2014年4月30日水曜日

花見川河川争奪地形面モデルと現実地形との対応

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その14

花見川河川争奪地形面モデルVer.2と今ある現実地形との対応を説明します。

1 ゾーン区分と断面線の設定
説明をしやすくするために地形面モデルを次の3つのゾーンに分けました。

花見川河川争奪に関するゾーン区分

ゾーン1は争奪河川(東京湾水系)が到達していない場所で、被奪河川(印旛沼水系)が空川となっている区域です。
ゾーン2は河道逆行争奪の最前線といえるところで、争奪河川(東京湾水系)と被奪河川(印旛沼水系)の地形面が混在している区域です。
ゾーン3は被奪河川の千葉第1段丘、千葉第2段丘がもともと発達していなかったところで、下総上位面を除くと、争奪河川(東京湾水系)の千葉第2段丘と沖積面がみられる区域です。

このゾーン区分毎に次のように断面図位置を設定しました。

ゾーン区分と断面図位置

2 ゾーン1の地形断面

ゾーン1は台地面が下総下位面の領域にほぼ対応しています。
(注 河道逆行争奪の最前線…風隙…の位置が、台地面の下総上位面と下位面の境付近にあります。この位置の一致に意味があるのか、偶然なのか判らないので、今後検討する予定です。)

断面図1、断面図2ともに千葉第1段丘を確認できます。ただし、段丘面の上に印旛沼堀割普請捨土土手を乗せています。露頭観察できる場所があり、東京軽石層の観察ができます。

印旛沼堀割普請のために消失していますが、千葉第2段丘が存在していたと考えます。印旛沼堀割普請では千葉第2段丘(存在していた時の形状の基本は段丘面ではなく谷底面)を掘り下げて工事をすすめたために、この付近では完全に消失したものと考えます。

ゾーン1の断面

断面図は地図との対比が直感的にできるようにするために、左が西、右が東としました。

3 ゾーン2の地形断面
ゾーン2は台地面が下総上位面の領域に対応します。

印旛沼水系成分は次のものがあります。
下総下位面(下総上位面を刻む浅い谷形状の段丘):断面4
千葉第1段丘:断面図3、5、6、8で確認できます。断面1、2の上流部にあたるものです。
千葉第2段丘:断面5、6、7で確認できます。

一方東京湾水系成分は次のものがあります。
千葉第2段丘:断面6、7で確認できます。これらの断面では印旛沼水系成分の千葉第2段丘も同時に観察できます。
沖積面:図に記述することは省略しました。(印旛沼堀割普請、戦後印旛沼開発でゾーン2、3では、沖積面が大きく改変されています。)

千葉第2段丘についてみると、東京湾水系成分は貧弱な分布であり、印旛沼水系成分のほうが広く分布しています。
しかし、水系としては確かに東京湾水系が争奪しています。
このことから、柏井付近における河川争奪の完全なる決着は千葉第2段丘の時代の後の最終氷期侵蝕面の時代に行われたのかもしれません。

断面図5の広い千葉第2段丘(柏井の集落の乗る段丘)が印旛沼水系成分であることは高度だけでなく、その特異な平面分布形状からも証拠だてることができます。

詳しい検討説明は別途行いたいと思いますが、この段丘面の形状はレーキ地形(平行水系に直行するたてずれ断層で幾つかの谷津が集まり、1箇所で断層を乗越える水系パターン)特有の狭窄部手前のロート状形状で、近隣では四街道市の和良比レーキでも観察できます。

ゾーン2の断面

4 ゾーン3の地形断面
ゾーン3も台地面は下総上位面の領域に対応します。

印旛沼水系成分として千葉第2段丘を断面図9、10、11で確認できます。

東京湾水系成分としての千葉第1段丘、千葉第2段丘はもともとこの付近には存在していなかったと考えます。従って観察できません。
下総上位面には印旛沼水系としての原始谷津が存在します。(ここで示す断面図では表現できませんので、別途検討したいと思います。)

