2020年4月30日木曜日

イノシシの飾りがある土器外2点(茅野市) 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 407

長野県茅野市の尖石縄文考古館で観覧したイノシシの飾りがある土器外2点(茅野市)の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 イノシシの飾りがある土器外2点(茅野市) 観察記録3Dモデル

イノシシの飾りがある土器外2点(茅野市) 観察記録3Dモデル
左奥●蛇体装飾のある土器(茅野市中ッ原遺跡)
縄文中期(5000年前)
中前●イノシシの飾りがある土器(茅野市梨ノ木遺跡)
縄文中期(5000年前)
愛らしく表現されています。背中の模様が左右で違うところに注目してください。
右奥●中空の装飾のある土器(茅野市長峯遺跡)
縄文中期中葉(約4500年前)
富士見町藤内遺跡出土のいわゆる「神像筒形土器」によく似ている土器。中空の装飾とその下の三角形の区画を中心に、隙間なくタテやナナメに図形が刻まれているところに注目してほしい。
撮影場所:尖石縄文考古館
撮影月日:2020.03.13
ガラスショーケース越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 246 images(Masquerade機能利用)
(マウスのホイールを押しながら移動することにより、回転軸を移動できます。)

展示の状況

イノシシの飾りがある土器外2点(茅野市)観察記録3Dモデルの動画

2 感想
イノシシ、蛇は縄文土器によく出てくる動物です。
2020.03.13訪問した際に入り口付近のショーケースに展示されていた3つの土器をそのまま3Dモデルにしてみました。野外光反射が写る場所で通常の3DF Zephyr Lite操作では満足が得られる3Dモデルを作成できませんでしたが、Masquerade機能を利用することによりそれなりのレベルの3Dモデルが出来ました。
しかし、3Dモデルイノシシの体部左には反射光のいたずらによる数点のゴミが弧状に分布していて正確な像になっていません。

抽象文深鉢形土器(茅野市東風呂遺跡)2点 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 406

長野県茅野市の尖石縄文考古館で観覧した抽象文深鉢形土器(茅野市東風呂遺跡)2点の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 抽象文深鉢形土器(茅野市東風呂遺跡)2点 観察記録3Dモデル

抽象文深鉢形土器(茅野市東風呂遺跡)2点 観察記録3Dモデル
撮影場所:尖石縄文考古館
撮影月日:2020.03.13
ガラス越し撮影

展示の状況

抽象文深鉢形土器(茅野市東風呂遺跡)2点観察記録3Dモデルの動画

2 観察と感想
右の土器に描かれている動物の模様はオオサンショウウオと言われています。

参考 茅野市辻屋遺跡出土抽象文土器3点 3Dモデル オルソグラフィック投影画像
この文様に類似する文様はすでに多数出土していて、「文様解読から見える縄文人の心」(尖石縄文考古館縄文ゼミナール武居幸重)でオオサンショウウオであることがすでに解明されています。

左の土器に描かれている動物は大きな髭のある細長い生き物であるようです。ナマズの可能性が濃厚です。
オオサンショウウオとかナマズが土器に描かれた理由に興味が湧きます。狩猟獣のイノシシが獣面把手などで土器に描かれるのと同じ原理かもしれません。食糧としての獲物という意味だけでなく、オオサンショウウオやナマズの行動や生態に対してある愛着を、八ヶ岳縄文人がもっていたのだと思います。他の魚よりオオサンショウウオやナマズの格が上だったのだと思います。


縄文中期前半顔面装飾付深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 405

長野県茅野市の尖石縄文考古館で観覧した縄文中期前半顔面装飾付深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡)の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 縄文中期前半顔面装飾付深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文中期前半顔面装飾付深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡) 観察記録3Dモデル
撮影場所:尖石縄文考古館
撮影月日:2020.03.13
5面ガラスショーケース越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 84 images

展示の状況

縄文中期前半顔面装飾付深鉢形土器(茅野市下ノ原遺跡)観察記録3Dモデルの動画

2 GigaMesh Software Frameworkによる展開写真
GigaMesh Software Frameworkを利用して展開写真を作成しました。

GigaMesh Software Frameworkによる展開写真

3 感想
「顔面装飾付」と名付けられていますが、自分には顔面をイメージして作られたという考えに確信を持てません。鼻にあたる部分が双眼の一部ですから顔として違和感を感じます。また「頭」にあたる部分にかんざし状の長円模様がありますが、この長円模様と「目」にあたる長円模様が同じです。
展開写真をみると全体文様構成が縄文中期前半抽象絵画文深鉢形土器(茅野市一ノ瀬遺跡)とよく似ています。また、藤内式深鉢形土器(伊那市金鋳場遺跡)ともよく似ています。顔面装飾付土器の把手と対向する双眼から斜め下に伸びた腕?(足?)状の部分が抽象絵画文土器や藤内式土器の菱形に対応するような印象を持ちます。
単なる土器表面を飾る文様というよりも、未解読文字のような印象を受けます。

