大字(町丁)数

大字(町丁)の数は市町村面積に必ずしも比例していないような印象をうけます。

●市町村別小字数

グラフで市町村別小字数を示すと次のようになります。

市町村別小字数

小字の数は市町村面積に必ずしも比例していないような印象をうけます。

大字(町丁)数、小字数とも市町村面積に必ずしも比例していない様子が感じられますので、それぞれの数を市町村面積で割って、大字(町丁)密度あるいは小字密度がわかるような指数を求めてみました。

●大字(町丁)数/市町村面積グラフ

大字(町丁)数/市町村面積グラフを次に示します。

大字(町丁)数/市町村面積グラフ

大字(町丁)密度は大いに変動しています。

このグラフから、近世・近代・現代において他の自治体より一歩先行して都市化したところが大字(町丁)密度が高いという印象を受けます。

大字(町丁)の密度が高いということはそれだけ土地が集約的に高密度に利用されていることです。

なお、このデータは1984年発行図書のものですから、30年以上前のデータであり、この30年間の開発による地番変更の影響は受けていません。

大字(町丁)密度に関連する要素はほかにもいろいろあると考えられますが、大局観としては近世・近代・現代(30年前まで)までの開発程度と主に関連すると考えます。

この大字(町丁)数/市町村面積をイメージ的に空間表示すると次のようになります。

大字(町丁)数/市町村面積グラフ 1

大字(町丁)数/市町村面積グラフ 2

大字(町丁)数/市町村面積グラフ 3

●小字数/市町村面積グラフ

小字数/市町村面積グラフを次に示します。

小字数/市町村面積グラフ

小字数/市町村面積グラフ、つまり小字密度も大いに変動します。

小字密度が高い自治体は、土地環境の均質性からみて一団の土地として認識できる(=一つの名称で表現できる)土地がより細分されているということです。

土地利用上、土地管理上、土地所有意識上の空間単位がより細分化されているということです。

その理由にはいろいろあると思いますが、上記グラフから、台地の開析が進んだ場所や山地など地形によって土地が細分され、土地利用の単位が狭小にならざるを得ないところの小字密度が高いような印象を受けます。

その様子を把握するために小字/市町村面積をイメージ的に空間表示しました。

小字数/市町村面積 1

小字数/市町村面積 2

小字数/市町村面積 2

小字密度が高い場所は主に地形によって決定されているような印象をもつことができます。

以上の検討で、千葉県の小字概要を大局的に把握することができました。

次の記事で、どのような小字名が多いかなどの情報を紹介します。











2016年4月28日木曜日

珍しいイスラム人面画を触媒とした人面墨書土器の意義再考察 その2

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.343 珍しいイスラム人面画を触媒とした人面墨書土器の意義再考察 その2

2016.04.27記事「珍しいイスラム人面画を触媒とした人面墨書土器の意義再考察 その1」で、イスラム人面画の考察から、「政治・経済・文化の主要部から空間的に離れた辺境地では、文化面で独自の動きが発生する」という事象をヒントとして汲み取りました。

このヒントを素に、再度千葉県出土人面墨書土器の人面素性について検討します。

平城京では天然痘の大流行などがあり、天然痘などをもたらす疾病神や鬼を土器に描き(人面墨書土器)、それにご馳走を入れて川で流し、疾病などが住居から退散するように祈願していることを知りました。
2016.04.24記事「人面墨書土器の人面は人か鬼か?」参照

このような習俗が平城京から下総国や上総国に伝えられたことは確実です。

官人が平城京から多数やってきて、各地の新規開発地の指導をしていたからです。

また一般労働に従事する住民層も平城京から千葉にやってきていて、平城京の習俗が千葉に直接持ち込まれていると思います。

(船尾白幡遺跡から、墨書文字「門」が多数出土していて、氏族大生部が宮城十二門の壬生門の警備兵を交代で派遣していたことを想像しています。2016.03.16記事「船尾白幡遺跡の支配氏族 大生部」参照)