ゾーン3の断面

河道逆行争奪という世にも稀な地学事象の絡まった糸玉を、かなりほぐすことが出来てきたと思います。

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参考情報 bloggerでjpgファイルがグレーになる場合の対処法
pngファイルにすると問題が解決しました。

jpgファイル

pngファイル

2014年4月29日火曜日

花見川河川争奪の地形面モデルのバージョンアップ

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その13

花見川河川争奪の成因を説明するべく、その前段として地形面モデルをつくり、争奪の年代を特定してきました。
このシリーズは過去のブログ記事における検討をまとめるような作業をして作成しています。
ですから、本来なら次に花見川河川争奪の成因の成因の説明に入れるところです。
しかしどうも予定調和的には進まないことに気がつきました。

頭で考えてきて、長い間納得してきた地形面モデルを実際に絵にしてみると、そこから新たな疑問が生じてしまい、その疑問を解決しようとすると地形面モデルを変更する必要が生じたためです。2014.04.28記事「花見川河川争奪の発生年代 地形面モデル追考」参照

時間を取ってじっくり考えてみて、このシリーズでは予定していなかった、地形面モデルのバージョンアップを行うこととします。

この記事で地形面モデルのバージョンアップを示します。
次の記事で実際の地形とモデルとの関係を示します。
その後で河川争奪の成因について話します。

1 花見川河川争奪の地形面モデルのバージョンアップ

下総台地の大局的な地形分類とその中における花見川河川争奪の分析範囲、及びその分析結果(バージョン2)を下図に示します。

花見川河川争奪の地形面モデル分析 Ver.2

当初のモデル分析と異なる点は、印旛沼水系の谷津地形成分に千葉第2段丘を加えた点です。
千葉第2段丘の地形面が形成された時代に、東京湾水系谷津が頭方侵蝕で北上し、一方印旛沼水系谷津でも千葉第2段丘の地形面が形成されていて、柏井付近で千葉第2段丘同士で河川争奪が生起したと考えます。

柏井の集落が乗っている河岸段丘(千葉第2段丘)は印旛沼水系によってつくられ、東京湾水系によって改変されていると考えます。

柏井と花島の中間付近には千葉第2段丘が2段になっていて、上が印旛沼水系により形成されたもの、下が東京湾水系により形成されたものと考えます。

詳しい現場の状況は別記事で説明します。

このモデル分析を説明的にプレゼンテーションすると次のようになります。

花見川河川争奪の地形面モデル

2 参考 現存しない千葉第2段丘が過去に実在していたという仮説を述べたブログ記事
2011.11.12記事「3期・4期の地形横断変遷」より抜粋
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1 3期(河川争奪後~普請前)の地形

3期地形横断

柏井で前谷津と後谷津を花見川に争奪されているため、空川になっている古柏井川の地形横断想定です。
空川となっている谷底面は、北柏井の集落の乗っている段丘面に対比される地形面であり、勝田川河岸段丘の千葉第Ⅱ面に対比されるものとして仮想しました。
その高さは12~15mと想定されます。
西岸寄りに段丘面(15~18m)の存在が想定されます。
この段丘面は柏井付近より南の高位段丘、勝田川の千葉第1段丘に対比されるものとして仮想しました。
川幅(谷津の台地浸食幅)250m程度、川の深さは10m~13m程度の谷であったと想定されます。
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この記事で3期とは人工改変前の自然地形が存在していた時代を指しています。
上記地形横断は横戸台団地-鷹之台カンツリー倶楽部付近で、左が東岸(横戸台団地方面)、右が西岸(鷹之台カンツリー倶楽部方面)を示しています。

上ガスの季節変動とその原因

今朝の花見川の上ガスはこの春で一番の勢いでした。

水面が盛り上がり、波紋が川面一杯に拡がっている場所が幾つかありました。

20140429早朝の上ガス
弁天橋下流

日に日に上ガスが盛んになっているような印象を受けます。

20140429早朝の上ガス
弁天橋下(上流)の水面です。遠方に勝田川合流部が見えます。

上ガスを発見して丁度1年経ち、今日の観察で季節変動の存在を疑問の余地なく確認しました。

同時に、上ガス季節変動の原因が地下水位変動にあること(という仮説)に気がつきました。

ガスを含む地層を流れる地下水の水位が春から夏にかけて高く、晩秋から冬にかけて低く、その変動が花見川上ガスの盛衰として表現されているのだと思います。(2014.05.08間違っていますので削除します)

