縄文土器学習 442
1 土偶祭祀について
2020.07.30記事「土偶急増期の地域分布」における検討のうち千葉への土偶祭祀伝播経路だけを抜き出してみました。
ここで土偶祭祀とは縄文中期に中央高地で顕著に観察できる地母神殺害再生神話に基づく特定の土偶祭祀のことです。この土偶祭祀は土偶(地母神)を最終的にはバラバラにして(模擬殺人、模擬死体解体)、幸を期待する場所に撒く(埋める)活動を伴います。
地母神殺害再生神話はニューギニアなどによく似た神話が存在していて、縄文中期頃にその始原的神話と活動が大陸から列島に伝わり、一方ニューギニア等アジア各地にも伝播したと推定されています。(吉田敦彦著「日本神話の源流」(講談社学術文庫)等による)
地母神神話が伝来する前の土偶はバラバラにすることを目的につくられたものではなく、その使い方(祭祀の仕方)の一例は出産時妊婦のお守りが想定されています。(上黒岩岩陰遺跡出土岩偶の使い方からの推定。)
土偶の形状も小さく、顔が無いものが多くなっています。
2 千葉への土偶祭祀伝播経路(学習仮説)
県別のグラフ(時期別土偶検出数)を並べると、新潟→長野→山梨→東京のピークが中期であり、東京に隣接する千葉のピークが後期であることから、大陸→新潟→長野→山梨→東京→千葉という伝播経路を学習仮説として設定することができます。
土偶急増時期からみた千葉への土偶祭祀伝播経路
地理院地図3Dモデル(色別標高図+白地図)
垂直倍率:×9.9
大陸→新潟→長野→山梨→東京→千葉
3 メモ
・地母神殺害再生神話に基づく土偶祭祀が大陸から到来した時(人集団が新潟にやってきた時)、同時に列島にはない技術、道具、デザイン等も伝わったと考えることが当然であると考えます。その土偶祭祀と一緒に渡来した技術、道具、デザイン等を特定することが大切です。
・中期中央高地は「縄文農耕」論発祥地です。農耕技術と土偶祭祀が結びついたものであるかどうか、既成概念を取り払い検証することにします。(現状では生活維持に関して意味がある程度の農耕はないと考えています。)
・中期から後期にかけて長野→山梨→東京→千葉と人集団が移動していると考えています。その人の移動には様々な要因が働いていると思いますが、その要因の重要なものとして、土偶祭祀集団の能動的・主体的移動があるのではないかと疑っています。
環境が劣悪になって逃散したということだけではなく、計画的・組織的移動があったのではないかと考えます。
集団でより環境の良い場所に移動する、つまり移動先の人々を追い払う新天地開発活動、征服を伴う開拓活動が土偶祭祀集団によって行われたのではないかと考えます。
極端にいえば、大陸から渡来した集団が在地の人々を集めながら勢力を増して、最後は海産物豊かな土地である千葉を獲得したのではないかと想像します。