参考 縄文中期前半抽象絵画文深鉢形土器(茅野市一ノ瀬遺跡)展開写真
GigaMesh Software Frameworkにより作成
2020.04.29記事「長野県茅野市で出土した抽象絵画文深鉢形土器

参考 伊那市創造館で観覧した藤内式深鉢形土器の展開写真 GigaMesh Software Frameworkにより作成
2020.02.02記事「藤内式深鉢形土器(伊那市西箕輪 金鋳場遺跡)の展開写真



2020年4月29日水曜日

長野県茅野市で出土した抽象絵画文深鉢形土器

縄文土器学習 404

長野県茅野市の尖石縄文考古館で観覧した縄文中期前半抽象絵画文深鉢形土器(茅野市一ノ瀬遺跡)の観察記録3Dモデルを作成しました。

1 縄文中期前半抽象絵画文深鉢形土器(茅野市一ノ瀬遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文中期前半抽象絵画文深鉢形土器(茅野市一ノ瀬遺跡) 観察記録3Dモデル 
撮影場所:尖石縄文考古館 
撮影月日:2020.03.13 
5面ガラスショーケース越し撮影 
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 73 images

展示の状況

縄文中期前半抽象絵画文深鉢形土器(茅野市一ノ瀬遺跡)観察記録3Dモデルの動画

2 GigaMesh Software Frameworkによる展開写真
GigaMesh Software Frameworkを利用して展開写真を作成しました。

GigaMesh Software Frameworkによる展開写真
「抽象絵画」の文様の様子がよくわかります。2単位のよく似た文様から構成されています。

3 感想
「抽象絵画」が表現する対象が存在することは確実であると考えます。
その対象が風景や地物の変化であるのか、言葉や概念のストーリーであるのかなどの研究・考察が専門的立場から行われているのでしょうか?
縄文土器研究者がこのような土器文様解読をどこまで行っているのか調べてみる価値があると考えます。
この土器の「抽象絵画」には「棘」のようなものがあること、意味深長な丸が「卵」を連想させることなどから植物や動物の様子を描いているような感想を持ちます。
伊那市創造館で観覧した藤内式深鉢形土器では「抽象絵画」が4単位となっていて、茅野市土器と似た構図があり、また「卵」を連想させるような丸があります。茅野市の土器と伊那市の土器で描かれている対象は類似したものであると考えることが当然です。

参考 伊那市創造館で観覧した藤内式深鉢形土器の展開写真 GigaMesh Software Frameworkにより作成

2020年4月27日月曜日

八ヶ岳で出土した加曽利EⅡ式土器似土器

縄文土器学習 403

長野県茅野市の尖石縄文考古館で観覧した「周辺地域から運ばれてきた土器」について3Dモデルを作成しました。

1 加曽利EⅡ式土器似土器

縄文中期「関東地方の土器の特徴を示す土器」 観察記録3Dモデル
約5000~4500年前
撮影場所:尖石縄文考古館
撮影月日:2020.03.13
ガラス越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 72 images

展示の状況

3Dモデル作成舞台裏を含めた加曽利EⅡ式土器似土器の動画
加曽利EⅡ式土器似土器をターゲットに撮影した画像から作った3Dモデルと、そこから不用な部分をカットして作成した加曽利EⅡ式土器似土器3Dモデルの動画です。

2 1以外の土器

縄文中期阿玉台式土器(茅野市長峰遺跡(須栗平~芹が沢)) 観察記録3Dモデル

縄文中期「伊那谷から運び込まれた土器」 観察記録3Dモデル

縄文中期「各地から運び込まれた土器」(茅野市各遺跡) 観察記録3Dモデル

3 感想
加曽利EⅡ式土器似土器は加曽利貝塚博物館などで見慣れている房総の加曽利EⅡ式土器と比べると何か次のような違和感を覚えます。

1 全体のフォルムが「ダサい」
口縁部と胴部の連続性がなく、また胴部曲線が「この曲線が美しい」になっていません。ふくらみが下に移動していて垂れ下がった尻のようです。
2 キャリパー形といは言い難い
キャリパー形というよりもラッパ形です。
3 口唇部が内面に凸になっている
口唇部が内面に凸になっています。おそらくキャリパー形の意義が判らないために、無理してキャリパー形に近づけようとしたのだと推察します。
4 基本波状は4単位ですが、子細に観察すると8単位であると見立てることができます。このような角ばった口縁部鉛直投影面は房総では私は見ていません。