地下水の水位が春の田植えの時期に取水井付近で低下し、それを補うために周辺の地下水が取水井付近に流れ込む現象が起きるのだと思います。つまり、地下水流動が活性化するのだと思います。流動化する地下水の中にガスを含んだ地層水が含まれているため、春から夏にかけて上ガス現象も活性化するのだと思います。(2014.05.08追記しました。)

今後上ガス現象と地下水位変動との関係を詳しく調べてみたいと思います。

また、そもそもどの地層にガスが含まれているのか、調べたいと思います。

※    ※    ※

横戸緑地のコナラの花(花序)が地上に落ちて絨毯のようになっていました。

地上を覆ったコナラの花

枝に残っているコナラの花

2014年4月28日月曜日

花見川河川争奪の発生年代 地形面モデル追考

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その12

花見川河川争奪の地形面モデル(現在観察できる地形面から構成した河川争奪モデル)の自然史年代を資料により検討します。

1 花見川河川争奪発生年代
1-1 南関東の第四紀編年と花見川河川争奪に関わる地形面の年代
次の表は貝塚爽平他編「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」(東京大学出版会)に掲載されている南関東の第四紀編年図の一部です。

南関東の第四紀編年図

下総・銚子の項に下総上位、下総下位、千葉1、千葉2の地形面が掲載されていて、南関東各地の地形面と対比できるようになっているとともに、テフラとの関係、海面変動(気候変動)との関連、数値年代等との関連が判るようになっています。

下総上位面は横浜の下末吉面と同じ時期の地形面です。
下総下位面は三浦半島の小原台面と同じ時期の地形面です。
千葉第1段丘は武蔵野北部の本郷面、赤羽面と同じ時期の地形面です。
千葉第2段丘は武蔵野西南部の立川Ⅰ面と同じ時期の地形面です。

上表から花見川河川争奪に関わる地形面の年代を知るために必要な情報だけをピックアップしてまとめると次のようになります。

花見川河川争奪に関わる地形面の年代

この表から判る地形面の概略年代は次の通りです。
●沖積面…縄文海進の影響を受けて形成された堆積面(現成)
●最終氷期侵蝕面…最終氷期(ピークは1万8千年前)に形成された侵蝕面。沖積面の下に埋没谷地形として存在する。谷頭部では谷壁斜面として深い谷の構成要素となっている。
●千葉第2段丘…4万5千年前頃の立川段丘(立川Ⅰ面)に対比される。最終氷期侵蝕面によって切られている。
●千葉第1段丘…8万年前頃の武蔵野面に対比される。
●下総下位面…10万年前頃の小海進によって形成された地形面。
●下総上位面…12万年前ごろの下末吉海進によって形成された地形面

1-2 花見川河川争奪の地形面モデル
花見川河川争奪の地形面モデルは次の通りです。

花見川河川争奪の地形面モデル

このモデルから、花見川河川争奪が最初に発生した時期を「千葉第2段丘形成時期」に特定することができます。
「沖積面に埋没している沖積層基底面(=最終氷期侵蝕面)形成時期」には千葉第2段丘面がさらに侵蝕され、字義通り段丘化しました。

1-3 花見川河川争奪が生起した自然史上の年代
1-1及び1-2から花見川河川争奪が生起した自然史上の年代を編年表に追記すると次のようになります。

花見川河川争奪が生起した年代

花見川河川争奪が発生した年代は4万5千年前頃の千葉第2段丘形成時です。

2 地形面モデルに関する新たな疑問とそこから導き出される仮説
花見川河川争奪発生年代について検討してみると、新たな疑問が生じます。
花見川河川争奪発生年代を千葉第2段丘形成時であると特定できました。この時期は海面低下期、寒冷期で河川の谷頭侵蝕が盛んな時期であったと考えられますから、争奪発生と自然環境が合致します。

さて、地形モデルの被奪河川成分(印旛沼水系谷津成分)を見ると、千葉第2段丘が出てきていません。
付近の印旛沼水系谷津(例 芦太川)を見ると下総下位面、千葉第1段丘、千葉第2段丘が分布していますから、花見川筋(古柏井川筋)に千葉第2段丘が存在しないことに大きな疑問が生じます。

