2020年12月31日木曜日

2020年の趣味活動をふりかえる

 2020年の大晦日となりました。

コロナ禍で激変する状況にもかかわらず、この1年間皆様のおかげで趣味活動を維持発展させ、大いに楽しむことができました。

Blog、Twitter、Facebook、YouTube、Sketchfabでお会いし、いいね・情報・アドバイス・ご指摘などをいただいた内外皆様に心から感謝申し上げます。

この記事では2020年趣味活動で特別に印象的だった活動を反芻して楽しむことにします。

1 展示施設観覧

2020年はコロナ禍という制約のため9館について合計27回訪問観覧ということになりました。

1-1 加曽利貝塚博物館令和元年度加曽利E式土器企画展の観覧

多くの土器について3Dモデルを作成し、加曽利E式土器変遷の様子を学習しました。縄文土器が専門家によってどのように研究されているのか内部に入りこんで知ることができたような感覚を得ました。2020年は他の企画展も含めて加曽利貝塚博物館に10回通いました。

また、申請により異形台付土器2点、称名寺式土器1点の閲覧が実現し、その3Dモデル分析を楽しみました。


異形台付土器のGigaMesh Software Framework取り込み


称名寺式土器のGigaMesh Software Frameworkによる展開

1-2 尖石縄文考古館展示物の観覧

千葉でみる縄文土器とはかなり変わった形状の土器多数に圧倒されました。多くの土器や土偶の3Dモデルを作成し興味を深めました。縄文のビーナスなど中期土偶の代表作を見れたことはよい体験となりました。


抽象文土器のGigaMesh Software Framework展開

1-3 千葉市埋蔵文化財調査センター展示物の観覧

土偶・土版やサンダル状土製品に興味を持ち多数の3Dモデルを作成しました。サンダル状土製品は申請による閲覧が実現しました。なおサンダル状土製品は自分の仮想と異なり、サンダル(革靴)ではないことが判りました。

1-4 千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」の観覧

今年の展示館観覧で最も収穫の大きかったのが「ちばの縄文」です。5回訪問しました。千葉における代表的縄文遺物を全部集めたといえる企画でした。多数遺物について3Dモデルを作成しました。中期の珍しい土偶(養安寺遺跡の河童形土偶)やイルカ骨製箆状腰飾(有吉南貝塚)は興味が大いに発展しました。


養安寺遺跡出土土偶・土器


養安寺遺跡土偶の3Dモデル分析

1-5 上記以外の展示館訪問

上記以外に清瀬市郷土博物館、長野県立歴史館、長野県埋蔵文化財センター、印旛郡市文化財センター、伊那市創造館を訪問し貴重な遺物多数を観覧し、3Dモデルを作成しました。

2 アリソガイ製ヘラ状貝製品の学習

縄文中期東京湾岸貝塚ゾーン文化独自の製品と考えられるアリソガイ製ヘラ状貝製品に着目して、それが皮なめしに関連しているらしいという作業仮説を念頭に学習を開始しました。幸運にも西野雅人先生(千葉市埋蔵文化財調査センター所長)からアリソガイ現品(現生)を借用させていただき手元で実験を行うことができました。また申請により千葉県教育委員会森宮分室でアリソガイ製ヘラ状貝製品(有吉北貝塚、六通貝塚)を閲覧し3Dモデルを作成し分析できました。素晴らしい学習を始めることができ、現在進行形です。


アリソガイ製ヘラ状貝製品の3Dモデル分析

3 専門概説書の通読学習

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の通読学習を行いそこから派生する多様な興味を深めることができました。この図書のおかげで全国の縄文遺跡について興味を持つことができました。また参考図書を芋づる式に学習して知識を縄文時代や縄文文化に対する視野を拡大することができました。例えば上黒岩岩陰遺跡とその文献(国立歴史民俗博物館研究報告第154集)を知ったことはその後の学習でとても役立ちました。


山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)kindle版

4 3Dモデルを軸とする分析技術の習得

4-1 内田裕治式土器展開写真の作成方法習得とGigaMesh Software Framework技術の習得

縄文土器展開写真作成方法として、清瀬市郷土博物館学芸員内田裕治先生から内田裕治式土器展開写真の作り方を教えていただきました。その直後GigaMesh Software Framework技術(主宰者Hubert Mara)を知り、3Dモデルから直接土器展開写真を作成する方法を習得しました。これらの技術は縄文土器学習の重要な基礎技術として学習の質を高めています。

