2015年6月30日火曜日

八千代市権現後遺跡 銙帯とハマグリ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.158 八千代市権現後遺跡 銙帯とハマグリ

1 権現後遺跡から出土した銙帯
銙帯は官人が活動していた証拠であると考え、銙帯出土が官人の活動=律令国家の組織活動の存在の指標になると考え、このブログでは重視しています。

八千代市権現後遺跡から出土した銙帯は次の7点です。

権現後遺跡出土銙帯
銙帯スケッチは「八千代市権現後遺跡 -萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅰ- 本文編」(1984、住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)から引用

Ⅰゾーンから3点、Ⅲゾーンから3点、Ⅳゾーンから1点出土しています。
この3つのゾーンは「竪/掘」値の分級ではcであり、一般農業集落的性格が強いと考えたところです。

一方、Ⅱゾーンは「竪/掘」値分級がbであり業務地区的性格が強いと考えたのですが、このゾーンだけ銙帯が出土していません。

違和感が生じます。この違和感を一つの頼りにして、他の指標の結果を待って、ゾーンの特性を明らかにしたいと考えます。

参考までに北海道遺跡、白幡前遺跡・井戸向遺跡の銙帯出土情報を再掲します。

北海道遺跡の銙帯出土情報

白幡前遺跡・井戸向遺跡の銙帯出土情報


北海道遺跡のⅢゾーンは「竪/掘」値分級cですが銙帯が出土していて、その理由は官人が主導する開発拠点の中の居住地区がⅢゾーンだからであると考えました。ゾーン内に職能集団の居住とその職能施設がセットで存在しているとは限らないと考えたのです。

井戸向遺跡のⅣゾーンも「竪/掘」値分級cですがやはり銙帯が出土していて、その理由を、そのゾーンが開発中の現場であり、官人が現場事務所に常駐していたというようなイメージで捉えました。

権現後遺跡のⅠゾーン、Ⅲゾーン、Ⅳゾーンは「竪/掘」値分級cで、その場所から全部で7点もの銙帯が出土していることの説明は他の指標の情報を待って行いますが、北海道遺跡と同じような考えをすることになるような予感がします。

もしかしたら、白幡前遺跡でよくあてはまったゾーン別の特性把握方法を、北海道遺跡や権現後遺跡の事例から受ける違和感により、さらに発展させるチャンスとすることができるかもしれません。

2 権現後遺跡から出土したハマグリ
萱田地区は東京湾から分水界を隔てた場所であり、東京湾産ハマグリ出土は奢侈活動が行なわれた証拠であり、その背景に権力の存在を感じることができます。銙帯と並び、ハマグリも律令国家の組織活動に関わる指標と考えられます。

八千代市権現後遺跡から出土したハマグリ(ハマグリをメインとした貝層)は次の2箇所です。

権現後遺跡ハマグリ出土竪穴住居跡

出土箇所はⅠゾーンとⅢゾーンです。

銙帯出土と同じように、「竪/掘」値分級を踏まえると違和感が生じます。

銙帯出土、ハマグリ出土からⅠゾーンやⅢゾーンに権力を持つ官人が居住していたことが判明します。

参考として北海道遺跡、白幡前遺跡のハマグリ出土情報を再掲します。
井戸向遺跡からハマグリは出土していません。

北海道遺跡ハマグリ出土竪穴住居跡

白幡前遺跡貝層出土遺構

井戸向遺跡からハマグリが出土しないのは、権力をもった官人が居住していなかったからだと考えます。

そのように考えると、井戸向遺跡は白幡前遺跡と隣接しているので、白幡前遺跡を本社とすると、井戸向遺跡は支社ではなく、本社の別建物みたいな位置づけで、本社の一部のような存在だったと考えられます。

北海道遺跡と権現後遺跡は白幡前遺跡を本社と見立てた時に支社にあたる存在だと考えます。支社ですから一定の権限をもつ支社長が存在したのだと思います。その支社長が権力を行使してハマグリを食ったのだと思います。

白幡前遺跡(井戸向遺跡を含む)を本社、北海道遺跡と権現後遺跡を支社と見立てると、本社内のゾーン機能と支社内のゾーン機能が異なっていて当然です。

現時点では、本社内の1つのゾーン機能が支社全体機能と対応するようなイメージを空想します。

2015年6月29日月曜日

八千代市権現後遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.157 八千代市権現後遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)