もともと、この地形モデルは現存している地形面から構成したモデルです。

従って、この地形モデルから生じる疑問を解く鍵は、現存しない千葉第2段丘が過去には実在していたという仮説をセットすることにあるように考えられます。

現存する千葉第1段丘より低い位置に千葉第2段丘が存在していたと仮説すると、それと整合する沢山の情報が思い出されます。

地形面モデルの疑問(矛盾)から未知の情報(実は花見川筋(古柏井川筋)に千葉第2段丘が存在していた)を得られる(証明できる)可能性の道筋が見えてきました。

つづく

2014年4月27日日曜日

花見川河川争奪が発生した地学的場面 地形面モデル

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その11

花見川河川争奪の成因を検討するために、最初に河川争奪が発生した地学的場面を確認しておきます。

下総台地の大局的な地形分類とその中における花見川河川争奪の分析範囲、及び分析結果を下図に示しました。

花見川河川争奪の地形面モデル分析

このモデル分析は、地形を被奪側水系(印旛沼水系)の谷津地形成分と争奪側水系(東京湾水系)の谷津地形成分に分離して模式的に示したものです。

現在観察できる地形はこの2つの成分がオーバーレイして混在していますから大変複雑です。
更に人工改変(印旛沼堀割普請)の影響を受けいているので複雑さに輪をかけています。
しかし、丸3年間かけて現場を観察してきた結果得られて地形モデルが上記の図です。

上記モデル分析を説明的にプレゼンテーションすると次のようになります。

花見川河川争奪の地形面モデル

花見川河川争奪の地学的場面がはっきりしましたので、これをベースにして成因分析に突入します。

2014年4月26日土曜日

フクロウと対面

フクロウが花見川水面の上を下流に向けて飛んできました。高さは10mくらい。水鳥と違って無音です。
私はサイクリングロードを上流に向けて散歩していました。
私とフクロウがすれ違った時、最短距離は20mくらいだったと思います。。
飛んでいるフクロウの大きな顔を見たのは初めてです。
瞬間の出来事だったので写真は撮れませんでした。
梢に止まって隠れているフクロウの後ろ姿は写真に撮れました

隠れているフクロウの後ろ姿

フクロウとオオタカをよく見かけるので、同じ餌を採っていると考えますので、その関係が気になりました。それだけ餌が沢山あるということでしょうか?昼と夜で棲み分けているのでしょうか?

飛翔しているフクロウやオオタカ、道でばったり会うコジュケイ、ノウサギ、ハクビシンなど数秒~10秒程度しか目にできない生き物の写真をどのように撮るのか、テクニックがあるかどうか調べたいと思います。
気がついてからカメラを取り出し、電源を入れ、望遠のピントを合わせていてはいつも間に合いません。

最近テレビでライフログカメラが紹介されていました。こうしたカメラを身につけて、散歩中に自分が見たものを全部写真に撮ることはさほど困難ではないと思います。
ダメモトで一度試してみようと思います。
手に持つカメラの補助として有効ならば、ミッケモノです。
画質などは悪くても、撮れないものが撮れるとしたら散歩の質も向上するというものです。

今朝(2014.04.26)の花見川

藤の花はまだです。

藤の花が近々満開となるはずの花見川西岸

花見川サイクリングロード

土日はいつもカヌーの人が水面にいるようになりました。

釣り人



2014年4月25日金曜日

花見川河川争奪(河道逆行争奪)発生の成因

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その10

花見川河川争奪に関して、このシリーズではここまでで、東京湾水系と印旛沼水系の分水界の位置、河川争奪存在の証拠提示、河川争奪の原理とタイプについて検討してきました。
花見川河川争奪は動的河川争奪という原理に因るもので、河道逆行争奪と呼ぶことにした特異なタイプの地学現象であることを明らかにしました。

この記事からはなぜ河道逆行争奪という現象が発生したのか、その成因を検討します。

この検討は複数の記事になると思いますので、検討の状況をわかりやすくするために、まず、結論を先に記述します。

現在、河道逆行争奪の主成因は次の2つに求めることができると考えています。

1 地殻変動による印旛沼水系谷津の変位
花見川河川争奪の最初の河川争奪ポイントである天戸・犢橋付近では、地殻変動により印旛沼水系谷津の勾配が逆転して東京湾側に傾くように変位しています。
印旛沼水系谷津が地殻変動により東京湾側流域に入ってしまっているのです。
そのためにこの付近一帯では、東京湾水系の頭方侵蝕が印旛沼水系谷津を対象に選択的に進んでいます。
地形をよく観察するとミニ河川争奪(河川争奪の胚)ともいえるような地形が近隣に複数箇所存在しています。
花見川河川争奪だけではなくこの付近一帯にはミニ河川争奪が多数あるのです。
この事実から地殻変動による印旛沼水系谷津の変位が河道逆行争奪の成因の1つであることが判ります。