4-2 3Dモデル関連ソフトの習熟

3DF Zephyr Lite、Blenderなどの3Dモデル関連ソフトを見様見真似で使っているうちに多少なりとも習熟の歩みを進めることができました。

4-3 QGIS関連技術の習熟

QGISとその3DモデルプラグインQgis2threejsに少しずつ習熟しました。12月に入ってからGRASSGIS機能(モジュールv.surf.rst)をQGISで展開して、等高線からDEMを生成させそれにより地形3Dモデルを作成できるようになり、遺跡学習に大いに役立っています。

4-4 DEM-Net Elevation APIを知る

世界の考古遺跡について学習するとき、その場所の地形3Dモデルを即作成できるサイトDEM-Net Elevation APIを知り、大いに役立っています。

5 縄文社会消長分析学習

千葉の縄文中期社会のはじまりと発展ピーク、衰退の全体像を「自分の眼で見てみたい」(データ・資料を自分が分析する中で知りたい)という願望に立脚する学習をなんとかかんとかスタートさせることができました。手始めは有吉北貝塚の発掘調査報告書学習です。今後どのように展開するのか、自分の肉体や精神の活力と対象物の巨大さが釣り合っていないことがわかっているだけに、快い軽度の不安定感をともないつつ、大いなる楽しみです。


有吉北貝塚の学習画面


有吉北貝塚の学習画面

6 感想

2020年は趣味活動における機能快(分析技術習得活用)を大いに楽しんだ年となりました。2021年はさらに活動を進展させたいと思います。

皆様、良いお年をお迎えください。


2020年の全ブログ記事(本編)のサムネール この記事を除いて364編

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2019.12.31記事「2019年の趣味活動をふりかえる

2018.12.31記事「2018年の趣味活動をふりかえる

2017.12.31記事「2017年の趣味活動をふりかえる

2016.12.31記事「2016年の趣味活動をふりかえる

2015.12.31記事「2015年をふりかえる

2014.12.31記事「1年をふりかえる

2013.12.31記事「大晦日の夜に1年をふりかえる



2020年12月30日水曜日

有吉北貝塚 前期土製耳飾

 縄文社会消長分析学習 66

有吉北貝塚前期土製耳飾について学習しました。

1 前期の土製耳飾

有吉北貝塚の前期遺物として11点の土製耳飾が出土しています。すべて玦状耳飾です。


前期土製耳飾実測図

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用。

2 前期土製耳飾分布図

遺構番号を手がかりに前期土製耳飾出土場所の分布図を作成しました。


有吉北貝塚 前期 土器埋設 土坑 土製耳飾 土器分布(2D)


有吉北貝塚 前期 土器埋設 土坑 土製耳飾 土器分布(3D)

南貝層斜面から6点、台地面とその周辺から3点、北貝層斜面から2点出土しています。前期遺構はほとんどすべて中期遺構で上書きされ消滅していますので、土製耳飾もほとんどが中期に人為的に移動したものであり、その分布から有用情報を汲み取ることは困難です。

3 ブロック分割番号を利用した分布図の作成

前期土製耳飾の出土位置は次の遺物表掲載遺構番号欄情報から知ることができます。

前期土製耳飾の遺物表

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

11点遺物のうち遺構番号→発掘調査報告書貼付図面からその位置が判るものは2点あります。

他の9点はグリッド分割番号からその位置が判ります。グリッド分割番号からその位置を視認してGISにプロットするために、次の作業補助資料を作成しました。


3腫のグリッド分割図

GISのレイヤーとして基本・北斜面貝層・南貝層斜面グリッド分割図を貼り付けました。


視認補助資料

基本・北斜面貝層・南貝層斜面グリッド分割図における番号特定のための視認補助資料(手持ち資料)を作成しました。

この資料作成により今後の発掘調査報告書解読分析がかなり緻密になると期待します。場所の正確な確認は省略して読み進むという弊害が除去されることになります。


有吉北貝塚 前期の土器

 縄文社会消長分析学習 65

有吉北貝塚の学習をスタートしています。有吉北貝塚学習のメインはあくまでも中期です。現在はその前後の早期、前期、後期の学習をウォーミングアップを兼ねて行っています。この記事では前期土器について学習します。

1 有吉北貝塚の前期土器


有吉北貝塚 前期 土器埋設 土坑 土器分布(3D Qgis2threejs画面)