同時に垂下する磨消文、垂下する波状沈線、口縁部の渦巻文・区画文、口縁部と胴部の縄文方向の差異などはこの土器が加曽利EⅡ式土器であることを物語っています。
この土器が東京など西関東で作られた土器であるのか、山梨で作られた土器であるのか、それとも八ヶ岳で「真似て」つくられた土器であるのか、専門家にいつか質問してみたいと思います。

2020年4月25日土曜日

長野県埋蔵文化財センター展示室の縄文土器

縄文土器学習 402
長野県埋蔵文化財センター展示室には3点の縄文土器が展示されていました。各観察記録3Dモデルを作成し、内2点をSketchfabにアップロードしましたので紹介します。

1 縄文時代深鉢(辰野町沢尻東原遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文時代深鉢(辰野町沢尻東原遺跡) 観察記録3Dモデル
炉の中に埋められた土器
撮影場所:長野県埋蔵文化財センター
撮影月日:2020.03.09
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 40 images

展示の状況

2 縄文中期コップ形土器(辰野町沢尻東原遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文中期コップ形土器(辰野町沢尻東原遺跡) 観察記録3Dモデル
約5000年前
撮影場所:長野県埋蔵文化財センター
撮影月日:2020.03.09
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 37 images

展示の状況

3 縄文中期火炎土器(栄村ひんご遺跡)レプリカ

縄文中期火炎土器(栄村ひんご遺跡)レプリカ 展示の状況
3Dモデルは作成しましたがSketchfab投稿できるまでの出来ばえに至りませんでした。

4 感想
コンパクトな展示空間に長野県埋蔵文化財センターが発掘に携わった各時代の貴重な遺物が展示されて、興味が湧きあがるものばかりでした。






縄文草創期の捉え方

縄文社会消長分析学習 10

4月は後期旧石器時代~縄文草創期を集中的に学習していますが、後期旧石器時代と縄文草創期の自分なりの時代イメージがだんだん明瞭になってきましたのでメモします。
考古歴史学習を進める上で時代イメージ(仮説的大局観)を自分なりに持つことは、学習意欲を駆りたて、学習の継続・加速上必須です。

1 後期旧石器時代後半のイメージ(仮説的大局観)
最終氷期クライマックス期となり寒冷化が強まり継続した
→寒冷化による生活困難が人社会で地球規模で進行した
→集団間の相互扶助の必要性が高まり、相互扶助が行われた
→集団間の交流が促進された
→集団間交流促進により人の言語能力が発達向上した
→言語能力発達により計画的思考能力が発達した
→計画的思考能力は発明的思考能力を向上させた
→発明的思考能力向上により各種発明が多発した(例 細石刃・弓・犬・竪穴住居…)
→集団間交流により発明共有・発明改良が広域現象となった
→集団間交流により発明が次の発明を触発する好循環が人社会に生まれた

後期旧石器時代後半の寒冷と激しい気候変動が人集団の交流を促し、言語を発達させ、それに伴い発明が多発して共有され、さらに発明が次の発明を呼ぶという好循環が発生したという人類進化的状況をイメージ(仮説)しました。
土器もこのような人類進化的状況のなかで東アジアの各所で同時的に発生したと考えます。

2 縄文草創期のイメージ(仮説的大局観)
温暖期と寒冷期が入れ替わるかつてない激しい気候変動に直面した
→前代までに手にすることができた発明資産(例 細石刃・弓・犬・竪穴住居…)を遠方の集団にまで普及させた
→普及した発明資産を地域の実情に合わせて改良をすすめ、生活困難克服に資した
→土器の普及が新たな食糧資源開発に結び付いた。(堅果類のアク抜き)
→集団間交流ネットワーク、交易ネットワークを一段と濃密に構築し、激しい気候変動に対応した
→呪文・神話などの言語が発達し、対応する「第二の道具」土偶が発明された


後期旧石器時代後半の東アジア人類社会進化の賜物を、縄文草創期列島人が地域の実情に合わせて発展させ、その道具やネットワークを使って激しい気候変動を乗り切ったという見立てです。

