2017年5月31日水曜日

西根遺跡 獣骨と土器分布の対照

獣骨重量分布図と土器重量分布図を集中地点別に対照してみました。
(第6、第7集中地点は獣骨が出土していないので対照図は作成していません。)

獣骨重量と土器重量分布の対照 第1集中地点

獣骨重量と土器重量分布の対照 第2集中地点

獣骨重量と土器重量分布の対照 第3集中地点

獣骨重量と土器重量分布の対照 第4・5集中地点

獣骨が分布する範囲は土器重量分布域のなかの重量が大きい部分に対応することが概観できます。

獣骨出土域とは獣を焼いて食った跡であり、祭祀域の中央部であり、その中央部に土器が密に並べられた様子が観察できると考えます。
獣骨の部位に頭骨が少なく、また幼獣の骨が多いことから、アイヌのイオマンテのような儀式(幼獣を対象として、頭骨は別に飾り、頭部以外を食する)が行われたと想定します。
イオマンテのような儀式の後、その場に土器を持ち込み密に配置したと想定します。
イオマンテのような儀式と多量土器持ち込み活動が西根遺跡で行われた活動であり、それが全体としての祭祀行為であり、社会の切実な祈願が行われたと考えます。
使用済み土器を多量に配置しているのですから、西根遺跡を「土器送り場」であると表現しても間違いはないのですが、単純な「生活における土器そのものの送り」とは明確な一線を画するイベント跡であったと考えます。
西根遺跡には貝塚などと異なり土器以外の物による生活臭がまったくありません。
真の社会的願いを実現するために「イオマンテ風儀式」と「土器送り」を手段として行ったイベント仕立ての祈願行為の跡が西根遺跡であると想像しています。
現在のところ、西根遺跡における主な祈願は例えば翡翠交易に関わるものであると直観しています。

さらに獣骨と土器の相関分析を深めていきます。

2017年5月30日火曜日

西根遺跡 獣骨重量

小グリッド獣骨重量データが発掘調査報告書に掲載されているので把握しました。
72グリッド以上から獣骨が出土していて、小グリッドからの最大出土は200g近くになります。

西根遺跡 小グリッド獣骨重量(g)順位

これを土器集中地点別にみると次のようになります。

第1集中地点 小グリッド獣骨重量(g)順位

第2集中地点 小グリッド獣骨重量(g)順位

第3集中地点 小グリッド獣骨重量(g)順位

第4集中地点 小グリッド獣骨重量(g)順位

第5集中地点 小グリッド獣骨重量(g)順位

第6、第7集中地点からの獣骨出土はありませんが、それ以外の土器集中地点毎に獣骨出土が観察されることは一つの重要な特徴になります。

また第2、第5集中地点からの獣骨出土は極めて僅かであり、まとまって獣骨が出土するのは第1、第3、第4集中地点になります。

集中地点別獣骨重量合計は次のようになります。

西根遺跡 獣骨重量(g)

参考 土器重量

小グリッド別獣骨重量分布は次のようになります。

獣骨重量分布図 第1集中地点

獣骨重量分布図 第2集中地点

獣骨重量分布図 第3集中地点

獣骨重量分布図 第4・5集中地点

獣骨重量が大きい小グリッドは土器集中域に対応している様子がわかります。
獣骨が置かれた活動と土器が置かれた活動が強い相関を有する、あるいは同じ活動であることが予想されます。
獣骨重量分布と土器重量分布の詳しい相関関係を次の記事で分析します。



2017年5月29日月曜日

西根遺跡 土器分布空間構造の推察

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイができましたので、それを使って土器分布空間構造の推察を行いました。