前期の土器破片総点数は7601点です。胎土に繊維を含まないものが多いことから大半が前期後半期に属すると考えられ、大半が調査区北半に集中しています。出土土器は文様や製作の特徴が多様性をもつことから17分類されて記述されています。

土器から遺跡消長をみると、前期後半諸磯a式期に遺跡形成が再開され、諸磯c式期まで続きます。土器の出土量から単純に見ると、諸磯b式期に最も活動が活発化すると考えられます。土器形式構造は単純ではなく、関東地方に広く分布する諸磯式系の土器群と霞ヶ浦周辺から利根川下流域に特徴的に分布する浮島式系の土器群が共存し、融合する形でみられることから、二つの地域性の折衷域に本遺跡が立地することを示すと考えられます。この状況は東京湾岸域、特に千葉市周辺に特徴的な傾向です。(発掘調査報告書による)


有吉北貝塚出土前期土器の例 1

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用


有吉北貝塚出土前期土器の例 2

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

このような文様の土器片は諸磯式系、このような文様は浮島式系という土器文様感覚を自分はまだ持ち合わせていないので残念なことです。発掘調査報告書の17分類に諸磯式系と浮島式系とその融合系などの区分は掲載されていません。

2 参考 大膳野南貝塚における前期後葉竪穴住居址

大膳野南貝塚では前期後葉竪穴住居址を遺物から観察すると、出土土器が諸磯式系主体住居、浮島式系主体住居、2つの土器が共伴する住居に分類できます。また石器種類の割合も狩猟系石器が浮島式系主体住居で多く、諸磯式系住居で少ないなどの違いも見られます。生業の様子が異なる2つの集団(浮島式系集団と諸磯式系集団)が一つの集落に内部的なゾーニングをしつつ協同生活をしていたようです。前期後葉の千葉は諸磯式土器を使う集団と浮島式土器を使う集団がそれぞれ独自生活を維持しつつ一緒の集落で協同生活をしているというとても興味深い事象が存在しています。


大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居址 主体土器形式別分布


大膳野南貝塚 前期集落 優勢土器形式別竪穴住居軒数

3 参考 


諸磯式土器出土遺跡分布図


浮島式土器出土遺跡分布図


諸磯式土器と浮島式土器が出土する遺跡数(千葉県)

2020年12月29日火曜日

縄文中期箆状腰飾に関する考察メモ その3 疑問・興味・気が付いたこと列挙

 縄文骨角器学習 5

千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」で展示された縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚)の3Dモデルを作成して観察したところ、次から次へと興味が広がり、深まり、予想外の学習展開となっています。この記事ではこの腰飾関連の疑問・興味・気が付いたことを箇条書メモします。本格思考を将来実施することを前提に、とりあえず考察を区切ることにします。

1 腰飾が表象している実世界のモノ

腰飾は手に持つ対人殺傷武器としての短剣をモデルにそれを模した祭具であると推定します。

類似製品として槍状石器をあげることができます。


槍状石器の例

大工原豊他「縄文石器提要」(2020、ニューサイエンス社)から引用

2 箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚)がつくられたとき、それは腰飾ではなかったという事実

2-1 腰飾吊下用穿孔が製品完成後に行われた様子

破損している右穿孔を拡大して観察すると刺突文様を切って穿孔が行われています。製品完成時に吊下用穿孔が同時につけられたのではなく、製品完成時には吊下げを前提にしない製品として作られ、後日吊下用穿孔が行われ、腰飾として転用されたことが判明しました。


吊下用穿孔が刺突文様を切っている様子

この製品が元来は腰飾りではなく。別の祭具としてつくられたという事実は、船橋市高根木戸遺跡出土刺突文・彫刻骨角器に穿孔がないという事実と整合します。

2-2 表面削剥部から想定する非腰飾時代の利用方法

腰飾表面に縛り跡と想定できる削剥部が存在しています。


表面削剥部

それぞれ2本の縄をX字状にモノを腰飾に縛った跡であると考えます。これだけの明瞭な縛り跡が残るのですから長期に渡ってモノが固定され、なおかつそれが使われることで擦れて出来た跡であると考えます。