3 感想
1、2のように考えると、後期旧石器時代と縄文草創期は人類進化における一連で継続する歴史です。
縄文早期には温暖化がすすみ、海面も100m以上上昇して地形も大幅にかわり(海で列島が切り離され)、住みやすい環境が生まれることを考えると、後期旧石器時代と縄文草創期が一つの観察・思考単位であり、縄文早期~晩期が一つの観察・思考単位であると感じます。

参考 更新世/完新世の酸素同位体比変動(気温変動)と日本・ヨーロッパの遺跡の年代およびユーラシア大陸の考古学的区分
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用

参考 ヨーロッパ・西アジアとの対比互換案
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用

2020年4月23日木曜日

産小屋としての上黒岩岩陰遺跡

縄文社会消長分析学習 9

1 はじめに
2020.04.23記事「上黒岩岩陰遺跡の地形特性」で上黒岩岩陰遺跡が3つの河川流域を結ぶ交通結節点に位置していて、集団間の婚姻に関わるような重要な交流拠点であった可能性があることと、日当たりがよく風雨を確実に防げる良好住環境が得られる場所であることがわかりました。
この条件から次のような想定を密かにしました。
1 縄文草創期では重信川流域、肱川流域、仁淀川流域を移動領域とする複数集団が生活していたであろう。(2020.04.22記事「上黒岩岩陰遺跡の広域地形」)
2 重信川流域、肱川流域、仁淀川流域を移動領域とする各集団は近親婚を避けるため相互に女性交換を行っていたであろう。
3 3流域各集団が交流する場所は上黒岩岩陰遺跡であったであろう。
4 女性が出産する場合安定した住環境が必須であり、その点上黒岩岩陰遺跡は申し分のない場所であるから、上黒岩岩陰遺跡が3集団が共同利用する出産場所であったという仮説が成り立つ。

このような密かな想定を念頭にして「国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)」を読んだところ、なんと「上黒岩の岩陰は産所であり、そして墓地として使われることもあった複合的な生活の場であったのである。」と結論付けられていました。

上黒岩岩陰遺跡は広域を移動しながら生活する狩猟民の共同産小屋であったという想定は専門家の結論に近いものであり、上黒岩岩陰遺跡の学習にますます興味が深まります。

この記事では上黒岩岩陰遺跡が残した産小屋機能を表現する遺物について、「国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)」から抜粋して学習します。

2 石偶(線刻礫)
第9層(草創期前半(隆線文土器)約14500年前)から出土

石偶
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用

石偶の理解
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用・メモ追記
下記に示すようなユーラシア大陸の多数資料との比較研究から、上黒岩岩陰遺跡出土石偶は全て女性を表現していると結論付けられています。

後期旧石器時代後半のヴィーナスの型式変遷
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用
春成秀爾先生によるユーラシア大陸後期旧石器時代後半のビーナス像比較研究は思わずその記述に引き込まれ、時間の経つのも全く忘れるほどの面白いものです。専門家の研究というものはこういうものだと感じ、深い満足感をおぼえるものでした。

石偶は陰毛(によって表象される女性器)、乳房、髪の毛などによって表現されるビーナス像であり、時間の経過とともに省略されていったと考えられています。
出産に際して女性が手に握る呪具であると考えられています。
石偶が上黒岩岩陰遺跡だけで出土し、国内に類例がないのは、一般には獣骨で作られるために残らなかったと考えられています。

3 棒状線刻礫
第6層(草創期後半(無文土器)約12000年前)から出土

棒状線刻礫
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用
羽状模様はユーラシア大陸ビーナス像の類似模様から陰毛(女性器を暗喩)を繰り返して表現していて、ビーナス像の変化形であると考えられています。
第9層出土石偶は1人が1個を利用したけれども、第6層出土棒状線刻礫は1個だけ出土であり、その1個を入れ替わり立ち替わり多人数が利用したと考えられています。

4 ヘラ状骨器が刺さった女性寛骨
縄文早期出土物

ヘラ状骨器が刺さった女性寛骨
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用
再葬された女性の骨盤にヘラ状骨器が刺さった状態で出土し、複数回出産経験のある女性であることから、出産時に女性が死亡し、儀礼(悪魔祓いみたいなもの?)として何度も死体を刺してから弔ったと考えられています。

5 子安貝(タカラガイ)
縄文早期(押型文土器)第4層から出土

子安貝
国立歴史民俗博物館研究報告第154集(2009)から引用
子安貝は女性器を表現するものとして世界中で生殖崇拝の象徴物として使われています。
「沖縄では妊婦が出産の時にお守りとしてタカラガイを握りしめる習俗が20世紀まで残っていた。…子安貝にそのような呪性があると信じられていたのは、開口部の形が女性器の形に似ているからである。」