その結果を次に示します。

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 1

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 2

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 3

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 4

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ 5

土器集中部(土器送り場主要部)とそれを囲む円周土器配列が各所で観察できます。
円周土器配列は円周祭壇(イナウ列、ヌササン)の跡であると推察します。
土器集中部及び円周土器配列ともに当時の河道の中に分布しているものも多く、河道の水量が少ないという理由だけでなく、積極的に水中に土器を置いた場合も多かったことを物語っていると考えます。西根遺跡はまさに水辺の遺跡です。
(流水の力で陸域の土器が水中に流れ込んだという発掘調査報告書の考え方は首肯できないと考えています。2017.05.11記事「西根遺跡 土器集中域詳細把握と問題意識」参照)

直線土器配列も各所で観察できます。直線土器配列も祭壇(イナウ列、ヌササン)の跡であると推察します。直線土器配列の多くは戸神川の上流方向を向いています。(2017.05.14記事「西根遺跡 土器集中域直線状配置の方向の意味」参照)

矩形土器集中区画とその中に位置する土器集中部(土器送り場主要部)も第4、第5集中地点で観察できます。

以上の観察は小グリッド別土器総重量のデータと土器精細分布図のオーバーレイから行ったものです。
これに小グリッド別土器種別データ、小グリッド別獣骨重量データを加えて、さらに観察を深めます。

土器集中部とそれを囲む円周列、あるいは隣接する直線列の存在から、西根遺跡の土器集中は土器を祭壇など空間構造表現ツールにも使っていて、単純な「土器そのものの送り場」でないことは確実です。

「土器送り」という表面的な活動の奥には別のより意義の大きな祈願が存在しているように感じられます。



2017年5月28日日曜日

西根遺跡 小グリッド土器総重量と分布図

小グリッド土器総重量は発掘調査報告書では「土器重量グリッド別分布図」として掲載されています。
この掲載図をGISにプロットすると最大グリッドの半分(1m)程度の誤差がでます。
また掲載図はハッチ模様の濃淡で分布の強弱を表現していますので、土器集中地点の精細分布図とオーバーレイするとその見分けが困難です。

「土器重量グリッド別分布図」と土器集中地点jの精細分布図のオーバーレイ
赤表示が「土器重量グリッド別分布図」
黒グリッドは正確なグリッド表示

そこで、正確な小グリッド網をGIS上に作成して「土器重量グリッド別分布図」と同じ区分で色分け図を作成してみました。

小グリッド土器総重量と土器分布図のオーバーレイ

この図を作成できましたので、小グリッド土器総重量データと土器集中地点の精細分布図を正確にオーバーレイして検討することが可能となりました。

土器集中地点の空間構造を詳しく検討できるようになりました。
次の記事でその検討を行います。

2017年5月27日土曜日

メモ 考古歴史学習における見立て(作業仮説立案)方法の変更

10日間ほど趣味活動から離れてみたところ、考古歴史学習における見立て(作業仮説立案)方法を変更したほうが、より生産的で面白いのではないだろうかという発想になり、メモしておきます。

発掘調査報告書を学習していて、その中の見立てについて満足できないとき、「あーだこーだ」と検討して、自分なりのの見立て(作業仮説立案)をすることが趣味活動における楽しみになっています。

これまで自分の活動では次のような学習をしてきています。

これまでの学習方法

この学習方法を次のように変更して、試してみることにします。

これからの学習方法

学習方法を変更する理由は次の通りです。

1 学習すればするほど考古歴史に関する知識量不足を実感していて、疑問を解決できる合理的作業仮説を特定して立案できるほどの実力はないこと。

2 確からしさを高めることはできても、「正解」を得ることは多くの場合困難であるので、特定作業仮説にしがみつかない方が柔軟な学習となり、疑問に関連する豊かな情報を得られる可能性がある。

