この記事は2017.04.08記事「縄文時代「送りの思想」学習」の続きです。
2017.04.08記事で「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)第7章第3節祭祀儀礼記述のおける「送り」について次の学習ポイントを立てました。
1 河野廣道の1935年論文を入手して読みます。
2 河野廣道論文の中で「イオマンテで植物・器具の霊も送っている」と書かれているか確認します。
3 イオマンテで送っているものは何か、現代研究成果を学習します。
4 「物送り」の概念について学習します。
疑問1 「物送り」という言葉の「物」をこの図書では物品(物質)という普通の概念で使っていますが、そこに根本的間違いがあるという疑問を持ちます。
「物送り」の物は折口信夫「霊魂の話」で出てくる「モノ」であり、霊に近い概念だと考えます。
疑問2 単刀直入に言えば、「貝塚の貝殻も、その中に含まれて発見される食べ滓の動物の骨、壊れた土器や石器などの道具類、そして装身具なども「物送り」された」は間違いであり、「物送り」されたのは狩対象動物の霊であったと思います。
このポイントに従って順次学習(検討)します。
1 論文入手
河野廣道(1935):貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ、人類學雑誌50-4は2017.04.08記事をブログにアップしてから10分後にpdfを入手しました。
J-STAGE(科学技術情報発信・流通総合システム)からダウンロードしたもので、世の中が超便利社会、超高速社会になったと、今浦島的感想を持ちます。
河野廣道(1935):貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテの1ページ目
2 論文に「イオマンテで植物・器具の霊も送っている」が書かれているか?
確かに論文にそのように書かれていました。
「イオマンテは動物に限つて行ふのではなく、食用植物その他アイヌが使用した總ての器具什器に到るまで、叮重に送るのであつて、字義通りの「物送り」なのである。」
論文にそのように書かれているので図書のその部分(引用)の記述自体は正確です。
ただし、イオマンテという儀式で植物器具什器を送っていたという事実は知りませんから、イオマンテという熊祭を連想する言葉と植物器具什器の送りを結びつけた言葉を使ったことが、引用とはいえ、私に違和感をもたらしたのでした。
アイヌひいては縄文人が狩猟対象動物だけでなく植物器具什器まで送っていたことは河野論文を読んでよく理解できました。
3 イオマンテで送っているものは何か?
瀬川拓郎「アイヌの世界」(講談社選書メチエ)を読むと、縄文時代に全国に広がっていたイノシシ儀礼がイノシシのいない北海道縄文人でも行われ、本州からイノシシを搬入して行う「飼いイノシシ儀礼」の遺物が詳しく紹介されています。
本州が弥生時代に入りイノシシ儀礼が衰退すると、北海道ではイノシシ儀礼が熊儀礼(熊祭)に転換して、それが現在まで伝わる「飼いグマ儀礼」(イオマンテ)であるという説を説明しています。
このような読書をすると縄文人が狩猟対象動物をアイヌのイオマンテと同じように儀礼的に送っていたことは想像に難くありません。
4 物送りの概念について
タマとモノの違いを次のように理解しておきます。
「タマは肉体に宿り、その死後に残存すべき人格的存在であり、これに対して人間の霊魂以外の種々なる事物の霊魂、またその遊離霊はモノである。」(民俗学辞典、東京堂出版)
物送りとは人間以外の動物植物器具什器の霊を送ることであると理解します。
疑問1と疑問2は私の誤解(テキスト理解不足)によるものであることが判明しました。
同時にこの誤解が解けると同時に、送りについて次のような仕訳をした時、3、4についての知識が皆無であることの存在に気が付きました。
送りの場面
1 人の送り(祭祀…葬送、場所…竪穴住居、貝塚、墓)
2 狩猟対象動物の送り(狩猟儀礼…イオマンテなど、場所…集落、狩猟現場)
3 植物器具什器等の送り(祭祀…?、場所…竪穴住居、土器塚?、貝塚)
4 機能空間の送り(1、2、3と関わらない純粋な「炉穴の廃絶祭祀」、「竪穴住居(竈)の廃絶祭祀」、「災害等で壊れた施設空間の廃絶祭祀」など)
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参考 抜き書き
河野廣道(1935):貝塚人骨の謎とアイヌのイオマンテ、人類學雑誌50-4
Ⅱ イオマンテとは何か?