2 花島-柏井ライン谷津の発達性と東京湾水系との地理的位置
印旛沼水系平戸川(新川)筋支川の中で花島-柏井ラインの谷津(現在の花見川筋)が周辺谷津と比べると発達がよい(谷津の規模[谷底の深さ]が大きかった)ことが判っています。そして、このこのラインと活発な頭方侵蝕をしている東京湾水系谷津との地理的位置が合った(オーバーラップした)ため、その場(オーバーラップした場所)で河道逆行争奪が生じたものと考えます。
他の発達のよい印旛沼水系ラインは、東京湾水系谷津と離れているため、結果として花島-柏井ラインの谷津でのみ河道逆行争奪が発達したものと考えます。

花見川河川争奪(河道逆行争奪)の主成因イメージ

成因の詳細検討を始めます。

つづく

2014年4月24日木曜日

新たな河川争奪タイプ分類 河道逆行争奪

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その8

ア 一般的河川争奪のタイプ(様式)分類
鈴木隆介著「建設技術者のための地形図読図入門 第3巻段丘・丘陵・山地」(古今書院)では河川争奪のタイプ(様式)を次のように分類しています。

鈴木隆介による河川争奪タイプ(様式)
様式
説明
コメント
①頭方争奪
本流または支流の頭方侵食により、その谷頭が別の河川に接し、その河流を奪取する。
並走する河川間の生存競争による併合は①と②による
②側方争奪
一つの河川流域において、側方侵食によって本流が支流を争奪し、貫通丘陵を形成する。
③自動争奪
1本の河川の蛇行切断。
③と④は大規模な分水界の移動(流域面積の増減)を伴わないので、普通は河川争奪とよばれない。
④地下争奪
カルスト地域で水流の地下への吸い込みによる流量の消失。

鈴木隆介著「建設技術者のための地形図読図入門 第3巻段丘・丘陵・山地」(古今書院、2008)による。

説明図

イ 花見川河川争奪のタイプ(様式)設定
花見川河川争奪は一般的河川争奪と原理が異なるので上記タイプ(様式)分類に含めることができません。新たにタイプ(様式)を設定する必要があります。
このブログでは花見川河川争奪のタイプ(様式)として次の名称を設定しました。
花見川河川争奪のタイプ(様式)名称の設定
原理
様式
説明
コメント
動的河川争奪
河道逆行争奪
頭方侵食により、その谷頭が別の河川の最上流部に接し、その河川の谷底を下流に向かって差別浸食が進行していくことにより、その河川の流域を奪取する。
最初に発見された事例は花見川河川争奪である。


説明図

ウ 新たな河川争奪タイプ(様式)の分類
一般的な河川争奪タイプ(様式)分類に花見川河川争奪タイプ(様式)設定を加えることにより、新たな河川争奪タイプ(様式)の分類を作成しました。

新たな河川争奪タイプ(様式)の分類
原理
様式
説明
コメント
静的河川争奪
①頭方争奪
本流または支流の頭方侵食により、その谷頭が別の河川に接し、その河流を奪取する。
並走する河川間の生存競争による併合は①と②による
②側方争奪
一つの河川流域において、側方侵食によって本流が支流を争奪し、貫通丘陵を形成する。
③自動争奪
1本の河川の蛇行切断。
③と④は大規模な分水界の移動(流域面積の増減)を伴わないので、普通は河川争奪とよばれない。
④地下争奪
カルスト地域で水流の地下への吸い込みによる流量の消失。
動的河川争奪
⑤河道逆行争奪
頭方侵食により、その谷頭が別の河川の最上流部に接し、その河川の谷底を下流に向かって差別浸食が進行していくことにより、その河川の流域を奪取する。
最初に発見された事例は花見川河川争奪である。