6 感想
縄文草創期から早期までの各層に出産に関わる遺物が豊富に出土していて、上黒岩岩陰遺跡が重要な産小屋機能を有していたことは確実です。
広域を移動しながら生活する狩猟民集団が共同で利用する産小屋であったと考えます。
産小屋であり、出産で死亡した女性や子供の墓地でもあったと考えます。
流域をまたいで結婚のために集団を移動した女性にとって、流域の結節点である上黒岩岩陰遺跡の場所は出自集団との連絡・交流もしやすく、好都合な産小屋であったと想像します。


上黒岩岩陰遺跡の地形特性

縄文社会消長分析学習 8

縄文草創期の上黒岩岩陰遺跡について学習しています。
この記事では上黒岩岩陰遺跡の地形特性について学習しました。

1 移動交通結節点としての上黒岩岩陰遺跡

移動交通結節点としての上黒岩岩陰遺跡
上黒岩岩陰遺跡は重信川下流平野部及び肘川下流平野部と低い峠を隔てて河川沿いに結ばれています。また遺跡が立地する久万川を下れば仁淀川下流平野部に到達します。
上黒岩岩陰遺跡が3つの流域を結ぶ移動交通結節点にあるという特性は草創期狩猟民の移動生活を考えるとき重要な意義を持つと考えます。
3つの流域で生活する集団にとって、近親婚をさけるための女性交換(あるいは男性交換)をするためにどうしても近隣流域の集団と交流をもたなければなりません。その場合、上黒岩岩陰遺跡は重要な交流の場になるに違いありません。

2 日当たりのよい南向き環境としての上黒岩岩陰遺跡

上黒岩岩陰遺跡付近の地形 地理院地図3Dモデル
愛媛県デジタル標高地形図と陰影起伏図の合成
赤丸:上黒岩岩陰遺跡 垂直倍率×2.0

Google earth proで見る上黒岩岩陰遺跡の位置と様子

Google earth pro及びストリートビュー画像による上黒岩岩陰遺跡の位置と様子

上黒岩岩陰遺跡周辺の岩石分布
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

地形資料及びGoogle earth proから上黒岩岩陰遺跡は河川の右岸(北向斜面)に位置しているにもかかわらず、極端な河川屈曲のために、現実は南向きのとても日当たりのよい場所に立地します。石灰岩でできた岩陰が安定して風雨を遮る良好な住環境を提供しています。
この場所は命を賭けた出産の場所として大変好都合な場所です。

3 感想
上黒岩岩陰遺跡が広域交通結節点に位置することと、日当たりのよい超優良住環境を提供する場所であるという2つの地形特性を知ることができました。
次の記事で、この2つの地形特性を踏まえて石偶(線刻礫)出土の謎に挑んでみることにします。

2020年4月22日水曜日

上黒岩岩陰遺跡の広域地形

縄文社会消長分析学習 7

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習(ブログ「芋づる式読書のメモ」で展開中)で愛媛県上黒岩岩陰遺跡の縄文草創期線刻礫の存在を知り興味を持ちました。またその遺跡が四国の山中にあることから、同じ縄文草創期遺跡である青森県大平山元Ⅰ遺跡や東京都前田耕地遺跡のように段丘面の微高地立地と異なる様子にも生業面で強い興味を持ちました。さらに詳しい資料や解説図書を入手できました。そこで、上黒岩岩陰遺跡について少し掘り下げた寄道学習をすることにします。
この記事では上黒岩岩陰遺跡学習のポイントを整理するとともに、年代や広域地形について学習します。

上黒岩岩陰遺跡出土石偶(線刻礫) 国立歴史民俗博物館研究報告154集から引用

1 上黒岩岩陰遺跡学習のポイント
次のポイントについて学習します。
●草創期遺跡の学習ポイント
1 年代
2 当時の広域地形
3 付近の地形
4 遺構の平面図・断面図確認
5 出土物一覧
6 石偶の意義
7 石偶による婚姻研究の検討
8 槍貫通女性人骨の意義(→早期ですが興味がありますので学習します)

2 年代
2-1 層位

層位
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

2-2 実年代推定
実年代推定(1950年から何年前か)が次のように推定されています。
隆線文     15450~13150年前→上黒岩9層・隆線文土器
押圧縄文    12950~12250年前
多縄文・無紋  11950~10950年前→上黒岩6層・無紋土器
縄文早期撚糸文 11550年前以降
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)による