しかし、平城京と千葉は空間的にかけ離れています。

そして、一方は日本政治経済文化の中心であり、一方は新規開発が盛んにおこなわれている東国です。

平城京から見れば東国は辺境です。

平城京の習俗が千葉に持ち込まれたとしても、それが社会環境の違いから、イスラム人面画にみたように、変化、変質、変容することが大い有りると考えます。

このような観点から千葉出土の主要人面墨書土器について平城京との違いに着目して、個別に再検討して、分類してみました。

なお、この分類検討は想像力を使って行っています。想像力(あるいは空想力)を使うことにより自分の考えをある程度体系化することができます。

自分の考えを体系化すれば、さらにより深く物事を認識できるようになります。思考の中に含まれる誤りも発見しやすくなります。

一言でいえば学習を加速できます。



分類A 国玉神を描いた人面墨書土器

次の4、5は文字として国神奉、国玉神奉が書かれていることと、人面の絵の様子、及び竪穴住居内出土であることから、人面は国(玉)神であると考えます。


4

4の人面画は威厳が感じられ、かつ髯が1本線で顔の輪郭が無いなど抽象的であることから国神であると考えます。

5

5の人面画は一筆書的に描かれています。

デフォルメが激しく、空想的顔つまり神の顔を描いていると考えます。

5の顔つきを次のように解読しました。

5の解読 1

5の解読 2

5の解読 3

11は土器焼成前にヘラ書された人面画です。

11

スケッチの視線入射角が小さいので、正面から見れるように画像を調整して、さらに正立させてみました。

11(画像調整)

「へのへのもへじ」のような印象を受けます。

土器作成職人が神(国玉神?)に祈願するツールとしてこの人面ヘラ書土器を作ったものと想像します。

人面は神ですが、子供が「テルテル坊主」を作って天気が晴れることを祈願するのと同じような心境で土器をつくり、神の絵は「へのへのもへじ」のように書いてあればよかったのだと思います。

絵が写実的とか、芸術的とか、その質は考えていなかったと想像します。


自分の望むことを土器を使って祈願するという習俗は同じでも、平城京から伝わった習俗の特徴(疾病神、竪穴住居から遠ざけるために川で流す)が、千葉では国玉神、住宅に神を寄せるという具合に、大変容しています。

平城京では天然痘の大流行など、切羽詰まった社会環境があるのですが、千葉では疾病衛生環境という点では余裕があり、社会環境の違いが大きかったものと考えます。

平城京では、疾病による死の恐怖から逃れたいというマイナスに直面した際の祈願であり、千葉では寿命を伸ばしたいというプラス方向を向いた祈願であったと考えます。

分類B 仏(仏像)を描いた人面墨書土器

次の6は仏(仏像頭部)を土器に書いて、仏に祈願したものとして考えました。福耳であることや目鼻口の様子が仏像的です。

6

この土器はいわば仏像の代替物であると考えます。

「分類A 国玉神を描いた人面墨書土器」の神が仏に変化してしまったものと想像します。


分類C 自画像を描いた人面墨書土器

1、2、3、8、9、10は祈願者が自画像を描いて、閻魔王の使いの鬼に自分本人であることを示しているのだと思います。

1

2

3

8
女性が描いた自画像で、省略を増やすことにより、想像で絵を補うような高度な手法を用いていると考えます。

自分の美貌(あるいはありのままの様子)が絵をかくことによって失われることを防いでいるものと考えます。

9

10
髷があることや絵のタッチなどから身分のある人物の自画像であると考えます。この人面が神や鬼であるとは思えません。

天然痘の大流行で死の恐怖に怯える平城京住民は、怖い鬼の絵を土器に描いて、それにご馳走を入れて、川に流して、死が遠ざかることを祈願したのですが、千葉の住民は、自分の顔を土器に描いて閻魔王の使いの鬼を自宅に招き入れ、賄賂を贈り、延命を祈願したのです。

社会環境の違いが祈願習俗の大幅な変容を招いていると考えます。

千葉住民の延命祈願の背景には切羽詰まった本当の祈願はなく、習俗が形骸化している様子を感じます。

分類D 立身出世ストーリー戯画を描いた人面墨書土器

7は人面が確かに書いてありますが、分類A~Cとは全く別系統の戯画土器であると考えます。

7

人面が4つ出てきて、その人面の様子が官人の立身出世の階梯を表現しているように読みとれます。

7の戯画ストーリー

7は官人が自分の未来の立身出世の階梯を戯画で描き、その実現を祈願したものと考えます。

夢の実現のために、その夢を言葉や絵で表現して、それをいつも眺めて気持ちをそれに集中させるという行為は、現代でも生活技術として一般的に行われています。




イスラム人面画と人面墨書土器とは絵として関連づけることはありませんでした。

しかし、イスラム人面画の思考(辺境空間では文化が変質する)が触媒の役割をして、人面墨書土器考察を深め、千葉県出土人面墨書土器を4つに分類することができました。

人面墨書土器の人面は人か鬼(神)か?というような、二者択一を迫るような質問は無意味であることが判りました。

 


2016年4月27日水曜日

珍しいイスラム人面画を触媒とした人面墨書土器の意義再考察 その1

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.342 珍しいイスラム人面画を触媒とした人面墨書土器の意義再考察 その1