八千代市白幡前遺跡→八千代市井戸向遺跡→八千代市北海道遺跡と萱田地区遺跡を北上して検討してきましたが、さらに北に位置する八千代市権現後遺跡(ゴンゲンウシロイセキ)の検討に入ります。

検討の基礎資料は「八千代市権現後遺跡 -萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅰ- 本文編」(1984、住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)及び「同 図版編」(同)です。

1 権現後遺跡のゾーン区分
報告書では遺構をⅠ~Ⅳの群に分けています。
このブログではこの遺構群を地域的なゾーン区分に見立てて利用することにします。

八千代市権現後遺跡のゾーン区分

2 権現後遺跡の地形
現在地地形(開発後地形)とゾーン区分図を重ねると次のようになります。

現在地形とゾーン区分図のオーバーレイ
全てのゾーンが台地面に位置します。

白幡前遺跡と井戸向遺跡は同じ平戸川の津(寺谷津河口の津)を利用していましたが、北海道遺跡と権現後遺跡はそれとは別の須久茂谷津河口の津を利用していたと考えられます。

3 権現後遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)
ゾーン別の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、竪穴住居跡/掘立柱建物跡の値を、白幡前遺跡、井戸向遺跡、北海道遺跡の値と一緒に次に示します。

権現後遺跡及び白幡前遺跡・井戸向遺跡・北海道遺跡の建物指標

竪穴住居跡/掘立柱建物跡の値は1棟の掘立柱建物を支える(あるいは利用する)竪穴住居の数であると考えることができます。
この数値が大きければ竪穴住居数に対して掘立柱建物数が少ないことを示し、反対に数値が小さければ竪穴住居数に対して掘立柱建物数が多いことを示しています。

この数値(竪穴住居跡数/掘立柱建物跡数)をこのブログでは仮に「竪/掘」値(タテホリチ)と呼んでいます。

奈良時代・平安時代にあっては、「竪/掘」値が大きい集落は一般農業集落的性格が強く、「竪/掘」値が小さい集落は掘立柱建物を居住や業務・倉庫としてとりわけ多数利用していることから、支配層居住地域、業務地域、職能集団活動地域、寺院地域などの性格が強いと考えます。

権現後遺跡では「竪/掘」値が小さいゾーンはⅢゾーンだけで、その分級はbとなります。

「竪/掘」値という指標からは、遺跡全体としては一般農業集落的性格が強いと考えます。

権現後遺跡の「竪/掘」値の分級を図化すると次のようになります。

権現後遺跡の「竪/掘」値分級の図化

参考 北海道遺跡の「竪/掘」値分級の図化

参考 白幡前遺跡・井戸向遺跡の「竪/掘」値分級の図化

「竪/掘」値という指標で近隣遺跡と比較することによって、権現後遺跡の概況をある程度イメージできました。

次の記事から別の指標で権現後遺跡を把握してみます。

2015年6月28日日曜日

参考 角川日本地名大辞典の付録小字一覧の存否

現在このブログでは、角川日本地名大辞典千葉県版の付録小字一覧を丸ごと電子化してデータベース化するプロジェクトに取り組んでいます。

角川日本地名大辞典 千葉県・茨城県

このプロジェクトに取り組む中で、他県版には付録小字一覧があるのかないのか、参考までに知りたくなりました。

図書館に出かけ、調べてきました。

47都道府県の内、付録小字一覧が有るもの40都府県、無いもの7道府県でした。

付録小字一覧が付いている都府県を図示すると次のようになります。

角川日本地名大辞典 付録小字一覧が付いている都府県

図書館で確かめた時、ついでに付録小字一覧のページ数をメモしておき、千葉県の1ページ当り小字数に基づいて、ページ数から掲載小字数を推定してみました。

その結果を次の示します。

都府県別小字数(推定)

推定小字数を3分割して分布図で示すと次のようになります。

角川日本地名大辞典 付録小字一覧の小字数(推定)

県別の小字数の大小には次のような背景があると考えますが、その背景の強弱は今のところ全く調べていません。

県別小字数の大小に関わる背景
1 過去に存在した小字数の大小。
2 史料に残った小字数の大小。
3 調べられた史料数の大小。

千葉県、茨城県の小字数が多い部類にはいる(赤く塗られている)のは、この地方は険しい山が少ないことと、平野が複雑に開析された台地で構成され、土地開発において土地が細分されざるを得ないためという地形条件が強く効いていることが考えられます。