参考 旧石器時代末から縄文時代にかけての狩猟具の変遷と気候変動
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用・加筆
上黒岩9層は縄文草創期フェイズ2にあたります。更新世温暖期(ベーリング期、アレレード期)です。

2 草創期上黒岩岩陰遺跡付近の広域地形
2-1 現在の広域地形

上黒岩岩陰遺跡の位置 
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

上黒岩岩陰遺跡を利用した集団の移動域
小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)に加筆
「上黒岩岩陰遺跡では、山を北に越えた松山平野や西予の穴神洞遺跡、仁淀川を下った高知県の不動ヶ岩屋洞穴遺跡、山中の開地遺跡である十川駄馬崎遺跡、高知平野におりた奥谷南遺跡などが組となり、広範な地域を移動していた集団が考えられる。」小林謙一著「縄紋文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(2010、新泉社)から引用

参考 上黒岩岩陰遺跡付近の現在広域地形3Dモデル
上黒岩岩陰遺跡付近の広域地勢 地理院地図3Dモデル
愛媛県デジタル標高地形図と陰影起伏図の合成
赤丸:上黒岩岩陰遺跡
垂直倍率×5.0

参考 上黒岩岩陰遺跡付近の現在広域地形3Dモデル 動画

縄文草創期フェイズ2における上黒岩岩陰遺跡附近広域地形は現在の地形と異なります。草創期上黒岩岩陰遺跡を現在地形で考えることは思考の視野を狭めることに陥ることになります。そこで草創期上黒岩岩陰遺跡付近広域地形を次に検討します。

2-2 最終氷期クライマックス期(縄文草創期フェイズ1)の広域地形

最終氷期クライマックス期(縄文草創期フェイズ1)の地形
日本の第四紀地図先史遺跡環境図B最終氷期(日本第四紀学会1987)から引用
縄文草創期フェイズ2(更新世の温暖期)の地形がどのようなものであったのか詳しい資料は見つけていませんが、フェイズ1に近い地形だったと考えられます。四国、本州、九州がまだ十分に分離していない状況であったと考えられます。

最終氷期クライマックス期(縄文草創期フェイズ1)の地形と上黒岩岩陰遺跡の位置のオーバーレイ
(投影法の異なる地図を無理矢理オーバーレイしたものです)
縄文草創期上黒岩岩陰遺跡付近の地形は、現在では水没してしまった広域の陸地があり、草創期縄文人はそれらの水没陸地も当然利用していたことになります。
そのように考えると、四国西半部山中の草創期遺跡が「組」となっていて特定集団が移動していたという考えの他に、もう少し地域を分節してより多くの集団が利用していたと空想することも可能です。
次の図はその空想の一つを図にしたものです。

縄文草創期の集団移動領域の空想

上黒岩岩陰遺跡周辺の地形は続いて学習します。

2020年4月20日月曜日

長野県立歴史館メインショーケース展示の縄文土器

縄文土器学習 401

長野県立歴史館メインショーケース展示の縄文土器14器について、SfM-MVS手法により7シーンに分けて観察記録3Dモデルを作成しましたので紹介します。

1 メインショーケース展示の様子

長野県立歴史館メインショーケース展示の縄文土器

2 観察記録3Dモデルの例

縄文中期中葉顔面把手付深鉢形土器(複製)(伊那市月見松遺跡)外3点S4 観察記録3Dモデル
左から縄文中期後葉初台付鉢形土器(塩尻市上木戸遺跡)[中空の円文とコイル状の飾りが極度に発達し、台をつけて目立つようにしている。このような土器は、県中部・北部の大規模なムラから、ごく少数だけ見つかる。]、縄文中期中葉顔面把手付深鉢形土器(複製)(伊那市月見松遺跡)[長野県宝]、縄文中期中葉「土偶装飾の付く有孔鍔付土器」(複製)(南箕輪村久保上ノ平遺跡)、縄文中期前葉「雲母片を混ぜ、キラキラしている土器」(千曲市屋代遺跡群)
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020.02.14
整理番号:S4
実寸法付与
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 164 images