2016.04.24記事「人面墨書土器の人面は人か鬼か?」及び2016.04.25記事「千葉県出土人面墨書土器の人面は祈願者の自画像」で、平城京出土人面墨書土器の人面は鬼であり、千葉県出土の人面は祈願者の自画像であると考えました。

そのように一旦は考えをまとめたのですが、偶然に見た珍しいイスラム人面画が墨書土器人面画と似ているように感じることから、再び人面墨書土器の意義について思考がスタートしてしまい、止まらなくなりました。

結局、イスラム人面画が、私の思考活性化の触媒のような働きをして、人面墨書土器の人面の意味についてより一層思考を深めることができました。

そこで、イスラム人面画を思考の触媒として活用しながら、考察を深めた人面墨書土器意義について記事を2回に分けて書きます。

1 珍しいイスラム人面画

サマルカンド(ウズベキスタン)のレギスタン広場にあるシェルドル・メドレセ(1636完成、イスラム神学校)のイーワーン(内部ドーム型開放空間建築物)上部に2つの人面が描かれています。

イーワーンに描かれた人面画(モザイク画)

イーワーン光景

レギスタン広場

人面画の1つをPhotoshopで正面画にして回転させ、顔を正立させると次のようになります。

シェルドル・メドレセのイーワーンに描かれた人面画(調整)

千葉県出土の古代人面墨書土器の人面画とどこか似ていることから、現場で思考が活性化しました。

しかし、現場ではこのイスラム人面画と人面墨書土器が、思考上、どのように関連するのかわかりませんでした。

ブハラ(ウズベキスタン)でも同じ時代の神学校(ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ、1622完成)のイーワーン上部中央に1つの人面画が描かれています。

イーワーンに描かれた人面画(モザイク画)

イーワーン光景

ナディール・ディヴァンベキ・メドレセのイーワーンに描かれた人面画(調整)

いづれも同じ支配者の時代につくられた建築物です。


2 イスラム教義に反する人面画とその言い訳

シェルドル・メドレセの人面画は鹿を狩るライオンの上に輝く太陽の顔になっています。

ライオンと太陽はチムールの紋章であり、チムール後継である当時のサマルカンド・ブハラ支配者の紋章でもあったと考えられます。

WEB等からは、サマルカンドやブハラを支配していた当時の支配者が、偶像崇拝を否定するイスラム教義に反して、自分の顔をイスラム神学校のイーワーンに描かせ、自分の権力を誇示したのではないかという解説情報を得ることができます。

サマルカンドとブハラの人面画がほぼ同じ顔つきですから、ある特定の支配者が教義に反して自分の顔を描かせて権勢を誇ったと一般論的には考えます。

しかし、そのような説明だけでは満足できません。

なにか言い訳が有るはずと考えていたのですが、現地ガイドの方から次のような話を聞きました。

人面画は太陽の顔であり、人の顔ではない。太陽の顔という存在しない抽象物だから偶像ではない。

ライオンといってもトラのような模様をしていて、ライオンを描いていない。抽象動物を描いている。
鹿も鹿ではなく、その姿をみてわかるように抽象動物として描いている。

ブハラのイーワーンには不死鳥が描かれていて、これも空想上の抽象動物であり、偶像に値しない。

つまり、実際は権力者が自分の顔を描かせているのに、宗教上は全部抽象物を描いていて、偶像崇拝の対象となるような物は描いていないという言い訳をしているのです。

3 教義に反する人面画が描かれたことから私が汲み取った思考ヒント

次の地図は17世紀のイスラム世界とサマルカンド・ブハラの位置関係を示したものもです。

17世紀のイスラム世界とサマルカンド、ブハラの位置

イスラム人面画が描かれたサマルカンド・ブハラは当時のイスラム世界主要部(オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国)からみると、辺境地です。

この空間的関係、つまり当時のイスラム世界の主要部から離れた辺境の場所にサマルカンド・ブハラが位置するようになってしまったために、イスラム教義に反して人面画が描かれてのではないだろうかと考えました。

サマルカンド・ブハラもイスラム文化という意味では歴史的な重要拠点です。イスラム文化の中心地の一つであることに間違いありません。そもそもサマルカンドはチムール帝国の首都でもあったのです。

しかし、17世紀にサマルカンド・ブハラがイスラム世界の政治・経済的主要部からみて、空間的辺境に位置するようになり、イスラム教義にゆるみが生じたのではないかと考えます。

ある場所の文化は、政治・経済的主要都市が別の場所に移動していまうと、時間が経つと、独自なものに変化してしまうという現象があったのではないだろうかと考えます。


話は大飛躍しますが、イスラム人面画の考察から、「政治・経済・文化の主要部から空間的に離れた辺境地では、文化面で独自の動きが発生する」という事象をヒントとして汲み取ります。