次の図に示す短剣の柄が想定可能です。


短剣の柄 装着想定例

ア 直角の方向…木製柄を短剣直角方向に装着想定した例

イ 延長の方向…木製柄を短剣延長方向に装着想定した例

ウ 滑り止め機能…縄を巡らし滑り止め機能を付加して、その部分を握る柄にした想定例

2-3 右刃部をメインとする鋭利な削剥から想定する利用方法

右刃部をメインに刃部が鋭利になるように削剥されています。


右刃部をメインに鋭利に削剥されている様子

この事実から、この祭具は右刃部をメインに刃部を削る(研ぐ)ような利用方法が存在していたと考えられます。次のような理由が考えられます。

ア 元来両刃の短剣形儀器であったが、途中から片刃の短剣形儀器を意識して利用するようになった。

イ 刃部を研ぐという活動が祭祀活動の中で行われ、その活動が主に右刃部で行われた。(石棒に傷を付ける活動と類似)(刃部を研ぐ…戦にそなえる、戦意を高揚する。)

ウ 短剣を削り、その粉を戦意高揚をもたらす薬として、あるいは怪我や病気の薬として使った。

追記 すでに存在する刃部付近の刺突を消耗して研いでいます。研いだ刃は鋭利です。「研ぐ」という活動とともに、何かを「切る」という活動も付随していたに違いありません。この短剣が人殺傷用短剣を模している祭具であることから、「切る」対象は人です。祭祀の中で、入れ墨を入れる刀として利用されていたのかもしれません。土地を守る活動の先端に立つ人々の身体変工に使われた祭具! 空想です。

3 箆状腰飾の製品意義の変化

2の検討から、この製品の意義や状況が次のように変化したのかもしれないと空想しました。

柄の付いた短剣形祭具として作られ活用される→吊下用穿孔により腰飾に転用され活用される→刃部を研ぐ活動が行われる祭具として活用される→右穿孔が壊れ補修孔が作られる→指導者の腰に装着して指導者を埋葬する

4 甕被葬と腰飾との関連

甕被葬の意義について納得できる説明に遭遇したことがないので、次のようにとりあえずの自分専用仮説をつくるための準備思考をメモしておきます。


甕被葬

ア 甕被葬の一般的意義

・中期千葉の縄文人は頭に心(その人の霊)が宿っていると考えていた。

・人は死ぬとその霊が、モガリと葬儀後(つまり埋葬すると)肉体から離れ、天上界に移動し、その後現世に別人として生まれ変わると考えていた。

・死人の頭に甕を被せれば、その人の霊は頭から抜け出せないためにその肉体に留まり、天上界に移動できない、別人として生まれ変われないと考えた。

イ 有吉南貝塚甕被葬の仮説 1(指導者の霊を集落内に留めるための特別葬儀説)

埋葬された人物は集落あるいは広域地域の指導者で、土地に入り込む外部勢力を追い払うなどの風雲急をつげる状況のなかで、無二の重要な役割を果たしていた。その人物が死亡した。通常に葬儀を行うとその人物の霊は天上界に行き、さらに別人物として生まれ変わる。その生まれ変わった人物(赤ん坊)が育って新たな指導者になるまでとても待てない。そこで、死亡した指導者霊が集落内に留まるように甕被葬をして、指導者霊に身近に見守ってもらえる(指導者霊と日常的にコミュニケーションできる)ようにした。

そのようないわば集落神ともいえる人物であるから、土地を守る重要祭具である箆状腰飾を装着しているのは当然である。つまり甕被葬と箆状腰飾装着は密接に結びついている。

ウ 有吉南貝塚甕被葬の仮説 2(指導者の忌まわしい病死・事故死による特別葬儀説)

指導者が忌まわしい病気(例 ハンセン病)や忌まわしい事故(例 生業と関わらない墜落死)で死亡した。そのまま通常の葬儀をすると指導者の霊は天上界に移動し、その後別人物として生まれ変わり、再び忌まわしい病気や忌まわしい事故で死亡し、家族や集団を苦しめる。そこで社会の苦しみを遮断するために指導者の頭に甕を被せ、霊が天上界に移動するのを阻止する。

この場合、甕被葬とその人物が箆状腰飾を装着していたことは無関係であり、偶然の一致である。

5 素材の部位は下顎ではなく頭骨(吻部=上顎)である可能性

展示説明では素材がイルカ類下顎骨となています。下顎ではなく、頭骨の吻部(上顎)の勘違いだと思いますので、念のため博物館に問い合わせすることにします。

6 先端部および背面の観察

先端部の撮影が視線入射角が小さくなるため鮮明に写りません。また背面の様子が全く判りません。いつか閲覧申請をしてこの腰飾を詳細に観察することにします。

追記 先端部も研がれて(削られて)当初の刺突がほとんど消失しているようです。視線入射角が小さいだけでなく、そもそも刺突文が消えかかっているようです。ぜひとも現物を閲覧したくなります。