展示の様子

縄文中期中葉顔面把手付深鉢形土器(複製)(伊那市月見松遺跡)外3点S4 の動画

3 2以外の観察記録3Dモデル







4 感想
加曽利E式土器などと比べると派手な縄文土器がずらりと並べてあり、珍味を堪能しているような感情が沸き上がりました。東京湾岸貝塚の生活と長野の山中生活ではその生業や苦労の在り方が全く異なり、その異なる生活感情が土器デザインに反映されていることは確実です。
縄文中期中葉顔面把手付深鉢形土器(複製)(伊那市月見松遺跡)[長野県宝]は、以前伊那市創造館に出かけた時貸し出し中で見損なったものです。レプリカとはいえ造形物を見れたことを喜びました。

2020年4月18日土曜日

大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデルの動画作成

縄文社会消長分析学習 6

大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデルを作成しましたが、その3Dモデル操作を動画として録画しましたので掲載します。

1 大平山元Ⅰ遺跡付近地形3Dモデルの動画

大平山元Ⅰ遺跡付近地形3Dモデルの動画

2 動画の元となった3Dモデル

大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル 
デジタル標高地形図(青森県)と陰影起伏図の合成 
赤丸:大平山元Ⅰ遺跡(国内最古土器出土、約16500年前) 
垂直倍率:×5

3 感想
蟹田川河口が陸奥湾ではなく、津軽海峡中央部であり、海抜マイナス100m以上であった頃、蟹田川の縦断勾配は現在と比べ物にならないほど急であったのです。しかしその当時の河原が大平山元Ⅰ遺跡が立地する付近では、現在の谷底の地形面として残っていることがわかりました。

前田耕地遺跡付近地形3Dモデルの動画作成

縄文社会消長分析学習 5

前田耕地遺跡付近の地形3Dモデルを作成しましたが、その3Dモデル操作を動画として録画しましたので掲載します。
2020.04.16記事「前田耕地遺跡付近の地形3Dモデル

1 前田耕地遺跡付近地形3Dモデルの動画

前田耕地遺跡付近地形3Dモデルの動画

2 動画の元となった3Dモデル

前田耕地遺跡付近土地条件図 地理院地図3Dモデル
土地条件図(数値地図25000)と陰影起伏図の合成
赤丸:前田耕地遺跡(縄文草創期遺跡、サケ骨多数、無紋土器、尖頭器等出土)
垂直倍率:×9.9

3 感想
地形の垂直倍率が×9.9で極端ですが、広域の段丘面を階段状に表現するためには適切な方法であると考えます。
前田耕地遺跡が最終氷期クライマックス期(海面がマイナス100m以上であった時期)の多摩川河床である青柳面(⑤)を刻んだ拝島面に立地していることがわかります。
3Dモデルからわかるように拝島面も数段に区分されますが、その最上段に前田耕地遺跡が立地します。
Sketchfab3Dモデルの操作動画録画にはWindows10おまけソフトのGame DVRを使いました。

2020年4月17日金曜日

大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデル

縄文社会消長分析学習 4

前田耕地遺跡付近の地形3Dモデルが思わぬ簡便さでかつ満足感の得られるような出来ばえで作成できました。
そこで国内最古土器出土遺跡である大平山元Ⅰ遺跡付近の地形3Dモデルも作成して、最終氷河期クラマックス期の地形の復元と人活動について夢想してみました。

1 大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル

大平山元Ⅰ遺跡付近デジタル標高地形図 地理院地図3Dモデル 
デジタル標高地形図(青森県)と陰影起伏図の合成 
赤丸:大平山元Ⅰ遺跡(国内最古土器出土、約16500年前) 
垂直倍率:×5

地理院地図作業図

2 感想
ア 地形復元の夢想
大平山元Ⅰ遺跡が乗る台地よりその当時の蟹田川河床は低かったことは間違いありません。大平山元Ⅰ遺跡の標高は約20m、付近の蟹田川現在河床標高は約12mです。しかし、地形断面図から判断して、右岸側山が迫っていて、大平山元Ⅰ遺跡が生きていた当時(つまり海面がマイナス100mであった当時)台地面よりはるかに下刻した位置に蟹田川河床はあり得ないと見立てることができます。
詳しい地形地質情報はありませんが、海面がマイナス100m時期の蟹田川河床縦断形は急勾配であったことは間違いありませんが、その河床が大平山元Ⅰ遺跡付近ではまさに遺跡が乗っている台地として残っていると考えることができます。
大平山元Ⅰ遺跡は当時の蟹田川河原の小高い場所に存在していたと考えることができます。現在の蟹田川は海面がマイナス100m当時の河床面を数m下刻していると想定できます。
イ 大平山元Ⅰ遺跡と蟹田川との関係
大平山元Ⅰ遺跡は当時の河原の小高い場所に存在していて、蟹田川が大きく屈曲する場所でかつ西側には支川合流部が存在します。蟹田川河川環境に多様性が見られる場所であり、サケマス産卵などに格好の場所であった可能性が濃厚です。
大平山元Ⅰ遺跡からは水産資源に関連する情報は見つかっていないようです。しかし遺跡立地位置が蟹田川が平野部に出る地形の変換点に位置していて、河川生態環境上の特異点に該当することから、サケマスなど水産資源利用のためにこの場所に人が逗留した可能性が濃厚だと推測します。