3 より多くの仮説を検討するなかで、思いがけないシナリオ(発見的な仮説)を描くことができるかもしれない。

4 特定作業仮説の検証に血道をあげる活動より、多数仮説をつくりそれを俯瞰して評価する活動の方が面白そうだ。

5 多数仮説を俯瞰的に検討する方がより早く「真相」に近づけるかもしれない。

6 多数仮説を立案するプロセスは、考古歴史学習の筋肉トレーニング(能力開発)になりそうだ。


趣味活動をより楽しむために、学習方法を変更することにします。

2017年5月26日金曜日

西根遺跡 小グリッド土器総重量

西根遺跡の情報の最小単位は小グリッド(2m×2m)で扱われていますので、そのレベルまで立ち入って学習することにします。

この記事では小グリッド土器総重量の検討に入ります。

1 小グリッドの体系
西根遺跡発掘調査報告書では次のような小グリッド体系になっています。

西根遺跡発掘調査報告書の小グリッド体系

2 小グリッド土器総重量情報

小グリッド土器総重量情報を大きいものか順番に並べると次のようになります。

西根遺跡 小グリッド土器総重量(g)順位
(一括情報は含めていない)
1位207Kg、2位161Kg、3位75Kgと続き50Kg以上の小グリッドが7つであり、最小は10gで小グリッド数は302です。

このグラフと同じものを土器集中地点別に作成して次に示します。

第1集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
40Kg以上の小グリッドが1、30Kg以上が7あります。

第2集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
20Kg以上の小グリッドが1であり、第1集中地点と比較すると土器が散漫に置かれた様子がわかります。

第3集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
西根遺跡の他の小グリッドの値を大幅に上回る1位、2位の小グリッドが隣り合って存在していて、際立った特徴を示しています。
第3集中地点では間層を挟んで上下2層から出土していると記載されているので、新旧2回以上の土器送りがあり、それが一緒にカウントされている様子です。
洪水を挟んで再び同じ場所で土器送りをするのですから、この場所に他の集中地点にはない特別の空間的意味があったと想像することができそうです。
第3集中地点ではより深い層位から堀之内式期の深鉢形土器が単独で1個体出土していますから、この付近は加曽利B式土器期以前から土器送りが行われた場所であり、その空間的意味(情報)が加曽利B式土器期に伝わっていた可能性も考えられます。

第4集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
70Kgを越える小グリッドが3あり第3集中地点に次いで土器密集小グリッドが多くなっています。
土器総重量が大きい小グリッドの存在は、それだけ土器送りが熱心に行われたこと表現していると考えますので、第3集中地点に次いで、第4集中地点の土器送りが熱心であったと想定しておきます。

第5集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
40Kgを越える小グリッドが1、それ以外に30Kgをこえるものが3あります。
第4集中地点と比べると土器送り活動がピークを過ぎて衰退し始めたことをイメージできます。

第6集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
土器送り活動は衰退してしまった様子がうかがえます。

第7集中地点 小グリッド土器総重量(g)順位
土器送り活動は衰退してしまった様子がうかがえます。

3 考察
小グリッド第1位土器総重量と集中地点の小グリッド数の2つの指標から土器集中地点の類型区分を試みました。

土器集中地点の区分
(矢印は上流から下流という空間推移及び時間推移をイメージしています。)

7つの土器集中地点をいくつかのグループに分けようとしたのですが、衰退した第6、第7集中地点を一緒にする以外ではグループ化できませんでした。
しかし、土器集中地点の消長の様子がより詳しく理解できるようになりました。
特徴は第1集中地点から第2集中地点に活動が弱まること。第3集中地点になると際だった活動が行われること。第4集中地点になると活動が安定して行われている様子が観察できること。第5集中地点の活動レベルが第1集中地点に似ていることなどです。

2017年5月20日土曜日

西根遺跡 集中地点別器種組成

集中地点別に器種組成グラフをつくり、並べてみました。

西根遺跡 集中地点別器種組成

集中地点別最多器種

集中地点によって器種組成がダイナミックに変化している様子が判ります。
第1集中地点と第2集中地点は最多器種がA2bですが第3集中地点から第7集中地点までB2aが最多器種になります。
また随伴する主な器種からみると第1と第2が似ています。また第4と第5が似ています。
第3は第1第2と第4第5の中間のような様相を呈しています。
従って、器種組成からみると第1第2グループ、第3グループ、第4第5グループの3つのグループに分けることができ、その順番で組成が変化しているように観察できます。