2020年12月28日月曜日

縄文中期箆状腰飾に関する考察メモ その2 超仮説 縄文中期箆状骨器の文様と千葉縄文人世界観の対応

 縄文骨角器学習 4

2020.12.28記事「縄文中期箆状腰飾に関する考察メモ その1 船橋市高根木戸遺跡出土酷似製品」で上下三角噛合陰刻文様が風景を描写していて、「大」字刺突文様は天上の祖先の姿を描写していると思考しましたが、この思考がさらに発展しましたのでメモします。

1 超仮説 縄文中期箆状骨器の文様と千葉縄文人世界観の対応

千葉市有吉南貝塚出土イルカ骨製箆状腰飾と船橋市高根木戸遺跡出土刺突文・彫刻骨角製品に共通する二つの文様が千葉縄文人世界観を表現していると考えました。


超仮説 縄文中期箆状骨器の文様と千葉縄文人世界観の対応

2 メモ

縄文人は白い雲が浮かぶ青い空に天上界が存在し、それは地上界とは逆向きの世界であり、死んだ祖先が生活していると考えていたと想像します。

そのような千葉縄文人世界観が箆状骨器に刻まれていると考えます。

東京湾漁場を含む豊かな千葉の土地を、祖先に誓って、あるいは祖先の力を借りて、自ら守るという決意がこの文様に刻まれていると考えます。

縄文中期箆状腰飾に関する考察メモ その1 船橋市高根木戸遺跡出土酷似製品

 縄文骨角器学習 3

2020.12.24記事「縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚) 観察記録3Dモデル」、2020.12.27記事「縄文中期箆状腰飾の3Dモデルによる精細観察」に続き、箆状腰飾に関する考察をメモします。

この記事では、大小の気が付いたこと、疑問、想像を箇条書きでメモし、将来の本格思考にそなえるつもりでした。しかし、箆状腰飾と酷似している類似製品を資料の中で「発見」してしまいました。重要情報ですから、とりあえずそれだけを速報します。

1 刺突文様の類似製品

箆状腰飾と強く類似する刺突文様骨角製品が船橋市高根木戸遺跡(縄文中期)から出土しています。


船橋市高根木戸遺跡(縄文中期)出土 刺突文・彫刻骨角製品

金子浩昌・忍沢成視「骨角器の研究 縄文編Ⅱ」(昭和61年、慶友社)から180度回転して引用。


高根木戸遺跡出土骨角製品の出土状況

「船橋市の遺跡 船橋市史資料(二)」から引用

2 有吉南貝塚出土製品と高根木戸遺跡出土製品の対照


縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚)と刺突文・彫刻骨角製品(船橋市高根木戸遺跡)の対照

3 考察

ア 形状酷似

二つの製品の形状が酷似しています。

イ 文様酷似

刺突・彫刻文様はほとんど同一と行っても過言ではない類似状況をしています。

「大」字状刺突文様と上下三角噛合陰刻文様を含む刺突と陰刻の上下順番がほとんど同じであることは、この製品を作るときの呪術世界の言葉(呪文・神話)が広域で共有されていたことを証明していると考えます。

なお、「船橋市の遺跡 船橋市史資料(二)」では「点列文様の一部に人を表現していると推定できる部分があり、何か呪術的骨器を思わせる。」と記述しています。「大」字状刺突文様が人を表現しているすれば、この製品の意味考察に大きな影響を及ぼします。

ウ 素材

有吉南貝塚出土製品はイルカ骨製ですが、高根木戸遺跡製品がどの動物の骨であるかの記述は引用書には書かれていません。「船橋の遺跡 船橋市史資料(二)」では「相当大きな動物の骨を利用」と記述されています。高根木戸遺跡製品がイルカや小型クジラの骨製であるとすれば、この製品は漁労の中でもより高度な技術・舟と組織を必要とするイルカ・小型クジラ猟と何らかの関わりを持つと考えることができるかもしれません。