2020年4月16日木曜日

前田耕地遺跡付近の地形3Dモデル

縄文社会消長分析学習 3

2020.04.05記事「縄文草創期サケ骨出土遺跡(前田耕地遺跡)の地形」の続きです。
前田耕地遺跡付近の地形3Dモデルを作りましたのでメモします。

1 前田耕地遺跡付近土地条件図 地理院地図3Dモデル
地理院地図の素晴らしい機能により極短時間に美しく立体性のある地形3Dモデルができました。
地理院地図で前田耕地耕地付近の土地条件図(数値地図25000)と陰影起伏図を合成して、さらに前田耕地遺跡を赤丸でプロットした地図を作成しました。

地理院地図の作業風景
その地図を3DモデルにしてVRMLファイルで出力しました。3つのファイルが出力されます。
その3つのファイルをSketchfabにアップロードして次のSketchfab3Dモデルを作成し、注記を書き込みました。

前田耕地遺跡付近土地条件図 地理院地図3Dモデル
土地条件図(数値地図25000)と陰影起伏図の合成
赤丸:前田耕地遺跡(縄文草創期遺跡、サケ骨多数、無紋土器、尖頭器等出土)
垂直倍率:×9.9

2 感想
2-1 前田耕地遺跡の立地
拝島面が形成されていた時期は広い河原に多摩川と秋川が網状流のように流れていたと推定できます。その時期の「河原の微高地」に前田耕地遺跡が立地していたと推定できます。前田耕地遺跡はサケ漁に併せて石槍をつくった作業場であると考えることができます。

2-2 地理院地図の急速な進化に驚く
地理院地図の使い勝手が急速に良くなっていることに驚きます。地理院地図の機能向上に感謝します。
地理院地図とGoogle earth proとQGISが全て3Dモデルに対応していることを改めて認識します。それらの操作テクニックの習得を急ぎたいと思います。


2020年4月15日水曜日

縄文草創期隆起線文土器の出土遺物と復元模造土器

縄文土器学習 400

縄文草創期隆起線文土器は土器出現最初期頃の土器ですから特別の興味がありますが、これまで出土遺物(土器片)だけの閲覧観察にとどまっていて、復元模造土器には巡り会ってきませんでした。
2019.06.16記事「隆起線文土器片 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル」など多数

ところが長野県立歴史館の縄文土器展示で出土隆起線文土器片の現物とそれから復元模造した土器に巡り会うことができました。大変参考になります。

1 縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡) 観察記録3Dモデル 
約13000年前
出土土器片および復元模造土器 
撮影場所:長野県立歴史館 撮影月日:2020年2月14日 ガラス面越し撮影 実寸法付与 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 26 images

展示の様子
左端の土器が縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡)

縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡) 3Dモデルから作成したアニメ

2 感想
出土土器片から草創期特有の硬質な感じが伝わってきます。
長年の風雪に耐えてボロボロになったという印象とは正反対で、固く締まり、色が明るく薄手の印象を受ける質感です。土器というものがハイテク製品で超高級製品であった時代の産物です。草創期土器は人々の生活に革命を起こし、人々はその生活革命を実感しながら丁寧に土器を作り扱っていたと想像します。

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3 長野県立歴史館縄文コーナー入り口の他の3土器

縄文草創期~早期表裏縄文土器(信濃町日向林A遺跡) 観察記録3Dモデル
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020年2月14日
ガラス面越し撮影
実寸法付与
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 42 images

縄文早期貝殻条痕文土器(長野市村東山手遺跡) 観察記録3Dモデル
約7500年前
二枚貝などで土器の内外面を整えた土器。貝をひきずった時の条痕(筋目)が残っている。
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020年2月14日
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 31 images

縄文前期羽状縄文土器(佐久市栗毛坂遺跡) 観察記録3Dモデル
約6000年前
右撚りと左撚りの縄を交互に転がす事で、羽のような縄模様が表現されている。
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020年2月14日
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 28 images