静的河川争奪は鈴木隆介著「建設技術者のための地形図読図入門 第3巻段丘・丘陵・山地」(古今書院、2008)による。

ここまでの記事で花見川河川争奪の証拠、原理とタイプについて検討してきました。次の記事からは花見川河川争奪発生の原因について検討します。

2014年4月23日水曜日

動的河川争奪 追考

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その8

河川争奪の原理として動的河川争奪という概念と事例を発見しました。
従って、河川争奪の原理は静的河川争奪(いままでの河川争奪の原理)と動的河川争奪(事例:花見川河川争奪)の2つで構成されると考えます。

ここではその考えに基づいて思考実験を行います。

思考実験 1 静的河川争奪と動的河川争奪を統合して考えることができるか?
静的河川争奪と動的河川争奪を統合して考える一つの可能性として次のような地形発達仮説を設定してみました。

思考実験1の結果

動的河川争奪という現象があるのですから、動的河川争奪が発生した場所では静的河川争奪→動的河川争奪という順番で河川争奪が発生していると考えることが合理的です。

思考実験 2 花見川河川争奪の現場に思考実験1の結果をあてはめるとどうなるか?
花見川河川争奪の現場に思考実験1の結果をあてはめると次のような結果になります。

思考実験2の結果

赤枠付近の場所に未知の河川争奪(静的河川争奪)が存在していたのではないかという思考結果です。

一見しただけではこの付近の地形から河川争奪を見つけることはできません。
したがって、検討を深めれば

ア 詳しい調査を行えば河川争奪地形の痕跡が見つけられるか、
イ 過去には存在していたが、現在は侵蝕作用で失われたことが判るか、
ウ もともと存在していない(思考実験1の結果の不備・誤り)か、

いずれかの結果を得られる(判断することができる)ことになります。

思考実験 3 一般的河川争奪概念に思考実験1の結果をあてはめるとどうなるか?
一般的河川争奪概念に思考実験1の結果をあてはめると次のような結果になります。

思考実験3の結果

未知の動的河川争奪の存在事例を発見できるのではないかという思考結果です。

静的河川争奪に加え、動的河川争奪が生起した事例があっても、これまではだれからも発見されたことがありませんでした。
それは動的河川争奪という概念を誰も持ったことが無かったためです。

動的河川争奪という概念を持って地形を観察すれば、その地形を各所で発見できる可能性があると思います。

ただし、現在「河川争奪の地形がある」といわれるほとんどの場所は静的河川争奪の段階でとどまっている事例だと考えられます。ですから、その付近でいくら動的河川争奪を見つけようと思っても、それは困難だと思います。
動的河川争奪が生起した場所は同時に静的河川争奪も生起していて、その姿は「河川争奪らしい地形」になっていない可能性濃厚です。争奪の肘と風隙が離れています。

動的河川争奪は静的河川争奪ほどには多くは無いかもしれませんが、日本で花見川だけ1箇所であるということはありえないと考えます。生起頻度は低くても一般地学現象であると考えます。

なお、精査はこれからですが、このブログで発見した印旛沼筋河川争奪も動的河川争奪です。

2014年4月22日火曜日

花見川河川争奪の特異な原理 動的河川争奪

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その7

これまでに、人工改変前[印旛沼堀割普請前]の花見川筋の分水界の位置を特定し、その結果に基づいて花見川河川争奪存在の証明をしてきました。
次に、花見川河川争奪の特異な原理とタイプ(様式)について検討します。結果を先に言えば、花見川河川争奪は日本ではこれまで報告されたことない珍しい原理・タイプ(様式)の河川争奪であることが判りました。
この記事では河川争奪の原理について説明します。

ア 河川争奪の一般的説明図と花見川河川争奪との対応
鈴木隆介著「建設技術者のための地形図読図入門 第3巻段丘・丘陵・山地」(古今書院)の河川争奪説明図における説明ポイントと花見川河川争奪との対応を検討して次の図に表現してみました。

河川争奪の一般的説明図と花見川河川争奪との対応

イ 花見川河川争奪の特徴
この対応図を見て、花見川河川争奪について次の際立った特徴に気づくことができます。

花見川河川争奪が一般的河川争奪と異なる際立った特徴

つまり、一般的河川争奪では被奪河川を下流から奪うのに対して、花見川河川争奪ではこれと異なり、被奪河川を上流から奪っています。
被奪河川を下流から奪う一般的河川争奪の場合、最初の争奪ポイント付近に争奪の肘と風隙がセットで形成されます。