エ 製品が意味するモノ

引用書(縄文編Ⅰ)では線刻と刺突で構成される文様施文は玦状耳飾・髪針・骨刀などに施文されている例を見ると書かれていて、高根木戸遺跡製品を骨刀として捉えているようです。この分類は箆状腰飾が剣であるという自分の印象と整合します。

オ 製品は非装身具として作られて可能性

引用書(縄文編Ⅰ)では「刺突文様は施文すること自体に呪術的な意味が込められているように思われ、身体装着用の加工をもたないものにこれが施されるという傾向がみられ、単なる装身具ではないことを示唆しているように思える」と記述して、刺突文施文骨角器が身体装着用でないものと親和性があると述べています。高根木戸遺跡出土製品には吊下用穿孔はなく、装身具ではありません。

「刺突文施文骨角器が身体装着用でないものと親和性がある」との情報は自分が考える「この箆状腰飾は短剣形祭具として作られ使われ、後に装身具に転用された」という仮説とよく合います。なお、箆状腰飾に吊下用穿孔があるにも関わらず、この製品がつくられた時は装身具ではなかったという説明は別記事で行いますが、最初の穿孔が刺突文様を「切って」いるのです。

4 対照作業で深まった観察

3の対照作業を行う中で、有吉南貝塚製品の上下三角噛合陰刻文様で上から伸びる三角の左線の存在に気が付きました。3Dモデル及び撮影写真でその実在を確認しました。対照作業をする前は、その存在が一見明瞭でなかったために気が付きませんでした。

5 上下三角噛合陰刻文様の意味

下から三角が二つ、上から三角が一つ噛み合うように分布するこの模様は何を意味するのか興味が深まります。現時点では魚眼レンズで山に囲まれた土地を撮影した写真と同じ風景画像を描いたものと空想します。千葉や船橋には山はありませんが、呪術的・神話的に土地(=この世の世界)の姿を魚眼レンズ風に描いたものであると空想します。

この世の世界の上に描かれる「大」字状模様は、この世の世界から超越した人つまり祖先の姿であるのかもしれません。

この骨器は土地と祖先を描いている短剣であり、最後の最後は暴力(短剣)を使ってでも土地を守る決意を表現した祭具であると想像します。

「最後の最後は暴力(短剣)を使ってでも土地を守る」ことが必要な社会情勢が存在していたということでもあります。東京湾沿岸貝塚世界の豊かな土地が中部高地をはじめとする周辺縄文社会から狙われていたのです。

東京湾沿岸縄文中期の土偶の無い貝塚世界は、周囲の土偶を多用する世界から侵入圧力を受けていたと空想します。


2020年12月27日日曜日

縄文中期箆状腰飾の3Dモデルによる精細観察

 縄文骨角器学習 2

縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚)を3Dモデルを活用して精細観察しました。

1 観察方法

観察記録3Dモデルにより対象物を立体的に観察して、その結果をオルソ投影画像に項目別に記入し、最後にその集成図を作成しました。オルソ投影画像は細部の確認がしやすいように数種類作成しました。

縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚) 観察記録3Dモデル

イルカ類下顎骨製

埋葬関連遺物

撮影場所:千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」 

撮影月日:2020.12.09 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.016 processing 54 images


観察結果プロットに使ったオルソ投影画像

2 観察結果


有吉南貝塚出土イルカ骨製腰飾 3Dモデル観察 1

ア 吊下用穿孔が2ヶ所あり、右側が破損したため、そばに補修穿孔しています。

この腰飾が長期にわたって腰に着装されたことが判明します。

イ 刺突文が上部と下部に穿たれています。

上部刺突文は先端から縁に1列(左のみ)、縁の曲線に沿って2列で吊下用穿孔まで連続します。右縁の刺突列は右部損耗のため観察できません。

下部刺突文は腰飾を横断すして、下から1列、2列、1列、2列が配置され、さらにその上に刺突で「大」字のような文様を描きます。

刺突文はこの腰飾形状を強調する文様となっています。この腰飾が表象する実世界のモノの形状の特質を刺突文が強調しています。

ウ 残存赤彩が上部刺突文の刺突小孔の多数にごくわずかに観察できます。(図は表現のために実際より誇張してあります。)


有吉南貝塚出土イルカ骨製腰飾 3Dモデル観察 2

エ 中央が盛り上がる形状をしていて、縁に沿って段差がつけられ、縁に行くにしたがって厚さが薄くなります。実用機能かどうかは別にして、刃部が形成されていると観察することができます。