小字数(推定)を高い方から10位まで並べると次のようになります。
1位 茨城県 (小字数 115500)
2位 高知県 (小字数 113400)
3位 岡山県 (小字数 108500)
4位 千葉県 (小字数 93000)
5位 静岡県 (小字数 88200)
6位 福島県 (小字数 81900)
7位 山口県 (小字数 81200)
8位 滋賀県 (小字数 79100)
9位 鹿児島県 (小字数 78400)
10位 鳥取県 (小字数 72100)

小字数は面積によって異なりますから、小字数/面積という密度指標を設定して調べてみました。
その結果が次のグラフです。

都府県別小字密度(小字数/㎢)

この小字密度を3分割した分布図として示すと次のようになります。

角川日本地名大辞典 付録小字一覧から推定した小字密度(小字数/㎢)

小字密度(推定)を高い方から10位まで並べると次のようになります。
1位 富山県 (小字数23.6/㎢)
2位 滋賀県 (小字数21.0/㎢)
3位 鳥取県 (小字数20.6/㎢)
4位 茨城県 (小字数18.9/㎢)
5位 千葉県 (小字数18.3/㎢)
6位 高知県 (小字数16.0/㎢)
7位 岡山県 (小字数15.5/㎢)
8位 京都府 (小字数15.0/㎢)
9位 山口県 (小字数13.3/㎢)
10位 静岡県 (小字数12.2/㎢)

千葉県、茨城県は全国的に見て小字数が多く、かつ小字密度も高い県です。

2015年6月27日土曜日

古代遺跡名称に多く現れる「白幡」

地名「白幡」(白旗、白畑、白畠)(以下「白幡」等とします)は古代における秦氏の活動によって付けられたものが多いのではないかと想定しています。

古代遺跡の多くの場所に小字「白幡」等が随伴するような印象を持っています。(2015.02.08記事「古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏」参照)

そもそも古代遺跡名称に「白幡」等が含まれているものが多いように感じます。

この記事では、古代遺跡名称に「白幡」等が含まれているものの割合と、小字で「白幡」等が含まれるものの割合を算出して、その2つの数値を比較して、考察することにします。

遺跡名称はその発掘場所の小字名称を付けることが多いようですから、小字名称や遺跡名称に現れる特定のAAAという名称は、小字と遺跡の間に相関がなければ、平均的には次のような関係になると思います。

名称AAAを含む遺跡数の全遺跡数に対する割合=名称AAAを含む小字数の全小字数に対する割合

「白幡」等が遺跡名称と小字名称でどのような割合であるのか調べてみました。
その結果を次に示します。

小字と遺跡名称に「白幡」等を含むものの割合の比較

小字に関しては、千葉県全体の「白幡」等の割合は不明です。
花見川流域6市に関しては、0.22%です。

一方、全遺跡に関しては、千葉県全体の「白幡」等の割合は0.14%、花見川流域6市に関しては0.17%です。

全遺跡を対象に花見川流域6市についてみると、遺跡名称に「白幡」等が多く使われているという結果にはなりません。

次に、遺跡の時代を、旧石器時代と縄文時代のみの遺跡を除いて、弥生時代以降に限って比較してみました。

花見川流域6市の「白幡」等の割合は0.41%ですから、小字のそれより約2倍の数値になります。

古代遺跡は「好んで」「白幡」等の小字の場所に立地していると言えます。

名称に「白幡」等を含むものの割合の比較(花見川流域6市)

古代において新羅系渡来人の「秦氏」集団が鍛冶・妙見信仰・水運等の各種技術を持参して房総に入植し、その足取りが地名として残り、一方遺跡として発掘されるという仮説を支持する結果となりました。

千葉県全体の弥生時代以降遺跡で「白幡」等の名称を含むもののリストは次の通りです。

千葉県における弥生時代以降遺跡で「白幡」等の名称を含むもの

このリストを分布図にすると次のようになります。

千葉県における弥生時代以降遺跡で「白幡」等の名称を含むものの分布
プロットはアドレスマッチングによる

分布の大半が下総国の領域にあります。

【考察】
●古代遺跡名称に「白幡」等を含むものが多いことから、「白幡」等の地名が古代における新羅系渡来人「秦氏」集団の活動場所であった可能性が強いと考えます。
●古代遺跡名称ではなく、古代遺跡にかかる領域内に「白幡」等の地名があるものの割合を調べれば、古代遺跡と「白幡」等地名との間にもっと強い相関があると予想します。その予想を将来検証したいと思います。