ところが、花見川河川争奪では被奪河川を上流から奪うという特異の形式であるため、最初の争奪ポイントに争奪の肘(=流路の急カーブ)が生じますが、風隙ははるか離れた場所の遷急点に生じます。

花見川河川争奪の特徴と一般的河川争奪の特徴の間にこのような差異があるということは、花見川河川争奪原理が一般的河川争奪原理と異なることを示しています。

ウ 一般的河川争奪と異なる花見川河川争奪の原理
次に一般的河川争奪の原理と花見川河川争奪の原理の違いを図示します。

一般的河川争奪原理と花見川河川争奪原理の差異

一般的河川争奪の原理とは争奪河川の侵蝕が河川争奪ポイントに達した時、その結果として被奪側河川の上流部が斬首(截頭)され、それが自動的に争奪河川の流域に組み込まれるという原理です。
デービス原画の河川争奪説明図も鈴木隆介による河川争奪説明図もこの原理を説明しています。
この原理を静的河川争奪と呼ぶことにします。

一方、花見川河川争奪の原理では、最初に河川争奪ポイントが生じても、そのポイントが被奪側河川の最上流部に位置するので自動的に争奪河川に組み込まれる流域は発生しません。その争奪ポイントが被奪側河川の谷津を徐々に下流に向かって移動するとともに(つまり争奪河川の頭方侵蝕が被奪側河川谷津地形に対して差別的に進行するとともに)、少しづつ争奪河川の流域が増えます。
争奪ポイントが花島谷津付近まで移動すると花島谷津の流域が自動的に争奪河川に組み込まれます。
争奪ポイントが柏井付近まで移動すると、前谷津(花見川団地方面の谷津)と後谷津(柏井浄水場方面の谷津)の流域が自動的に争奪河川に組み込まれます。
つまり、花見川河川争奪の原理は、争奪ポイントが絶えず移動してそれによって支川レベルの静的河川争奪が継続的に発生し、争奪河川に組み込まれる新たな流域は累積的に増加していきます。
このような原理を動的河川争奪と呼ぶことにします。

動的河川争奪という概念及び事例の発見は日本で初めてだと思います。

花見川河川争奪は稀少で貴重な学術的価値が認められる可能性を秘めた新発見地学現象です。

2014年4月21日月曜日

花見川河川争奪の証拠 (下の2)

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その6

オ 第3要件 印旛沼水系河川に存在する無能河川、ウィンドギャップ(風隙)の証拠
縦断図に示す谷中分水界付近が即ちウィンドギャップ(風隙)です。

縦断図に示すウィンドギャップ(風隙)の位置

ウィンドギャップを3Dイメージで示すと次のようになります。

人工改変[印旛沼堀割普請]前のウィンドギャップの姿イメージ図

参考 双子塚古墳検討の際に作成した3Dイメージ図

ウィンドギャップの北に分布する古柏井川谷底が無能河川の谷底です。

人工改変[印旛沼堀割普請]によりウィンドギャップ(風隙)は地物としては失われました。しかし無能河川の谷底面は一部人工改変(掘削及び盛土)されましたが、全て失われることなく現存しています。

これで花見川河川争奪の証拠が全部出そろいました。

花見川河川争奪が存在したことが証明できました。

次から、この河川争奪の原理とタイプについて検討します。

つづく

花見川の残念な看板

残念といっても看板コンテンツではなく、老朽化看板放置の話です。

花見川を散歩していて、以前から気になっていたのですが、思い切って記事にしてみます。

看板が老朽化しすぎて、既に風景を阻害する地物になっているものが散歩者やサイクリスト全員が目にする場所にあるのですが、一向に管理(修復・新築、撤去)される気配がありません。

コンテンツが全く読めない千葉県看板(花島橋近く)

見苦しいので撤去してもらいたい看板です。
文字を解読すると「川をきれいにしましょう」のようです。残っている絵は魚のようです。この二つの情報から千葉県が設置した啓発看板のようです。
別のところに、放置された千葉県の啓発看板があり、これより古いバージョンの同種看板のようです。

放置された千葉県啓発看板

老朽化著しい千葉市看板(柏井付近)

傾いていて、文字も読めないところが多いこの看板はその本来の効用(啓発)はゼロです。一方、この看板から散歩者が受ける印象は、このコースが荒れている(管理されていない、放置されている)というものです。廃道の風景になっています。風景阻害要因です。
また、後から足元に別の看板が付けられています。