同時に縁に沿った段差の分布から右側の刃部は損耗しています。損耗する前の縁の形状をイメージとして点線で記入しました。

右側縁を拡大して観察すると、縁に沿って削られ、縁が鋭利な刃になっています。直観的には右側縁を何かに擦りつけて損耗したのではなく、鋭利な石器等で縁を削って刃を尖らせたために損耗したと理解します。

オ 上部では、縁に沿って2列の浅い凹形陰刻(丸形)が分布します。

カ 下部では、腰飾を横断して浅い凹形陰刻(直線)が4列分布します。


有吉南貝塚出土イルカ骨製腰飾 3Dモデル観察 3

キ 下部に2つの三角状形状を含む陰刻線が分布します。たまたまついた傷ではなく、意図的に刻まれたものと考えられますが、規則性をあまり感じません。

ク 腰飾中央部付近より少し下付近に表面削剥部分が2列で交差するように分布します。それぞれ2本の綱で縛った跡のように観察できます。腰飾りが何かに強く縛りつけられて利用されていたことがある証拠です。

ケ 観察結果を総集して全体を見ると次のような特徴を確認できます。

・全体の形状・立体形が後世の幅広短剣のような形状をしている。

・文様と形状から、吊下用穿孔から上の縁は刃部をイメージしてつくられているように感じられる。

・右側縁は削られて先端が鋭くなり、損耗して形状が後退している。

・吊下用穿孔の一つが壊れ、補修穿孔があるので、長期間着装されていたことが判る。

・この腰飾を跡が付くほど強く何かに縛って使ったことが判る。

・下部に三角の特徴を持つ不規則な陰刻が存在する。

3 メモ

次の項目について追って検討します。

ア この腰飾が表象している実世界のモノは何か?

・対人殺傷武器(剣)である可能性。

イ この腰飾の機能(意義)は何か?

・対外集団を意識した集団内統治の象徴アイテムの可能性。(いざとなったら暴力も辞さない覚悟での生活圏の保全…近隣に緊張関係にある異集団が存在する前線的環境としての有吉南貝塚)

エ この腰飾の使い方はどのようなものであるか?

・長柄を直角に付けた儀式用短剣としての活用

・刃部を削る儀式での活用(薬?)

・リーダーが腰に着装する装身具としての活用

オ 甕被り葬との関連は?

・甕被り葬とこの腰飾は密接に関係している。


2020年12月25日金曜日

有吉北貝塚 開発前地形と開発後地形 3Dモデル

 縄文社会消長分析学習 64

有吉北貝塚学習をスタートしましたが、学習インフラとして開発前地形3Dモデルを作成し学習に利用しています。この記事では開発前地形と開発後地形を3Dモデルで並べてその変化の様子を直観できるようにしました。

なお、開発後にも保存区域(台地面の極一部)が開発前地形として存置しています。

有吉北貝塚 開発前地形と開発後地形 3Dモデル

【開発前地形】

DEM:1960年代千葉市都市図等高線からGRASSGISで生成(2mメッシュ)

垂直倍率:×3.0

表示:1960年代千葉市都市図+標高色別、有吉北貝塚調査区域(青線)

【開発後地形】

開発後地形DEM:国土地理院5mメッシュDEM(2020年12月ダウンロード)

垂直倍率:×3.0

表示:国土地理院全国最新写真(平成28年)、有吉北貝塚調査区域(青線)


3Dモデルの動画

有吉北貝塚 前期の遺構

縄文社会消長分析学習 63

1 有吉北貝塚の前期遺構

前期遺構として土坑1基、土器埋設遺構1基が出土しています。


有吉北貝塚 前期 土器埋設遺構 土坑 土器分布(2D QGIS画面)


有吉北貝塚 前期 土器埋設遺構 土坑 土器分布(3D Qgis2threejs画面)

2 土器埋設遺構の様子


土器埋設遺構実測図

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用


土器埋設遺構写真画像

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

土器は長軸90㎝、短軸48㎝の楕円形の堀込みの中に横にした状態で埋設されていました。土器の器高44.0㎝、口径27.5㎝で前期後半に属します。別に波状貝殻文を施文する前期後半浮島式土器片が出土しています。(発掘調査報告書による)

3 土坑の様子


土坑実測図

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用


土坑画像

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

平面形はゆがんだ楕円形を呈し、長軸約1.6m、短軸約1.2mを測る。南側に火床部があり前期後半に属する土器1個体分検出、外面下半部が赤化し、内面表面の荒れが激しく、煤の付着も見られます。(発掘調査報告書による)