……………………………………………………………………
このコンテンツは1週間程前に作成し、いつか記事としてアップしたいと考えていたストックですが、小字データベースの作成範囲が拡がり、データ内容が陳腐化してしまう恐れがありますので、とり急ぎアップすることにしました。
この記事のデータを小字データベース11市に拡大し、また検討の視点を新たに加え、改訂版記事を作成する予定です。(2015.06.27)

2015年6月26日金曜日

市川市等5市の小字データベース完成

小字地名データベース作成活用プロジェクト 17

1 市川市、鎌ヶ谷市、浦安市、印西市、白井市の小字データベースの作成
千葉県地名大辞典(角川書店)附録小字一覧のうち市川市、鎌ヶ谷市、浦安市、印西市、白井市分の大字・小字の文字表記をルビをセットにして、電子化してExcelファイル、File Makerファイルとして作成しました。

これで、千葉県内11市の小字データベースが完成しました。

小字データベース作成市町村(2015.06.26)

これまでに作成したデータベースの小字数等をまとめると次のようになります。

小字データベース作成範囲の小字数(2015.06.26)

データベースは次項目で作成しています。
・小字
・小字よみ
・大字
・大字よみ
・市町村
・市町村よみ
・区
・区よみ
・所在地表記
・備考

データベース画面(File Maker画面)

2 千葉県小字データベース作成の展望
当初、千葉県全域の小字データベース作成を夢見て、それを「野望」(身の程知らず)とまで表現していました。(2015.04.14記事「ささやかな野望」参照)

しかし、データベース作成に取り組む中で、作業の効率化を追求した結果、当初とくらべると高効率化作業が実現しました。千葉県全域の小字データベース作成は、「野望」から「出来るかもしれない」に変化し、現在は「確実に完成できる。問題はデータベース作成と他の活動に投入するパワーのバランス」になりました。

3 小字データベース活用方法の検討
データベース作成作業とともに、その効果的活用法について出来たところまでのデータベースを試用しながら検討しています。

これまでの試用では、小字データベースからとても有用な参考情報を引き出せるという感触を持っています。

今後小字データベースから東海道水運支路仮説に役立つ情報を引き出すにはどうしたらよいか、焦点を絞って検討を深めるつもりです。

遺跡発掘調査報告書から得られる遺構・遺物の情報と小字がどこかで結びつくことがあるのではないかと考えています。

また、直接のものも含めて、墨書土器の文字と小字が結びつくものがあると考えます。

当面は、小字データベースから古代起源の小字を抽出する方法を検討していきます。

2015年6月25日木曜日

全国遺跡報告総覧

散歩から帰って、朝刊をめくっていると、「全国の遺跡発掘報告書 1.4万冊ネットで検索」という見出しが目に飛び込んできました。

全国の遺跡発掘調査報告書約1.4万冊を電子化し、インターネットで一括検索・閲覧できるwebサイト「全国遺跡報告総覧」が奈良文化財研究所と島根大学など21国立大学が共同開発して、今朝から無料公開するという記事です。

遺跡発掘調査報告書の閲覧には苦労しており、その苦労話を何回もブログ記事のネタにしているほどですから、この記事には色めき立ちました。

早速、webサイト「全国遺跡総覧」にアクセスしてみました。

webサイト「全国遺跡総覧」画面

期待は大いに膨らんだのですが、32道府県には千葉県は残念ながら入っていませんでした。

全国遺跡総覧に報告書が掲載されている32道府県
ただし、北海道は7件、長野県は2480件と閲覧できる報告書数はバラバラです。

報告書はpdfでダウンロードできるので、探している報告書がこの中にあれば大変便利です。

時々、他県の遺跡発掘調査報告書を閲覧したいことがあるのですが、いままでそれは不可能と考えていたのですが、これからはこのサイトで検索してみれば、閲覧できる可能性もあります。

いつか千葉県の遺跡発掘調査報告書がこのwebサイトで自由に閲覧できるようになることを社会の片隅で期待します。

2015年6月24日水曜日

八千代市北海道遺跡出土墨書土器の文字の意味(想定)

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.156 八千代市北海道遺跡出土墨書土器の文字の意味(想定)