足元の看板
この看板設置者(こてはし台小学校校外補導)はとうの昔にこの看板設置を失念しているのではないでしょうか。だれか親切な人が朽ち果てて放置されていた看板をこの傾いた足に付けたようにしか思えません。

傾いた看板と足元にへばりつく別の看板が風景にマイナスの影響を与えています。

老朽化した道路案内千葉市看板(柏井橋下)

錆がひどくもう人に見てもらうような状態にないと思います。サイクリング道路案内の地図も既に現状と違っています。いたずら書きを消した後も痛々しいです。
柏井橋工事で撤去されると思います。

足元に転がる千葉市啓発看板(柏井橋仮橋下)

啓発看板が足元に転がっていました。
工事の人は公的機関が設置した看板だから勝手に撤去できないということで、そのままにしたのだと思います。
新橋ができる近くにいつまでもこのような朽ち果てた看板が放置されていることはふさわしいことではないと思います。


2014年4月20日日曜日

花見川河川争奪の証拠 (下の1)

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その5

このシリーズ記事では現在、花見川に河川争奪が存在していることを証明する次の証拠を示しています

第1要件 印旛沼水系河川の流域が東京湾水系河川の流域に変更となったことを示す証拠
●花見川流域の水系パターン異常
●印旛沼水系河川特有の浅い谷が花見川流域に存在する
●花見川流域に印旛沼流域の連続する河岸段丘が存在する
第2要件 印旛沼水系河川より東京湾水系河川の方が侵食力が強い(河床高度が低い)ことを示す証拠
第3要件 印旛沼水系河川に存在する無能河川、ウィンドギャップ(風隙)の証拠

このうち第1要件に関する証拠は既記事で説明しました。

この記事では第2要件に関する証拠を提示します。

エ 第2要件 印旛沼水系河川より東京湾水系河川の方が侵食力が強い(河床高度が低い)ことを示す証拠
東京湾水系と印旛沼水系の分水界付近の地形縦断図から浸食力の強さ(河床高度の低さ)を見てみます。

次の図に設定した縦断面図の位置を示します。

地形縦断面図の位置図

参考 地形縦断を設定した付近の地形俯瞰(現在地形)

地形縦断面図を次に示します。

東京湾水系と印旛沼水系の分水界付近の地形縦断図
A-Bは河岸段丘を見るための縦断面図
C-Dは現在の河床を見るための縦断面図
E-Fは台地一般面を見るための縦断面図

この情報から自然地形(17世紀中葉までに存在した人工改変[印旛沼堀割普請]前の地形)としての花見川筋谷底縦断を合理的にイメージすることができます。

自然地形としての花見川筋谷底縦断図

この谷底縦断図から、印旛沼水系河川より東京湾水系の浸食力が強いこと(河床高度が低いこと)が判ります。

参考として、この付近の河川の流れの方向の変化を見てみます。

参考 下総下位面の谷津(浅い谷)が生きていた時代の流向

参考 古柏井川(千葉第1段丘)の谷津が東京湾水系花見川によって河川争奪される前の流向

参考 東京湾水系花見川の流向

2014年4月19日土曜日

花見川河川争奪の証拠 (中)

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その4

ウ-3 印旛沼流域側に連続する河岸段丘の存在

次の図は花見川筋付近の地形面区分図です。

花見川筋付近の地形面区分図
花見川谷津に沿って下総下位面及び千葉第1段丘(古柏井川谷底)が河岸段丘状に発達しています。

この図に地形面(河岸段丘)の標高をプロットしてみると次のような図になります。

花見川筋付近の地形面標高縦断図
花見川筋に分布している下総下位面及び千葉第1段丘(古柏井川谷底)はともに、南に向かって舌状に分布している形状及び縦断勾配からみて印旛沼水系の谷津であることを確認することができます。
これを図中で説明すると次のようになります。

東京湾水系花見川谷津の中に印旛沼水系由来の河岸段丘が存在していることの説明

このように、東京湾水系花見川谷津の中に印旛沼水系由来の河岸段丘が存在していることが、印旛沼水系河川の流域が東京湾水系河川の流域に変更になった3つの証拠の第3番目の証拠です。

つづく