4 土器片出土の様子

早期土器片出土総数は543点であったのに対し、前期土器片出土総数は7601点で14倍に増加しています。その分布は早期と同様に調査区域北半に集中しています。

5 メモ

・土器の出土量に比して遺構出土状況が貧弱であり、発掘調査報告書では「中期以後の遺跡形成で消滅した遺構が多数あったと考えられる。」と記述しています。住居を含むであろう前期遺構のほとんどが中期遺構によって上書きされ、消滅したと理解します。

・前期土器を残した人々が調査区域北半で生活することを好んだ理由を想像してみました。

ア 谷津に降りてそのまま海に出られる。(有吉北貝塚前期に貝層が形成されたかどうか発掘調査報告書には明確な記述はないようです。近隣遺跡(例 大膳野南貝塚)の例から、前期には漁労が行われ、貝層が形成されていたと想像します。そのほとんどが中期遺跡で上書きされ消滅したと想像します。)

イ 台地面を伝わって近隣集落や狩猟場に直行できる地の利。(前期の狩猟場は人の定住地増大に従って早期の狩猟場より縮小し、特定域に絞られたにちがいないと空想します。)

ウ 遺跡立地台地周辺の台地と谷津斜面に分布する豊富な植物資源を利用できる。

エ 飲料水を台地斜面下部の湧水で得られる。

オ 南向き斜面を利用できる快適環境。(日照良好、眺望良好) 

2020年12月24日木曜日

有吉北貝塚 早期の土器

 縄文社会消長分析学習 62

1 有吉北貝塚の早期土器


有吉北貝塚 早期 炉穴 陥穴 土器分布(3D Qgis2threejs画面)

有吉北貝塚の早期土器は総破片数543点出土し、いずれも胎土に繊維を含み、器面調整に条痕を多用するなど早期後半期に属する特徴をゆうしています。分布は調査区北半に集中し、斜面部の出土が多く、特に南斜面貝層部上半に最も集中し、その出土状況は表土・撹乱層からの出土が多く、台地上からの流れ込みを示すと考えられます。(発掘調査報告書による)


有吉北貝塚出土早期土器の例 1
有吉北貝塚発掘調査報告書から引用


有吉北貝塚出土早期土器の例 2
有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

土器形式からみると茅山下層式期に遺跡が形成され始め、炉穴の形成が確認され、茅山下層式に続き、茅山上層式以後早期末葉期初頭まで遺跡として利用されたようです。(発掘調査報告書による)

2 参考 茅山上層式土器の観察記録3Dモデル例

早期土器は破片だけで土器の形状をイメージできる資料がないので、以前市立市川考古博物館に展示された雷下遺跡出土茅山上層式土器の観察記録3Dモデルを観察しなおしました。

茅山上層式土器 市川市雷下遺跡(5)地点 観察記録3Dモデル

撮影場所:市立市川考古博物館

撮影月日:2019.05.24

強反射ガラス面越し撮影

参考 左側土器は形式不明条痕文土器、右側土器は上ノ山式併行の土器


展示の様子

胎土に繊維が入っているため焼成すると黒ずみ、表面付近繊維が燃えて出来た空洞のためガサガサした感じになります。

3 参考 茅山下層式土器と茅山上層式土器の出土遺跡分布(千葉県)


茅山下層式土器出土遺跡分布


茅山下層式土器出土遺跡分布 ヒートマップ


茅山上層式土器出土遺跡分布


茅山上層式土器出土遺跡分布 ヒートマップ

茅山下層式土器も茅山上層式土器もその分布重心が有吉北貝塚が存在する千葉市東部域にあるように観察できます。有吉北貝塚に茅山式期頃の土器が出土する空間的必然性がもともとあるように感じられます。


千葉県縄文土器形式等別出土遺跡数(仮集計)

時間軸でみると、千葉県における早期の遺跡数ピークは茅山式期です。

4 感想

有吉北貝塚の早期遺構・遺物は中期のそれと較べて圧倒的に少ないです。しかし、早期遺構・遺物は縄文時代早期のピーク(人口急増期)を指標していて、その意義は大きなものがあります。たまたま早期後半の遺構・遺物も出土したという程度の話で、学習上、お茶を濁すことはできないと考えました。