八千代市北海道遺跡出土墨書土器の文字についてゾーン別に出土数をまとめると次のようになります。

北海道遺跡ゾーン別墨書土器の文字
千葉県墨書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)により集計。
「釈文」欄が□(不明)の史料は除く。
A12〓、A13〓は記号のような墨書。

この情報からゾーン毎に代表的な文字を抽出してゾーン図に記入すると次のようになります。

ゾーン別墨書土器の代表文字

参考 白幡前遺跡・井戸向遺跡のゾーン別墨書土器の代表文字

冨と万に○の2つの文字が全ゾーンを通じてメインであることがわかります。とりわけ、冨が北海道遺跡を代表する文字となっています。

北海道遺跡は発掘調査報告書では遺構分布を8群に分けていますが、墨書土器の文字という観点から観察すると、白幡前遺跡にようなゾーン別特徴(多様性)はみられません。

この代表文字の意味イメージ(想定)を地図に書き込むと次のようになります。

ゾーン別墨書土器代表文字の意味イメージ(想定)

参考 白幡前遺跡・井戸向遺跡のゾーン別墨書土器代表文字の意味イメージ(想定)

経済繁栄を祈願する文字が遺跡全体のメインということになりますから、白幡前遺跡とは明らかに異なった社会が存在していたと考えられます。

墨書土器指標と建物指標のクロスによる遺跡評価ではⅣゾーンだけが業務地区、それ以外の全ゾーンが一般集落地区となりました。そして、考察で一般集落地区のメインであるⅢゾーンは農業開発拠点の居住地区、Ⅳゾーンは同じ農業開発拠点の倉庫地区と考えました。

このような評価結果・考察とメイン墨書土器文字「冨」は合致します。
北海道遺跡は全体として経済活動がメインであった集落と考え、経済繁栄が最優先であったと考えます。

万に○(戦勝祈願)が冨と一緒に多出する理由は、北海道遺跡(農業開発拠点)が白幡前遺跡(軍事基地)の管理下で行われていたからだと考えます。
白幡前遺跡を拠点とする律令国家の行政組織から派遣された官人が、軍事基地を支えるための農業開発を行ったと考えます。
律令国家は蝦夷戦争の勝利のために軍事兵站・輸送基地(白幡前遺跡)の強化を図り、その一環として基地周辺の農業開発を行ったと考えます。

ですから、官人は冨(経済繁栄=収穫物増大)と万に○(戦勝祈願)の双方を墨書土器の文字として使ったのだと思います。

北海道遺跡の墨書土器文字に白幡前遺跡のゾーンを代表する文字がかなり出土していて、それは北海道遺跡が白幡前遺跡の強い影響下(配下)にあったことを物語っていると考えます。

白幡前遺跡の各ゾーンを代表する文字として次のものが北海道遺跡で出土しています。
生 (白幡前遺跡1A・1B・2B)
継 (白幡前遺跡1B・2A)
○ (白幡前遺跡1A)
廓 (白幡前遺跡2D・3)
廿 (白幡前遺跡2F)
入 (白幡前遺跡2E)

なお、北海道遺跡では文字を2文字連続して書いている史料が多くみられます。
例 冨冨、成成、入入、継継、木木、くく、大田大田、"朝日村神丈□朝日"、仁仁、山山、善善

北海道遺跡に特有の現象のように感じます。その理由は今後の検討課題ですが、北海道遺跡が白幡前遺跡の影響を受けて、二次的に派生した集落であると考えますが、そのことと関係する現象であると想像します。

2015年6月23日火曜日

墨書土器指標と建物指標のクロスによる遺跡評価

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.155 墨書土器指標と建物指標のクロスによる遺跡評価

八千代市北海道遺跡のこれまでの検討で、「竪/掘」値(T)の分級(2015.06.18記事「八千代市北海道遺跡の「竪/掘」値(タテホリチ)」参照)と墨書土器対竪穴住居出土率(S)の分級(2015.06.22記事「八千代市北海道遺跡の墨書土器出土状況」参照)を行いました。

このTとSの分級図を並べてみると次のようになります。

北海道遺跡のTとSの分級図

この分級結果に基づいて、TとSのクロスによるゾーン評価をしました。
ゾーン評価基準(試案)は2015.06.12記事「墨書土器指標を用いた遺跡評価思考実験」で検討したものです。

