2025年6月1日日曜日

イランの歴史

 History of Iran


I read the April issue of Geography magazine's article "History of Iran" and learned about the history of the various dynasties that rose and fell in Iran. During this study, I remembered learning about wooden tablets that revealed that there were Persians among the officials of Heijo Palace.


雑誌地理4月号記事「イランの歴史」を読んで、イランの土地で興亡した諸王朝の歴史を学習しました。この学習の中で、平城宮役人にペルシャ人がいたことが判明した木簡について、過去に学習したことを思い出しました。

1 雑誌地理4月号記事 高安克己著「イランの歴史」

この論説では、イランの歴史は7世紀中頃にイスラム化する以前とそれ以後で大きく分けられるとして、それぞれについて諸王朝の興亡を詳しい年表と版図地図で説明しています。年表はとてもわかりやすく、日本との関係においてとても参考になります。アケメネス朝ペルシャやアレキサンダー大王の東方遠征が縄文時代であったことに気が付き、なぜか感慨が深まります。


ペルシャからイランに至る歴史

この論説を読んでいる中で、以前平城宮にペルシャ人がいたことが判明した木簡発見について学習したことを思い出しましたので、次のその内容をメモします。

2 平城宮にいたペルシャ人

(この項は主にWikipedia「破斯清道」によります。)(雑誌論説とは関係ありません)

奈良文化財研究所の赤外線調査により、平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765年)と書かれた木簡にペルシャ人と見られる「破斯清道」(はしのきよみち)の名前が発見されました。


破斯清道の文字が発見された木簡 木簡庫(奈良文化財研究所)から引用

「破斯」という文字は、ペルシャを意味する「波斯」と同音であり、同様の意味を持つと判断されました。ペルシャ人を示す文字が出土品で確認されたのは、日本国内では初めてです。

破斯清道は員外大属(いんがいだいさかん)という職で、「大属」は大学寮の四等事務官にあたる下級官吏であり、「員外」とは定員外で任じられた特別職であり、渡辺晃宏(奈良文化財研究所)によって外国人の学問と知識を生かすための特別枠で任命された可能性が指摘されています。

「続日本紀」には天平8年(736年)8月、帰国した遣唐副使中臣名代が、「唐人三人、波斯人一人」と共に聖武天皇に拝謁したという記述があり、同年11月、名代ら遣唐使への叙位が行われた際に、ペルシャ人の李密翳にもそれぞれ位を授けられたと記載されています。

李密翳が聖武天皇に謁見した時からこの木簡に記された年までの隔たりは30年ほどであり、渡辺晃宏は、「破斯清通は李密翳本人か、家族や従者だった可能性がある」と述べています。

参考 2016.10.06記事「平城京役人にペルシャ人の新聞記事



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