2011年12月14日水曜日

流域レベルの地形断面図

5mメッシュをカシミール3Dで運用して、流域全体の地形断面図を作ってみました。
ワンタッチで次の断面図が作成できます。

流域を横断する地形断面図

地形断面図線の位置

流域をこのような断面図7枚で輪切りにして、比較することも試行しましたが、ほんの数分で作業は終えました。手作業では気の遠くなるような作業です。

上記の地形断面図で谷津谷底の高度を連ねてみると、中央部で低くなるカーブを描いています。
花見川は河川争奪があり、かつ堀割普請で深く掘り下げていますから直接の検討から一旦取り外す必要がありますが、その他の谷津谷底は縄文海進の影響を受けて埋積した沖積面という条件の下で比較することができます。

谷津谷底高度が断面中央部(流域中央部)で低く、断面縁辺部(流域縁辺部)で高い理由と、私が考える河川争奪成因(*)と密接な関係があると考えており、今後検討を深めたいと考えています。

* 2011.11.20記事「地理的位置仮説」参照

2 件のコメント:

  1. 近隣に住む者ですが時々拝見させて頂いております。

    気になりる点が有りますが、縄文海進を過大評価されているように感じます。
    神場公園近くの低地部で標高7mなので花島以北まで入り江だったという考えには無理があります。
    柏井橋は昔橋が必要ない程谷底が浅かったそうです。
    311時に亥鼻橋近くの川べりが崩落したのですが、地下2〜3mで真っ黒な淡水性泥炭層に見えました。
    ちなみに印旛沼側の縄文海進のMAXは宮内橋付近だそうです。
    もう一点
    花島観音の場所を指して花島と言われているように感じますが、地元でそのようには言わず、
    村域全てを指して花島と言います。
    既に亡くなった古老から聞いた話では、花島村は大昔別の場所の台地上にあり、
    風が強すぎるからという理由のため移転したそうです。
    言い伝え的な伝承なので理由は正確ではないと思われますが、
    周辺村に比べ非常に狭い村域から、割り込み的に移転して来たのかも知れません。
    ちなみに同古老の話によると花見川は飛び越せる程の小川であったそうです。

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  2. grobeさんコメントありがとうございます。
    このブログを見ていただき感謝します。
    縄文海進のことと花島のこと、自分が得たささやかな情報をもう一度整理してみてから、grobeさんのおっしゃることについて考えさせていただきます。
    よろしくお願いします。

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