TとSのクロスによるゾーン評価基準(試案)と評価結果 北海道遺跡

参考 TとSのクロスによるゾーン評価基準(試案)と評価結果 白幡前遺跡

参考 TとSのクロスによるゾーン評価基準(試案)と評価結果 井戸向遺跡

この評価結果を分布図にすると次のようになります。

TとSのクロスによるゾーン特性の検討 北海道遺跡

参考 TとSのクロスによるゾーン特性の検討 白幡前遺跡・井戸向遺跡

北海道遺跡の場合、指標を用いて検討するとⅣゾーンのみが業務地区となり、他のゾーンは全て一般集落地区となりました。

さて、Ⅲゾーンでは銙帯やハマグリが出土していて、以前の記事(2015.06.19記事「八千代市北海道遺跡 銙帯とハマグリ」参照)で違和感をメモしておきましたが、この違和感について考察しておく必要があります。

Ⅲゾーンは掘立柱建物の少なさや墨書土器出土率の少なさから一般集落地区として評価しました。しかし、銙帯、ハマグリが出土していて官人の存在と奢侈活動の跡を残した支配層の存在が暗示されます。官人と支配層は結局同じ対象であると考えてよいと思います。

一般集落地区で官人が活動していた理由を次のように考えます。

Ⅲゾーンは台地面と河岸段丘面の間にある斜面に主に立地しています。これから、斜面下すぐに湧水が存在し、その湧水を飲料水として活用する集落であったと考えます。

この集落は自然発生的に生れたのではなく、律令国家によって計画的に配置されたものであると考えると、この集落はⅢゾーン南西の台地面や西の須久茂谷津農業開拓の開発拠点であった可能性を感じ取ることができます。

Ⅲゾーンをこの付近一帯の農業開発拠点の居住地区、Ⅳゾーンを収穫物出荷のための倉庫地区として考え、居住地区の支配管理、倉庫地区の管理運営をそれぞれ官人が行っていたと考えると、Ⅲゾーンから銙帯とハマグリ出土、Ⅳゾーンから銙帯出土の理由が合理的に説明できます。

Ⅲゾーンの住人は主にブルーカラーですから墨書土器出土率が低く、Ⅳゾーン住人はサービス業務従事ですからホワイトカラー的であり墨書土器出土率は高くなり、この面でも合理的解釈ができます。

2015年6月22日月曜日

八千代市北海道遺跡の墨書土器出土状況

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.154 八千代市北海道遺跡の墨書土器出土状況

八千代市北海道遺跡の墨書土器の検討に入ります。

白幡前遺跡、井戸向遺跡と同レベルで検討するために、墨書土器対竪穴住居出土率(S)の把握、分級、分布について検討しました。

墨書土器対竪穴住居出土率(S)の値、分級基準
墨書土器出土数の値はwebサイト明治大学日本古代学研究所で公表している千葉県墨書土器データベースファイルを用いました。

墨書土器は官人が一般人を動員する組織活動に際して生まれた風習であると考えます。
文字を使うことによって効果的な一般人動員が行われ、その際に個人用祈願ツールとして墨書土器が普及したと考えます。

従って、墨書土器が出土するということは文字(漢字)の威力(魔力)を実感している人々…官人に動員組織されプロジェクトに参加している人々がそこにいたことを示していると考えます。

また、場合によっては、墨書土器が組織による配給や給食の文字通りの受け皿として使われたのかもしれません。

墨書土器はあくまでも組織の中の産物と考えます。
いわゆる産物を上納するだけの一般農民は墨書土器とはあまり縁が無かったと考えます。

竪穴住居数は人口数に比例すると考えられますから、墨書土器対竪穴住居出土率(S)が高いことは人口あたり墨書土器数が多いことになり、それは組織活動が活発であったことを示していると考えます。

このような観点から、上記のSの分級は次のようなイメージでとらえることができます。

分級a…………………分級b…………………分級c
組織活動活発イメージ←→組織活動虚弱イメージ

この分級を地図で示すと次のようになります。

ゾーン別墨書土器対竪穴住居出土率(S)分級図

参考 白幡前遺跡、井戸向遺跡のゾーン別墨書土器対竪穴住居出土率(S)分級図

北海道遺跡ではⅣゾーンのみ分級bで、他のゾーンは全て分級cです。

この結果からⅣゾーンでは官人による組織活動が行われたと考えます。Ⅳゾーンでは銙帯が出土し、掘立柱建物も9棟あるので、官人組織活動と整合します。

次の検討でTとSのクロス検討を行います。

2015年6月21日日曜日

八千代市北海道遺跡の活動活発時期イメージ

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.153 八千代市北海道遺跡の活動活発時期イメージ

八千代市北海道遺跡のゾーン別年代イメージを把握しておきます。

1 萱田地区遺跡の竪穴住居消長図
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に萱田地区遺跡の竪穴住居消長図が掲載されています。