この上流から下流に向かう組成変化はそのまま時間変化に対応していると考えられます。

この器種組成変化情報を使って西根遺跡の意義をどのように論じることができるのか、今後学習を深めることにします。

この記事では、眩暈のするような精細な土器分類結果を少しずつ自分が理解できるデータに引き寄せている状況をメモしました。

参考 西根遺跡 縄文土器組成


2017年5月18日木曜日

西根遺跡 土器学習着手

西根遺跡の発掘調査報告書の土器情報が精緻であるので、その情報を分析すれば西根遺跡に関する見立て検証に役立つに違いないと考えます。
土器分析事前シナリオをつくるだけの知識も経験もありませんので行き当たりばったりになりますが、とにもかくにも土器分析学習に着手します。

1 出土土器量
集中地点別に土器出土量をグラフにすると次のようになります。

西根遺跡出土加曽利B式土器数量(総破片数)

西根遺跡出土加曽利B式土器数量(総重量g)

2 観察土器数
発掘調査報告書で復元観察している土器数は次の通りです。

西根遺跡観察土器数
観察土器数は出土土器量と集中地点別に比例しています。

3 観察土器の精製土器と粗製土器の割合
観察土器と精製土器の割合を集中地点別に見ると次のようになります。

西根遺跡 精製土器と粗製土器の割合

第4集中地点で精製土器の割合が高まり、特徴となっています。今後の分析で注目したいと思います。

4 土器の大分類
精製土器と粗製土器の区別をすることなく土器の形を大分類すると次のようになります。

西根遺跡 観察縄文土器の分類

これを集中地点別にみると次のようになります。

西根遺跡 観察土器の集中地点別分類別組成

第4集中地点で鉢の割合が増えています。3の特徴と連動しているようです。

5 土器の詳細分類
発掘調査報告書の土器詳細分類を自分自身が理解するために整理しました。

西根遺跡出土土器の分類

この詳細分類による出土数は次のようになります。

西根遺跡 縄文土器組成

このような土器詳細分類が西根遺跡の特性を露わにするうえでどのように役立つのか、役立たないのか、現状の自分レベルでは分かりませんが、分析を続けることにします。
先行している作業では、上記西根遺跡縄文土器組成を集中地点別に整理すると特徴が出ているようです。

2017年5月16日火曜日

2000記事通過に感謝します

この記事で丁度2000記事目となりました。
このブログに多くの皆様からアクセスやコメントをいただいき、また活動に対するご支援をいただき、それらが大いなる励みとなり、皆様のおかげで2000記事通過ができました。
皆様に心から感謝申し上げます。

2000記事に至る活動イメージを次に図でしめします。

ブログ花見川流域を歩く 2000記事の分類と主なテーマ
(2000記事リストのセルに色をつけたExcel画面を縮小してつくった画像です。)

最近は考古歴史に熱中していることが我ながら確認できます。
考古歴史学習にはこれまでに取り組んだ地形や地名の学習が重要な基盤となって作用していますので、さらに学習が発展する予感がしています。

また、地形や地名などと異なり、考古歴史分野では膨大な発掘調査報告書が公開されていています。
それらに含まれる膨大な詳細データの分析活動はほとんどなされていない状況です。発掘調査報告書の学術活用の様子が見当たりません。
いわば宝の山が放置されていて、素人の自分でも高価な宝石を取りたい放題であるという状況があることも私を考古歴史に駆り立てます。

今後もブログをツールとして趣味の学習活動を展開していくつもりです。

よろしくお願い申し上げます。

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参考 ブログ花見川流域を歩く 人気ベスト10
第1位 花見川石油パイプライン 2011/09/29
第2位 目に余る花見川河川敷不法占拠について考える 2013/04/11, コメント(2)
第3位  2014.11.22 今朝の花見川 2014/11/22
第4位  高津川流域の概要 2011/04/10
第5位  「立川断層トレンチ公開のお粗末」記事の海老川乱歩さんコメントに寄せて 2013/04/06, コメント(4)
第6位  上谷遺跡 竪穴住居跡遺物出土ヒートマップ作成 2016/11/13
第7位  高崎川・南部川の河岸段丘 2014/02/02
第8位  小字「ヤツ」と「サク」 2016/05/09
第9位  地名「検見川」は俘囚の検見(尋問)に由来する 2014/12/24
第10位 トピックス 花見川の白鳥 2011/02/22