アイヌの神々は天上界に住んで居るが、人間界に姿を現はす時には、それぞれハヨクペをつけてやつてくるので、例へばキムンカムイ(山神)なら熊の姿を、レプンカムイ(沖の神)は鯱(又はイルカ)の姿を、コタンコルカムイ(部落神)なら梟の姿をとる等々、それぞれ一定の形をして人界に出て來ると考へ、カムイがアイヌに食物を與へんが爲にその樣な姿でやつてくるものと信じて居る。
そして信心深いアイヌ、即ちカムイを大切にするアイヌには、神々が澤山食物を與へてくれるから生活が樂であると信じて居る。
具體的に云ふと如何なる食物と雖もカムイが形を變へてアイヌに食べられにやつて來たものであるから、食べる時には先づ神に感謝し、食べた殘りや不用の部分は決して粗末にせす、叮重に神の國に送つてやる。取扱を叮重にして、送つてやれば、神は再びそのアイヌに食べられにやつて來るのである。
例へばキムンカムイなら、熊の形をして、あの温い毛皮と、その内に包まれたあの美味しい血と肉とを土産に持つてアイヌの所にやつて來る。
アイヌはだからその皮を剥いて着、血をすゝり、肉を喰べ、骨髓に舌鼓を打ち、その代り頭骨をヌシヤサンに飾り、イナウを立て、酒や御馳走をそなへ、その他の土産物を數多く持たせて熊の靈即ちカムイを天國に送り返すのである。
そうすると、カムイは天國に行つて多くの神々にアイヌの所で歡待されたことを自慢し、それを聞いた神々は、そのアイヌの所へやつて來る、從つてカムイを叮重に送るアイヌには獵が多いと考へて居る。
だから熊のみに限らす總て食用に供する烏獸魚類はイナウをたてゝ送るのである。
この送りの儀式がイオマンテである。
イオマンテは動物に限つて行ふのではなく、食用植物その他アイヌが使用した總ての器具什器に到るまで、叮重に送るのであつて、字義通りの「物送り」なのである。
器具や家具・食器等に到るまで、不用のものや毀れたものは、總てヌササンの傍又はポンヌサの近傍にまとめて送るので、所かまはず捨てる樣なことは決してない。
兎に角以上の樣にアイヌは自身の經濟生活と關係ある總ての生活資料や器具を送るのである。
この送るといふ宗教的な考へ方は、萬物が人類と同樣の精神作用を有するといふ萬神思想と關連して居る。
自分達の經濟生活と離す可からざる關係にある食料や器具の靈達を叮重に神の國に送り返すのは、一方では祟りをまぬがれ、一方動物や植物なら再びアイヌの所に、より豐富な食物を與へてくれる樣にと、自分達に最も都合のよい事を祈つて送るのである。
「送り」の儀式や祈りの言葉も、宛も人間に對する如き氣持で行はれるのであつて、祈りの言葉なども、或はおだて、或はなだめ、或はだましさへするのである。
Ⅲ イオマンテと貝塚
上述の如くして送られた鳥獸魚介の骨片・羽毛・貝殻・食料植物の不用の部分、生産に必要な獵具・武具・農耕具、その他食器・臼・釜・椀等に至るまで、ヌササンの傍や後方に置かれるので、次第に堆高くなり塚をなす。
兎に角かくの如くして家側にせよ、山にせよ、一定の場所に一まとめにして送られたものは次第に塚をなし、その内腐れ易い部分のみ分解し去つて、分解し難い部分のみ殘り、遂には貝塚・土器塚・骨塚等を形成するに至るのである。
Ⅳ 貝塚と人骨
貝塚は、少なくともアイヌの場合には、前述の樣に「物送り場」の跡であつて、物の靈を天國に送つた「骸」の置場である。
從つて、現代文化人の塵捨場とは、目的は同じ廢物置場ではあるが、本質的には全く異る見方で取扱はれた。
「物送り場」はタブーにより汚すことを嚴禁され、物送り場に物を送るのは、一定の儀式と祈りとを捧げた後になされた。
だからこそ、靈の上天した人間の遺骸をも亦貝塚に葬つたとて何の矛盾もない。
アイヌの考へ方に從へば、總ての物が生きて居るのであつて、それぞれ人と同樣な精神生活を螢んで居り、靈がその物體を離れるのが死といふ現象であり、器具などなら破損して用をなさなくなつた時がその物の死を意味する。
この樣な考へ方から、品物が毀れても物送り場に送り、動物を殺しても、植物を採つても、不用の部分は總て物送り場に送るのである。
そうすることによつて、殺した動物や毀れた器具の靈を天國に送り、祟りをまぬがれると同時に、その靈達が再びアイヌを訪れる時にはよりよき幸を持ち來る樣に祈るのである。
アイヌにとつて嫌なものに對しては來ぬことを祈る。
兎に角、往時は上述の樣な考へ方から、靈の上天した人の屍も、毀れた物も、同樣に取扱つた時代がある。
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