その図に、竪穴住居活動が活発であった時期が前半期(主に8世紀代頃をイメージ)のものと、後半期(主に9世紀代頃をイメージ)のものに2分した色分けをして、検討図を作成してみました。

北海道遺跡及び近隣遺跡の竪穴住居消長
北海道遺跡Ⅱゾーン、Ⅵゾーンは情報が掲載されていません。

この2分割塗色の目的は、あくまでも遺跡消長の大局観を得るためであり、正確な遺跡消長を知ろうとしているのではありません。

2 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分
この図に基づいて、北海道遺跡のゾーンを前半期活発ゾーンと後半期活発ゾーンに2分して色分けしてみました。

北海道遺跡 竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分

須久茂谷津河口付近の河岸段丘の低い土地のⅦゾーン、Ⅷゾーンが3期(9世紀初頭)までの活動が活発であり、それ以外のゾーンは4期(9世紀前半)以降の活動が活発であったということになります。

須久茂谷津河口付近に存在したと推定する津(港湾)に近い場所から開発が進んだといえます。

参考に白幡前遺跡と井戸向遺跡の同じ活動活発時期区分図を掲載します。

白幡前遺跡と井戸向遺跡の竪穴住居消長からみたゾーンの活動活発時期区分

3期(9世紀初頭)までの時期、北海道遺跡Ⅶゾーン、Ⅷゾーンは白幡前遺跡1A、1B、2A、2Bゾーンと交流があったと想定し、遺構の量や出土物から白幡前遺跡が親、北海道遺跡が子という主従関係のイメージで捉えられるのではないかと想像します。

2015年6月20日土曜日

花見川上ガスのメカニズム仮説 その2

2014.07.04記事「花見川上ガスのメカニズム仮説」で花見川上ガスのメカニズムを絵にしてみました。

本日、花見川上ガスがいつもより盛んであることに気づき、その理由が「降雨-地下水の増大-地下水の流動化-上ガスが地表近くに出やすくなる」という一連の関係で生まれると想像しましたので、メモしておきます。

本日(2015.06.20)の花見川水面 上ガスの水紋が途切れることがない水面

2014.07.04記事の仮説
この仮説は、春~秋に上ガスが盛んであり、冬に上ガスがほとんどないという季節変動の理由を説明しています。水田耕作のための深井戸揚水が上ガスの原因です。深井戸の深さは100m~200mです。

花見川上ガスのメカニズム仮説 その2
この仮説は、春~秋の上ガスが盛んな時期における上ガスの消長を説明する仮説です。

上ガスは農業用深井戸の揚水でガスを含んだ深層の地下水が地表近くに強制的に絞り出されることにより生じると考えます。
梅雨期など降雨量が増えると地下水量も増え、地下水が流動化します。地下水が流動化するとガスを含んでいる地下水も流動化して地表近くに出やすくなり、結果として花見川における上ガス観察が増えると考えます。

なお、上ガスそのものは花見川水面特有の現象ではなく、全地表面で同じように生じている自然現象であると考えます。
しかし、水面以外では肉眼で観察できないので、また無臭であるので、花見川特有現象のように錯覚してしまいます。

恐らく上ガスの量が微量であるので、花見川付近ではガス爆発事故が起こったという情報は知りません。
しかし、一般論として床下に溜まるガスを逃がす施設のない建物は千葉・東京下町では危険であると考えます。

2015.06.20 今朝の花見川

無風で遠くに薄く靄がかかっているようで、とても柔らかい光景に包まれる早朝でした。

日の出前

花見川

低い雲の流れは速く、曇っているのか晴れているのかよくわからない空でした。

花見川

花見川

激しい上ガスが各所で見られました。

激しい上ガス

弁天橋から下流

弁天橋から上流

川面一杯に上ガスの水紋が見えました。

川面一杯にひろがる上ガス水紋 勝田川合流部付近

盛んな上ガスを観察して、上ガスメカニズムについて気が付いたことがありますので、別記事にします。