参考 ファミリーブログ
花見川流域を歩く 番外編
花見川流域を歩く 自然・風景編
世界の風景を楽しむ

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2017年5月15日月曜日

西根遺跡関連 地名「戸神」考

戸神川、戸神という河川名、地名は宗像神社をもたらした宗像一族が最初に使ったと想像します。
宗像一族がこの地に九州から到着した時、戸神川谷津が在地の人々の祭祀の場(水中土器送りの場)であったために、「戸神」の地名・河川名をつけたと想像します。

戸神=戸(ト…人に通じる[*])+神=在地の人々が神様に祈願する場

戸神という地名は外来者が在地の人々の習俗を見て(影響を受けて、共感して)付けた名称です。

縄文時代後期の際立った土器送り行為は、その後その盛衰の程度は別にして、弥生時代にも引き継がれ、古墳時代にも継続していて、奈良・平安時代に至っていると考えます。

宗像一族がこの地にやってきた時はもとより、奈良・平安時代にも戸神川空間のあちらこちらに縄文土器密集地が露出していて、誰でもこの場が祭祀の場であることを直観できたと想像します。

縄文時代後期の祭祀行為が遺跡としてフィジカルに3500年後の現代に伝わるとともに、宗像一族の地名命名行為を介して、メタフィジカルな意味でも現代にまで伝わってきています。

地名「戸神」 旧版1/25000地形図

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* 戸
ハヤト(隼人)のトは今でも人を表現します。
古くはミナトのトも人であり水上や舟運の人々を表し、それがその人々のいる場所の意味に転じたと考えます。
セト、フナト、イワト、ヤマトなどのトも日本語を遡れるだけ遡ればすべて人の意味で、その後、その人のいる場所の意味に転じたと考えます。

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この記事は次の記事と一緒に読んでいただけると幸いです。
2017.05.13記事「西根遺跡 縄文時代水中土器送りは平安時代まで続く

2017年5月14日日曜日

西根遺跡 土器集中域直線状配置の方向の意味

土器集中域のうち点状分布などで直線状になっているものがあります。
そのうち代表的なものAとBについて、その意味を考察してみました。

直線状配置A

直線状配置B

周辺の地形の中で考えると、A・Bともに戸神川(谷津)の上流方向を向いた方向であることが判りました。

戸神川上流方向を見た時の視線方向の違い

直線状配置Aの位置は谷津の中に入り込んでいて、周囲の谷地形の方向に視線誘導されいる上流方向です。
一方、直線状配置Bの位置はまだ谷津の中に入り込んでいない入口であり、周囲の谷地形の方向に左右されないで、純粋に谷の最遠方を見た方向です。

Google Earth で立体的に確認すると次のようになります。

戸神川上流方向を見た時の視線方向 直線状配置A

戸神川上流方向を見た時の視線方向 直線状配置B

土器送りの際に、その送り空間の空間設計をするために戸神川上流方向を使ったのだと思います。

直線状配置A、Bはともに現場で上流方向を指したもので、方位としての北を指したものではありません。
しかし、戸神川の上流方向が北方向であることと、北方向からこのミナトに翡翠(想定)や黒曜石がもたらされることなどから、上流方向を指したことと方位としての北方向とは通底しているものかもしれません。
縄文人の北信仰(北極星信仰)などと、土器送り場で上流方向を見つめる姿は通底していると想像します。

なお、直線状配置A、Bは土器集中域の配置ですが、その当時は地面に土器が置いてあるだけでなく、おそらくイナウのような立体的な依り代(祭壇)様のものが列状に存在していたに違いないと空想します。