そして、そのヒントをいわば触媒として、千葉県出土人面墨書土器の人面の意義について、次の記事で再検討します。

つづく

2016年4月26日火曜日

2016.04.26 今朝の花見川

すがすがしい早朝散歩となりました。

高空、おそらく3000mくらいにまだら状の薄い雲が出ていて、日の出に光っていました。

日の出の空

いつものコジュケイ親子がいました。

コジュケイ親子

大きくなった雛が見えています。親鳥は半分草に隠れています。

花見川風景

花見川風景

新緑により水面の眺望が少なくなりました。

花見川風景

藤の花の季節がもうすぐ始まります。

花見川風景

弁天橋から下流

弁天橋から上流

畑の空

2016年4月25日月曜日

千葉県出土人面墨書土器の人面は祈願者の自画像

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.341 千葉県出土人面墨書土器の人面は祈願者の自画像

2016.04.24記事「人面墨書土器の人面は人か鬼か?」で千葉県出土人面墨書土器の人面は、平城京の人面墨書土器が疾病神を現わしているのと異なり、祈願者自身の似顔絵、つまり自画像であることを明らかにしました。

参考までに、千葉県出土人面墨書土器のうち、顔がある程度読み取れるものを全部データベースからピックアップして、本当に自画像であるか、確かめてみました。


千葉県出土主な人面墨書土器(1)
画像は千葉県墨書土器データベースから引用

1は欠け部分が多く判然としませんが、2や4と同じような顔つきのようです。

2は髯を生やして、髪を分けた成人男性の自画像であると考えます。耳が大きく、福耳として描いています。

3は垂れ目福耳であり、穏やかな性格が現れています。

4は髯を1本線で表現しています。この画像だけからは、自画像ではなく、国神を表現しているとも捉えられるかもしれません。

5は顔としてよく認識できません。現物を見ればその相がわかると思います。国玉神を表現しているとも捉えられるかもしれません。

千葉県出土主な人面墨書土器(2)
画像は千葉県墨書土器データベースから引用

6は自画像を仏像に摸して書いたものと解釈します。

7は4人の顔が描かれています。それを拡大すると次のようになります。

4人の顔

4人が登場する物語があるのだと思いますが、画像からは4人の鬼ではなく、年配の男性と若輩の男性、及び別の男2人が描かれているようです。

単純な個人の祈願土器であるかどうかわかりません。

出土遺跡が下総国分遺跡であり、組織活動(行政や宗教活動)に関連しているものと想像します。

組織の人間関係を描いているものと考えます。

描かれている顔は生身の人間であると考えます。(上司と部下など)

千葉県出土主な人面墨書土器(3)
画像は千葉県墨書土器データベースから引用

8は女性が書いた墨書土器のようです。

女性が自画像を書くに当たって、写実的に書くことをいくつかの視点からはばかり、人に見られても問題が生じにくい範囲で書いたものと想像します。

例えば、次のような顔にしたいのだけれども、そのように書くと、自分の本当の美しさが壊れるし、人に見られるとますます恥ずかしいと考えたのだと思います 。

しかし、男性のように自画像入りで神に祈願したいので、自画像をぎりぎりのところで省略してかいたのだと思います。書いてない線は想像で補ったのだと思います。

自分の美しさを省略によって担保したのだと思います。

本当は描きたかった自画像の線書き込み程度(空想)


千葉県出土主な人面墨書土器(4)
画像は千葉県墨書土器データベースから引用

9は、顔中心部以外が欠けているとはいえ、自画像として書いた雰囲気がよく出ています。鬼をこのようには決して書かないと思います。

10は年配指導者の雰囲気がよくでています。

11はヘラ書ですから、土器焼成前に書かれたものです。

土器制作職人自身か、発注者の顔を描いたものと想像します。
鬼の顔なら、その特徴をどこかに書き込むと思います。この顔は人の顔です。


次に人面墨書土器の主な11例のリストを示します。

千葉県出土 主な人面墨書土器リスト

主な人面墨書土器の分布を次に示します。

主な人面墨書土器が出土する遺跡

人面墨書土器は、実際は酔狂で、宴会の席で書いたようなものだと想像しています。

権力と教養と財力を供えている上層階層に属する住民が、自慢とか威厳を示す意味で人面墨書土器を書いたと想像します。

本当の延命とか本当の疾病除けを人面墨書土器に託していたとは、考えない方が正確な判断になると想像しています。

それだけ余裕のある経済的、政治的環境があった場所で人面墨書土器が作られ、その場所が上記遺跡付近であったと考えています。